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3.テトディニス公爵家にて
しおりを挟む「――まぁ! そんな恐ろしく身の毛もよだつ兼、腸が煮えくり返る出来事があったんですの?」
アスタディアの向かいで紅茶の入ったカップを手に持ち顔を顰めている美麗の女性は、輝く黄金色のウェーブ掛かった長い髪に、同じく綺麗な金の瞳を持った、彼女の親友だ。
名は、ユリアンヌ・テトディニス。公爵家の一人娘だ。《月の巫女》と対になる《太陽の巫女》でもある。
《太陽の巫女》は“再生を司る者”と言われ、実際に怪我を治したり、活力を与えることが出来る能力を持っている。
悶々とした気持ちで夜を明かし、一人では抱え切れなくなったアスタディアはテトディニス公爵家を訪ね、庭のテラスで昨日の出来事をユリアンヌに話していたのである。
公爵家に行ってくることを両親に伝えると、思い切り不機嫌な顔つきをされたが、ちゃんとした格好で行けと命令してアスタディアを送り出した。
二人はアスタディアと公爵家の一人娘が仲の良い関係なことを知っていて、公爵家にいい顔をしたい彼らは行くなとは言えなかったようだ。
ちゃんとした格好と言っても、ドレスは殆ど姉に取られてしまっていたので、外出用のワンピースを着てきた。ユリアンヌも服装について堅苦しく言わない性格なのでありがたい。
「えぇ……」
「本当に腹立たしいですわね。わたくしが一緒でしたら、その現場にズガズガと土足で上がり込んで、婚約者の方のタマちゃんをグチュリと握り潰してやりましたのに。勿論使い捨ての手袋をはめて」
とんでもないことを言葉に出し、ニコリと美しく可憐な笑みを見せるユリアンヌ。
「あ、あはは……。ユリアンヌ、その擬音は如何なものかと……」
しかし彼女なら本当にやりかねない……。
「……ユリアンヌ」
微笑みながら、咎めるような口調で彼女の名を言ったのは、すぐ傍に姿勢良く立っている彼女の従者である、『ソウ』という名の男性だ。
空のように爽やかな蒼色の長髪と瞳をした、とても美形な青年で、名前はユリアンヌがいつも彼のことをそう言っているので、本名は知らない。
「あら、少しだけお下品でしたかしら? ごめんなさいね」
「少しどころではなかったですよ。公爵家のレディなのですから、お言葉にはお気を付け下さい」
彼は、こうやってユリアンヌを注意している時でも微笑みは絶やさない紳士だ。
ちなみに二人は相思相愛の仲である。
《太陽の巫女》と《月の巫女》は、代替わりするまで結婚は禁じられている。神秘的で純真で清楚なイメージを壊さないようにという、昔からのしきたりだ。
けれど暗黙の了解で、結婚は駄目だけど恋人や愛人は作っていいらしい。なかなかに緩い感じだ。
「だけれど、それだけ腹が立ったのですわ」
「ありがとう、ユリアンヌ。私は大丈夫よ。両親が決めた婚約者だったから、異性として好きという感情はなくて、友達みたいな感覚だったもの。ただ、よく知っている人達の情事を見てしまったから……。しかも、そ、そういうを見るの初めてで、衝撃が凄まじくて……」
「あぁ……、そうですわよね……。普通に生活していても、人様のそういう場面を見る機会はありませんもの。本当に災難でしたわね、アスタディア。けれど、リリールア様の嫌がらせも度が超えていますわ。お父様とお母様にご相談は?」
アスタディアはその問いに、小さく息をついて答えた。
「今朝話したけれど、『一回二回の浮気が何だ。それを許す寛大さも身につけろ』と逆に怒られてしまったわ。婚約破棄の話もしたけれど、すぐに却下されちゃった。私は今すぐにでも破棄したいのだけどね……。あんな場面を見ちゃったら、結婚なんて出来るわけがないじゃない」
「……あなたのお父様とお母様も大概ですわね……。あ、ごめんなさいね。あなたのご両親にこんな――」
「ううん、いいのよ。昔は本当に優しい両親だったんだけど……。いつになったらあの頃のように戻ってくれるのかしら……。私がもっと良い子になった方がいいの? もっともっと二人の言うことを素直にちゃんと聞けば――」
テーブルの上で両手を組み、切羽詰まったように口走ったアスタディアのその手を、ユリアンヌはギュッと握りしめ、首を横に振る。
「それは違いますわ、絶対に。そんな生活を続ければ、あなたの心と身体がボロボロになってしまいます。どうかご自分を見失わないで下さいな」
「ユリアンヌ……」
「……以前から何度も申していますが、やはりわたくしの屋敷に住みませんか? あなたを馬車馬のように働かせるご両親とお姉様のいる場所にいさせるのは、わたくしが心苦しいのです」
アスタディアはユリアンヌの心遣いに胸が熱くなり、彼女の手を握り返した。
「ありがとう、ユリアンヌ。でももう少し頑張ってみるわ。もしかしたら明日、お父様やお母様が元の優しい性格に戻るかもしれないし……。ちょっとの可能性でも信じたいの」
「……あなたがそう仰るのなら、わたくしも無理にとは言いませんわ。でも、テトディニス公爵家はあなたをいつでも大歓迎でお迎えすることは覚えておいて下さいませね」
「……えぇ。本当にありがとう、ユリアンヌ。大好きよ」
「わたくしもですわ。では、少しでも心を落ち着かせる為に、ソウのお顔をご覧になってはいかが? 美形で見惚れるでしょう? ポーッとしてきませんか?」
「あはは、美形過ぎて逆に心が落ち着かなくなるわ……」
「お褒めのお言葉ありがとうございます、アスタディア様」
微笑みながら優美に一礼する、ソウの完璧な紳士の仕草にアスタディアが思わず見惚れると、彼女の胸元からシンが飛び出し、肩の上に乗るとキュイキュイと可愛らしい声を上げた。何やらソウに向かって怒っているようだ。
「あははっ、もしかして嫉妬したの? シンもとっても可愛くて悶絶しちゃうから安心してね」
「……アスタディア、その子は……?」
突然現れた毛むくじゃらを見て、ユリアンヌとソウが大きく目を瞠る。
「あ、ユリアンヌとソウさんは初めましてだったわね? いつもは服の中から出てこないんだけど……。この子、シンっていうの。えっと……いつだったかな? 屋敷の近くの森で、この子が魔物に襲われているのを助けて保護したの。それからずっと一緒にいるわ。辛いことがあっても、この子の存在で乗り越えられてきたのよ。見たことのない生き物だし、例え魔物だとしても、私はこの子が大好きよ。私に懐いてくれてるし、触り心地も最高だし」
「……まぁ……そうなのですね。――ちなみにその子、いつもあなたの服の中にいらっしゃるのでしょうか……?」
「えぇ、胸辺りが定位置よ。肩の上でもいいのに、必ず胸の中に入るのよ。暖かい所が好きみたい。私も胸元が暖かくて一石二鳥よ」
微笑みながら言うアスタディアに、ユリアンヌとソウが顔を見合わせ、何とも言えない表情をした。
「アスタディア、その……。その子はオスだから、定位置の場所を変えた方がいいですわよ?」
「えっ!? ユリアンヌ、この子の種族知ってるの!?」
思わず身を乗り出し、アスタディアはユリアンヌに問い掛けた。
「えぇ、ここから遠くの東方に住む生き物だと聞きましたわ。魔物ではないし、危険な生き物でもないのでご安心下さいな」
「危険じゃないのは最初から分かっているから大丈夫よ。でも、東方の生き物だったのね。じゃあ、名前も正解だったわ。この子の毛の色、東方の言葉で『深藍』っていうみたいなの。だから『シン』にしたのよ」
「なるほど……。以前からあなたは東方の言葉に興味を持っていましたものね。とてもピッタリですわ」
「ありがとう。ちなみにソウさんの髪と瞳の色は、東方の言葉で『蒼天』っていうみたい。偶然同じで驚いたわ」
アスタディアの言葉に、ソウはニコリと美形な顔に笑みを浮かばせた。
「本当ですね、とても興味深いです。私も今度調べてみますね」
そう言うソウの視線は、アスタディアの頬に擦り寄っているシンに注がれているようだった。
そんな彼に首を傾げたアスタディアだったが、すぐにユリアンヌの方に目線を変えたので、それ以上気にすることなく彼女との雑談に花を咲かせた。
あっという間に夕方近くとなり、名残惜しみながらユリアンヌ達と別れると、家路に就く。
今日の仕事はユリアンヌに会いに行ったお蔭で免除されたので、屋敷に着くとすぐに自分の部屋へと向かった。
「――やぁ、アスタディア。待っていたよ」
自室の扉を開け中に入ったアスタディアが目にしたのは、微笑を顔に貼り付け立っている婚約者ヨセフの姿だった。
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