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第三章 5

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「!」



 そのため、抜刀しようとするテレーゼの手が、その者によって押さえられてしまった。



 彼女が両手の利かないまま、後ろにいる敵に向かって後頭部を強打――できずに空振りに終わる。



 敵が自身の首を左に逸らしたのだ。



 そのまま側転しながら距離を取ろうとしたが、今度はテレーゼが敵の手を掴んだため、できなかった。



 『……』



 敵の右足が、彼女の右側頭部めがけて打ち込まれた。

 その蹴りを、テレーゼの右手前腕が受けて、払い除ける。



 乾いた音がした。



 敵が、残った彼女の左手から、自分の左手を引き抜き、すかさず相手の手首を掴み、捩じり上げた。



 掌が上を向き、肘が折れ、そのまま背中へと曲げられた。



 右手で背中を押され、テレーゼの上半身が折れた。



 「テレーゼ!」レッドが叫んだ。



 刹那、彼女の右足が後ろへ蹴り上げられた。



 それを敵が飛び退いて回避する。前髪が風圧で乱された。



 テレーゼが掴まえられた左手と上半身のバネを使い、敵を力尽くで引き寄せ、右肘をみぞおちに喰らわせる。



 「――!」



 黒い覆面をしているので表情はみえないが、酸欠に陥ったのか、苦しそうにくぐもった声を漏らした。敵が思わず、掴んでいた手を緩めてしまった。



 その透きにテレーゼが前方へ転がった。前転を繰り返し、目まぐるしく変化する視界のなか、敵が駆け寄ってくるのが見えた。



 すると、両足で急ブレーキ――その反動を使い、丸まった態勢から開花させるように両手を広げ、頭を後ろへ仰け反らせる。



 上半身が伸び切らないうちに、地面を蹴り上げた。



 彼女の体は瞬く間に宙に浮き、後ろへ回転。



 敵の頭上を通り過ぎ、その背後へ着地。――刹那、締め上げようと、首に左腕を巻き付けたかったが、眼前の敵が瞬時に消えてしまった。



 いや、屈んだのだ。



 敵が、両手を床につき、右足を突き出して、彼女の足を絡ませた。



 テレーゼがバランスを崩して、受け身も取れずに背中から激突する。

 一瞬、体がバウンドした。



 僅かに浮いている最中に、彼女が相手の足を絡ませ、敵の体ごと時計回りに絞り上げる。

 今度は敵が、顔面から床に激突する。



 そして、ようやく敵の動きが止まった。



 わずか数分ほどの出来事だった――。



 「……」



 今まで、息を飲むことすら忘れていたレッドが、ふっと我に返った。



 目の前では、テレーゼが正体不明の敵を、文字通りねじ伏せていた。



 好奇心が勝ったのか。

 敵の顔を覗き込もうと、恐る恐る近づいてしまった。



 敵は、全身黒ずくめだった。顔を知られないように、覆面までしている。



 多分、闇に身を隠すためだろう。

 ということは、今まで何処かで自分達を監視していたのだろうか。



 では何故、このタイミングで襲いかかってきたのか。



 疑問が尽きない中、覆面を慎重に剥いだ。そう。噛みつかれないように。



 若い男だった。普通なら、テレーゼの足技に苦悶の表情をしていると思ったのだが、男は意外にも真顔だった。



 表情がないのだ。



 双眸が、まるで硝子玉のようだった。



 「……」



 硝子玉が、ただ……こちらを見ていた。



 ――生きているのか?



 レッドは、得体の知れない恐怖を覚えた。

 体が硬直し、動けなくなったレッド。



 一方エルザは、その彼の背後まで近づき、しばらく男の顔を眺めていたが――その顔が変化していく。



 「……そんな」



 それは、最初は戸惑いの表情だった。



 「嘘よ」



 次に首を横に振り出した。今にも泣きそうな顔をし始めた。時間差で、笑顔に変化した。



 「……“兄さん”」



 思わず、ねじ伏せられている男に駆け寄った。



 その姿は、いままで気丈に振る舞っていた少女とは思えないほど、幼く見えた。



 「に、兄さん!?」



 驚くレッドを後目に、エルザが“敵”を助けようと、テレーゼの絡ませた足を解こうとした。



 「ねぇ。放してよ!」



 しかしテレーゼは、なかなか放してくれない。

 まるで鎖のように頑丈に絡みついている。



 その時だった。

 敵の姿が消えたのだ。





 「えっ――」



 エルザの言霊が、空気中に拡散した。同時に彼女の体が、何者かに振り回される。首が押さえられている。



 腕だ。



 一本の腕が巻き付いていた。



 気道を塞ぐほどの強さだったので、空気どころか意識までもが絞り出されてしまいそうだった。



 敵がエルザを人質に取り、一瞬のうちに飛び退き、テレーゼ達から距離をおいた。



 何が起きたのか分からなかったエルザだったが、自分の身に危険が及んでいることだけは理解できた。いや、それだけではないようだ。



 眼球だけを動かし、敵の顔を視界に入れた。



 ――似ているけど、……兄さんじゃない。



 瓜二つといっても過言ではないほど似ている。

 けれど、こうやって間近で見てみると、何処かが違う。



 意識が刈り取られる中、聞こえたのは、あの男の声だった――。



 「勝手に人質になるとはな。これだから貴族は!」



 しかも、背後からだ。



 ――いつの間に後ろに!?



 驚くエルザに対し、砕封魔は妙に嬉しがっていた。初めてレッドと組んだ日のこと思い出しながら。



 あの時――バグが現れた時も、テレーゼが気付かない程の速さで、逃げようとしたんだったな。



 ――たく。ムカデからは逃げられなかった癖に……。



 しかし出てきた言葉は、相変わらずだった。



 「馬鹿野郎!」



 「何処が馬鹿野郎だ!」



 一方、レッドは砕封魔の言葉に反応しながらも、エルザの首を掴んでいた腕を必死に剥がしにかかる。



 しかしレッドが非力なのか、敵の力が強いのか、その腕はピクリともしない。



 「リュウランゼでもねぇ、おめぇが勝てる訳ねぇだろ!」



 それでも、レッドの行動は、敵の思考を止めるには充分だった。



 テレーゼが、敵の足下から飛び出してきたのだ。どうやら、屈んだまま駆けてきたらしい。



 刀の切っ先を、相手の首元めがけて突き出しながら――。



 「――」



 反応した敵が、空いていた左腕で、刃を払い除ける。砕封魔が宙へ弾かれてしまった。



 行動を予測していたのか。テレーゼは、間髪入れずに左肘を蹴り飛ばした。刹那、敵の体が左に流される。



 同時に、右腕に抱えられたエルザが、彼女の前へと差し出される形となった。



 テレーゼが、頭上から降ってきた刀を掴み、敵との間に滑り込ませ――右前腕を斬り落とした。



 しかし血は出ず、ただ“ゴトリ”と地に転がるだけだった。



 ユズハの「人じゃないの!?」という問いに、刀が「どうやらバグのようだな」と答えていた。



 一方エルザは、「何冷静に分析してんの!」というツッコミ虚しく、直後体が地面に放り出されてしまった。



 受け身を取れずに、顔面からぶつかった。

 「痛い!」彼女の声が響いた。



 一方敵はというと、別に死んだ訳ではない。だが、前腕を失った分軽くなり、立位のバランスを崩していた。



 そのチャンスを逃がすまいと、テレーゼが脛を蹴り抜ける。



 「!」



 敵の口から、僅かに息が漏れた。同時に、体が浮き、前のめりになった。――その顔面に、テレーゼの拳がめり込む。



 敵の体が、勢い良く吹き飛ばされてしまった。



 そして、今度こそ“無力化”できたのか、その体は弧を描き、そのまま地面へ激突してしまった。

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