海の底の恋

ken

文字の大きさ
上 下
3 / 18

しおりを挟む
「昨日、夜中にうなされてたよ。」
そう悠から言われた時、僕は驚いた。
悪い夢を見たという自覚は全然なかった。夢を見た記憶すらなかった。
「ごめん、うるさかったね。」
そう言うと悠は目を少し細めて僕の事をじっと見て、それから目を逸らした。


僕は大学を卒業して就職し、悠はそのまま大学院に残った。博士課程まで進むつもりだ、と悠は言った。
僕は悠がますます遠くにいくように感じた。僕たちの人生はそのうち、全く重なり合わないものとなる、そんな予感がした。僕は大学のある街の会社に就職したが、初任地は東京支社だった。物理的にも、僕たちは遠く離れた。

それでも、本社で研修や会議がある事は多く、そんな時は僕は悠の家に泊めてもらった。悠は変わらずに穏やかな笑顔で僕を迎えてくれて、何品もおかずをテーブルに並べてもてなしてくれた。
そして変わらず、僕たちは悠のベッドでSEXをした。悠は以前よりずっと優しく丁寧に僕を抱いてくれた。でも僕にはそれが、僕と悠の間にできた距離を象徴しているように感じて、少し寂しかった。それでも、悠のいない東京で過ごす毎日よりはずっと、嬉しかった。

「東京で彼氏、できた?」
悠は言った。
「…で、できないよ。毎日寝るだけに部屋に帰って、週末は寝坊して、洗濯と掃除で終わり。は、は…働き詰めだよ。」
僕は言った。
僕は社会人になって、また吃りが強く出るようになっていた。
会社で、その事で何か言われる事はなかったが、いつからか必要最低限の事しか話かけられないようになった。質問されて返事をしていると、途中で
「あ、ごめん、良いや。違う人に確認する。ごめんね。」
と言われる事もあった。
「す、すみません…」
と呟きながら、僕は悠の顔を必死で思い浮かべた。

「悠は?彼氏、できた?」
「いないよ。ヤマナカ、彼氏できたら言ってな。」
「うん、悠もね。」
「うん、それまではヤリ友な。」
悠はそう言って笑った。僕も笑った。
いつになく丁寧に丁寧に悠に抱かれながら、悠が痛い程激しく突いてきた頃を懐かしく思った。

ヤリ友じゃなくて、恋人になりたい。
悠のことが好きだ。

そう言いたかったけれど、そう言おうと決めて深夜バスに乗りながら何度も何度も頭の中でシュミレーションしたけれど、ついに僕はそう口に出す事ができなかった。言おうとすると口の中で舌が膨らんだようになって喉が詰まり、声を出せなかった。
何かを求めたら、誰かに縋ったら、捨てられる。もう会ってはもらえなくなる。
僕はどうしてもそう思う気持ちから逃れられなかった。


好きだ。
ずっと一緒にいたい。
恋人になりたい。

そう言おうとする度に、あの日の光景が頭を掠めた。

中学二年生の時。
雨の降る日曜日だった。
僕は、喫茶店のシートに腰掛けて、目の前の母を見つめていた。
「お願い。僕も連れて行って。良い子にするから。絶対に見つからないようにするから。学校に行けなくても良いから。お願い。あそこに置いていかないで。」
僕は泣いて母に縋った。

母は、黙って首を振り、それから伝票を掴んで出て行った。
席を立つ時に、小さな声で一言
「頑張ってね。」
と言った。
何を頑張れば良いのだろう。
親に捨てられた子供は、何をどう頑張るのだろう。頑張ったら、どうなるのだろう。

僕には全く分からなかった。

母は児童養護施設に僕だけを残し、姉を連れてどこかに行ってしまった。
それ以来、母とも姉とも会っていない。



入社して一年半が経つ頃、会社に聞いた事のない市の職員から電話があった。
『扶養照会』と言われた。
なぜかすまなそうな声音で丁寧に説明してくれた職員の話では、姉と母は心身の不調のため通院しており働く事ができず
生活保護を申請したらしい。
姉の強い要望で、母と姉の住んでいる場所は知らされなかった。
「お姉さんが、あなたに会うのを拒否されていまして。出来ればお会いにならないで頂きたいのです。」
そう言う職員の方はまるで自分が悪い事をしているようにひどく恐縮していて、僕は思わず
「大丈夫です。会いに行ったりはしませんから。」
と安心させるように言った。
振り込み用の口座だけ、知らされた。
奨学金の返済と固定費を支払うと自由にできるお金は多くはなかったが、毎月少しでも良いと言われ、僕は遣り繰りしてわずかでもお金を入金した。そうすると少しだけでも、家族と繋がれたような気がした。毎月悠の所に行く事はできなくなったけれど、仕方がないと思った。

姉と母の心身が不調なのは僕のせいなのだろうか、と、そう考えると僕は苦しくなって、少しでも多くの金をその口座に振り込んだ。朝食と昼食を1日おきにして、夜ご飯は自炊をやめて半額になった弁当で済ませた。


朝起きるのが辛くなったのは、そんな頃からだった。スッキリと目覚められず、起きたら泣いている時もあった。夢を見ていないのに、悲しい夢を見た時のような気持ちが昼頃まで続いた。
だから、悠にうなされていたと言われた時は驚いた。

中学生の時はしょっちゅう悪夢を見た。
夜中にうなされて泣き叫ぶらしく、同室の子達にうるさいと嫌がられた。
だから夢を見なくなるまで、僕は独りで布団をしまう物置のようなところで寝かせられた。そこは電気がなくて真っ暗で、黴臭くて怖かった。だから、夢を見ないように、見ても声を上げないように、僕はタオルで口を塞いで寝た。
「もう夢を見ないです。」
そう言うと部屋に戻してもらえたけれど、またうるさかったと言われると布団部屋に行くように言われた。
何度かそれを繰り返して、僕は嘘つきだと言われるようになった。

僕はもう夢を見なくなっても、部屋に戻りたいと言わなかった。
高校を卒業して施設を出る時まで、僕はそこで寝た。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

くまさんのマッサージ♡

はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。 2024.03.06 閲覧、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。 2024.03.10 完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m 今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。 2024.03.19 https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy イベントページになります。 25日0時より開始です! ※補足 サークルスペースが確定いたしました。 一次創作2: え5 にて出展させていただいてます! 2024.10.28 11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。 2024.11.01 https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2 本日22時より、イベントが開催されます。 よろしければ遊びに来てください。

【クズ攻寡黙受】なにひとつ残らない

りつ
BL
恋人にもっとあからさまに求めてほしくて浮気を繰り返すクズ攻めと上手に想いを返せなかった受けの薄暗い小話です。「#別れ終わり最後最期バイバイさよならを使わずに別れを表現する」タグで書いたお話でした。少しだけ喘いでいるのでご注意ください。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

友人とその恋人の浮気現場に遭遇した話

蜂蜜
BL
主人公は浮気される受の『友人』です。 終始彼の視点で話が進みます。 浮気攻×健気受(ただし、何回浮気されても好きだから離れられないと言う種類の『健気』では ありません)→受の友人である主人公総受になります。 ※誰とも関係はほぼ進展しません。 ※pixivにて公開している物と同内容です。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

新たな生活

村人F
BL
いつも通りの日常をすごしているとふと 死にたくなった もういいか みんなと喋るのには演技しなきゃ好かれない 限界が来ちゃった…あはは 現在進行形の過去ありです!!(?) ※エブリスタの方が更新早いと思われます

食事届いたけど配達員のほうを食べました

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか? そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。

処理中です...