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17 それぞれの願い②
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青い空に向かって薄い煙が立ち上り、空気に紛れて消えてゆく。
警察署の屋上にあるフリースペースにて、康介は煙草をふかしていた。
楓と一緒に暮らすようになってからは殆ど吸わなくなった煙草を、既に1箱は消費していた。
昼下がりの時。
本来なら、楓を見舞う為に病院に行ってる時間だった。
だが、今はどうしても行く気になれなかった。
「…………」
田城から聞かされた言葉がずっと耳に残っている。
『もう殺してくれってお願いされちゃったんだよね』
楓が受けた仕打ちは、自ら死を乞うほどに惨いものだった。
そして、その願いは叶えられた。
しかし、康介が無理やり引き戻した。
(俺がやったことは間違っていたのか? あのまま死んでいた方が楓には良かったのか?)
(いや、そんなことはない。そんなこと……あってはならない)
(楓が『殺してくれ』と言ったのは、苦しみから逃れたかっただけだ。
本当に死にたかったわけじゃない。でも……)
やり切れない思いがぐるぐると胸の内で渦を巻く。
もう何本目かも分からない煙草に火をつける。
その時、不意に背後から声を掛けられた。
「煙草なんて珍しいな。藤咲」
「係長!」
木野井係長がそこに立っていた。
ぱっと見は人の良さそうなおじさんといった顔をしているが、刑事としての洞察力は確かなものがある。
「ちょっと吸い過ぎなんじゃないか」
「なかなか気分が晴れなくて」
「まあ、あんな話を聞かされたらな」
木野井係長は康介の隣に立ち、同じく煙草を咥える。
「病院は? 楓くんの見舞いに行かなくて良いのか?」
「今は行けないです。どんな顔して楓に会えば良いのか分からなくなりました」
「……ふむ」
「ある程度は分かっていたことですが、当事者による生々しい証言は正直きついです」
「そうだな」
「楓が見せられた地獄は、俺が想像していたものよりずっと残酷だった。
軽々しく励ましの言葉なんか掛けられない」
「そうかもな」
手すりにもたれて康介は俯いた。
しばらくそのまま沈黙する。
そうして、ふと木野井係長が切り出した。
「しかし、驚いたよ。楓くんはお前の養子だったんだな」
「え? あ、はい。昔、俺が愛した女性の息子なんです」
「なるほど、亡くなった奥さんの連れ子だったのか」
「まあ……そんなところです」
「血の繋がってない息子をあんなに愛することが出来るなんて、凄いじゃないか。
なかなか出来ることじゃないぞ」
「楓とは、あいつが幼い頃からずっと一緒に暮らしてますから。
それに、俺はずっと本当の家族だと思ってます」
「そうか。その愛情は本物だな。
実の子でも虐待したり殺したりする親が居る世の中だが……
藤咲、お前は大したもんだよ。立派な父親だ」
「…………」
木野井係長からお褒めの言葉を頂いて、康介は照れを隠すように顔を背ける。
その目の奥には、複雑な感情が蠢いていた。
「田城の話を聞かされてお前がショックを受けるのは分かる。
だが、見舞いには行ってやれ。何事もなかった顔をしてな」
「はい。分かってます。でも……」
「でも?」
「やっぱり考えてしまうんです。
俺のやったことは、俺のエゴでしかなかったんじゃないかって」
「ふむ」
「結局は楓を苦しめてるだけなんじゃないかって」
俯いて苦悩する声は、若干の震えを帯びていた。
そんな康介の隣で、木野井係長が煙草の煙を吐き出す。
「エゴか……別に良いじゃないか。それで」
「え?」
「エゴだろうが何だろうが、お前は楓くんに生きていてほしかった。ただそれだけだろう?」
「はい」
「じゃあ、それで良いじゃないか。他に何の言い訳がいる?」
「…………」
「それにな、田城がお前に最初に言ったことを覚えてるか?」
「えーと、何ですか?」
「浦坂たちに捕まっている間、楓くんがずっとお前の名前を呼んでいたって」
「ああ……」
「助けを求めていたんだろう。他の誰でもない、お前にな」
「…………」
「そしてお前は見事に彼の命を救った。良かったんだよ、これで。
もちろん、これから先苦しいこともあるだろうが……
お前が傍に付いてやっていれば何とかなるだろう」
「…………」
木野井係長の言葉を受けて、康介は俯かせていた顔を上げる。
「分かったらさっさと病院に行ってやれ。
体も心もボロボロにされた息子さんを、いつまでも一人にしてやるな」
「……はい!」
木野井係長に背中を押されて、康介は力強く頷いた。
その目には、確かな光が宿っていた。
警察署の屋上にあるフリースペースにて、康介は煙草をふかしていた。
楓と一緒に暮らすようになってからは殆ど吸わなくなった煙草を、既に1箱は消費していた。
昼下がりの時。
本来なら、楓を見舞う為に病院に行ってる時間だった。
だが、今はどうしても行く気になれなかった。
「…………」
田城から聞かされた言葉がずっと耳に残っている。
『もう殺してくれってお願いされちゃったんだよね』
楓が受けた仕打ちは、自ら死を乞うほどに惨いものだった。
そして、その願いは叶えられた。
しかし、康介が無理やり引き戻した。
(俺がやったことは間違っていたのか? あのまま死んでいた方が楓には良かったのか?)
(いや、そんなことはない。そんなこと……あってはならない)
(楓が『殺してくれ』と言ったのは、苦しみから逃れたかっただけだ。
本当に死にたかったわけじゃない。でも……)
やり切れない思いがぐるぐると胸の内で渦を巻く。
もう何本目かも分からない煙草に火をつける。
その時、不意に背後から声を掛けられた。
「煙草なんて珍しいな。藤咲」
「係長!」
木野井係長がそこに立っていた。
ぱっと見は人の良さそうなおじさんといった顔をしているが、刑事としての洞察力は確かなものがある。
「ちょっと吸い過ぎなんじゃないか」
「なかなか気分が晴れなくて」
「まあ、あんな話を聞かされたらな」
木野井係長は康介の隣に立ち、同じく煙草を咥える。
「病院は? 楓くんの見舞いに行かなくて良いのか?」
「今は行けないです。どんな顔して楓に会えば良いのか分からなくなりました」
「……ふむ」
「ある程度は分かっていたことですが、当事者による生々しい証言は正直きついです」
「そうだな」
「楓が見せられた地獄は、俺が想像していたものよりずっと残酷だった。
軽々しく励ましの言葉なんか掛けられない」
「そうかもな」
手すりにもたれて康介は俯いた。
しばらくそのまま沈黙する。
そうして、ふと木野井係長が切り出した。
「しかし、驚いたよ。楓くんはお前の養子だったんだな」
「え? あ、はい。昔、俺が愛した女性の息子なんです」
「なるほど、亡くなった奥さんの連れ子だったのか」
「まあ……そんなところです」
「血の繋がってない息子をあんなに愛することが出来るなんて、凄いじゃないか。
なかなか出来ることじゃないぞ」
「楓とは、あいつが幼い頃からずっと一緒に暮らしてますから。
それに、俺はずっと本当の家族だと思ってます」
「そうか。その愛情は本物だな。
実の子でも虐待したり殺したりする親が居る世の中だが……
藤咲、お前は大したもんだよ。立派な父親だ」
「…………」
木野井係長からお褒めの言葉を頂いて、康介は照れを隠すように顔を背ける。
その目の奥には、複雑な感情が蠢いていた。
「田城の話を聞かされてお前がショックを受けるのは分かる。
だが、見舞いには行ってやれ。何事もなかった顔をしてな」
「はい。分かってます。でも……」
「でも?」
「やっぱり考えてしまうんです。
俺のやったことは、俺のエゴでしかなかったんじゃないかって」
「ふむ」
「結局は楓を苦しめてるだけなんじゃないかって」
俯いて苦悩する声は、若干の震えを帯びていた。
そんな康介の隣で、木野井係長が煙草の煙を吐き出す。
「エゴか……別に良いじゃないか。それで」
「え?」
「エゴだろうが何だろうが、お前は楓くんに生きていてほしかった。ただそれだけだろう?」
「はい」
「じゃあ、それで良いじゃないか。他に何の言い訳がいる?」
「…………」
「それにな、田城がお前に最初に言ったことを覚えてるか?」
「えーと、何ですか?」
「浦坂たちに捕まっている間、楓くんがずっとお前の名前を呼んでいたって」
「ああ……」
「助けを求めていたんだろう。他の誰でもない、お前にな」
「…………」
「そしてお前は見事に彼の命を救った。良かったんだよ、これで。
もちろん、これから先苦しいこともあるだろうが……
お前が傍に付いてやっていれば何とかなるだろう」
「…………」
木野井係長の言葉を受けて、康介は俯かせていた顔を上げる。
「分かったらさっさと病院に行ってやれ。
体も心もボロボロにされた息子さんを、いつまでも一人にしてやるな」
「……はい!」
木野井係長に背中を押されて、康介は力強く頷いた。
その目には、確かな光が宿っていた。
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