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誕生日
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私の誕生日は特殊だ。
誕生日になると誕生日と一緒に、1つ歳を取った私がやって来るのだ。そして今年を勤めた私と交代する。
私が新しい私と玄関先で握手すると、途端に私は人形になり、新しい私が私になる。
人形とは言っても古い私は柔らかく温かい。ただ息はしていないし、とにかく重い。
私は古い私の首にロープを掛けて引きずって行き、クローゼットにS管で引っ掛ける。だから私のクローゼットには、生まれてからこの方の私が、首吊り死体みたいに並んでいる。ただその私は、決して死体ではない。なぜなら腐敗も風化もしていないからだ。でも生きてもいない。息をしていないのだから。
と、私が素直にそんな「風習」に従っていたのは18歳までだった。
ちなみに私の特殊な誕生日に真っ先に気が付いたのは当たり前のことだが両親だった。最初の誕生日を迎えた当の私は1歳。まだ物心がついていないのだから。
ようやく物心がついた私に両親が言うには、私が1歳になった時、1歳の私が神様を名乗る老女に連れて来られたというのだ。
私は正常に生後11ヶ月なりの成長をしていたが、老女はこの子、つまり1歳の私とその子、つまり生後11ヶ月と29日だか30日だかの私を取り替えないと、私は向こう1年、生後11ヶ月と29日だか30日だかの姿のままだがどうする?と両親に言ったそうだ。
老女が言う1歳の私は、まさに生後11ヶ月と29日だか30日だかの私があと数分でこうなるだろうなという容姿をしていたらしいから、両親はこれは到底信じられないがやはり信じるべきなのかと、かなり思考が混乱したようだ。
それでもまだ両親は懐疑的だったが、老女が連れた生後11ヶ月と29日だか30日だかの私があと数時間でこうなるだろうなという容姿をしたその子が「パパ、ママ」と11ヶ月と29日だか30日だかの私と同じ呼び方をしたことと、呼び声がすると同時に11ヶ月と29日だか30日だかの私の動きが凍結したことで、信じるというより「とりあえず信じなきゃ」という狼狽から、とにかく1歳の私を引き取ったらしい。ややこしい話だが。
その際母は「そこで固まってしまった11ヶ月の方をここに置いておくことはできませんか?」と老女に頼んだらしい。
すると老女は「まぁごもっともですね。いいですよ、ただ、その子は生きても死んでもいませんけどね」と言ったそうだ。
それ以来「前年度の私」は、クローゼットに吊るされている。
3歳だか4歳だかの誕生日を迎えた頃のまだ幼い私は、そういうことならばそうしなきゃいけないんだと思っていたから素直に新しい私と交代していたようだ。
「握手交代」は2歳から始まったそうだ。新しい私が来ると、まるで友達にそうするように私は楽しげに握手し、固まって倒れ、クローゼットに吊るされた。それは母の「タンスコレクション」だった。
コレクションの吊り下げ役はいつの頃からか私の役目になっていた。それもまた、一種の成長だった。私は母のお手伝いをする感覚で、自分の殻を吊り下げて行った。
しかし私は歳とともに段々素直でなくなっていった。つまり自立心の芽生えや、それに伴う反抗期というやつがやって来たのだ。
7歳の誕生日から新しい私は老女に連れられてではなく自分一人で来るようになった。これは私が学校に入る年齢だったからのようだ。このあたりになると私は自分の容姿や異性を意識するようになって来た。それに伴って、誕生日のたびにやって来る新しい私の姿にも注意するようになった。それは気に入る入らないの世界だった。
幸い18歳までの私の容姿は「前年度」の私の許容範囲だったから私は順調に「成長」したが、19歳の誕生日、やって来た私の容姿は許容範囲から外れていた。
人には大抵、容姿が大きく変わる時期があるが私の場合、それはどうやら19歳だったようで、それまでは比較的小柄でふっくらしていて、それがまた「かわいい」好きな自分の好みだった私の姿は、19歳で急に大柄で細身になっていた。
実は私はこの半年ほどで急に背が伸びて、それが嫌でこれ以上成長したくないと食も細ったものだからだんだん痩せて来ていたのだ。それを受けての19歳の姿だから当然だった。
私は19歳の私が、17歳の私に少しでも戻っているか、戻る片鱗を見せてくれることを期待したが、戻るどころか今の私より理想を外れていた。私は19歳の私を拒否したかった。むしろクローゼットに下がっている17歳の私に戻りたかった。まずそのためには、私は決して19歳の私と握手してはいけないと思い、新しい私が差し出す手に絶対触れないことにした。
19歳の私は、玄関先で片手を差し伸べたままじっと止まっていた。その顔は初めは微笑んでいたが、時間が経つに連れて次第に暗くなり、しまいには能面のように無表情になっていた。
彼女が来てから丸1日が経っていた。
「誕生日が過ぎた…」
私は呟いた。そして初めて、恐る恐る19歳の私の身体に触れた。
彼女は温かいけど無呼吸だった。
差し伸べられた手に、手を添えてみたが握り返すことはなかった。彼女は私を拒否しているようだった。その時、急に背筋が凍った。
「私、死ぬんじゃ?」
成長した私に私は拒否されたのだ。つまり私に成長はない。ならば一生このままか、でなければ程なく死んでしまうのでは?
そんな思考が私を支配した。
でもとにかく、この人形をこのままにはしておけない。私はいつもの誕生日と同じように彼女の首にロープを回して、クローゼットまで引きずって行き、吊るした。
そして毎日死の恐怖と闘いながら、私は19歳の1年を18歳の姿で過ごした。
私は死なずに20歳の誕生日の前日を迎えた。まだ生きているということは、おそらく成長が止まったまま、この先ただ歳を重ねるのだろうと思った。それは間もなく羽化するところで羽の模様が透けたまま死んでしまった蝶の蛹のように思えた。私はあと何年、いや何十年、18歳なのだろう。それは嬉しいことなのだろうか、悲しいことなのだろうか。
と、そんな思いに囚われて一日中、それこそ蛹のように固まっていた翌日、つまり誕生日、玄関に20歳の私がいた。微笑んで手を差し伸べている。
その私はさらに痩せていて、19歳より頬がこけていた。そのくせ背はまた伸びて、半ば男性化していた。
「成長しているんだ」
そう、どうやら新しい姿を拒否しても私は成長しているようだ。ならばずっと拒否してやろう、そして気に入った私がやって来るまで、みんなクローゼットに吊るしておこう。私はそう決心した。そしてお気に入りの私が来るのを待っている。
しかしもう何体の私がクローゼットに下がっているのだろうか。
私は18歳の姿のままで時々、クローゼットの私の虫干しをする。
当然天気のいい日だから、陽光で明るく照らされた部屋の床に、代々の私を横たわらせて行く。初めは私の部屋だけで収まっていたが、私が増えた今は三つ四つの部屋が必要だ。
ちなみに両親はもう亡くなっている。いつまでも変わらない私を不審がられないようおもんばかって、私が家出して帰らないことにしたり、何度か引っ越しをしたり、すっかり私が振り回したふたりの人生だった。
しかしどこへ引っ越しても、その家の玄関には誕生日になると必ず新しい私が来た。そしてクローゼットに吊られて行った。私はずっと神様に見られているようだ。私がしているいけないことも。
私はいつまでも18歳の姿のまま、素性を偽れる程度のバイトと、両親の遺産でなんとか生活している。ただ今は、99パーセントは引きこもっているが。
先に死んだ父親は母が送り、その母の死を看取ったのは、事情を知る叔母だった。
母の遺言で、あくまで表向きこの家は私が帰るまでということで、叔母が同居して守ってくれている。その叔母ももう歳を取り、そろそろ歳相応の私になってほしい、と、たまに言う。
近くそうしなければと当然思うのだが、なかなか入れ替われる私は来ない。相変わらず私の感情は18歳のままだ。未成年の思考がまさっている。だから今は私になり損なった私の方が、17歳までの私の数を超えている。
そんな中に一人、かわいそうな私がいる。それはお腹の大きい私だ。
数えてみたら25歳の私だ。毎年、ちゃんと「風習」通りにしていたら、私は夫になる人と出会えて、この姿になれていたのだろうか?
いやこれは、悪い男に騙された結果だろうか?
いずれにしても、この中には罪のない子供が入ったままなのだろう。
この私が来た時のことは鮮明に覚えている。それは妊娠した自分が信じられない驚きと、なぜかしらよく分からない喜びが混ざった複雑な気持になったからだ。
実のところ19歳以降の私の中で、唯一握手をしそうになったのがこの25歳の私だった。
その後ろの26歳の私のお腹が普通に戻っていることを考えたら、私は25歳で妊娠と出産をしたようだ。私にとって、最も稀有な年齢だったのだ。
しかし気になる。お腹の子が生まれていたとしたらこの子は今、どこにいて何をしているのだろう。会えるものなら会いたいものだが。
こんな感じでクローゼットの中を流れる自分の人生を眺める日々を送るある年、前の誕生日と次の誕生日の真ん中あたりで、事件が起こった。
叔母が急死したのだ。私と向かい合ってお茶を飲んでいる最中、突然テーブルに突っ伏した。慌てて息と脈を診たが、どちらも止まっていた。
クローゼットの中の私と同じ姿だったから、私は習慣で叔母の死体にロープを掛けた。そしてクローゼットの中の、一番新しい私の後ろに、少し離して吊り下げた。それはまるで私の最期の姿だった。
ただ、叔母は本物の死体だから、いずれ腐敗して悪臭を放つだろう。現に今も失禁している。
新しい私が来たら、今度こそ叔母の願い通りにしようと思っていたのに、その叔母がここに吊られるとは。
誕生日までまだ半年はある。この間が無事であるはずはない。私は、本当に家出する羽目になった。出掛けに、クローゼットに手を合わせた。
これが私の特殊な誕生日の経緯だが、今頃あのクローゼットの中には、45体の私の「生体」と、1体の叔母の死体がある。死後3日目だから、そろそろ誰かが異変に気付いているかも知れない。きっと警察は、叔母の死体より、数々の私の生体の方に驚くだろう。それを思うとなんとなく笑える。
その中に吊られるべきだった18歳の私は今、素性の分からない行きずりの男の部屋に転がり込んでいる。そろそろ男女の関係になるだろうが、私はそこに淡い期待をしている。
もしかしたらあの25歳の私のお腹の中にいたのは、この男の子供かも知れないという期待だ。
クローゼットの中で見た私の未来は、実はここから始まっていたのかも知れない。その答えは半年後、この家の玄関に来る私がみんな知っている。
私は今度こそ、握手をしようと決めている。
ただその私が、生きていればの話だが。
誕生日になると誕生日と一緒に、1つ歳を取った私がやって来るのだ。そして今年を勤めた私と交代する。
私が新しい私と玄関先で握手すると、途端に私は人形になり、新しい私が私になる。
人形とは言っても古い私は柔らかく温かい。ただ息はしていないし、とにかく重い。
私は古い私の首にロープを掛けて引きずって行き、クローゼットにS管で引っ掛ける。だから私のクローゼットには、生まれてからこの方の私が、首吊り死体みたいに並んでいる。ただその私は、決して死体ではない。なぜなら腐敗も風化もしていないからだ。でも生きてもいない。息をしていないのだから。
と、私が素直にそんな「風習」に従っていたのは18歳までだった。
ちなみに私の特殊な誕生日に真っ先に気が付いたのは当たり前のことだが両親だった。最初の誕生日を迎えた当の私は1歳。まだ物心がついていないのだから。
ようやく物心がついた私に両親が言うには、私が1歳になった時、1歳の私が神様を名乗る老女に連れて来られたというのだ。
私は正常に生後11ヶ月なりの成長をしていたが、老女はこの子、つまり1歳の私とその子、つまり生後11ヶ月と29日だか30日だかの私を取り替えないと、私は向こう1年、生後11ヶ月と29日だか30日だかの姿のままだがどうする?と両親に言ったそうだ。
老女が言う1歳の私は、まさに生後11ヶ月と29日だか30日だかの私があと数分でこうなるだろうなという容姿をしていたらしいから、両親はこれは到底信じられないがやはり信じるべきなのかと、かなり思考が混乱したようだ。
それでもまだ両親は懐疑的だったが、老女が連れた生後11ヶ月と29日だか30日だかの私があと数時間でこうなるだろうなという容姿をしたその子が「パパ、ママ」と11ヶ月と29日だか30日だかの私と同じ呼び方をしたことと、呼び声がすると同時に11ヶ月と29日だか30日だかの私の動きが凍結したことで、信じるというより「とりあえず信じなきゃ」という狼狽から、とにかく1歳の私を引き取ったらしい。ややこしい話だが。
その際母は「そこで固まってしまった11ヶ月の方をここに置いておくことはできませんか?」と老女に頼んだらしい。
すると老女は「まぁごもっともですね。いいですよ、ただ、その子は生きても死んでもいませんけどね」と言ったそうだ。
それ以来「前年度の私」は、クローゼットに吊るされている。
3歳だか4歳だかの誕生日を迎えた頃のまだ幼い私は、そういうことならばそうしなきゃいけないんだと思っていたから素直に新しい私と交代していたようだ。
「握手交代」は2歳から始まったそうだ。新しい私が来ると、まるで友達にそうするように私は楽しげに握手し、固まって倒れ、クローゼットに吊るされた。それは母の「タンスコレクション」だった。
コレクションの吊り下げ役はいつの頃からか私の役目になっていた。それもまた、一種の成長だった。私は母のお手伝いをする感覚で、自分の殻を吊り下げて行った。
しかし私は歳とともに段々素直でなくなっていった。つまり自立心の芽生えや、それに伴う反抗期というやつがやって来たのだ。
7歳の誕生日から新しい私は老女に連れられてではなく自分一人で来るようになった。これは私が学校に入る年齢だったからのようだ。このあたりになると私は自分の容姿や異性を意識するようになって来た。それに伴って、誕生日のたびにやって来る新しい私の姿にも注意するようになった。それは気に入る入らないの世界だった。
幸い18歳までの私の容姿は「前年度」の私の許容範囲だったから私は順調に「成長」したが、19歳の誕生日、やって来た私の容姿は許容範囲から外れていた。
人には大抵、容姿が大きく変わる時期があるが私の場合、それはどうやら19歳だったようで、それまでは比較的小柄でふっくらしていて、それがまた「かわいい」好きな自分の好みだった私の姿は、19歳で急に大柄で細身になっていた。
実は私はこの半年ほどで急に背が伸びて、それが嫌でこれ以上成長したくないと食も細ったものだからだんだん痩せて来ていたのだ。それを受けての19歳の姿だから当然だった。
私は19歳の私が、17歳の私に少しでも戻っているか、戻る片鱗を見せてくれることを期待したが、戻るどころか今の私より理想を外れていた。私は19歳の私を拒否したかった。むしろクローゼットに下がっている17歳の私に戻りたかった。まずそのためには、私は決して19歳の私と握手してはいけないと思い、新しい私が差し出す手に絶対触れないことにした。
19歳の私は、玄関先で片手を差し伸べたままじっと止まっていた。その顔は初めは微笑んでいたが、時間が経つに連れて次第に暗くなり、しまいには能面のように無表情になっていた。
彼女が来てから丸1日が経っていた。
「誕生日が過ぎた…」
私は呟いた。そして初めて、恐る恐る19歳の私の身体に触れた。
彼女は温かいけど無呼吸だった。
差し伸べられた手に、手を添えてみたが握り返すことはなかった。彼女は私を拒否しているようだった。その時、急に背筋が凍った。
「私、死ぬんじゃ?」
成長した私に私は拒否されたのだ。つまり私に成長はない。ならば一生このままか、でなければ程なく死んでしまうのでは?
そんな思考が私を支配した。
でもとにかく、この人形をこのままにはしておけない。私はいつもの誕生日と同じように彼女の首にロープを回して、クローゼットまで引きずって行き、吊るした。
そして毎日死の恐怖と闘いながら、私は19歳の1年を18歳の姿で過ごした。
私は死なずに20歳の誕生日の前日を迎えた。まだ生きているということは、おそらく成長が止まったまま、この先ただ歳を重ねるのだろうと思った。それは間もなく羽化するところで羽の模様が透けたまま死んでしまった蝶の蛹のように思えた。私はあと何年、いや何十年、18歳なのだろう。それは嬉しいことなのだろうか、悲しいことなのだろうか。
と、そんな思いに囚われて一日中、それこそ蛹のように固まっていた翌日、つまり誕生日、玄関に20歳の私がいた。微笑んで手を差し伸べている。
その私はさらに痩せていて、19歳より頬がこけていた。そのくせ背はまた伸びて、半ば男性化していた。
「成長しているんだ」
そう、どうやら新しい姿を拒否しても私は成長しているようだ。ならばずっと拒否してやろう、そして気に入った私がやって来るまで、みんなクローゼットに吊るしておこう。私はそう決心した。そしてお気に入りの私が来るのを待っている。
しかしもう何体の私がクローゼットに下がっているのだろうか。
私は18歳の姿のままで時々、クローゼットの私の虫干しをする。
当然天気のいい日だから、陽光で明るく照らされた部屋の床に、代々の私を横たわらせて行く。初めは私の部屋だけで収まっていたが、私が増えた今は三つ四つの部屋が必要だ。
ちなみに両親はもう亡くなっている。いつまでも変わらない私を不審がられないようおもんばかって、私が家出して帰らないことにしたり、何度か引っ越しをしたり、すっかり私が振り回したふたりの人生だった。
しかしどこへ引っ越しても、その家の玄関には誕生日になると必ず新しい私が来た。そしてクローゼットに吊られて行った。私はずっと神様に見られているようだ。私がしているいけないことも。
私はいつまでも18歳の姿のまま、素性を偽れる程度のバイトと、両親の遺産でなんとか生活している。ただ今は、99パーセントは引きこもっているが。
先に死んだ父親は母が送り、その母の死を看取ったのは、事情を知る叔母だった。
母の遺言で、あくまで表向きこの家は私が帰るまでということで、叔母が同居して守ってくれている。その叔母ももう歳を取り、そろそろ歳相応の私になってほしい、と、たまに言う。
近くそうしなければと当然思うのだが、なかなか入れ替われる私は来ない。相変わらず私の感情は18歳のままだ。未成年の思考がまさっている。だから今は私になり損なった私の方が、17歳までの私の数を超えている。
そんな中に一人、かわいそうな私がいる。それはお腹の大きい私だ。
数えてみたら25歳の私だ。毎年、ちゃんと「風習」通りにしていたら、私は夫になる人と出会えて、この姿になれていたのだろうか?
いやこれは、悪い男に騙された結果だろうか?
いずれにしても、この中には罪のない子供が入ったままなのだろう。
この私が来た時のことは鮮明に覚えている。それは妊娠した自分が信じられない驚きと、なぜかしらよく分からない喜びが混ざった複雑な気持になったからだ。
実のところ19歳以降の私の中で、唯一握手をしそうになったのがこの25歳の私だった。
その後ろの26歳の私のお腹が普通に戻っていることを考えたら、私は25歳で妊娠と出産をしたようだ。私にとって、最も稀有な年齢だったのだ。
しかし気になる。お腹の子が生まれていたとしたらこの子は今、どこにいて何をしているのだろう。会えるものなら会いたいものだが。
こんな感じでクローゼットの中を流れる自分の人生を眺める日々を送るある年、前の誕生日と次の誕生日の真ん中あたりで、事件が起こった。
叔母が急死したのだ。私と向かい合ってお茶を飲んでいる最中、突然テーブルに突っ伏した。慌てて息と脈を診たが、どちらも止まっていた。
クローゼットの中の私と同じ姿だったから、私は習慣で叔母の死体にロープを掛けた。そしてクローゼットの中の、一番新しい私の後ろに、少し離して吊り下げた。それはまるで私の最期の姿だった。
ただ、叔母は本物の死体だから、いずれ腐敗して悪臭を放つだろう。現に今も失禁している。
新しい私が来たら、今度こそ叔母の願い通りにしようと思っていたのに、その叔母がここに吊られるとは。
誕生日までまだ半年はある。この間が無事であるはずはない。私は、本当に家出する羽目になった。出掛けに、クローゼットに手を合わせた。
これが私の特殊な誕生日の経緯だが、今頃あのクローゼットの中には、45体の私の「生体」と、1体の叔母の死体がある。死後3日目だから、そろそろ誰かが異変に気付いているかも知れない。きっと警察は、叔母の死体より、数々の私の生体の方に驚くだろう。それを思うとなんとなく笑える。
その中に吊られるべきだった18歳の私は今、素性の分からない行きずりの男の部屋に転がり込んでいる。そろそろ男女の関係になるだろうが、私はそこに淡い期待をしている。
もしかしたらあの25歳の私のお腹の中にいたのは、この男の子供かも知れないという期待だ。
クローゼットの中で見た私の未来は、実はここから始まっていたのかも知れない。その答えは半年後、この家の玄関に来る私がみんな知っている。
私は今度こそ、握手をしようと決めている。
ただその私が、生きていればの話だが。
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