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桜ファンタジィ

泊まっていきなさい

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 子槻は目を輝かせて、幸せそのもののようにくしゃりと笑った。子どもにするように、春子の頭を撫でる。よく知らない男性に触れられるなどあってはならないことだが、本当に子どもに接しているようで、他意は感じられなかった。

「ありがとうございます。ちょっと強引でしたが……」

「いいのだ。父上は厳しくてああいう言い方しかできない人だが、本当は照れているだけなのだ。素直ではないだけだよ」

 あれが照れているとしたら気持ちの読み方が難しすぎる、と思ったが、子槻が満足そうなので言わないでおく。

「これで晴れて店が出せる」

 子槻の言葉に、喉がつまる。

「その、お店は、まだやるとは一言もお伝えしていないのですが……」

「やりたいのだろう? そんなのは些末なことだ」

「お店はもちろん夢なのですが、今日会ったばかりの方にお世話になるのはどうなのかと……」

「今日会ったばかりではない。七年前に会っているよ」

 子槻は不満そうに口を曲げて腰に手をあてた。

「目の前にあるものがつかみ取れるなら取っておけばよいのだ。遠慮などいらない。君にはここに住んでもらって、衣食住すべてわたしが負担する」

 魅力的な条件と聞き捨てならない条件が同時に耳に入って、春子は混乱した。そもそも、遠慮して渋っているのではなく、今日会ったばかりの人の話をうのみにするのが怪しすぎるから迷っているのだ。

 衣食住すべて負担とは、魅力的すぎてもはや怪しさしかないが、魅力的には変わりない。春子は小間物屋の老夫婦にお世話になっている身なので、子槻のもとにやっかいになれば夫婦の負担は減る。子ども同然に育ててもらって恩も離れがたさもあるとはいえ、迷惑をかけたくないという思いも強い。だが。

「ここに、住む、んですか?」

「家から通うよりここに住んだほうが都合がよいだろう?」

 子槻は「何が問題なのか」という顔をしているが、住むとなると心理的にさらに障害が増える。

「か、通いではだめなのですか? 通えない距離ではないでしょう? さすがに全額負担は申し訳ないので」

 子槻はまた少年がするようにふくれっ面になった。

「嫌だ。住んでくれなければ衣食住は負担しない。わたしはそばに春子がいないと嫌なのだ」

(何ていう……自分に正直な)

「妻の件はまだ時間が必要だが、仕事から帰ってきて春子が家で迎えてくれる。こんな幸せはない。仕事も一心不乱に頑張れる」

 壁際に立っていたこのりが「子槻さま……」と呆れた呟きをもらす。春子も先走りすぎた妄想に呆れればいいのか、抗議すればいいのかよく分からなくなってきた。何だか頬が熱い。

「子槻さま、お店のお話もいったんお考えいただいて、春子さまには今夜お泊まりになっていただいたほうがよいかと存じます。もう外も真っ暗です」

「ああ、そうだな。もうそんな時間か」

 子槻が懐中時計を出す。見せてもらった盤面は七時を少しすぎていた。

「この時間ならまだ鉄道が動いていますので」

「いけないよ。婦人がこんな真っ暗な中を歩いて襲われたらどうするのだ。泊まっていきなさい」

 言いきる前にかぶせられた。真剣な表情は先ほどの妄想を語っていたときとも、人さらい疑惑が抜けていないのに妻に妻にと繰り返していたときとも違って、ただひたすらに紳士だった。単に泊まらせたいだけではないか? と思ったことは置いておく。

「春子さま、ご案内します」

 このりがそばへやって来る。春子は結局、好意に甘える形で、「ありがとうございます。お世話になります」と子槻とこのりに頭を下げた。
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