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7 壊された宝物③

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『夕顔荘』の周辺を捜索したが、浦坂実とその共犯者は見つけられなかった。
警察の到着を察して逃亡したのだろうと思われる。
アパートの部屋には大量の血痕があった。
その殆どは藤咲楓の血だったが、一部からは河戸晴子の血が確認された。
犯行現場はあの部屋で間違いない。
浦坂実は、共犯者とともにターゲットを拉致して『夕顔荘』の部屋に運び、
数時間に及ぶ暴行の末に殺害。
そして、遺体を段ボール箱に梱包して被害者の自宅へ発送。
このような手筈で、楓も殺害後に自宅に配送される予定だった。
その証拠に、アパートの部屋には未使用の段ボール箱がそのまま残されていた。

「捜査本部としては、引き続き浦坂の行方を最優先で追っています」
「そうか」
「係長から、藤咲さんはしばらくは無理に出勤しなくて良いと」
「しばらく、か」

午後5時30分。
『夕顔荘』での一件から一夜が明けて……明けたその日も暮れようとしていた。
病院の個室にて、何本もの管に繋がれながら楓は眠り続けている。
そんな彼をじっと見つめながら、康介は報告を聞いていた。
捜査に参加していない康介の為に、祐子が現状の報告に来てくれていたのだ。
が、康介の興味は捜査状況よりも、楓の方に向けられていた。

「…………」

ギリギリのところで命を繋げたはずの楓だったが、
病院に搬送されて以来まだ意識を取り戻していない。
いつ目覚めるのかは、医師にも分からないことだった。
それどころか、医師からはこのまま目覚めない可能性についても示唆された。
なにしろ、楓は何分かの間その生命活動を停止していたのだから。
今、心臓が動いているだけでも奇跡なのだ。

「いつまで、なんだろうな」
「それは、何とも……」

独り言のような康介の呟きに、祐子が顔を曇らせる。

「楓が目を覚さない限り、俺はここから動けない」
「でも、いつまでもというわけには……」
「それが許されないのなら、刑事なんて辞めるまでだ」
「…………」

康介の言葉に迷いは感じられなかった。
祐子は困ったように小さくため息を吐く。

「藤咲さん。楓君が心配なのは分かりますが、貴方も相当疲れてるでしょう?」
「俺は別に……」
「ウソ! 目の下にクマができてますよ」
「これは……」
「昨夜からずっと楓君に付き添って、睡眠も食事も碌に取ってないんでしょう?」
「欲しくないんだよ、何も」
「そんなことだと貴方まで倒れてしまいますよ?」
「俺は大丈夫だよ」
「嘘ばっかり言って。そうやって一人で無理しないで下さい」
「いや、俺は……」
「少しだけでも良いから、ちゃんと休憩してきて下さい。
 楓君なら私が看ておきますから」
「でも……」
「楓君が目を覚ました時に藤咲さんが倒れていても良いんですか?」
「うっ、それは……」
「ね? だから、お願いします。休憩してきて下さい」
「…………」

祐子の説得を受けて、康介はようやく重い腰を上げた。

「少しの間、楓を頼む」
「はい。任せて下さい」

祐子の笑顔に見送られながら、康介は病室を後にした。

+++++++++++++++

一旦自宅に戻り、シャワーを浴びて一息つく。
鏡に映るその顔は、なるほど酷く情けないツラをしていた。
疲労でくたびれているのは勿論だが、今にも泣き出しそうな顔だと思った。

(目を覚ました楓に、こんな顔を見られるわけにはいかないな)

気合を入れ直すように両手で軽く顔を叩く。
それから、冷蔵庫を開けてみた。
食欲自体は全く無かったが、空腹感はあった。悲しいことに。
昨夜の一件から、ほとんど何も食べていないので当然と言えば当然なのだが。

(体力の維持の為だ。とにかく何か腹に詰めてしまえばそれで良い)

そう思って冷蔵庫の中を見ると、一つの小皿が目に付いた。

(あ……)

楓が作り置きしていた卵焼きがそこにあった。
迷わずその皿に手を伸ばす。
電子レンジで温めることもせず、冷たいまま食べた。
味は間違いなく美味しい。しかし、噛み締めるたびに胸の奥が痛む。
『辛い』と、心が訴えているのだ。

「美味い。美味いなあ……」

食べる行為に情けなさを感じて、康介は静かに涙を流した。

++++++++++++++++

午後8時頃、康介は楓の病室に戻ってきた。

「横井、楓の様子はどうだ?」
「特に変わりはないです」
「そうか」
「藤咲さんは、少しは休めましたか?」
「ああ」
「それなら良かったです。じゃあ、私はこれで」
「色々とありがとう」
「どういたしまして」
「今回は借りができたな」
「気にしないで下さい。私、藤咲さんを支えたいだけですから」
「え?」
「じゃあ、失礼します」

にっこりと笑って、横井祐子は病室を出て行った。
去り際に彼女が言ったことの意図が理解できず、康介は首を傾げる。

「どういうつもりだ?」

訝しく思ったが、すぐに意識から外した。
今は、とにかく楓のことを最優先にして考えなければならない。
ベッド横の椅子に腰を掛けて、楓の様子を確認する。

「…………」

昨夜からずっと変わらない。
固く目を閉ざしたまま眠り続けている。
体のあちこちに宛てがわれているガーゼ、病衣の隙間から覗く包帯が痛々しい。
『夕顔荘』の部屋で楓を発見した時、彼の全身は血と痣にまみれていた。
酷い……否、惨い暴行を受けたことが一目で見て取れた。
だが、彼の体を穢していたのはそれだけではなかった。
凌辱の痕があった。
楓は、浦坂たちによって殴る蹴るの暴行を受けた上、その体を蹂躙されていたのだ。
康介らによって発見されるまで、何時間にもわたって。

「楓……」

繊細なガラス細工に触れるような手つきで、楓の頬に手を当てる。
それから、その手を彼の胸の上に置いて、心臓の音を確かめた。
あの時は必死だった。とにかく楓に死んで欲しくない一心だった。
他のことは何も考えられなかった。
だが、今なら分かる。
生き延びたことによって、これから楓には辛すぎる試練が待ち受けているのだ。
いっそのこと、このまま目を覚まさない方が、本人にとっては幸いなのでなないか?
……そんな思いが脳裏によぎる。

「ごめんな。俺のせいで、こんな目に遭わせてしまって」

そっと頬に手を当てる。

「それでも俺は、お前に生きていて欲しかったんだ」

震える声で詫びの言葉を述べる。

「許してくれ」

楓の手をしっかりと握りしめて、康介は懇願するように懺悔した。
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