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21 異変③

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「じゃあ、早ければ明日か明後日にでも退院できるんですね?」
「はい。しばらく自宅療養と通院を続けて頂いて、様子を見る方向で良いかと」

康介は医者から説明を受けていた。
楓の体が順調に回復していることを知らされ、心が浮き立つ。
ある程度歩けるようになったことで、退院の機運がも高まっていた。
少し前までは立つことにも苦労していたのに、心境の変化がもたらす効果は本当に大きい。

(やっぱり、あの友達が来てからだよな。目に見えて楓が前向きになったのは)

喜ばしいことだ。しかし、なぜだか胸の奥に悔しい気持ちが湧き上がる。

(いやいやいや! 何を考えてるんだ、俺は。
 とにかく楓が元気になってくれるのが一番良いに決まってるだろ!)

取り敢えず、楓の体が順調に回復している事実のみを喜んで受け入れることにした。
そうして、康介は事の次第を本人に伝えるべく、病院の庭園の方に赴く。
リハビリとして、今日は庭園を散歩していると聞いていたのだ。
一人で歩いて大丈夫なのか。無理して倒れたりしてないか。不安に思いつつ周辺を見回す。

「あ……」

緑にあふれる広い庭園の中、康介は遠目に楓の姿を確認した。
ひょこひょこと覚束ない足取りながら、懸命に前に進んでいる。
その隣には、昨日見た茶髪の少年──おそらく北條蒼真だろう──が立っていた。
二人はゆっくりと歩きながら、何やら楽しそうに話をしているようだった。

(学校でもあんな感じなのかなあ)

微笑ましくも寂しい気持ちで、康介は二人を眺め見る。

(良い感じに青春を楽しめてるのなら結構なことだ。
 友達が一緒なら楓も大丈夫だろう。しばらくそっとしておくか)

康介は、楓に声を掛けないまま庭園に背を向けた。
その時、携帯端末から電話の呼び出し音が鳴った。
木野井係長からの連絡で、昨日の取り調べの報告書に不備があるから署に戻れとのことだった。
昨日の取り調べで田城から聞いた話が頭を過ぎる。
それに被さるようにして、さっき見た楓の笑顔が思い出される。

(楓が安心して生きられるように、早く浦坂の奴を捕まえないとな)

気合を入れ直しつつ、康介は病院を後にした。

++++++++++++++++

「よし、一旦ここまで。良いのが描けた!」

手を止めて、蒼真は満足げに笑った。
そして、ベンチに腰掛ける楓の隣に座って、スケッチを描いたノートを見せる。

「わあ……やっぱり凄い。鉛筆でのラフ画なのに、すごく良い」
「だろ?」
「でも、僕が被写体になってるってのは、やっぱりちょっと恥ずかしいな」
「何でだよ。めちゃくちゃ良かったんだから。被写体として自信を持てよ」
「どういう自信なの、それ」

冗談めかして笑う。
それから、蒼真が改まった様子で口を開いた。

「俺、絵を描いててこんなに楽しい気持ちになったのは久しぶりだわ」
「前は楽しくなかったの?」
「何も考えずに描きたくて描いてた頃は楽しかった。
 けど、周りの大人たちがコンクールのことばかり言うようになってさ。
 だんだん何もかもが嫌になっちまったんだよ」
「そっか。辛かったんだね。でも、また描きたい気持ちになれて良かったね。
 僕も、蒼真くんの新しい絵が見れるの嬉しい」

楓が笑ってそう言うと、蒼真は急に真面目な顔つきになった。

「あのさ、楓。俺、この絵はラフ画で済まさないで、キャンバスに描いて
 ちゃんとした作品に仕上げる。俺の、再出発の証として」
「うん。頑張って」
「俺、これからも絵を描きたい」
「うん。僕も見たい」
「楓、これからも俺の絵のモデルになってくれ」
「えっ⁉︎」

突然の申し出に楓は目を見開いて驚いた。
冗談として笑って流してしまいたかったが、蒼真の顔は真剣そのものだった。

「頼む!」

蒼真は頭を下げてまで懇願した。
それを受けてた楓は、「逃げられない」と直感でそう思った。

「えーと、僕にできる範囲で良ければ」
「やった、ありがとう! これからもよろしくな!」

蒼真は、嬉しさのあまり両手で楓の手を取った。

「…………」
「…………」

向かい合い、互いの手を取り合う。
この状況を俯瞰的に意識した時、何となく気恥ずかしい気分になった。
それは楓も蒼真も同じだったらしい。
何秒か見つめ合った後、同時にパッと手を離す。

「なんか、愛の告白みたいになっちまったな」
「あはは、何それ。変なの」

気恥ずかしさを誤魔化して冗談っぽく笑い合う。
それから、おかしな空気を振り払うように、蒼真が勢いよく立ち上がった。

「俺、ちょっと飲み物でも買ってくる。楓の分も買ってきてやるよ。何が良い?」
「えーと、それじゃあリンゴジュースお願いして良い?」
「分かった。すぐに戻ってくるから、待ってて」

そう言って蒼真は売店のある方へ駆け出していった。
彼の背中が遠ざかるのを見つめながら、楓は小さく息をつく。
乾いた風が樫の木を揺らして、葉っぱの擦れる音が鳴る。

「──⁉︎」

その時、楓は背後にゾクリとした違和感を覚えた。

思わず振り返った瞬間、楓は驚きと恐怖で声を失った。

「えっ……⁉︎」
「なんてことだ」

低くおどろおどろしい声が楓の耳に響く。
大柄な体、角ばった輪郭、恨みで吊り上がった目──そこに立っていたのは、白衣を纏った浦坂実だった。

「本当に生きていたのか……!」

浦坂は信じられないものを見るような顔で、楓を見下ろす。

「あ……あ……」

拉致されて、殴る蹴るの暴行を加えられた記憶が甦る。
恐怖に囚われた楓は、大きく目を見開いてただただ浦坂を見つめた。
声も出せずにその場でカタカタと震えだす。
緊張で鼓動が激しくなる。息もできない。
ジャリ、と音を立てて浦坂が近付いてくる。

(逃げなきゃ、逃げなきゃ……)

その意志はあったが体が言うことを聞かない。
焦って立ち上がろうとしたが、その場に崩れ落ちてしまう。
更に浦坂は迫ってくる。
楓は地を這いながら必死で逃げようとした。
しかし、思うように動かないその体はあっさりと浦坂に取り押さえられてしまった。

「ひっ……!」

忙しない呼吸の中で悲鳴を上げることも叶わない。
浦坂は捕らえた楓を仰向けにさせて、その上にのしかかった。
そして、伸ばした両手で楓の喉を押さえつける。
強い力で首を絞められて、楓は顔を恐怖に引き攣らせたまま呻いた。
喉にかけられる圧迫が強くなるのに合わせて、視界がぼやけてゆく。
薄れゆく意識の中、楓は眼前の浦坂が苦しそうに顔を歪めているのを見た。

「すまんなあ。君に恨みは無かったんだ。
 だが、俺は何としてでも翔太の仇を取らなければならないんだ!」
「あ……」

恨みに満ちた浦坂の言葉を聞いた時、楓の頭の中で何かが弾けた。
その直後、喉により強い力が込められて、楓は一気に意識を失った。
遠くから誰かの声が聞こえたような気がしたが、もはやどうにもならなかった。
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