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リボンの騎士 その1
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「あれ?」
治美がいきなり素っ頓狂な声をあげた。
「今度は何だよ?」
治美が雅人の耳元で小声でささやいた。
「あそこに立ってる女の子が、こっち見てお辞儀しましたよ」
治美の視線の先を見ると、恐らく中学生だろう、毛先まで堅く編み込まれた三つ編みのおさげ髪の少女が、車両の後ろの方で立っている。
少女は姿勢を正して、まっすぐ雅人たちの方を見つめている。
「席がいっぱい空いてるのにどうして立ってるのかしら?」
「確かに変だな?」
治美と雅人が小声で話していると、エリザがフフンと鼻を鳴らした。
「なんや、雅人!そんなこともわからへんの」
「なんだよ?」
「『朗らかに、清く、正しく、美しく』や!」
「あっ、そうか!あの娘、宝塚音楽学校の生徒なんだな!」
「清く、正しく、美しく」とは宝塚歌劇団の創始者である小林一三氏の教えで宝塚のモットーである。
「そうや!宝塚音楽学校の生徒は親会社の阪急電鉄に感謝して席が空いてても座らんし、電車に向かってお辞儀するんや」
「あっ、なんかそれ、わたしも聞いたことある!―――でも、どうしてわたし達に向かってお辞儀したの?」
「きっとうちらのこと、宝塚歌劇団の団員やと思ったんや。電車の中で先輩らしい人を見つけたら、間違いかもしれなくても絶対に挨拶せんといかんのやで」
「わたしがタカラジェンヌ………?どうして……?」
「そりゃあ、うちらみたいに背が高くて金髪の美少女が阪急電車にいたら間違われてもしょうがないやろ」
やがて、電車は宝塚駅に着いた。
雅人たちが降りた後から、おさげ髪の少女も降りてきた。
おさげ髪の少女は、走り去る阪急電車に向かって深々とお辞儀をした。
「間違いあらへん。あんなことするんは音校生だけや」
そういうと、エリザがいきなりおさげ髪の少女にこちらへ来るように手招きした。
「ちょっと、あんた!聞きたいことがあるんやけど」
エリザに呼ばれたおさげ髪の少女は、大急ぎでこちらに駆け寄ってきた。
「何の御用でしょうか?」
おさげ髪の少女は緊張した面持ちで直立不動の姿勢をとった。
気の毒に、完全にエリザたちを劇団の関係者だと勘違いしているようだ。
「御殿山に手塚治虫って医者がおるんやけど、あんた知らんかな?」
「手塚さんですか……?申し訳ありません。私は存じ上げません」
「――あのう、エリザさん。手塚先生のご実家なら、わたし場所を知ってますよ。昔、見学に行ったことがありますから」
「アホやな!見ず知らずの女学生がいきなり家に押しかけたって、会ってくれるわけないやろ」
「エリザの言うとおりだ。家に行く前に、できるだけ情報を収集したほうがいいぞ」
「わかりました」
治美がおずおずとおさげ髪の少女の前に出た。
「えーとねぇ……、踏切渡って、山側に坂道5分ほど登って、その先右に曲がって、庭に大きなクスノキの木のある立派なお宅なの。知らないかな?」
「そうおっしゃられても………」
おさげ髪の少女は申し訳なさそうにうつむいた。
と、何かまたコミックグラスで調べているのだろう、治美が空中を人差し指でかき回し始めた。
「そうそう!手塚家の隣には、宝塚の大スターが住んでいたって書いてるわ!天津乙女と雲野かよ子姉妹!手塚先生のお母さんがヅカファンだった事もあって、とても親しくされていたそうよ。あなた、天津乙女って人、知ってる?」
「――知ってるも何も、あの方を知らない人など宝塚にいません!」
おさげ髪の少女は、呆れた顔で声をあげた。
少女は治美のことを眉をひそめて疑いの眼差しでジロジロと見ている。
「――俺も宝塚のことはよく知らないが有名人なのか?」
雅人が小声でそっとエリザに尋ねた。
「当たり前や!大大大スターや!」
天津乙女はかつての月組の男役トップスターにして月組組長である。
また「女六代目」と呼ばれる日本舞踊家で、「宝塚の至宝」と呼ばれ、劇団の理事もしている大スターだった。
そんな天津乙女を知らない治美のことをおさげ髪の少女が不審がるのも無理がなかった。
「それでしたら、『きねや』さんに行かれたらどうでしょうか?」
「きねや……?」
「きねやさんは老舗の和菓子屋さんで、あのあたりのことはよくご存じですよ。数年前から天津乙女さんにあやかり『乙女餅』というお菓子を売っているぐらいです」
「なるほど!よう、わかったわ。引き止めてごめんな。もう、行ってええで」
おさげ髪の少女はエリザに追い払われ、訝しげな顔つきで立ち去った。
「なんや!手塚治虫ってジェンヌさんと結構付き合いがあったんか?」
「タカラジェンヌ」とは「宝塚」と「パリジェンヌ」を合わせた造語で、宝塚歌劇団の団員の愛称だ。
この頃はヅカガールの愛称の方が一般的だったが、エリザのような熱心なファンは「ジェンヌさん」と呼んでいた。
エリザの問いかけに、治美はコクンとうなずいた。
「――幼い頃の手塚先生と先生の弟さんが、天津乙女、雲野かよ子姉妹と一緒に収まっている写真を見たことがあります」
「それをはよ言うてよ!」
「手塚先生と宝塚歌劇団はとても親密な関係があります。
手塚先生がデビュー間もない頃に宝塚歌劇のファン機関紙『寳塚ふあん』に漫画やカットを投稿していました。
その後も機関紙『歌劇』や『寳塚グラフ』で、宝塚に関する漫画を連載していました。
また、日本のストーリー少女漫画第一号にして、後々の少女漫画に大きな影響を与えた『リボンの騎士』は、宝塚歌劇のイメージから生まれたのは有名な話でして――」
「あっ!そう言うのは聞きたないわ!」
話が長くなりそうなので、エリザは人差し指を治美の唇に縦に当てて黙らせた。
雅人たちは、おさげ髪の少女が教えてくれた和菓子屋に行くことにした。
治美がいきなり素っ頓狂な声をあげた。
「今度は何だよ?」
治美が雅人の耳元で小声でささやいた。
「あそこに立ってる女の子が、こっち見てお辞儀しましたよ」
治美の視線の先を見ると、恐らく中学生だろう、毛先まで堅く編み込まれた三つ編みのおさげ髪の少女が、車両の後ろの方で立っている。
少女は姿勢を正して、まっすぐ雅人たちの方を見つめている。
「席がいっぱい空いてるのにどうして立ってるのかしら?」
「確かに変だな?」
治美と雅人が小声で話していると、エリザがフフンと鼻を鳴らした。
「なんや、雅人!そんなこともわからへんの」
「なんだよ?」
「『朗らかに、清く、正しく、美しく』や!」
「あっ、そうか!あの娘、宝塚音楽学校の生徒なんだな!」
「清く、正しく、美しく」とは宝塚歌劇団の創始者である小林一三氏の教えで宝塚のモットーである。
「そうや!宝塚音楽学校の生徒は親会社の阪急電鉄に感謝して席が空いてても座らんし、電車に向かってお辞儀するんや」
「あっ、なんかそれ、わたしも聞いたことある!―――でも、どうしてわたし達に向かってお辞儀したの?」
「きっとうちらのこと、宝塚歌劇団の団員やと思ったんや。電車の中で先輩らしい人を見つけたら、間違いかもしれなくても絶対に挨拶せんといかんのやで」
「わたしがタカラジェンヌ………?どうして……?」
「そりゃあ、うちらみたいに背が高くて金髪の美少女が阪急電車にいたら間違われてもしょうがないやろ」
やがて、電車は宝塚駅に着いた。
雅人たちが降りた後から、おさげ髪の少女も降りてきた。
おさげ髪の少女は、走り去る阪急電車に向かって深々とお辞儀をした。
「間違いあらへん。あんなことするんは音校生だけや」
そういうと、エリザがいきなりおさげ髪の少女にこちらへ来るように手招きした。
「ちょっと、あんた!聞きたいことがあるんやけど」
エリザに呼ばれたおさげ髪の少女は、大急ぎでこちらに駆け寄ってきた。
「何の御用でしょうか?」
おさげ髪の少女は緊張した面持ちで直立不動の姿勢をとった。
気の毒に、完全にエリザたちを劇団の関係者だと勘違いしているようだ。
「御殿山に手塚治虫って医者がおるんやけど、あんた知らんかな?」
「手塚さんですか……?申し訳ありません。私は存じ上げません」
「――あのう、エリザさん。手塚先生のご実家なら、わたし場所を知ってますよ。昔、見学に行ったことがありますから」
「アホやな!見ず知らずの女学生がいきなり家に押しかけたって、会ってくれるわけないやろ」
「エリザの言うとおりだ。家に行く前に、できるだけ情報を収集したほうがいいぞ」
「わかりました」
治美がおずおずとおさげ髪の少女の前に出た。
「えーとねぇ……、踏切渡って、山側に坂道5分ほど登って、その先右に曲がって、庭に大きなクスノキの木のある立派なお宅なの。知らないかな?」
「そうおっしゃられても………」
おさげ髪の少女は申し訳なさそうにうつむいた。
と、何かまたコミックグラスで調べているのだろう、治美が空中を人差し指でかき回し始めた。
「そうそう!手塚家の隣には、宝塚の大スターが住んでいたって書いてるわ!天津乙女と雲野かよ子姉妹!手塚先生のお母さんがヅカファンだった事もあって、とても親しくされていたそうよ。あなた、天津乙女って人、知ってる?」
「――知ってるも何も、あの方を知らない人など宝塚にいません!」
おさげ髪の少女は、呆れた顔で声をあげた。
少女は治美のことを眉をひそめて疑いの眼差しでジロジロと見ている。
「――俺も宝塚のことはよく知らないが有名人なのか?」
雅人が小声でそっとエリザに尋ねた。
「当たり前や!大大大スターや!」
天津乙女はかつての月組の男役トップスターにして月組組長である。
また「女六代目」と呼ばれる日本舞踊家で、「宝塚の至宝」と呼ばれ、劇団の理事もしている大スターだった。
そんな天津乙女を知らない治美のことをおさげ髪の少女が不審がるのも無理がなかった。
「それでしたら、『きねや』さんに行かれたらどうでしょうか?」
「きねや……?」
「きねやさんは老舗の和菓子屋さんで、あのあたりのことはよくご存じですよ。数年前から天津乙女さんにあやかり『乙女餅』というお菓子を売っているぐらいです」
「なるほど!よう、わかったわ。引き止めてごめんな。もう、行ってええで」
おさげ髪の少女はエリザに追い払われ、訝しげな顔つきで立ち去った。
「なんや!手塚治虫ってジェンヌさんと結構付き合いがあったんか?」
「タカラジェンヌ」とは「宝塚」と「パリジェンヌ」を合わせた造語で、宝塚歌劇団の団員の愛称だ。
この頃はヅカガールの愛称の方が一般的だったが、エリザのような熱心なファンは「ジェンヌさん」と呼んでいた。
エリザの問いかけに、治美はコクンとうなずいた。
「――幼い頃の手塚先生と先生の弟さんが、天津乙女、雲野かよ子姉妹と一緒に収まっている写真を見たことがあります」
「それをはよ言うてよ!」
「手塚先生と宝塚歌劇団はとても親密な関係があります。
手塚先生がデビュー間もない頃に宝塚歌劇のファン機関紙『寳塚ふあん』に漫画やカットを投稿していました。
その後も機関紙『歌劇』や『寳塚グラフ』で、宝塚に関する漫画を連載していました。
また、日本のストーリー少女漫画第一号にして、後々の少女漫画に大きな影響を与えた『リボンの騎士』は、宝塚歌劇のイメージから生まれたのは有名な話でして――」
「あっ!そう言うのは聞きたないわ!」
話が長くなりそうなので、エリザは人差し指を治美の唇に縦に当てて黙らせた。
雅人たちは、おさげ髪の少女が教えてくれた和菓子屋に行くことにした。
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