上 下
36 / 41

35 急転

しおりを挟む
「お休みのところすみません、藤咲さん」
「いや、構わない……こともない」
「本当にすみません」
「浦坂の目撃情報の追跡なら仕方ない。
 何なら、俺が直々にあいつを捕まえてやりたいぐらいだからな」
「浦坂を見つけても殺したりしないで下さいよ」
「約束はできない」
「はあ……」

腰に装着した拳銃をチラつかせる康介に、横井祐子が呆れたようにため息をつく。

祐子から応援の要請を受けて、康介は急遽出勤する羽目になった。
渋谷区にあるアパートにて浦坂が潜伏しているとのタレ込みがあったのだ。
すぐに確認に向かいたいところだが、署の刑事たちは祐子を除いて皆んな出払っていた。
捜査に出る際は基本的に二人一組で行動しなければならない。
その為、祐子は康介に応援を頼んだのだった。

「しかし、あちこちで目撃情報はあるが、なかなか核心は掴めてないんだよな」
「そうですね。そこに浦坂がいた形跡はあるんですけど……」
「捕まらないように、次々に拠点を変えてるのか」
「そうかも知れませんね」
「逃亡中の浦坂が一人でそんなマネが出来るだろうか」
「え?」
「協力者が居れば簡単に出来るかも知れないが」
「浦坂に協力者が居るんですか?」
「可能性の話だよ」
「でも、浦坂の逃亡に協力して何の得があるんですか? その協力者とやらは」
「さあな。本人に聞けば分かるだろうさ」
「…………」

康介の仮説に、祐子は納得のいってない顔をする。

「ところで、楓君はどうですか?」
「ああ、少しずつだが回復していってる。今日も自宅で安静に過ごしてるよ」
「そうですか。早く元気になると良いですね」
「そうだな。そう願うよ。本当に」

康介は携帯端末に映し出された楓の画像を愛しげに見つめる。
そんな彼を横目に見つつ、祐子は目的地へ向かって車を走らせた。



++++++++++++++++



(邪魔しちゃダメ、邪魔しちゃダメ。康介さんの仕事も、人生も)

何度も何度も同じ言葉を心の中で唱える。

(邪魔しちゃダメ。邪魔しちゃダメ。康介さんの幸せを)

何度唱えても、頭の中に横井祐子の顔が浮かぶ。その度に気分が沈む。
そんな自分に嫌悪する。
意識を逸らせる為に勉強に集中するようにしていたが、
しばらくすると再び脳裏に彼女の姿が浮かぶのだ。
康介の隣に立ち、腕を絡ませて歩く彼女の姿が。

──だからお前は邪魔なんだ──

「あ……」

──お前が居ると彼は幸せになれない──

「…………!」

──ねえ、死んで。康介さんの幸せの為に死んで──

『悪魔の声』が脳内に響く。横井祐子とよく似た声で、楓を内側から壊そうとする。

──あんたが生きてると迷惑なのよ。さっさと死んでよ──

──穢れた存在のくせに──

ボロボロと一気に涙があふれ出る。
でも今は、抱き締めて慰めてくれる存在がいない。
楓は一人で顔を押さえ、声を殺して泣き続けた。
しばらくそうしていると、不意に電話の音が鳴った。

「…………」

携帯端末を見ると、友人からの着信だった。
沈みかかっていた意識が引き上げられる。
涙と呼吸を整えて、楓は電話に出た。

『よお、楓。調子はどう?』
「あ、蒼真君。うん、大丈夫」
『ん? なんか声の感じがおかしくないか? 体調悪い?』
「ううん。そんなことないよ」
『そうか? だったら良いけど。あんまり焦って無理すんなよ』
「うん。ありがとう」
『それでさ、今からお前の家に授業のノート届けに行こうと思うんだけど、良いか?』
「うん。いつもありがとう。今日は早いんだね」
『ああ。なんか、また先生たちの都合で早めの切り上げになった』
「そうなんだ」
『じゃあ、3時ぐらいにそっちに着くと思うから。よろしく』
「分かった。待ってるね」

電話を切って一息つく。
蒼真の気軽な雰囲気が楓の心を幾分も楽にしてくれていた。
頬に残っていた涙を拭き取って、楓は立ち上がる。
蒼真が来たらお茶とお菓子を振る舞おうと思い、その準備に取り掛かった。
やがて約束の時間が近付いてきた頃、インターホンの音が鳴った。
蒼真が来たのだと思い、楓は笑顔で玄関を開けた。



++++++++++++++++



「楓の奴、大丈夫かな。なんか、泣いてるみたいな声だったけど」

電話口の向こうの様子を慮り、蒼真は心配そうに顔を曇らせる。
何があったのかは知らないがとにかく話をしたいと思い、楓の自宅マンションへ急いだ。

やがてマンションの入り口付近に辿り着く。
その時、蒼真は大きなダンボール箱を運ぶ配送業者の後ろ姿を見かけた。

(トラックとかは見当たらないけど、どこの業者だろう。大手の下請けとかかな)

配送業者の向かう先には白いワゴン車があるのみだった。
少し妙な感じを覚えたが、楓のことが心配だったのであまり気にしないことにした。



ピンポーン、ピンポーン……

何度かインターホンを鳴らしたが何の反応も無い。
電話をかけてみたが、やはり反応が無い。
こんなことは初めてだった。
楓は生真面目な性格で、約束を破ったり連絡を無視するようなことは絶対にしない。

(何かあったんじゃないだろうな)

蒼真の心に俄に不安がよぎる。
蒼真は、玄関を叩いて呼びかけた。

「楓、俺だよ。蒼真だよ。居るんだろ? 開けてくれよ」

しかし、やはり何の反応も返ってこない。

(まさか、部屋で倒れてるとか?)

心配を募らせて、蒼真はドアノブに手を掛けた。
ダメ元のつもりだったが、それはあっさりと開いた。

「えっ……⁉︎」

蒼真の目が驚愕によって見開かれる。
その表情が凍りつく。

「何だよ……何なんだよ、これ!!」

蒼真が見たものは、足元に散る花瓶の残骸と飛び散った血の痕だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

アルファとアルファの結婚準備

金剛@キット
BL
名家、鳥羽家の分家出身のアルファ十和(トワ)は、憧れのアルファ鳥羽家当主の冬騎(トウキ)に命令され… 十和は豊富な経験をいかし、結婚まじかの冬騎の息子、榛那(ハルナ)に男性オメガの抱き方を指導する。  😏ユルユル設定のオメガバースです。 

俺の親友のことが好きだったんじゃなかったのかよ

雨宮里玖
BL
《あらすじ》放課後、三倉は浅宮に呼び出された。浅宮は三倉の親友・有栖のことを訊ねてくる。三倉はまたこのパターンかとすぐに合点がいく。きっと浅宮も有栖のことが好きで、三倉から有栖の情報を聞き出そうとしているんだなと思い、浅宮の恋を応援すべく協力を申し出る。 浅宮は三倉に「協力して欲しい。だからデートの練習に付き合ってくれ」と言い——。 攻め:浅宮(16) 高校二年生。ビジュアル最強男。 どんな口実でもいいから三倉と一緒にいたいと思っている。 受け:三倉(16) 高校二年生。平凡。 自分じゃなくて俺の親友のことが好きなんだと勘違いしている。

僕の宿命の人は黒耳のもふもふ尻尾の狛犬でした!【完結】

華周夏
BL
かつての恋を彼は忘れている。運命は、あるのか。繋がった赤い糸。ほどけてしまった赤い糸。繋ぎ直した赤い糸。切れてしまった赤い糸──。その先は?糸ごと君を抱きしめればいい。宿命に翻弄される神の子と、眷属の恋物語【*マークはちょっとHです】

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

処理中です...