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ねずみオオダアメイド
めいめい亭
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そういえば数回見かけたかもしれないが、大抵子槻は帰ってきてすぐ春子のところに駆けこんでくるようなので、背広の印象しかない。
「洋装は肩が凝るからな。やはり長着が一番だ。というわけで今日は仕事がない。遊びに行こう! 春子も仕事ばかりじゃあ疲れるだろう?」
「というわけでではありません! 何ですかまた急に」
「今日は家でも仕事がない。だから遊びに行こう。わたしはずっと春子と遊びに行きたかったのだ」
幸せをいっぱいににじませた微笑みに危うく流されてしまいそうになるが、踏みとどまる。
「ま、待ってください、お店をあけるわけには」
「臨時休業でよいのではないだろうか」
「そんな急に言われても……前もって言っておいてもらえれば、わたしもお店もちゃんと準備できたのに」
春子の苦言に、子槻は突然目が覚めたように表情を揺らめかせる。そうして慌てたように視線をさまよわせて、落とす。
「たしかに春子の言うとおりだ。わたしはまたひとりで先走って浮かれてしまった……すまなかったね」
まさに叱られた子どものようにしおれてしまった子槻に、春子のほうが慌てる。別に怒っているわけではなく、こうだったらと言っただけなのに、子槻は言葉を素直に受け取りすぎだ。
「つ、次からはちゃんと言ってもらえれば……分かりました。遊びに、行きましょう」
子槻が勢いよく顔を上げる。
「よいのか?」
「次からはちゃんと前もって言ってくださいね……わたしも外に行きたくないわけではないので」
「ああ、必ず言おう。では行こうか!」
今さっきまでのしおれっぷりがうそのようにいきいきしだした子槻に、春子は手を向ける。
「着替えてきてもいいですか? なるべく早く済ませますから」
せっかく外に出るのだから、よそゆきの着物を着たい。帯も帯結びも帯留も草履も髪のリボンも、何なら半襟だって変えて縫いつけ直したい。
子槻は顔を輝かせて、強く頷いた。
「もちろんだよ。洋装するのならこのりに手伝ってもらいなさい」
「違います! 洋装はもうこりごりです!」
「なぜだ? 春子の洋装、とても愛らしかったのに……もしや恐ろしい思いをしたから洋装が嫌な記憶になってしまったのか?」
たしかに、あのときの鮮烈な感情と恐ろしさは時折蘇って体が冷たくなる。洋装を避けてしまうのも無関係ではないのかもしれないが、それよりも着心地の窮屈さがまさって、当分は遠慮したかった。何しろドレスも履物も下着も苦しくてたまらないのだ。洋装は恥ずかしいながら憧れもあったが、もう充分である。
「それなら今日わたしとの思い出で上書きしてしまえば」
大真面目に言い放った子槻を軽く受け流して、春子は店に『臨時休業』の貼り紙をした。
ふたりは帝国屈指の一等地、銀柳に降り立った。
銀柳は春子の働いていた喫茶店がある街だ。柳の街路樹にデパアトメント・ストア、洋食店、断髪洋装の婦人と、国内でもっともモダンな場所である。
まず春子の働いていた喫茶店でお茶を飲み、散歩をして、最後に春子の義父母に顔を見せにいくことになった。春子の要望のみで決まってしまった予定に、子槻は嫌な顔ひとつせず「春子と一緒ならどこでもよいのだ」と弾んだ笑顔を見せた。いつでもまっすぐな子槻に、春子は戸惑いながらも首筋が熱くなった。
大通りから一本外れた裏通りに入って、『めいめい亭』と掲げられた店の木の扉を押す。扉についたベルが低めの音をたてる。
「いらっしゃいませ……あれ、春ちゃん!」
「洋装は肩が凝るからな。やはり長着が一番だ。というわけで今日は仕事がない。遊びに行こう! 春子も仕事ばかりじゃあ疲れるだろう?」
「というわけでではありません! 何ですかまた急に」
「今日は家でも仕事がない。だから遊びに行こう。わたしはずっと春子と遊びに行きたかったのだ」
幸せをいっぱいににじませた微笑みに危うく流されてしまいそうになるが、踏みとどまる。
「ま、待ってください、お店をあけるわけには」
「臨時休業でよいのではないだろうか」
「そんな急に言われても……前もって言っておいてもらえれば、わたしもお店もちゃんと準備できたのに」
春子の苦言に、子槻は突然目が覚めたように表情を揺らめかせる。そうして慌てたように視線をさまよわせて、落とす。
「たしかに春子の言うとおりだ。わたしはまたひとりで先走って浮かれてしまった……すまなかったね」
まさに叱られた子どものようにしおれてしまった子槻に、春子のほうが慌てる。別に怒っているわけではなく、こうだったらと言っただけなのに、子槻は言葉を素直に受け取りすぎだ。
「つ、次からはちゃんと言ってもらえれば……分かりました。遊びに、行きましょう」
子槻が勢いよく顔を上げる。
「よいのか?」
「次からはちゃんと前もって言ってくださいね……わたしも外に行きたくないわけではないので」
「ああ、必ず言おう。では行こうか!」
今さっきまでのしおれっぷりがうそのようにいきいきしだした子槻に、春子は手を向ける。
「着替えてきてもいいですか? なるべく早く済ませますから」
せっかく外に出るのだから、よそゆきの着物を着たい。帯も帯結びも帯留も草履も髪のリボンも、何なら半襟だって変えて縫いつけ直したい。
子槻は顔を輝かせて、強く頷いた。
「もちろんだよ。洋装するのならこのりに手伝ってもらいなさい」
「違います! 洋装はもうこりごりです!」
「なぜだ? 春子の洋装、とても愛らしかったのに……もしや恐ろしい思いをしたから洋装が嫌な記憶になってしまったのか?」
たしかに、あのときの鮮烈な感情と恐ろしさは時折蘇って体が冷たくなる。洋装を避けてしまうのも無関係ではないのかもしれないが、それよりも着心地の窮屈さがまさって、当分は遠慮したかった。何しろドレスも履物も下着も苦しくてたまらないのだ。洋装は恥ずかしいながら憧れもあったが、もう充分である。
「それなら今日わたしとの思い出で上書きしてしまえば」
大真面目に言い放った子槻を軽く受け流して、春子は店に『臨時休業』の貼り紙をした。
ふたりは帝国屈指の一等地、銀柳に降り立った。
銀柳は春子の働いていた喫茶店がある街だ。柳の街路樹にデパアトメント・ストア、洋食店、断髪洋装の婦人と、国内でもっともモダンな場所である。
まず春子の働いていた喫茶店でお茶を飲み、散歩をして、最後に春子の義父母に顔を見せにいくことになった。春子の要望のみで決まってしまった予定に、子槻は嫌な顔ひとつせず「春子と一緒ならどこでもよいのだ」と弾んだ笑顔を見せた。いつでもまっすぐな子槻に、春子は戸惑いながらも首筋が熱くなった。
大通りから一本外れた裏通りに入って、『めいめい亭』と掲げられた店の木の扉を押す。扉についたベルが低めの音をたてる。
「いらっしゃいませ……あれ、春ちゃん!」
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