上 下
18 / 41

17 それぞれの願い②

しおりを挟む
青い空に向かって薄い煙が立ち上り、空気に紛れて消えてゆく。
警察署の屋上にあるフリースペースにて、康介は煙草をふかしていた。
楓と一緒に暮らすようになってからは殆ど吸わなくなった煙草を、既に1箱は消費していた。
昼下がりの時。
本来なら、楓を見舞う為に病院に行ってる時間だった。
だが、今はどうしても行く気になれなかった。

「…………」

田城から聞かされた言葉がずっと耳に残っている。

『もう殺してくれってお願いされちゃったんだよね』

楓が受けた仕打ちは、自ら死を乞うほどに惨いものだった。
そして、その願いは叶えられた。
しかし、康介が無理やり引き戻した。

(俺がやったことは間違っていたのか? あのまま死んでいた方が楓には良かったのか?)
(いや、そんなことはない。そんなこと……あってはならない)
(楓が『殺してくれ』と言ったのは、苦しみから逃れたかっただけだ。
 本当に死にたかったわけじゃない。でも……)

やり切れない思いがぐるぐると胸の内で渦を巻く。
もう何本目かも分からない煙草に火をつける。
その時、不意に背後から声を掛けられた。

「煙草なんて珍しいな。藤咲」
「係長!」

木野井係長がそこに立っていた。
ぱっと見は人の良さそうなおじさんといった顔をしているが、刑事としての洞察力は確かなものがある。

「ちょっと吸い過ぎなんじゃないか」
「なかなか気分が晴れなくて」
「まあ、あんな話を聞かされたらな」

木野井係長は康介の隣に立ち、同じく煙草を咥える。

「病院は? 楓くんの見舞いに行かなくて良いのか?」
「今は行けないです。どんな顔して楓に会えば良いのか分からなくなりました」
「……ふむ」
「ある程度は分かっていたことですが、当事者による生々しい証言は正直きついです」
「そうだな」
「楓が見せられた地獄は、俺が想像していたものよりずっと残酷だった。
 軽々しく励ましの言葉なんか掛けられない」
「そうかもな」

手すりにもたれて康介は俯いた。
しばらくそのまま沈黙する。
そうして、ふと木野井係長が切り出した。

「しかし、驚いたよ。楓くんはお前の養子だったんだな」
「え? あ、はい。昔、俺が愛した女性の息子なんです」
「なるほど、亡くなった奥さんの連れ子だったのか」
「まあ……そんなところです」
「血の繋がってない息子をあんなに愛することが出来るなんて、凄いじゃないか。
 なかなか出来ることじゃないぞ」
「楓とは、あいつが幼い頃からずっと一緒に暮らしてますから。
 それに、俺はずっと本当の家族だと思ってます」
「そうか。その愛情は本物だな。
 実の子でも虐待したり殺したりする親が居る世の中だが……
 藤咲、お前は大したもんだよ。立派な父親だ」
「…………」

木野井係長からお褒めの言葉を頂いて、康介は照れを隠すように顔を背ける。
その目の奥には、複雑な感情が蠢いていた。

「田城の話を聞かされてお前がショックを受けるのは分かる。
 だが、見舞いには行ってやれ。何事もなかった顔をしてな」
「はい。分かってます。でも……」
「でも?」
「やっぱり考えてしまうんです。
 俺のやったことは、俺のエゴでしかなかったんじゃないかって」
「ふむ」
「結局は楓を苦しめてるだけなんじゃないかって」

俯いて苦悩する声は、若干の震えを帯びていた。
そんな康介の隣で、木野井係長が煙草の煙を吐き出す。

「エゴか……別に良いじゃないか。それで」
「え?」
「エゴだろうが何だろうが、お前は楓くんに生きていてほしかった。ただそれだけだろう?」
「はい」
「じゃあ、それで良いじゃないか。他に何の言い訳がいる?」
「…………」
「それにな、田城がお前に最初に言ったことを覚えてるか?」
「えーと、何ですか?」
「浦坂たちに捕まっている間、楓くんがずっとお前の名前を呼んでいたって」
「ああ……」
「助けを求めていたんだろう。他の誰でもない、お前にな」
「…………」
「そしてお前は見事に彼の命を救った。良かったんだよ、これで。
 もちろん、これから先苦しいこともあるだろうが……
 お前が傍に付いてやっていれば何とかなるだろう」
「…………」

木野井係長の言葉を受けて、康介は俯かせていた顔を上げる。

「分かったらさっさと病院に行ってやれ。
 体も心もボロボロにされた息子さんを、いつまでも一人にしてやるな」
「……はい!」

木野井係長に背中を押されて、康介は力強く頷いた。
その目には、確かな光が宿っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

アルファとアルファの結婚準備

金剛@キット
BL
名家、鳥羽家の分家出身のアルファ十和(トワ)は、憧れのアルファ鳥羽家当主の冬騎(トウキ)に命令され… 十和は豊富な経験をいかし、結婚まじかの冬騎の息子、榛那(ハルナ)に男性オメガの抱き方を指導する。  😏ユルユル設定のオメガバースです。 

俺の親友のことが好きだったんじゃなかったのかよ

雨宮里玖
BL
《あらすじ》放課後、三倉は浅宮に呼び出された。浅宮は三倉の親友・有栖のことを訊ねてくる。三倉はまたこのパターンかとすぐに合点がいく。きっと浅宮も有栖のことが好きで、三倉から有栖の情報を聞き出そうとしているんだなと思い、浅宮の恋を応援すべく協力を申し出る。 浅宮は三倉に「協力して欲しい。だからデートの練習に付き合ってくれ」と言い——。 攻め:浅宮(16) 高校二年生。ビジュアル最強男。 どんな口実でもいいから三倉と一緒にいたいと思っている。 受け:三倉(16) 高校二年生。平凡。 自分じゃなくて俺の親友のことが好きなんだと勘違いしている。

僕の宿命の人は黒耳のもふもふ尻尾の狛犬でした!【完結】

華周夏
BL
かつての恋を彼は忘れている。運命は、あるのか。繋がった赤い糸。ほどけてしまった赤い糸。繋ぎ直した赤い糸。切れてしまった赤い糸──。その先は?糸ごと君を抱きしめればいい。宿命に翻弄される神の子と、眷属の恋物語【*マークはちょっとHです】

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

処理中です...