僕の恋人

ken

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翠ちゃんは途中から、バイトが終わった渚ちゃんを駅まで迎えに行ってた。2人が帰ってきた時には、僕達は泣きすぎてボーっとなっていた。
「初めまして、優斗くんの友達の今井渚です。翠ちゃんの恋人で、ここに一緒に住んでます。今は優斗くんも、3人で。」
「初めまして。優斗に良くしてくれて、ありがとう。兄の紘貴です。」
渚ちゃんが翠ちゃんの恋人、と聞いても兄は眉ひとつ動かさなかった。普通に受け入れていた。それを見て僕は、いつか、兄に奏さんの事をちゃんと話せると思った。
「えっと、ヒロキさん、夜ご飯食べてきません?何だったら泊まってっても良いし…ってか、今日ってどこかのホテルに泊まる予定でしたか?」
「駅前のビジネスホテル、取ってます。荷物も置いてありますけど、でも、もし良かったら泊らせてもらおうかな。俺たち兄弟なのに、同じ部屋で寝る事なかったから、、、優斗、いや?」
「嫌じゃないです!!全然嫌じゃない。」
「敬語、やめて欲しいな。ゆっくりで良いけど。普通の関係になりたい。」
「はい。あ、うん…」
「ごめん、ゆっくりで良いよ。」
「じゃあ決まりね!今日は再会を祝してしこたま飲んで、明日の朝荷物を取りに帰れば良い!」
「やった~!」
お客さんの好きな翠ちゃんと渚ちゃんが大喜びして、僕も紘兄ちゃんも嬉しかった。僕達は久しぶりに幸せだった。
その夜は鉄板焼きをした。翠ちゃんのお父さんからのクリスマスプレゼント。洗うのが面倒なほど大きくて、鉄板の他に網焼きグリルとタコ焼きプレートもついている。僕達はそれぞれ好きなように肉を焼き、野菜に巻いて食べた。
ビールをしこたま飲んで、途中紘兄ちゃんと2人、コンビニに行ってビールを買い足した。ハーゲンダッツも買ったし、ポテトチップもビーフジャーキーも買った。紘兄ちゃんが本当幸せって呟いて、僕は泣きそうになった。みんなで止めたのに、翠ちゃんはとっておきの赤ワインを開けた。

「紘兄ちゃん、東京から僕のためにわざわざ来てくれて、ありがとう!!僕、ごめんなさい。すぐに連絡できなくて。あと、東京にいるなんて思わなかったから、知ってたら僕が行っても良かった。」
「大丈夫。ちょっと用事もあってね。午前中早くに、実家の近くで父さんに会ってね、実家に置いてきてたパスポート貰ったんだよ。予め連絡してたから。」
「お父さん、元気でした?」
「うん、相変わらず。帰って来いって言われたけど、どうかな、たぶん母さんと2人で生活するのが嫌なだけじゃないかな。母さんは今も俺が東大受けるの諦めてないらしい…フフンッ、なんか、笑っちゃったよ。」
「連絡、し合ってるんですか?」
「父さんには携帯番号だけ教えてある。住所は絶対教えない。母さんには連絡先も教えてない。母さんに教えたら、連絡先変えて二度と教えないって父さんに言ったから、今のところ母さんからは連絡ないけど。」
「そっか。」
不思議なほど胸は痛まなかった。紘兄ちゃんが僕の事を大切に思ってくれていた。その事実だけで、僕はとても強い気持ちになれた。
みんな酔っ払いになって、陽気に歌って踊った。僕も紘兄ちゃんと出鱈目に踊った。翠ちゃんと渚ちゃんはキスをした。
「僕ね、恋をしたんだ。」
酔いのせいか、すんなり話せた。
「恋人は、アルバイト先の建築事務所の社長だったんだ。男の人。とってもかっこよかった。面接の時に初めて会ってね。緊張してガチガチになってる僕に、すごく優しく微笑みかけてくれた。緊張しないで、僕の聞きたい事は、ただ一つ。ここで働きたい?それだけだよ?って。面接の帰りに駅まで歩いてたら、走って追いかけて来てくれて、ハァハァ言いながら、合格って言ってくれたの。もうその笑顔に、一目惚れだったと思う。それから、カレー食べに行かない?って誘われて。一緒に、CoCo壱のカレー食べたんだ。すっごく美味しかった。世の中にこんなに美味しいものがあるんだって思った。」
僕は酔っ払っていた。
「そっか。良かった。優斗、恋したんだね。良かった。傷付いたかも知れないけど、優斗、恋したんだ。良かった。」
紘兄ちゃんも、酔っ払っていた。
紘兄ちゃんは僕の分と自分の分の布団を敷いてくれて、僕はトロトロと酔っ払って布団に潜り込んだ。紘兄ちゃんが布団をちゃんとかけてくれた。
「兄ちゃん…僕、ずっとずっと寂しかったんだ。お母さん、どうして僕を嫌いだったんだろう。どうして…どうして愛してもらえなかったんだろう、僕は…」
「優斗。ごめんな。ごめん。ずっと寂しい思いさせて、ごめん。でも、よく聞いて、優斗。あの人はね。誰のことも愛せなかったんだよ。誰一人、愛せず、寂しく死んでいくんだよ。かわいそうだけど、仕方がない。人をね、愛せない人って、いるんだよ。」
「お母さん、今、寂しいのかな。」
「あの人はね。きっと寂しいって事に気付いてない。俺ね、罪悪感あったの、家出た事。俺は可愛がられてたから、余計にね。でもね、もうやめたんだ。俺は、あの人の子供だけど、あの人に縛られて生きるのはやめようって決めたんだ。優斗もね、あの人の子でも、あの人に縛られずに生きて欲しい。」
「うん…。…あのね、紘兄ちゃん。兄ちゃん、僕がゲイで嫌だった?」
「全然!俺ね、自分がいかに狭い世界で狭い価値観で生きてたか、東京行って嫌という程思い知った。俺のモデル友達、何人もゲイの人いるよ。全然嫌じゃない。みんな大切な友達。お前も大切な弟。もう寝ろ、優斗。」
「うん。おやすみなさい…」
「おやすみ、優斗。」
「紘兄ちゃん、ありがとう。」
「うん。」

目が覚めると、紘兄ちゃんが布団を畳んでた。帰っちゃうんだ。
「おはよう。二日酔い、大丈夫?」
「おはようございます。僕は大丈夫。紘兄ちゃんは?」
「優斗、お酒強いんだな。俺、頭ガンガンよ。」
「大丈夫?痛み止め、飲みますか?」
「ありがとう、もらう。シラフになると敬語に戻っちゃうんだ。」
からかうように言われてつい赤くなってしまう。よく見たら、僕と紘兄ちゃん、けっこう顔が似てる。でも纏う雰囲気は全然違う。紘兄ちゃんは自信があって、男らしくてとてもかっこいい。羨ましい。
「さすがモデルは二日酔いの朝でもかっこいい。」
お返しにからかうと紘兄ちゃんは心底楽しそうにカラカラと笑った。
「俺たち、イケメン兄弟で売り出せるな。お前だって俺よりは低いけど普通に考えたらけっこう背、高いだろ?」
「高くないですよ!」
「いくつ?180あるんじゃない?」
「178です。もう止まっちゃったし。」
こんな風に兄と軽口がたたける日が来るなんて、夢みたいだった。
僕はあの家では、自分から誰かに話しかけてはいけないって言われていたから。聞かれた事にだけ答えろ。それ以外は黙っていろ、そう言われていた。だから、学校の用事でどうしても母親に伝えないといけない事があるような時は、とても緊張した。言えなくて学校で叱られる事もあった。兄は時々話しかけてくれたけど、僕は緊張してうまく話せなかったから、こんなに兄と話したのは本当に小さな頃以来だった。

荷物を取りに行く紘兄ちゃんを3人で見送ってから、僕は冷凍庫の鶏ガラでスープを取った。少しのニンニクとたっぷりの生姜、葱の青いところと玉葱。コトコトと煮込んでスープを取る過程が、僕は好きだった。丁寧にアクを引いて、澄んだスープを作る。
「優斗、良かったね。本当に良かった。」
翠ちゃんはフワリと笑って言った。
「うん、こんな幸せ、絶対に僕には訪れないと思ってた。嬉しい。翠ちゃん、ありがとう。勇気出して電話して本当に良かった。」
「私も怖かったの。優斗がこれ以上傷付く事になったらどうしようって。」
翠ちゃんはまたちょっと涙ぐんだ。
「チキンスープ、お粥にしようと思うんだけど、お粥嫌だったら翠ちゃんはスープにする?」
「うん、スープが良い。もずく入れようかな。」
「酢辣湯!?翠ちゃん、あんなに飲んだのに胃腸が強いね。」
僕達は笑いながら幸せを噛み締めた。
「渚は絶対お粥が良いって言うね。」
「一応聞いてきてよ、渚ちゃんにも。」
翠ちゃんはせっせと小麦粉と塩と水を混ぜている。またお手製の麺を作るんだ。
小麦粉料理は翠ちゃんの得意分野。パンも麺も饅頭も作ってしまう。酢辣湯の時はいつも、すいとんみたいなやわやわとした麺を作る。緩い生地をザル越しに直接スープの中に入れる。ザルの穴を通って生地が細く垂れるから、麺状になる。やわやわとして不規則なこの麺が、僕も大好きだ。スープにもとろみがついて、とても美味しい。
「僕も麺にする。たぶん紘兄ちゃん二日酔いだからお粥。渚ちゃんもお粥かな?」
「渚もお粥よ、絶対。そもそも辛い物食べられないし、彼女。」
「そっか。じゃあもう聞かずにお粥ね。」
翠ちゃんは生地を寝かせるために冷蔵庫にしまい、寝室に戻って行った。僕はスープを見ながらキッチンで読書。
キッチンは暖かく、良い匂いがして、満ち足りていて、幸福な、素敵な休日だった。こうやって少しずつ、僕は奏さんの事を忘れていく事ができるかも知れない。それで、翠ちゃんと渚ちゃんと大学に行って、紘兄ちゃんと電話したり、たまに会って遊んだりして、毎日を過ごす。たぶんバイトもそろそろ始める。そんな少し先の未来が、僕にはようやく見えてきた。まだ薬は飲んでるし、酷く落ち込む夜もあるけど、僕は独りぼっちではないし、這い上がる事ができるって分かったから。


2時間程して帰ってきた紘兄ちゃんは、小学生くらいの子ならすっぽりと入ってしまえそうな大きなリュックを背負っていた。
「紘貴さん、すごい荷物。どうしたの?エベレストでも登るの?」
渚ちゃんが笑いながら言った。
「翠さん、渚さん、申し訳ないんだけど、もう一晩だけ泊めてもらえないかな。明日の夕方の便で、パリに行くんだ。しばらく帰ってこないつもり。向こうでオーディション受けて、受かったらショーに出る。受かったメゾンから呼んでもらえたら次の都市のショーにも出るから、このリュック1つでしばらくはあっちこっち移動する事になるんだ。今、これが僕の所有物全部だよ!アパートは友達のモデルの子が住んでくれる事になったから、東京のショーの時はそこに帰るけど、当分は根無し草生活だな。」
「ウチはもちろん良いけど、向こうでは?パリでとりあえず泊まるとこはあるの?」
「先輩のアパートのカウチで寝かせてもらうんだ。オーディションに合格したらお金が入るから、そしたらアパートでも借りようかなって。合格しなかったら日本食レストランでバイトでもするよ。」
「なんか、すごいね紘兄ちゃん!かっこいいなぁやっぱり紘兄ちゃんは!
でも、気をつけてね。」
「大丈夫!俺、意外と図太いんだよ。どこでも寝られるし。それに、向こうで俺の写真を撮りたいって言ってくれてる日本人のフォトグラファーがいて、少しだけだけどギャラも出るみたいだから。」
「ヒュウ!イケメン!!」 
「てか、超有名モデルになっても、私達の事忘れないでね!!みんなで写真撮ろ!」
「お金に困ったらこの写真を売ろう!」
「誰に~?」
みんなでワイワイ言いながら写真を撮って、それからお粥を食べた。結局僕も紘兄ちゃんもお粥と翠ちゃんの麺を両方食べた。お腹も心もいっぱいで、涙が出そうなくらい幸せだった。
僕らはずっと前から仲良しの兄弟だったみたいに軽口を叩き合い、はしゃいで過ごした。それでも、そこには暗い影があった。僕達の抱えている傷があった。でも、それは共通の傷で、分かち合える痛みだった。僕と兄が過ごした少年時代は全く別の物だったけど、その痛みは同じ痛みだった。僕達は無条件では愛されなかった。存在そのものを肯定してくれて、弱さも含めて愛してくれる存在が、僕達にはなかった。僕と同じように兄も、緊張した家庭で過ごして、愛を求めていた。僕達は引き裂かれていた。
そんなふうにされるべきではなかった。あの人は、僕達をそんな風に扱うべきではなかった。それは僕達のせいではない。あの人達が間違えていたし、今も間違え続けているのだ。
僕はその時ようやく、そう思う事ができた。初めて、親を捨てる事ができた。

僕は愛されるべき存在だったんだ。

お前とまた会えて、良かった。
そう言って嬉しそうに笑う兄の顔を見ながら、僕は自分を初めて、ほんの少し肯定できた。
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