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34.運の良い女
しおりを挟むメルローズ・ジャーニー男爵令嬢は、昔から運がとても良かった。
土砂降りの雨でも、出掛ける用事があって外に出ると、いつの間にか晴れている。
数量限定のお菓子を買う為に列に並び、自分が購入した時点で売り切れになる。
学生の時、ここが出るだろうと何となく思い勉強した箇所がテストに出る。
お蔭で、学生時の成績は常に上位に入っていた。
学年で一番人気の男の子が、彼の仲の良い女の幼馴染ではなく自分を選んでくれたこともそうだ。
その幼馴染は、男の子と二人でいるといつも睨みつけてきたけれど、わざと仲睦まじい光景を見せると、涙を浮かばせて走り去って行ったのは滑稽だった。
それが面白くて、メルローズは恋人がいる女から相手を奪うことを繰り返して楽しんだ。
自分がその相手に近付いて色目を使えば、すぐにコロリだ。自分に溺れた相手は、欲しいものをお金が許す限り何だって買ってくれた。
悔しそうに涙目で自分を睨みつける、恋人だった女の視線が爽快で堪らなかった。
学園を卒業し、社交界デビューした後も、メルローズは自由に男を選んで遊んでいた。
顔で選んだ男でも、運良く大抵は金を持っていたので、ちょっと可愛くおねだりをすれば、高価な宝石や装飾品を簡単に買って貰えた。
メルローズの人生は、これまでずっと順風満帆できていた。
今から二年前のある日、両親のお願いで、町外れの教会にいる子供達の為にお菓子を届けに行かなければいけなくなった。
自分達の印象を上げたいという両親の目論見は明らかだったが、それなら自分達で行ってよと心の中で愚痴りつつ、重い足取りで教会に向かった。
教会の扉を開けると、子供達が元気にはしゃいで遊んでいる姿が目に入ってきた。
「は? どういうこと……?」
メルローズは首を傾げた。両親からの話では、魔物が出す瘴気に充てられ毒を受けた、元気のない子供達がいるということだったが――
子供達がメルローズの持つお菓子を見つけ、笑顔で一斉に群がってきた。
そこへ、出掛けていたこの教会の神父が帰ってきて、この状況を見て酷く驚いた。
「何と! 子供達の毒が全員治っている!? 貴女が治してくれたのですか!?」
「え?」
「皆! 元気になって本当に良かった。誰が治してくれたんだい?」
メルローズが戸惑いの表情で固まっていると、神父は子供達に訊いた。
「おねえちゃんが治してくれたよ!」
「おねーちゃん、とっても優しいのー!」
「わたし、おねえちゃん大好き!」
神父はそれを、目の前でお菓子を子供達に配るメルローズだと勘違いをした。
「貴女はとても高度な『浄化魔法』を使えるのですね! 実に素晴らしい!! 早速このことを国王陛下に報告させて頂きますね!」
「え、あ……。はい……」
メルローズは感激している神父の勢いに思わず返事をしてしまい、この一件で、子供達を救った心麗しき『聖女』として名を上げることになった。
謝礼金もたんまり貰え、自分の運の良さにメルローズの笑いは止まらなかった。
その後、魔物の毒で苦しむ子供達がいる教会に何度か派遣されたが、メルローズが入った時点で既に全員毒の“浄化”がされていたので、「事前に祈りを捧げて治した」ということにし、彼女の『聖女』としての名声が更に上がっていった。
そして今から一年前のある日、メルローズは王城に用があって登城していたセリュシオンを見掛け、そのスラリとした長身と凛々しさと、他の男達より遥かな美麗の顔つきに、即行で彼に魅了されてしまった。
その彼が体内に閉じ込めた魔物で苦しんでいるから“浄化”をお願いしたい、と国王陛下から依頼された時、メルローズは自分の運の良さに、心の中で口の端を大きく持ち上げ高笑いをした。
彼女は国王陛下に進言し、【王命】でセリュシオンの婚約者になることが出来た。
彼の中にいる魔物なんて、彼が強いのだし大したことはないだろう。適当に“浄化”をしたフリをすればいいと軽く考えていた。
更に婚約者の関係を固守する為、自分達の婚約発表パーティーを、国王に取り入って【王命】で無理矢理開催させ、セリュシオンに睡眠薬と媚薬の入った酒を飲ませて“既成事実”を作ろうとしたが、それは無念にも失敗に終わってしまった。
セリュシオンに抱かれなかったのは非常に残念だっだが、それよりもパーティーの参加者が、彼と自分が長い時間二人きりで休憩室にいたことに気付くことが重要だった。
実際、パーティーの間、二人が同時にいなくなったことは皆分かっていたと思うし、わざと髪とドレスを少し崩して、皆の前を通って俯きながら挨拶をして帰ったので、参加者の殆どはセリュシオンと関係を持ったと思っただろう。
そして、運良く丁度良いタイミングで妊娠をした。
何人もの顔の良い男達と関係を持ったが、恐らく父親は、避妊をしなかったデッセルバ商会の息子だろう。
あの男は、己の快楽にかまけて避妊を怠った。自分としては都合が良い。
あの男は金ヅルだったけれどまあまあ顔も良いし、許せる範囲の妥協点だ。
この子の妊娠を発表すれば、パーティーにいた参加者全員はセリュシオンが父親だと確信するはずだ。
その噂はすぐに社交界に流れ、広がる噂は“真実”となり、否定出来ない状況に陥った彼は自分と結婚せざるを得なくなるだろう。
彼はこの婚約を渋っていたが、結婚してしまえば、諦めて自分を愛してくれるはず。
あの逞しい腕に抱かれ、ウットリするほどの美麗な顔の彼にキスをされることを考えるだけで、身体中が燃えるほど熱くなる。
全てが順調だ。自分は本当に運が良い。
あのデッセルバ邸にいた、床に這いつくばっていたブタとは大違いだ。見る度に不快になる、この世に不要な存在。
あのブタは、これからも一生醜い姿で不様に泥水を啜っていくのだろう。自分とは無縁の世界だ。
自分の運の良さは、これからも続いていくのだから。
――そう……続いていく、はずなのに……。
何で……何でこんなことに――
メルローズは、腰の抜けた身体でへたり込みながら、目の前の悪魔を真っ青な顔で見上げた。
その悪魔は、黒い肌で、頭の両脇から鋭い角が生えていて、背中にコウモリのような漆黒の羽が生えていて――
自分の運の良さはここで終わりを告げたのだと――
メルローズは、こちらに一歩ずつ近付いてくる悪魔に大きな悲鳴を上げ、薄れゆく意識の中で痛感したのだった――
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