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71.もう、だいじょうぶ
しおりを挟む手が汗ばみ、私の心臓が大きく高鳴り続けます。父さんから視線を逸らさず、ライさんをすぐに取れるように、腕をそっと伸ばします。
黒の瞳は、緊張する私を映し出し――その中に、今までなかった温かな光が見えました!
父さんはしばらく私の顔を見つめると、遠慮がちに小さく笑って――
「……おぅ、柚月。色々と世話掛けちまったなぁ」
その瞬間、私の瞳から涙がブワッと溢れ出しました。
慌てて両手で顔を覆います。
「おいおい、泣くなよ。……ははっ、泣き虫なのは小せぇ頃と変わんねぇなぁ」
「だ、だって……」
「よいせ、っと」
ゴソゴソと、父さんが上半身を起こす気配がします。
「柚月」
名前を呼ばれ、私は泣いたまま顔からそっと手を離すと、父さんはこっちを向いて軽く腕を広げていました。
「ほら、来いよ。お前が泣いてる時、いつも抱っこしてあげたろ? お前もギャーギャー抱っこせがんでさぁ」
「だ、抱っこって……。私、もう二十二歳だよ? そんな歳じゃないし……」
「お前が何歳でも、父ちゃん中じゃ、いつまでも泣き虫な柚月のまんまなんだよ。ほら、来いって。――よっと」
「わっ!?」
突然私の両腰を掴まれて持ち上げられたかと思ったら、父さんの膝の上に乗せられ、腕の中に捕まってしまいました……。
「……やっぱおっきくなったなぁ、お前。ま、父ちゃんにとっちゃ、まだまだ軽いけどな。おっ、いっちょ前に胸もあるじゃねぇか。……ふむ、母ちゃん並……か」
「ちょっ!? それセクハラッ! このセクハラスケベ親父っ!! 母さんに訴えてやる!!」
「はははっ! お手柔らかに頼むぜ」
私が真っ赤になって父さんの胸をポカスカ叩くと、父さんは楽しそうに声を出して笑いました。
――あぁ、この笑顔。
私が二歳の時の、父さんの太陽のような笑顔そのものだ。
ちゃんと戻ってきた。戻ってきてくれたんだ……。
「……ねぇ、父さん。元に戻ったのに、髪と瞳の色は黒から変わらないね? どうしてだろう?」
「んー……さぁなぁ。でも、父ちゃんこの色好きだぜ? だってお前も母ちゃんもこの色だろ? 三人お揃いじゃねぇか。ずっとこのままで構わないぜ」
「……ふふっ、そっか。そうだね」
父さんらしくない“お揃い”という言葉に、私はクスクス笑います。
不意に、父さんが私の後頭部に手を添えると、ギュッと強く抱きしめてきました。
「父さん……?」
「……ホント悪かったなぁ柚月。その首のこともそうだが、色々とさ……。母ちゃんにも、謝っても謝りきれないほどのことをしちまった……。ずっと、待っててくれたんだな。オレが呼んでくれるのを……」
「……うん、そうだよ」
「二十年、か……。長い年月だよな……。ま、アイツは何歳になっても、ばあちゃんになっても超絶美人だけどな」
「ふふっ、そうだね。そうだよ絶対」
父さんの、母さんラブが健在で何よりだよ。
「蕾と一緒に、二十年間のお前の成長を見たかったなぁ……」
「…………っ」
多分、無意識だったのでしょう。父さんがポツリと呟いたその言葉に、私の涙腺が再び緩みます。
唇をぐっと噛み締め、これ以上涙を流さないように、自分の顔を父さんの胸に押しつけました。そして、その広い背中に両腕を回します。
「柚月? ……どうした?」
「……向こうで……日本で、母さんが……たくさん私の写真を撮ってたの」
「……あぁ、シャシンって、確かありのままを写し取ることができる絵みたいなヤツだろ? 母ちゃんに教えてもらったな。ニホンってとこはすげー技術持ってんなぁ」
「うん……。小さい頃から、ずっとたくさん撮ってて……。こんなに撮らなくてもいいよって思ってたんだけど……」
母さんは昔からカメラを持ち歩いて、ことあるごとに私の写真や動画を撮っていました。
何でそんなに撮るの? って訊いたことがあったけど、母さんは笑って、
「柚月の成長の進化を見る為よ~」
と言って、またパシャパシャ撮って。
今思えば、あんなに沢山撮ってたのって、父さんに会えた時に見せる為だったのかな……。
「……! そうか……アイツ、オレに……。――ははっ、そりゃ見るのすっげぇ楽しみだ。母ちゃんにそれ全部持ってきて貰わなきゃな?」
「……っ。うん……!」
でも最初は私が審査して見て良いものと悪いものに分けさせて頂きます。ヘンな写真があったら絶対からかわれるに決まってる……。
「……なぁ、柚月」
「ん……?」
「お前は、向こうに……ニホンに、戻りたいか?」
父さんのその問いに、私は即座に首を横に振りました。
「……もう、家族と離れたくない。父さんと、母さんと、ライさんと……同じ世界で、家族一緒がいい……」
「……あぁ、そうだな。父ちゃんも同じ気持ちだ」
父さんが優しく私の頭を撫でてくれます。その心地良さと父さんの懐かしい温もりに、急に眠気が襲ってきました。
いけません……。これは、戦っても絶対に勝てない負けイベント的な眠気です……。レベルを上げて挑んでも無意味な……。
眠た過ぎて、自分でも何を言っているのかよく分かりません。
……ま、待って……。眠ってしまう前に、父さんにアレを言わなくては……。
重要な……重大なアレを……。
は、早く……!
「父さん、眠い……」
「ははっ。お前、泣いた後眠くなるのは変わってないんだな。いいぜ? 寝ろよ」
「……顔、鼻水……絶対に拭いて……。カピカピは勘弁……」
「ぶはっ! 鼻水が大量に出るのも変わってねぇのか。分かった分かった、拭いとくから。――おやすみ、柚月。イイ夢見ろよ?」
「うん……。……と、さ……」
「ん?」
「勝手に……遠くへ……いかない……で……。手を伸ばしたら……届く……とこ……いて……」
「……! ――あぁ、約束する。約束するさ、柚月――」
「……ん」
安心した私は、懐かしい父さんの匂いに包まれて、数秒もしない内に眠りにつきました――
夢の中で、私は二歳の頃の私になっていました。
私は何もない暗闇の中、必死で両手を前に伸ばしています。足元は泥濘んでおり、子供の私には身動きが取れない状態です。
私はポロポロと大粒の涙をこぼし、しゃくり上げながら何度も声に出して呼びます。
不意にその小さな手を、温かく、大きな手がしっかりと掴み――子供の私は、その手の主を見て、満面の笑顔を浮かべました。
その手の主は私を持ち上げると、ギュッとその胸の中に抱きしめます。
そして私をヒョイと肩に乗せ肩車すると、光差す方向へと歩き始めました。
子供の私は肩の上で楽しそうに笑っています。――その目にもはや涙は見当たりません。
……あぁ、良かった。
届いたんだね……。
――うん!
もう、だいじょうぶだよ――
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