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第一章 僕の自殺を止めたのは

第4話 死神世界の秩序は一体どうなってるんですか……

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 再び胸ポケットから手帳を取り出した死神さん。ペラペラとページをめくる音が、部屋の中に優しく響きます。

「この手帳には、君がこれまでどんな経験をしてきたかが書いてるんだ。お。あった、あった。えっと、君は、小学生時代に将棋の西日本大会に出て準優勝してるよね」

「え? そ、そうですけど」

「あと、優勝は逃しちゃったけど、プロの人から『近年稀に見るいい将棋だった』って褒められたんだって? 羨ましいなあ」

「そんなことまで書いてるんですか?」

「ふふふ、すごいでしょう」

 なんといいますか、めちゃくちゃ怖い手帳ですね。死神さんが冗談で言っていたストーカーというのも、あながち間違っていないような気がしてきましたよ。

「今回の私の仕事は、死んじゃった君の魂を回収することなんだ。けど、魂になっちゃったら、肉体がなくなるわけだから将棋ができないんだよね。せっかく大きな大会で準優勝になるような子が目の前にいるのに将棋ができないなんて、そんなのもったいないよ!」

 死神さんは、上半身をテーブルの上に乗り出しながら、力強くそう言いました。キラキラと輝きを放つ赤い瞳に、僕の顔はどう映っているのでしょう。疲労感たっぷり? 明らかな困惑? それとも、両方?

「えっと。そもそも、死神さんが将棋を指すってこと自体に違和感があるのですが。漫画とかアニメでも、将棋を指す死神なんて見たことないですし」

「まあ、死神にも意思や個性はあるからねー。何かを好きになっちゃうのは、仕方ないんだよ。私の場合は、将棋が大好きってわけ。あ、あと柴犬も」

「なるほど。人間も死神も似た部分はあるということですか。知りませんでした」

「ちなみに、私の知り合いにはひどいお酒好きの死神がいてね。お酒を製造してる会社の社長が死ぬ前に、大量のお酒を自分に貢がせたんだとか。この前会った時に自慢してたなー」

「死神世界の秩序は一体どうなってるんですか……」

 僕の言葉に、死神さんは、ハハハと乾いた笑いを漏らしました。

「と、とにかく、どうかな? 死ぬ前に、私と将棋しない?」

 そう告げながら、死神さんはパッと手を開きました。先ほど鎌が現れた時と同様に、手のひらに光の粒が集まり始めます。それはみるみる形を成し、将棋盤と駒袋になりました。

「…………」

「…………」

「……一回だけですよ。それが終わったら、僕、自殺するんで」

 死神と将棋を指す人間なんて、世界広しといえども僕だけなのではないでしょうか。自殺する前に希少な体験をするのも悪くない。あまりにひどすぎた僕の人生。その中に、思わず自慢したくなるような出来事を一つ増やすくらい許されたっていいはず。そんな軽い気持ちで、僕は、死神さんの提案を受け入れたのです。

「やった!」

 死神さんは嬉しそうに微笑みます。それは、思わず吸い込まれてしまいそうなほど魅力的な笑みでした。


♦♦♦


「楽しみだなー。楽しみだなー。君は、どんな将棋を指すのかなー」

 駒袋から駒を取り出し、盤上に並べ始める死神さん。その体は、好きな音楽を聴いている子供のように、ユラユラと左右に行ったり来たりを繰り返しています。死神さんが動く度に、綺麗な白銀色の髪が小さく揺れていました。

「僕がどんな将棋を指すのかは、死神さんが持ってる死神手帳には書いてないんですか?」

 死神さんと同じく駒を並べていた僕の頭に、ふとそんな疑問が浮かびました。僕の小学生時代の大会成績が載っているくらいですからね。僕がどんな将棋を指すのかが書かれていても不思議ではありません。

「うーん。確かに、死神手帳には、これから死ぬ予定の人がどんな経験をしてきたのかが全部載ってる。だから、君の将棋に関しても書いてあるんだけど」

「けど、何ですか?」

「なるべくそこの部分は見ないように気をつけてたよ。だって、君がどんな将棋を指すかなんて、指す前に見ちゃったらつまらないじゃない。将棋の対局は一期一会なんだから、ちゃんと楽しまないと」

「……そんなものですか?」

「そんなものだよ」

 将棋を楽しむ……か。

 知ってます。将棋というゲームが楽しいことくらい。少しでも相手の思考の上を行こうと、必死になって考えて。もちろん相手も同じことをしてくるから、時折自分の想像もつかないような手が飛んできて。何度も何度も同じことを繰り返し、何度も何度も驚かされながら、一局の将棋を形作っていくのです。死神さんの言うとおり、将棋の対局は一期一会。同じ結末なんてありません。

 大好きな親戚のおじさんから将棋を教わった時、僕はこう言いました。「すごく楽しい!」と。その時のおじさんの笑顔は、今でも僕の頭にこびりついています。

「よし。並べ終わったね。じゃあ始めようか」

「分かりました」

 いつからでしょうね。あんなに楽しいと思っていた将棋でさえ楽しいと思えなくなったのは。僕の人生に対する絶望が、将棋への意欲を上回ってしまったのは。
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