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27 不安の影④*

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「おい、勝手に寝てるんじゃねえぞ!」

苛立った声に合わせてお腹を蹴り上げられる。
殴られて気絶していたのに、蹴られて起こされた。

「邪魔なゴミが! テメェのせいで女に逃げられちまっただろうが!」

頬を打たれる。髪を掴まれて床に頭を叩きつけられる。何度も叩きつけられれる。

「何がごめんなさいだ! テメェが泣くから児相のクズどもに絡まれたんだろうが!」

またお腹を蹴られる。悲鳴も泣き声も出さないように必死に口を押さえる。

「あーあ、金をくれるっていうから引き取ってやったけど、あんな端金じゃなあ」

殴る手が止まった。煙の匂いがする。
その直後、腕に焼けるような痛みが押しつ付けられた。
思わず悲鳴を上げると、顔を殴られた。

「うるせえ! ゴミのくせに灰皿代わりにもならねえのかよ。
 本当、迷惑なガキだな。さっさと死んでくれねえかな」

また頭を持ち上げられて床に叩きつけられる。

「ほら、死ねよ。死ね死ね」

痛い。苦しい。
目を閉じると、母親と“康介さん”と3人で楽しく暮らしていた時の記憶が浮かぶ。
悲しくて涙があふれてきた。

もう、あの日々は帰ってこない。
ならば、ずっとこの優しい夢の中にいたい。
もう二度と、目を覚まさせないで。
どうか、どうか……



++++++++++++++++



「じゃあ、失礼します」
「ああ、わざわざすまなかったな」
「いいえ。休暇中の藤咲さんに会えて嬉しかったです」
「あー……そりゃどうも」

提出する書類に康介のサインが必要だったらしく、その為に横井祐子は康介の自宅を訪れた。
用事はすぐに終わり、軽く雑談してから祐子は帰っていった。
雑談の内容は、康介や楓の様子を気遣うものだった。

(横井は俺に気があるらしいから、それなら浦坂の協力者になるはずが無いよな)

康介は逃亡中の浦坂実の協力者が、同僚と刑事の中にいると考えている。
それが誰なのかはまだ掴めていない。
が、横井祐子からは疑いを外しても良いかと思っていた。

そうして祐子が帰った後、康介は楓の部屋を訪れた。

「楓……?」

見れば、楓はベッドの上で眠っていた。
体を丸めて膝を抱えて、胎児のような形で眠っていた。

(昨夜もよく眠れてなかったみたいだし、このままにしておくか)

そっとしておこうと思った矢先、康介は楓の目から涙が流れていることに気付く。
思わず駆け寄った。

「う……う……ごめんなさい。ごめんなさい……」

譫言で謝りながら泣いている。また、悪い夢に魘されているのに違いなかった。

「楓、起きろ。起きてくれ」

睡眠は取ってほしいが、悪夢に苦しめられるよりは起きて日常を過ごす方が良い。
康介は楓の肩を軽く揺さぶった。
やがて楓の目がゆっくりと開かれる。

「う……」
「あ、起きたか。ごめんな、寝てたのに起こしちゃって」
「あれ……夢……?」

ぼんやりとしている楓の目から、溜まっていた涙がこぼれ落ちる。
それを指先で掬い上げて、康介はわざとおどけた口調で話しかけた。

「どうしたどうした。怖い夢でも見てたか?」
「そうかも」
「じゃあ、今度からは怖くないように、俺が添い寝してやろうか」
「あはは、子供じゃないんだから」
「子供だろうが」

冗談みたいに言う康介に乗せられて、楓が少し笑う。
それを受けて、康介もホッとしたように笑い、ポンと楓の背中を優しく叩いた。

「えっと、お客さんは?」
「横井ならもう帰ったよ」
「ああ、そうなの」
「それはそうと、さっきコンビニに行った時にプリンも買ってきたんだ。
 どう? 一緒に食べない?」
「え? あ……うん。食べる」
「そっかそっか。じゃあ、用意しておく。ゆっくりで良いから、リビングにおいで」
「うん、ありがとう」

康介の気遣いを受け取って、楓は小さく微笑む。

──お前なんか、穢れた存在のくせに──

「──!」

例の声が楓を責め立てる。
「穢れた存在」という言葉が胸の奥の深いところに突き刺さった。






深夜。
大降りの雨音が部屋の中にまで伝わってくる。
読んでいた本を閉じて、康介は時計を見た。1時ぐらいだった。

(そろそろ俺も寝るか)

ソファから立ち上がり、楓の部屋に向かう。
寝る前に、楓の様子を確認しておきたかったのだ。
また悪夢に魘されているようなら起こしてやった方が良いだろう。
そう思って、先に就寝した楓の様子を何度か確認していた。
幸い、今までのところは静かに眠ってくれていた。

(今日はあまり良い日じゃなかったな。せめて眠りぐらいは穏やかであってほしいが)

今日のことを思い出す。
楓は朝から食欲が無く、殆ど食事を取れなかった。
そのせいで体も意識もふらふらとしていることが多かった。
心配して声をかけると「大丈夫」と言って笑う。
その笑顔が痛々しくて見ていられなかった。
例によって、ぼんやりと虚空を見つめる回数も多かった。
心配して声をかけると、やはり「何でもない」と言う。
笑顔を装えていなかった。

今日の唯一の救いは、康介が買ってきたプリンを「美味しい」と言って食べてくれたことぐらいだった。
あの笑顔は本物だった。そう信じている。

(俺に心配かけないようにとか、迷惑をかけないようにとか、
 そんなことを考えてるんだろうけど……
 俺としてはもっとこう、遠慮なく甘えてほしいんだよな)

いや、それは都合の良い話だろう。
これまで散々、楓が辛い時に傍に居てやれないことの方が多かったのだから。
仕事を言い訳にして。
だからいつしか楓は、何事も一人で抱え込むことが癖になっていた。

(俺も生き方を見直した方が良いのかもな)

そんなことを思いながら、楓の部屋の扉の前に立った。
音を立てないように慎重にドアノブを回す。
そっと扉を開けた瞬間、康介は思いもよらない光景を目の当たりにした。

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