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14.伯爵、拒絶する

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「ハイドぉ。いるぅ?」


 ハイドが登城した翌日のお昼過ぎ、ノックも無しにユーカリが彼の部屋に入ってきた。
 今日は朝からオリービア達が不在で、ユーカリとの関係の誤解を解こうと思っていたハイドは、仕方なく自分の部屋の執務机で事務作業をしていたのだ。


「アンタ、昨日お城に行ってきたんでしょ? 【王命】の取消しは出来た? アンタとあの醜悪女が結婚してもうすぐ一年経つじゃない。アンタに取消しを任せてから、アタシ、ずーっと待ってるんだけどぉー?」


 ユーカリがそんな事を言ってきたので、ハイドは目を見開き、首を軽く横に振って答えた。


「何を言ってるんだ? 俺はそんな約束はしていない。それに、【王命】はそう簡単に取消せるものじゃない。文字通り【王】の【命令】で、滅多に発令しない、とても重要なものなんだ。だから、俺と彼女の婚姻には意味が――」


 そこまで言って、ハイドは言葉を切る。


(――そうだ……。どうして俺とオリービアの婚姻が【王命】で出されたんだ? お互いに全く知らない間柄だったのに……。俺達の婚姻には一体何の意味があったんだ……?)


 ハイドのその思考は、ユーカリの不服度全開の文句によって中断された。


「えぇーっ!? 確かに返事したじゃないの! もう! 待った損じゃない、やになっちゃう! 仕方ないわね……結婚しててもいいから、さっさとあの阿婆擦れ女を追い出さなきゃ。この屋敷には不要な存在よ。アンタもあんな節操無し女、傍に置いておきたくないでしょ? さて、どうしようかしら……」
「…………」
「ま、それは後でいいわ。それよりもハイドぉ。お願いがあるんだけどぉ」


 ユーカリは艶めかしい笑みを浮かべながらハイドの傍に寄ると、その腕に自分の腕を絡ませる。
 途端、ハイドの顔が顰められ、その腕をすぐに振り払った。


「それはもう止めてくれ。二度としないで欲しい。抱きしめてくれるのも、もう……いい。今まで俺を慰めてくれてありがとう。ユーカリさんには、本当に……感謝している」
「はぁ? 何よ? いきなり――」
「ユーカリさん、どうして嘘をついたんだ。これらの行為は好きな者同士がすることじゃないか」


 低く呻くように言葉を出したハイドに、ユーカリは眉根を寄せた後、突然「アハハッ」と笑った。


「あーあ、バレちゃったのね。誰がアンタに余計な事を教えたのかしら? ホントやになっちゃうわ」
「……っ。ユーカリさん、どうして――」
「だって、アンタにくっついてたら、アンタがアタシに特別な感情を抱くかと思って。そしたらアンタと結婚出来るじゃない」
「……は? 何を馬鹿な! そんな事ある訳が無いじゃないか! 貴女は従姉で、俺の姉のような存在だ。そういう特別な感情は一度も抱いた事が無いし、これからも絶対に有り得ない!!」


 ハッキリと断言するハイドに、ユーカリは歪んだ笑みを向けた。


「へぇ? そんなの分からないわよ? じゃあアタシを一度抱いてみてよ。そしたら気持ちが変わるわよ? だってアタシ、アンタをこの上なく気持ち良くさせる事が出来るもの。アンタはアタシの虜になるわ、絶対に。フフッ」


 そう言って赤く濡れる唇の端を持ち上げながら、ハイドの両頬に手を添えて顔を近付けてきたユーカリを、彼は不快に満ちた表情で両手を前に出し突き飛ばした。


「止めてくれ! 貴女とは絶対にそんな事はしない。何をされようと、そんな気も全く起こらない!!」
「……は? 何よそれ。童貞が偉そうに」


 床に倒れ込んだユーカリは、舌打ちをしながら起き上がり、彼に聞こえないように小さく呟いた。


(……フン、まぁいいわ。いざとなったら媚薬を飲ませればいいしね。それでアタシの身体の虜にして、一生離れなくさせてあげるわ。アンタもアタシの身体に溺れる事になるのよ)


 ユーカリは内心ほくそ笑むと、悲しそうに目を伏せた。


「ごめんなさい……。アタシが悪かったわ、ハイド……。二度とこんな事はしないわ」
「……分かってくれたらいいんだ。俺の方こそ突き飛ばしてごめん……。――それで……その、ユーカリさんに訊きたい事があるんだ」
「あら、何よ?」


 ハイドはコクリと喉を鳴らすと、おもむろに口を開いた。


「この一年の間に、王都の城下町にある、『ウィロウ』という有名料理店に行ったか?」
「え? いやね、そんなとこ一人じゃ行けないわよ。王都の人気店で、予約をしないと入れないんでしょ? 今度アンタが連れてってよ」
「…………最近、社交場には顔を出しているか?」
「は? そんな訳ないじゃない! 離婚したアタシが行ったら、周りの奴らにある事ない事吹聴されるに決まってるもの! そんな恥を掻くのは勘弁だわ」
「…………そう、か……。分かった。ありがとう……」


 ハイドの様子がおかしい事にユーカリは気付いたが、それよりも彼女は自分の欲を優先させた。


「そんな事より、この町の衣料品店に行きましょうよ。最近王都で、この町で作った服が流行ってるんですって。田舎の服だと思って、ここで買った事が無かったもんね。どんなのかアタシも着てみたいわぁ」


(――あぁ、そうだ。この町の視察に行かないと……)


「……分かった」
「じゃあ今すぐ行きましょうよ」
「あぁ。けど、離れて歩いて欲しい。――もう誤解はされたくない……」
「何? 最後が聞こえなかったけど。――まぁいいわ。また交際費で落とすわね。いいでしょ?」
「……結構交際費を使っている気がするが、本当に大丈夫なのか……?」
「何? アタシが信用出来ないの? アタシが大丈夫って言ってんだから大丈夫なのよ。アンタは何も気にする事はないわ。唯一味方のアタシだけを信じていればいいの」
「…………。――あぁ……」


 二人は出掛ける支度をすると、ランジニカ伯爵邸を出た。
 暫く歩くと、視界の向こうに広大な野菜畑があり、そこに数人の人影が見えた。


「……オリービア!?」


 見知った姿に、思わずハイドの足が止まる。
 オリービアは、畑の持ち主と話をしているようだった。しかも彼女の格好が農作業をする時のそれで、ハイドは大きく目を見開かせる。

 オリービアは微笑みながら畑の持ち主と会話をし、ふと足を動かした。
 すると足を滑らせたのか、彼女の身体の平衡が崩れる。

「あ……っ!」

 その時、近くにいたローレルが素早くオリービアの腰を抱き留め、自分の方に引き寄せた。
 ローレルが彼女の耳元で何か声を掛け、オリービアは顔を上げる。

 鼻と鼻がくっつきそうな距離に、二人の頬がほぼ同時に赤く染まったのを見て、堪らずハイドはそこに向かって駆け出したのだった。




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