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第一章 僕の自殺を止めたのは

第9話 呼んだ?

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『近寄らないで。鬼の子のくせに』

 どういう、こと?

『あのバカ息子は、私や親戚たちの言うことも無視して、あんなどこの馬の骨とも分からない娘と結婚したのよ。だから、あの娘から生まれたあんたは穢れた鬼の子なの。分かる?』

 分かんない。分かんないよ。

『やーい。鬼の子! 鬼の子!』

 僕は鬼の子なんかじゃない!

『お前は強く生きろよ。わしは、もう……』

 おじさん、いなくなっちゃいやだよ。もっと、おじさんと一緒にいたいよ。

『気持ち悪いんだよ』

 どうして? ただ一緒に遊ぼうとしただけなのに。

『早く消えてほしいんだけど。あんたが一緒のクラスにいるとか死んでもごめん』

 なんでそんなこと言われないといけないの?

『クスクス』『クスクス』『プッ』

 みんなが僕を見て笑ってる。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

『将棋なんかやってんの? ダッセー』

 おじさんから教えてもらった将棋をバカにしないで!

『賞状なんか貰いやがって、生意気』

 やめて! 破らないで!

『申し訳ありません。最善は尽くしたのですが、なにぶん事故の外傷がひどく……』

 お父さん! お母さん! 僕を置いていかないで!

 …………

 …………

 ああ。

 もう、どうでもいいや。

 死んで、楽になろう。



♦♦♦



「夢……」

 室内を明るく照らす蛍光灯の光に、僕は思わず目を細めました。 

 死神さんが去って三日。時刻は二十三時五十五分。もうすぐ、日付が変わろうとしています。

 結局のところ、僕はこの三日間、虚無的な生活を送っていました。ただベッドに横になり、朝から晩まで寝ていました。お腹がすいた時は、買っておいた適当なお菓子で空腹を満たし、喉が渇いた時は、水道水をそのまま飲んで喉を潤しました。

 朝起きる。朝食を作って食べる。身支度をする。学校に行く。授業を受ける。帰宅する。晩御飯を作って食べる。シャワーを浴びる。寝る。そんな当たり前の生活は、すでに僕の手から零れ落ちてしまっていたのです。いや、この表現は語弊がありますね。僕の手から零れ落ちたのではなく、僕が零してしまったという方が正しいでしょう。やろうと思えばできたはずなのに、それをしなかったのは、他でもない自分なのですから。自殺の決意を固めてしまった僕にとって、今までと同じ当たり前の生活を送ることは、何の意味も持っていなかったのです。

「はあ」

 やり場のない気持ちが、ため息となって溶けていきます。天井に貼られた壁紙の模様が、ただ無機質に僕を見下ろしています。

 特に何かを意識することもなく、僕は寝返りを打ちました。視線の先にあったのは、死神さんが置いていった将棋盤と駒袋。テーブルの中央に置かれたそれらは、三日前の出来事が、ただの白昼夢や幻覚でなかったことをありありと示していました。

 僕はこれからどうなってしまうのでしょうか。早く自殺したい。早く死にたい。そして、早く楽になりたい。でももし、死神さんが戻ってこなかったら……。

 そんな不安が、僕の口を無理やり動かしてしまったのでしょう。

「死神さん……」

「呼んだ?」

 彼女が、僕の目の前に突然現れたのです。

「死神さん!?」

 ベッドからはね起きる僕。思わず詰め寄りそうになる体を必死で押しとどめました。

 真っ黒なローブ。真っ黒な三角帽子。綺麗な赤い瞳。胸のあたりまである長い白銀色の髪。それら目に映るもの全てが、死神さんがこの場にいることを主張していました。

「ただいま。君の愛しの死神さんだよ」

「お、遅かったじゃないですか。もしかしたら戻ってきてくれないのかと……って、何してるんですか?」

 死神さんは、手を左右に大きく広げてこちらを見つめています。ほんの少し口角の上がったその表情は、まるで僕が次にとる行動を期待しているかのよう。

「君を抱きしめてあげようと思ってね。寂しかったんでしょ。おいで」

「け、結構です!」

 突然何を言い出すんでしょうかこの人は。僕は別に、抱きしめてほしいわけじゃ……。

「ふむ。抱きしめるだけじゃだめか。じゃあ、頭なでなでも追加しようかな」

「…………け、結構ですから」

「今、ちょっと考えたね」

「気のせいです!」

 顔の温度が急激に上昇するのが分かります。僕は、赤くなっているであろう顔を死神さんに見られないように、急いで体を後ろに向けました。ポツポツとシミの目立つ壁が、僕の目の前に広がります。

「遠慮しなくてもいいのになあ」

「遠慮とかじゃありません。そんなことより。死神さんが戻って来たってことは、もう自殺してもいいんですよね? ちゃんと死ねますよね? 楽に、なれますよね?」

 僕は、眼前の壁に向かって小さく叫びました。もしかしたら、壁の向こうの部屋には、僕の叫び声が聞こえているかもしれません。「うるさいなあ」なんて思われているかもしれません。ですが、そんなことに気を回す余裕なんて僕にはありませんでした。

「そのこと、なんだけどね」

 死神さんは、ゆっくりと言葉を紡ぎます。今、死神さんはどんな表情をしているのでしょう。困った表情でしょうか。暗い表情でしょうか。それとも、優しい表情でしょうか。

「やっぱり、君の魂は回収しないことにしたよ」

 それは、僕が死ねないことを意味する言葉でした。
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