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16 それぞれの願い①*

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その日は2日振りの秋晴れだった。
青く澄んだ空とは裏腹に、康介の内心はどんよりと曇っていた。
原因はもちろん、昨夜の出来事だ。
事件についての報告のために自宅を訪れた横井祐子が、帰り際に突然、康介にキスをした。
思いもよらないことだったので、康介としては驚くばかりだった。

女性から言い寄られることを避けるために、康介は普段から左手薬指に指輪を付けていたし、雑談では息子への愛情を大袈裟なぐらいに語っていた。はずだった。

(まさか横井があんなアプローチをしてくるとはな。俺も油断してた)

祐子は康介より10歳も年下なので、恋愛対象にはならないと踏んでいた。甘かった。
今日も警察署で顔を合わせるのだが、正直気不味い。

(いや、こんなとで悩んでいる場合じゃないんだ、俺は)

昨日までの雨ですっかり冷たくなった空気を肌に受けながら、康介は警察署へ足を運んだ。



「おはようございます」
「あ、おはよう」

意外にも祐子は平然とした顔で康介に挨拶をしてきた。

「昨日はどうも」
「いや……」
「突然すみませんでした」
「ああ、びっくりした」
「でも私、本気ですから」
「え?」
「今すぐに返事はして頂かなくて大丈夫です。藤咲さん、今は大変な時でしょうから」
「ああ。でも……」
「例の事件が落ち着いたら、答えをお伺いします。
 それまでは、お互い事件のことに集中しましょう。刑事として」

そう言って祐子は立ち去っていった。
思いを伝え損ねた康介は小さくため息をつく。

(まあ、当面は捜査に集中する方向でいくか。あくまで同僚として)

気持ちを切り替えて、康介は自分が行くべき方へ向かうことにした。

取調室。
薄暗く、どことなく息苦しい雰囲気のその部屋の前で一旦目を閉じる。
再び目を開けた時、康介の顔は厳しい刑事としてのそれになっていた。
ガチャリ、とやや強めに音を立てて入室する。
そこには、昨日逮捕した田城昌司が待っていた。

浅黒い肌、短く刈った髪が真っ先に目につく。
ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべているが、その目は好戦的な鋭い光を帯びていた。
そこそこガタイが良いので、暴力沙汰で捕まるぐらいには腕力が強いのだろう。

田城昌志たじょうしょうじだな」

田城の向かい側に座り、康介は相手を睨みつける。
本来なら康介は捜査から外されていたのだが、田城の方が「どうしても藤咲刑事と話がしたい」と言うので、特別に担当することになった。

「刑事の藤咲だ。これより、取り調べを行う」

楓を拉致して暴行した浦坂実の共犯者・田城昌司。
従犯とはいえ、楓を酷く傷付けたことには変わらない。
その場で殴りつけてやりたい衝動を堪えて、康介は田城を強く睨みつけた。

「へえ。藤咲刑事ってことは、あんたが“コウスケさん”か」
「いきなり何だ? 気安く俺の名前を呼ばないでくれないか」

不快感を露わにする康介に対して、田城はニヤニヤと厭らしく嗤う。

「そうかそうか。こんな奴だったのか」
「何なんだ?」
「いやあ、あのガキがさ、ずっと“コウスケさん”って譫言みたいに呼んでたからさ。
 一体どんな奴なんだろうって気になってたんだよね」
「…………!」

田城の言葉の意味を理解して、康介はその目に怒りを湛える。

「おー、怖い怖い。やっぱり怒ってる?」
「当たり前だろうが。怒ってるだなんて軽い言葉で済ませられるものじゃない!」
「まあまあ、俺は浦坂をちょっと手伝っただけだからさ。そんなに怒るなよ」

相手の感情を逆撫でするように田城は笑う。
怒りで震える手を抑えながら、康介は尚も取り調べを続けた。

「手伝ったというのは、具体的にどんなことだ?」
「獲物を車に乗せて運んだり、ドアの前で見張り番をやったり。
 ああ、梱包作業もやったな。人間の死体を箱に詰めるのって一人じゃ大変だもんな」
「じゃあ、直接危害を加えたのは浦坂だったんだな?」
「殴る蹴るの方はな。でも、お楽しみの方には俺も参加させてもらったけど」
「お楽しみだと?」
「そう、お楽しみ。分かるだろ? へへへ……」

田城の下卑た笑みが康介をますます不快にさせる。

「それにしても浦坂の奴、本当にイカれてるよなあ。
 自分の人生を壊された復讐だとか言って、獲物を嬲り殺しにするんだもんよ。
 普通に殺すだけでもエグいってのに。
 しかも、復讐の手段として本人じゃなくてそいつの子供を狙うってのがキツいよな。
 ま、金とクスリに釣られて手伝っちまう俺もイカれてるけどな!」

言葉の内容とは裏腹に、田城は口を開けて陽気に笑う。

「獲物を嬲り殺しにすることが、復讐になるのか?」
「死体を見た家族は発狂するぐらいショックを受けるだろ? それが目的だって。
 浦坂の奴はそんなこと言ってたけど……まあ、単純にヤリたかっただけじゃね?」
「は?」
「ほら。女もガキも、浦坂に殴られまくって血まみれになってたからさ。
 俺って血を見ると興奮しちゃうんだよね。
 血だらけの人間を見たら、無性にヤリたい気持ちになるんだよ。
 浦坂も同じだったんじゃねえの?」

田城の言葉は何から何まで不愉快極まりない。
康介は眉間の皺をより深くするばかりだった。
そんな中、田城か唐突におかしなことを切り出してきた。

「なあ、ところであんた、あのガキで遊んだことあるの?」
「は?」
「あのガキさ、ヤられてる最中に泣きながら“コウスケさん”って言ってたからさ。
 そういう相手なのかと思ってたんだけど。違うの?」
「そんなわけあるか! 楓は俺の息子だぞ!」

思わず怒鳴りつけた。
怒りに駆られて机に拳を叩きつける。
背後についていた木野井係長が、宥めるように康介の背中を軽く叩いた。

「へえ、息子に“コウスケさん”って呼ばせてるんだ?」
「養子だったから……幼い頃からのクセでそうなってるだけだ」
「ふーん、そうなの。なんだ、遊んでなかったのか。
 そいつは随分と勿体ないことしたなあ、あんた」
「は?」
「いやあ、あのガキ、めちゃくちゃ具合が良かったからさ。
 あんたもあのガキ使って遊んどけば良かったのにって思って」
「お前、一体何を言って……」
「最初にやったのは浦坂なんだけど、無理やり突っ込んだからかめっちゃ血が出てさ。
 浦坂の奴、血をローション代わりにしてガツガツやりやがったのよ。凄えよな」
「なっ……」
「まあ、俺も血で興奮してたから浦坂に負けねえぐらいにやったけどな。
 泣いて悲鳴を上げるのとか最高だったなあ。最後には声が枯れてたけど」
「…………」
「しかもあのガキ、女みたいな顔だから処女を犯してるみたいでめっちゃ興奮したわ。
 まさか、女相手よりも嵌るとは思わなかったなあ。めっちゃ良かった」
「…………」
「浦坂の奴も嵌ってたんだろうな。女相手の時はひと通りやってすぐ殺したのに、
 あのガキの時は二人で輪姦まわしまくったもん。何時間ぐらい遊んだかなあ。
 まあ、そうやってチンタラしてたせいで警察に嗅ぎつかれて
 慌てて逃げるハメになったんだけど」
「…………」
「あー、やっべ。思い出したらまた興奮してきちまった。
 もう一回ぐらい遊びたかったなあ。
 最後キメたのも浦坂だったもんなあ。
 首絞めてさ、イキながら逝かせるってな。ひゃひゃひゃ」

からりと笑う田城の、薄汚れた銀歯が照明の光を反射して鈍く光る。
その刹那、康介は椅子を蹴散らすほどの勢いで立ち上がり、乱暴に田城の襟首に掴みかかった。

「殺してやるっ! お前も、浦坂も、殺してやるっ……!!」

鬼の形相で迫るその目には明らかな殺意があった。涙があった。
本当にそのまま殴り殺そうとしていた。

「藤咲、やめろ!」

木野井係長が康介の肩に手を置いて、それ以上の行為を止めさせる。

「こいつを殺したところで何にもならん。お前の手が汚れるだけだ。
 ここは堪えろ。それが楓くんの為でもある」
「…………」

木野井係長に諭されて、康介は田城から手を離す。
放り投げられるようにして解放された田城は、尚も厭らしく笑い続けた。

「死んだ人間の為? 今更? バカじゃねえの」
「楓は生きている」
「はあ? 嘘だろ。浦坂が殺したはず……」
「蘇生したんだ。俺が、生き返らせた」
「あちゃー、あんた酷いことするね。あのまま死んでた方が楽だったろうに」
「………」
「それに、最後にお願いしてきたのはあのガキの方なのに」
「お願い……してきた?」
「さすがに限界だったのかな。もう殺してくれってお願いされちゃったんだよね」
「──!」
「だから、最後にその願いを叶えてやったのよ。
 それなのに、わざわざ生き返らせちゃったんだ? あーあ、可哀想」

嘲笑う田城の声を聞いても、康介はもう怒りの反応を見せなかった。
打ちのめされたような顔で、悄然と立ち尽くしていた。

「藤咲、もういい。後はこっちでやるから、お前は下がれ」
「……はい」

木野井係長に促されて康介は取調室を出ていった。
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