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第一章 4

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「ハァハァハァ……」


 レッドが、戦闘の素人なりに色々と思考を巡らせていた。しかし、効果的な方法が浮かぶ訳もない。


 ――何とか、間合いに入らないと!


 しかも、体が何者かに操られているのか、勝手に応戦しているのだ。疑問や恐怖が次々に浮かんで、頭の中の容量が超えそうだ。


 「ハァ、ハァ……」


 こっちは死に物狂いで、慣れない刃物を振り回しているっていうのに……。――当の刃物は、何が面白くないのか毒づいた。


 「あぁ。やっぱり素人だね。まったく動きがなってねぇな」


 ――やっぱり操っているのは、アンタか!


 などと、眼前の化物がツッコむ暇なんか与えちゃくれない。

 相手は足が八本。攻撃に終わりはない。


 下の四本足を器用に動かし、縦横無尽に駆け回る。

 一方、上の四本足は攻撃用。まさに四刀流――。四方八方から、刃と化した足がレッドに向かって来る。

 結局、化物の攻撃に踊らされるしかなかった。


 「ギギッーー!」


 一本目が、レッドの頭上へと振り下ろされる。

 それを右へと避けようとするも、瞬時に反転――右からも刃が襲い掛かる。

 彼の動きを誘導した刃が、満を持するが如く、左から横一閃。――それを刀が柄頭だけで、軌道を塞ぐ。


 耳をつんざくような甲高い音が響く。


 流れるように、切っ先を右下に向けると、右脇から逆袈裟斬りを狙う刃を切り落とす。

 やっと一本。


 残るは三本。――と数えている場合ではなかった。

 大型の化物にもかかわらず、素早く後ろに回り込んだのだ。


 背後から殺気と共に、二本が突き刺さしに掛かる。

 身を翻し、半身のレッドが、すんでのところで回避する。背後を、風圧が駆け抜けた。――が、そんな彼の動きを予測していたのか、もう一本が足を狙いに来た。


 低空飛行しながら、足払いに掛かる。

 それを跳躍し、何とかかわす。しかし何故かあまり高く跳べていなかった。


 「!?」


 上空に張り巡らされていた何かが、跳躍を阻んだのだ。


 糸だ。網だ。


 いつの間にか木と木との間に形成された銀色の天井が、頭を押さえ込む。


 予想外の展開に、レッドの態勢が崩れ、粘つく糸が体を絡め取った。糸を斬り落とそうと、もがけばもがくほど、糸が締め付けに掛かる。もはや、動かせるのは眼球だけだった。


 地に足を着けられず、気味の悪い浮遊感が襲う。視界が際限なく揺れ、吐き気を催した。


 一方蜘蛛は、轟音と共に地面を蹴ると、自分のフィールドである糸の上に乗り、まるで滑るように移動していく。

 そして、憎き敵まで近付くと、レッドの体ごと、自身へと強引に引き寄せた。


 「良くも、私の牙と足を折ってくれたねぇ」


 体液にまみれた顔が、不気味に迫ってきた。


 ――何で、俺だけこんな目に遭うんだぁぁぁ!


 一方、刀は蜘蛛に喧嘩を売り出した。状況を分かっていないのか、この刀は。


 「馬鹿野郎。俺が操ってるったって、こんな素人に負ける方が悪いんだ。情けねぇ。バグの風上にも置けねぇな」


 その言葉に、蜘蛛が妙に納得する。


 「そうか。聞いたことがあるよ。リュウランゼに味方しているバグがいるって。――名前は確か、〝砕封魔さいふうま〟だったかねぇ?」


 蜘蛛は笑ったのか、それとも嫌悪したのか、口元を歪ませた。


 一方刀いや、砕封魔は鼻を鳴らすだけ。


 「ふん。味方だぁ? 俺は操って甘い汁を吸ってるだけだよ」

 「なら、別にコイツに寄生しなくても良いってことかい?」


 レッドの体に灼けるような痛みが疾る。

 化物が左太腿に、勢い良く突き刺したのだ。同時に、血液が左足を染めながら、地面に垂れていく。


 「……」


 それに対し、砕封魔は急に黙り出した。何かを考えているようだ。


 「どうしたんだい? まさかこの人間の命が惜しいっていうんじゃないだろうね?」


 蜘蛛が、今度はレッドの右脇腹を斬りつけた。


 「ぐっ。うわあぁぁぁ……!」


 レッドが堪らず苦痛の悲鳴を上げる。


 ――今度こそ殺される!


 「…………」


 しかし砕封魔は、黙ったまま。

 いや違う。何かを喋っている。ただし、大分声を押し殺している。感情や思考を悟られないようにしているようだ。


 「何だって?」と、蜘蛛が聞き返す。

 「……構わねえよ、別に。――殺しても」

 「何を!?」


 レッドが、痛みを堪えながらツッコむも、状況が好転することはなかった。――蜘蛛が、また体を傷つけようと三本もの足を構えたのだ。今度は何処を狙うのか。首か、腕か、それとも胸か……。


 レッドの呼吸が荒くなるにつれ、脇腹の傷が口を開け、血液が流れ出る。

 沈みゆく意識を、何とか保てたのは、皮肉にも体中を這いずり回る激痛のおかげだった。


 「ハァ、ハァ、ハァ……」


 自分の呼吸がやけに大きく聞こえた。


 ――いくら、孤児だって死にたくないよ……。


 といっても、誰かが悲しんでくれる訳でもないのも事実。

 実際この命が安いから、協会から買われた訳だし。それを承知していたはずなのに……。

 それなのに……。

 やっぱり無駄な命なのか……?


 その時だった。


 山の奥から、枝々を無秩序に揺らしながら、近付いてくるエンジン音――。

 音が大きくなるにつれて、別の音も聞こえる。


 いや声だ。


 「誰か助けてぇぇぇ!」


 直後、何かが木々から飛び出してきた。

 赤い単車だ。それに跨って、涙目の女が喚いているのだ。


 その場にいた誰もが、空を仰ぎ、呆然とする。一体何が起きたのか、理解できなかった。


 つまり、さっきの場面のユズハが、今まさに飛び出してきたのだ。


 そして、浮力を失った単車は網の上に無造作に墜落してしまった。

 おかげでユズハの命は助かったが、単車はボロボロだ。煙を上げている。


 それだけじゃない。


 網の一部が切れ、レッドの体は地面に落下。

 蜘蛛もバランスを崩し自身の糸に絡まってしまった。


 「こんなことがあって堪るかい!」


 身動きの取れなくなった蜘蛛が、湧き上がる怒りに身を任せていた。

 一方、砕封魔は間髪入れずに「走れ!」と発した。


 もしかして、人間では聞き取れない距離から、エンジン音を察知して、こうなることを予測した――?


 刀の声が合図になった。


 意識が朦朧とするレッドだけでなく、状況把握出来ないユズハも、とにかくその場を飛び出した。


 しかしテレーゼだけは、未だに横たわったままだった。

 だからといって、構っている余裕はない。レッドは自分の無力さに、歯噛みしているしかなかった。


 そんなレッドの思考を読み取ったのか、刀が冷たく突き放す。


 「おめぇが、この状況を打開できると思ってんのか? ――思い上がるな!」


 人の体を勝手に使っておいて。――などという、ツッコむ気力もない。

 むしろ、刀の言葉が心をさらに抉った。

 そうだ。俺は無力だ……。


 ――とりあえず何とかなるだろ。

 ――次本気出せばいいや。

 ――俺のこと理解しない皆が悪いんだよ。


 今まで、自分のことしか考えて来なかった。

 そんな自分が、珍しく誰かを救おうとしている。

 それなのに……。


 「ハァ! ハァ! ハァ!」


 悔し紛れに、呼吸が荒くなる。

 おかげで、無理矢理足を動かす結果となり、負傷していた左太腿と右脇腹が悲鳴を上げてしまった。忘れていた激痛が、脳を支配する。


 「!」


 ユズハが、急に足を止めて右脇腹に手をやるレッドに気付いた。


 「どうしたの!?」


 と、振り返り声を掛けたものの、彼女の顔が急に絶望に変わる。

 レッドの後方に目をやり、さらに何かに気付いたのだ。


 絡まった糸を、力尽くで引き裂く大蜘蛛。


 それが、八つの目を赤色に発光。そして地面を轟かせるような咆哮――。

 さっきまでとは違う。

 今までの理性は吹き飛んでしまったらしい。


 「ギギギギギギギギッ……!」


 突然大地が震え、波打つようにして、亀裂が縦横無尽に駆け抜けた。

 亀裂の後を追うように、地割れが津波のように押し寄せる。


 目標、人間二人と裏切者――。


 木々が薙ぎ倒され、雪が吹き飛ばされる。周囲が粉塵まみれの雪に染まってしまった。

 その粉塵の帳を突き破って来たのだ。


 何が?

 「き――」

 ――来たっ!


 ユズハが言い終わらない内に、蜘蛛の顔が視界一杯に広がった。


 「!」


 もはや、後ずさることもままらない。まるで蛇に睨まれた蛙だ。


 「ひぃぃぃ……!」


 一方レッドは、さっきの地響きでバランスを崩し、結局地面に転がるしかなかった。ユズハと対峙する化物を見つめながら。


 そんな人間達に対し、刀は、「仕方ねぇ」と呟きながら、レッドの腕を使い、自らを放り投げた。――ユズハに向かって。

 どうやら、ユズハに使ってもらおうと判断したらしい。


 しかしそれは叶わなかった。


 蜘蛛が砕封魔を弾いたのだ。おかげで、宙を錐もみした挙句、レッドの前方で転がるしかなかった。


 「人間がいなきゃ無力な裏切者が……」


 と、蜘蛛が不敵な笑みを浮かべようとした時だった。


 視線を戻し、眼前のユズハを始末するため、足を振り上げようと――できなかったのだ。

 足どころか、体が動かない!?

 何かが化物の体を縛り上げていた。


 「早く逃げて!」


 ユズハは振り返らず、叫んだ。

 彼女の手より飛び出した糸の集合体が、瞬く間に編みあがり、蜘蛛の体を覆いだしたのだ。


 しかし、安堵できる状態ではなかった。化物の力を考えたら、ただの時間稼ぎにしかならないからだ。

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