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19 異変①
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病院内にあるリハビリテーション室。
平行棒に掴まりながら、ゆっくりと足を前に進める。
足を動かすたびに、体のあちこちが痛みを訴える。
ただ歩くということさえ思うようにできなくて、情けない思いを募らせる。
少し歩いてふらついては平行棒に寄り掛かる。
それを何度も繰り返す。
「…………」
どれぐらいそうやっていたのだろうか。
大した距離を歩いたわけではないが、すっかり息が上がっていた。
事件から一週間が経ったらしいが、この一週間で信じられないぐらいに体力が落ちてしまったらしい。
(あ、やばい)
その体力が限界を超えたのか、楓は体に力が入らなくなった。
その場で膝を折る。
床に手をついて体を支えながら、荒い呼吸を整える。
胸元にかかるアメジストのペンダントを強く握り締めて、息苦しい思いに耐えた。
やがて呼吸が落ち着いてきたので、ゆっくりと立ちあがろうとする。
その時、ぐらりと頭が揺れたかと思うと、視界に黒い靄がかかった。
「あ……」
立ち上がろうとした体がその場に崩れ落ちる。
次に来る衝撃に備えて、楓はぎゅっと目を瞑った。
「…………」
崩れ落ちた体が床にぶつかる衝撃は襲ってこなかった。
その代わりに、温かい何かに包まれているようだった。
不思議に思って目を開けた楓の視界には、心配そうに覗き込む康介の顔が映し出された。
楓は、その体が床に叩きつけられる直前、タイミングよく駆けつけた康介によって抱き支えられたのだった。
「楓、大丈夫か?」
「うん」
「何があったんだ?」
「歩く練習をしてたんだけど、途中で体が動かなくなって」
「ああ……根詰めて頑張りすぎたんだな」
状況を理解して、康介はよしよしと楓の頭を軽く撫でた。
「少し休憩しよう。立てるか?」
「うん。あ……」
楓は何とか立ち上がろうと試みたが、やはりまだ体に力が入らないようだった。
すかさず康介が肩を貸す形で楓の体を支えた。
「さあ、椅子のところまでもう少しだけ頑張ろうな」
「うん」
康介に支えられながら、何とか楓は休憩スペースに辿り着いた。
そこにある長椅子に座り、ほっと息をつく。
「ありがとう、康介さん」
「ああ。怪我が悪化したとかじゃなくて良かったよ」
楓の見舞いにきた康介だったが、病室はもぬけの殻だった。
焦って看護師に確認すると、リハビリテーション室に居るとのことだった。
急ぎ足でそこに行くと、平行棒に掴まって必死に立つ楓の姿があった。
が、突如その体がバランスを崩して床に崩れ落ちようとした。
康介は慌てて駆け寄り、手を伸ばした。
その結果、楓の体が床に打ちつけられる直前に抱き支えることが出来た。
偶然だったが、良いタイミングで駆け付けることが出来て良かった。
「まだ頑張るつもりか?」
「うん。早く普通に過ごせるようになりたいから」
「前向きなのは良いことだが、焦るなよ。無理をしたら元も子もないんだから」
「うん。心配してくれてありがとう」
康介に向かって、楓が感謝を込めて微笑んだ。
その笑顔は康介の心を温かくする。
「そうだ。昨夜はどうだった? ちゃんと眠れたか?
怖い夢を見て夜中に起きたりしなかったか?」
「……うん、大丈夫」
「今、ちょっと間が無かったか?」
「え? そ、そうかな」
「あのな、楓。俺を安心させようと思って嘘をついても、すぐにバレるんだぞ。
なんせ、俺は刑事なんだからな。嘘を見抜くのは得意中の大得意だ」
「う….…」
「で、どうなんだ?」
「夜中に目が覚めたり、不安になったりすることはある。でも、これがあるから」
そう言って、楓は首にかけたアメジストのペンダントを手に取る。
「これを握り締めたら気分が楽になるから。だから、大丈夫」
大切な宝物を扱うようにアメジストを握り、にっこりと笑った。
その笑顔に嘘はないと判断し、康介は納得した。
「そうか。分かった。けどな、辛かったらちゃんと言うんだぞ。どんな些細なことでも良いから」
「うん。ありがとう」
「さてと、それじゃあリハビリの続きといくか」
「うん」
「と、言いたいところだが、まずは昼飯だ」
「え?」
「まずは食べて体力を回復させる。リハビリの続きはそれからだ。良いな」
「分かった」
「よーし、良い子だな。しっかり食べるんだぞ」
楓が素直に首を縦に振ったので、康介は満足そうに笑う。
そして、楓の背中をポンと優しく叩いた。
「…………」
その時、楓の顔から表情が消えた。
見開かれた目は焦点が合っておらず、虚空を見つめているようだった。
「楓、どうした?」
「え? あ、ごめん。ぼうっとしてた」
軽く肩を揺さぶると、楓はすぐに元に戻った。
「本当に大丈夫か? どこか具合が悪いならちゃんと言えよ。ここは病院なんだから」
「大丈夫。ちょっと疲れただけだから。さ、ご飯食べに行こ」
何でもないように笑い、楓は勢いよく立ち上がる。
が、すぐに足元から力が抜けて、その場に崩れ落ちそうになった。
咄嗟に康介が手を伸ばし楓の体を支える。
そしてそのまま、さっきと同じように肩を貸すポーズを取った。
「じゃあ、行くか」
「うん。ごめん」
「謝らなくて良いって」
こうして、二人は食堂へ向かった。
病室を出て食堂で食事ができるようになった楓の回復ぶりを、康介は心から喜んだ。
しかし、気掛かりなこともあった。
先ほどのように、楓は時折、表情を無くしてぼんやりしていることがある。
気になって声を掛けるとすぐに元の顔に戻り、「何でもない」と言うのだ。
昨日あたりから、その様子が顕著に見られるような気がする。
(明日も同じようなことがあったら……そろそろ問い詰めてみるか)
何となく、この件は慎重に扱わなければならないような気がした。
平行棒に掴まりながら、ゆっくりと足を前に進める。
足を動かすたびに、体のあちこちが痛みを訴える。
ただ歩くということさえ思うようにできなくて、情けない思いを募らせる。
少し歩いてふらついては平行棒に寄り掛かる。
それを何度も繰り返す。
「…………」
どれぐらいそうやっていたのだろうか。
大した距離を歩いたわけではないが、すっかり息が上がっていた。
事件から一週間が経ったらしいが、この一週間で信じられないぐらいに体力が落ちてしまったらしい。
(あ、やばい)
その体力が限界を超えたのか、楓は体に力が入らなくなった。
その場で膝を折る。
床に手をついて体を支えながら、荒い呼吸を整える。
胸元にかかるアメジストのペンダントを強く握り締めて、息苦しい思いに耐えた。
やがて呼吸が落ち着いてきたので、ゆっくりと立ちあがろうとする。
その時、ぐらりと頭が揺れたかと思うと、視界に黒い靄がかかった。
「あ……」
立ち上がろうとした体がその場に崩れ落ちる。
次に来る衝撃に備えて、楓はぎゅっと目を瞑った。
「…………」
崩れ落ちた体が床にぶつかる衝撃は襲ってこなかった。
その代わりに、温かい何かに包まれているようだった。
不思議に思って目を開けた楓の視界には、心配そうに覗き込む康介の顔が映し出された。
楓は、その体が床に叩きつけられる直前、タイミングよく駆けつけた康介によって抱き支えられたのだった。
「楓、大丈夫か?」
「うん」
「何があったんだ?」
「歩く練習をしてたんだけど、途中で体が動かなくなって」
「ああ……根詰めて頑張りすぎたんだな」
状況を理解して、康介はよしよしと楓の頭を軽く撫でた。
「少し休憩しよう。立てるか?」
「うん。あ……」
楓は何とか立ち上がろうと試みたが、やはりまだ体に力が入らないようだった。
すかさず康介が肩を貸す形で楓の体を支えた。
「さあ、椅子のところまでもう少しだけ頑張ろうな」
「うん」
康介に支えられながら、何とか楓は休憩スペースに辿り着いた。
そこにある長椅子に座り、ほっと息をつく。
「ありがとう、康介さん」
「ああ。怪我が悪化したとかじゃなくて良かったよ」
楓の見舞いにきた康介だったが、病室はもぬけの殻だった。
焦って看護師に確認すると、リハビリテーション室に居るとのことだった。
急ぎ足でそこに行くと、平行棒に掴まって必死に立つ楓の姿があった。
が、突如その体がバランスを崩して床に崩れ落ちようとした。
康介は慌てて駆け寄り、手を伸ばした。
その結果、楓の体が床に打ちつけられる直前に抱き支えることが出来た。
偶然だったが、良いタイミングで駆け付けることが出来て良かった。
「まだ頑張るつもりか?」
「うん。早く普通に過ごせるようになりたいから」
「前向きなのは良いことだが、焦るなよ。無理をしたら元も子もないんだから」
「うん。心配してくれてありがとう」
康介に向かって、楓が感謝を込めて微笑んだ。
その笑顔は康介の心を温かくする。
「そうだ。昨夜はどうだった? ちゃんと眠れたか?
怖い夢を見て夜中に起きたりしなかったか?」
「……うん、大丈夫」
「今、ちょっと間が無かったか?」
「え? そ、そうかな」
「あのな、楓。俺を安心させようと思って嘘をついても、すぐにバレるんだぞ。
なんせ、俺は刑事なんだからな。嘘を見抜くのは得意中の大得意だ」
「う….…」
「で、どうなんだ?」
「夜中に目が覚めたり、不安になったりすることはある。でも、これがあるから」
そう言って、楓は首にかけたアメジストのペンダントを手に取る。
「これを握り締めたら気分が楽になるから。だから、大丈夫」
大切な宝物を扱うようにアメジストを握り、にっこりと笑った。
その笑顔に嘘はないと判断し、康介は納得した。
「そうか。分かった。けどな、辛かったらちゃんと言うんだぞ。どんな些細なことでも良いから」
「うん。ありがとう」
「さてと、それじゃあリハビリの続きといくか」
「うん」
「と、言いたいところだが、まずは昼飯だ」
「え?」
「まずは食べて体力を回復させる。リハビリの続きはそれからだ。良いな」
「分かった」
「よーし、良い子だな。しっかり食べるんだぞ」
楓が素直に首を縦に振ったので、康介は満足そうに笑う。
そして、楓の背中をポンと優しく叩いた。
「…………」
その時、楓の顔から表情が消えた。
見開かれた目は焦点が合っておらず、虚空を見つめているようだった。
「楓、どうした?」
「え? あ、ごめん。ぼうっとしてた」
軽く肩を揺さぶると、楓はすぐに元に戻った。
「本当に大丈夫か? どこか具合が悪いならちゃんと言えよ。ここは病院なんだから」
「大丈夫。ちょっと疲れただけだから。さ、ご飯食べに行こ」
何でもないように笑い、楓は勢いよく立ち上がる。
が、すぐに足元から力が抜けて、その場に崩れ落ちそうになった。
咄嗟に康介が手を伸ばし楓の体を支える。
そしてそのまま、さっきと同じように肩を貸すポーズを取った。
「じゃあ、行くか」
「うん。ごめん」
「謝らなくて良いって」
こうして、二人は食堂へ向かった。
病室を出て食堂で食事ができるようになった楓の回復ぶりを、康介は心から喜んだ。
しかし、気掛かりなこともあった。
先ほどのように、楓は時折、表情を無くしてぼんやりしていることがある。
気になって声を掛けるとすぐに元の顔に戻り、「何でもない」と言うのだ。
昨日あたりから、その様子が顕著に見られるような気がする。
(明日も同じようなことがあったら……そろそろ問い詰めてみるか)
何となく、この件は慎重に扱わなければならないような気がした。
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