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72.父、猛省する *父視点

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 自分の胸の中で眠ってしまった娘の顔を約束通り拭いたシデンは、そのまま彼女の顔を飽きずに眺めていた。
 急に睡魔が襲ってきたのは、泣いた所為もあるだろうが、初めて《雷の聖騎士》になって大技を使った反動もあるはずだ。深い眠りに入り、しばらくは起きないだろう。
 身体は大人になったが、スヤスヤと眠るその表情は、二歳の頃と変わらない無邪気な寝顔で。
 眠った後に徐々に高くなってくる体温も同じで。


 ――生きている。温かい。心臓もちゃんと動いている。
 死んだと思っていた娘が、生きて今自分の腕の中で眠っている。母親そっくりの美人に成長して。

 これは夢じゃない。現実だ。
 蕾も……自分の愛する人も生きている――


 シデンの口が、自然に緩んでしまうのも仕方がないことだった。
 娘の二十年分の成長を見れなかったのは残念で堪らないが、これからは共にいられるのだ。その事実が何より嬉しい。
 妻と同じ、愛しい色の絹髪をさらりと撫でると、首元の包帯に目がいく。


「ホント、ゴメンな……。苦しかっただろ……」


 自分が【闇堕ち】して行ったことは、全て覚えていた。
 仲間達を傷つけてしまったことも。
 己の愚かな暴言や行動の数々も。

 大切な妻と娘が死んでいなくなってしまった事実を受け入れられず、二人の存在自体を自分の中から消去してしまったことも――


「アイツらにも後で謝らないとな。ぶん殴られる覚悟はしておくか……。――お前にも迷惑掛けちまったなぁ、ライ。悪かったなぁ」
『なぁに、いいってことよ。お前が全部悪いわけじゃねぇんだし、それに強烈な一撃をお見舞いしてやってスッキリしたしな。それでチャラにしてやるさ』
「ははっ、アレはマジに強烈だったわ……。本気の話、“あの世”に行きかけたぜ。もう二度と喰らいたくねぇよ。けどまぁ、そのとんでもねぇ一撃のお蔭で元に戻れたんだよな、きっと……」
『おぉ、まさしくアレだな、“ショック療法”ってヤツだよな』
「よくそんな言葉知ってんな。ヘンなとこで賢いよなぁ、お前は」
『ユヅキはそれに賭けて、お前に一撃喰らわせたんだと思うぜ。これぞまさしく“愛と怒りのお仕置き”だな』
「……あぁ、そうだな。家族分のソレは、すっげぇ重たくてかなり効いたぜ……」


 苦笑し、シデンは娘の包帯が巻かれた首をそっと撫でる。そして、その首に赤い痕が幾つか付いていたことを思い出した。
 同時に、それに関しての娘へ放った数々の言動も思い出し、シデンは非常に居た堪れない気持ちになり両手で頭を抱えた。


「あーーくっそ! 柚月に対するオレ、かなりヤバかったわ。【闇堕ち】の自我、マジでタチ悪ぃ……。オレ自身の意識はあるけど、【闇堕ち】の自我が常に前に出ちまってるもんだから、どうすることもできなかったんだよ……」
『おぉ、確かにかなりヤバかったなぁ。そういや、ユヅキに対して何であんなに苛立ってたんだ?』

《ライトニングアックス》の問いに、シデンは頭を抱えたまま、大きな溜め息を吐く。

「【闇堕ち】の自我の『防衛反応』だよ。その自我を揺るがせる存在が現れた場合、その相手に強い苛立ちとムカつきを抱かせて、すぐにその存在を消すように『防衛反応』が発動するんだ。それは、【闇堕ち】の自我を消す確率が高い相手ほど、『防衛反応』が大きく作動しちまう。ガマンできねぇくらいに苛立ちが強くなるんだ」
『へぇ~。自分を消されないことに必死だったんだなぁ、【闇堕ち】の自我サンは』
「あぁ。だから今まで元に戻ったヤツはいなかったんだろうな。戻せそうなヤツが現れたらすぐ【闇堕ち】に殺されちまうし。そんなヤツが現れなくても、誰かしら人を殺すだろうし、結局【闇堕ち】は殺人罪で処刑される、と」
『うわっ、怖ぇ怖ぇ。お前が【闇堕ち】中の時、ツボミがここにいなくてホンット良かったぜ。ユヅキは色んな要素が重なって運が良かったんだな。けどお前、何だかんだ言ってユヅキの反応楽しんでたぜ? まるで昔のお前らみたいにからかって泣かせてーみたいな感じだったな。心の奥底ではユヅキのこと娘だって認識してたんじゃねぇか?』

 シデンはようやく自分の頭から手を離すと、ふっと表情を崩して娘の頬を優しく撫でた。

「あー……だな。確かにコイツの反応いちいち面白くて可愛かったわ。オレの娘、大きくなっても可愛さは相変わらず世界一だな。それに蕾似の美人も追加されたとなっちゃ、それ以上の一番なんてあるのか?」
『うっわ、超親バカ発言きちまった』

 《ライトニングアックス》の呆れた口調の言葉に、シデンは真顔で答える。

「ホントのこと言ったまでだけどな。娘は超絶可愛い。目に入れても痛くねぇ」
『そんなことを絶対言わなそうなお前の顔とセリフとのギャップがすごくて毎回笑っちまいそうになるぜ』
「何だよそれは。――あぁ、それに……あの時、オレの心の片隅で、蕾だとも認識しちまってたと思う。あの頃の蕾と今の柚月、すっげーソックリだからさ、だからあんな……。お蔭で危うく親子の一線を超えちまうところだった……」
『あー、確かに危ねぇところだったよなぁ。ギリギリだったなぁ。ツボミに顔向けできなくなるとこだったなぁ。【闇堕ち】してたとしてもアレはナイよなぁ。ナイナイ』
「…………ライ、分かった。悪かった。オレがものすごーく悪かったから、もう黙ってくれ……。胸がすっげー抉られる……」
『はははっ』


 ……それにしても、この痕。
 こちらの世界で、娘に対しそれを付ける人物は“アイツ”しか思い付かない。


「……ったく、あの鼻垂れ坊主め。二十年経ってんのに諦めてなかったのか。かなりの粘着質で執念深いヤツだな」

 シデンが顔をしかめ舌打ちすると、扉の外からコンコン、とノックの音が聞こえた。

「開いてるぜ」
「……失礼します」

 返事をすると、今まさに思い浮かべていた人物が顔を覗かせた。


「シデン殿、目が覚めましたか。柚月は――」


 シデンの腕に包まれて、彼の胸に身体を預け眠っている柚月を見て、その人物は言葉を切り、眉間に皺を寄せる。

「よぉ、イシュの坊主じゃねぇか。お前にも色々と悪かったな。この通り、娘は寝てるぜ。後で話聞いてやっから、親子水入らずの時間邪魔すんなよな」
「……親子のスキンシップとしては、些か過剰かと思いますが」
「あぁ? 別に? 可愛い娘を抱くくらいいいだろ」
「……彼女はもう大人です。言い方を考えて発言して下さい。それに年頃の女性と父親がそんなに密着するなど聞いた事がありません。俺が柚月を預かりますから、貴方は一人で寝て下さい」

 氷のように冷えた表情のイシュリーズに、シデンはやれやれと息をつき、見せつけるように柚月の髪を何度か撫でる。
 イシュリーズのこめかみが、微かにぴくりと動いた。

「オレに嫉妬かぁ? 相変わらず心がせっめーなぁ、イシュの坊主はよ」
「俺はもう坊主じゃありません。それに子供の頃、俺と柚月が一緒にいる時、大抵割り込んできて彼女を奪っていった人が何を言ってるんですか」
「可愛い娘が坊主の毒牙にかかるのを阻止して何が悪い? けど、オレがいない間のコレは止められなかったな。お前がつけたんだろ? 無理矢理やったのか? だとしたら覚悟はいいんだろうな」

 シデンは柚月の首を指差すと、目の前の男の顔を鋭く睨みつける。その問いに、イシュリーズは薄く笑みを作り、頭を横に振った。


「まさか。俺と柚月は気持ちを確かめ、互いに強く想い合っています。なので貴方の出る幕は全くもって無いかと」
「はっ! オレはコイツに『離れたくない』って言われたぜ? お前の方こそ出る幕ねぇんじゃね?」
「寝言は寝てから仰って頂きたいものですね。そしていい加減柚月を離して俺に預けて下さい。貴方の胸の中より、俺の方が彼女にとって居心地が良いですから」
「はぁ? お前こそふざけんじゃねぇぞ。オレの目の黒いうちはぜってぇ娘を渡さねぇからな」
「では今すぐ逝去されて下さい。貴方の分以上に俺が柚月を護り、大切にしますから。“あの世”で安心して暮らして下さい」
「あぁ!? 大事なカミさんとせっかく会えた可愛い娘を残して誰が“あの世”に逝くかっ!! ……ってお前、結構根に持つタイプだな……。あん時背中ぶっ刺しとけば良かったなぁ、この鼻垂れ坊主が……っ!」


 真っ黒いオーラを漂わせ言い合う二人の下で、《ライトニングアックス》と《ウインドブレイド》がコソコソと会話をしていた。


『よぉ《ウインド》の旦那! 久し振りだぜ』
『久し振りだな、《ライトニング》。無事に戻れたようで何よりだ』
『おうよ。積もる話の前に、どうするよこの状況。俺様もうさっさと逃げ出してぇよ……。旦那ぁ、何とかしてくれよー』
『ふむ……。この状況は、実は私も非常に困っている。大の大人二人が一体何をやっているのやら……。やれやれだ。ユヅキが早く目が覚めてくれるのを祈るしかないな』
『あーーっ!! ユヅキ、早く起きてくれーーっっ!!』


 そんな騒動(?)など露知らず、柚月は美味しいケーキをたらふく食べる二回目の夢を見ながら、幸せそうに眠り続けていた……。









◆後書き

お読み下さり本当にありがとうございます。
次回から、イシュリーズ視点の物語が始まります。
彼が柚月に執着する理由や、始めの頃の二人の旅路で、彼が何を言っていたか、何を思っていたかが明らかになりますので、よろしければ引き続きお付き合い下さいませ。



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