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信仰の国の子どもたち
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さまざまな企業や政財界の関係者から、私に誕生日プレゼントが届く。すべて父の部下のチェックを経て私のもとに来る頃には、包み紙を剥がされた味気ない姿になっている。芸能人へのプレゼントなんか、もっと気を遣って包み直したりするんじゃないかと思うけど、私に対してそういう気遣いはないらしい。
あまり名の知られていない小さな精密機器メーカーから、自社の技術を駆使して作られた懐中時計が贈られてきた。グループの一社が下請けにしている会社なので、その関係だろう。時計の入った箱の中におまけのように、一対のピアスが添えられている。パーティー向きの少し大ぶりな物で、金縁のスクエア型の中に花の絵があしらわれていた。
「ニオイバンマツリ……」
それは、茉莉花野の森によく咲いている花だった。茉莉花野という地名はジャスミンではなく、この花から来ているらしい。花の色が時期によって紫から白に変化するのが特徴で、今頃の季節はこのピアスの柄のように、白と紫と葉の緑が入り交じった最も鮮やかな姿を見せているだろう。
そのピアスを手の中で転がしながら私は、とうとうこちらから亜莉夢たちに、唯一の連絡手段でメッセージを送る時が来たかと、考えていた。
*
霧香が仲良くしているという週刊誌の記者が、母の自動車事故を当時取材した記者を探し当てて、話を聞いてくれたそうだ。その霧香の話も、ピアスの音声通信で一緒に聞く。
『煽り運転で捕まった犯人の職業は警察発表では“会社経営者”だったらしいんだけど、その会社、調べたらペーパーカンパニーだったって言うの』
そう、亜莉夢と菜津に話す、霧香の声。
『表向きは人材派遣会社だけど、登録の所在地に事務所はなくて。たぶんどこかの企業が脱税のために作ったか、もしくは反社やカルト宗教のダミー会社か……そう考えて大元の組織を探ろうとした時、上からストップがかかってそれ以上取材できなかったんだって』
企業が脱税のために実体のない会社を作るというのはよくある不正のやり口だけれど、そのペーパーカンパニーの経営者として名を貸す人物とは、何者なのだろう。非合法なことに実名を使われ、都合の良い駒にされても文句が言えないような、もう後がない状況に置かれている人物……おそらく、それ以外にも不法な仕事に手を貸すよう指示されたら、断れない立場にあったんじゃないか。
『そこまでわかったなら、あとは地道な作業かな……』
亜莉夢の呟く声に、だいたい何をするつもりなのか、見当はつく。
その時ふいに、この部屋──アトリエにしているホテルの一室の扉が、がちゃ、と音を立てた。内心ヒヤッとしながら視線だけそちらに向ける。亜莉夢たちの会話はまだ耳の端に聞こえているけれど、今は目の前の人物に注意を向けたほうが良さそうだ。
彼は言葉もなくつかつかと部屋の中ほどまで来て、私の描き途中の絵を無遠慮に眺める。いくら人払いをしていても、この人だけはどこへでも好き放題出入りする。
「なかなかいい出来だな。これなら総理大臣賞を取らせても苦情は出ないだろう」
ノーネクタイの着崩したスーツは細身のパンツが長い脚を強調し、40代には見えない、といかにも言わせたそうな若々しさと野性味を演出している。母や弟を含めた近親者の中でも、私と父が最も似ていると言われるのは、あまり嬉しくない事実だ。
「そうですか? でもちょっと問題がありまして」
私はキャンバスの前の椅子にどかっと足を開いて、振り返り彼を見上げる。
「背景のここの色だけ、どうしても決まらないんですよ」
絵筆で指すそこは、キャンバスの4分の1ほどの空間がわざとらしく下地むき出しのまま、何の色も入っていない。父は眉根を寄せて、見下ろす視線で首をかしげた。
「……要求があるなら、はっきり言うといい」
「誕生日パーティーに、招待したい友達がいるんですが」
父はゆっくりと、微笑んだ。
「……それで、何かできると思っているのか?」
私も似た笑みを返す。
「友達を呼びたいって言っただけですよ。いくら私の友人たちが優秀だからって、怖がらないでください」
くっくっと、喉の奥を鳴らして彼が笑う。このくらいの挑発に乗る器だということは知っている。
「まあいいだろう。今のうちに旧友との再会を楽しんでおけ。そのうち友達なんて言葉も忘れる」
いつか負かしてやるにしても、その前にこの場で鼻面蹴り上げたらだめかな、という思いがこみ上げるが、我慢してにっこりと笑い返した。
私も表向きはここの家の子どもということになっているから、“控室”と言うのはおかしいのかもしれない。父と、その妻子が暮らす邸宅。当然のごとく私の部屋なんてないし、ゲストルームのひとつを私の支度のために充てられたこの部屋は、やはり事実上、まさしく控室だ。
体にフィットするシンプルなAラインのミニドレスは、ホルターネックのトップスからスカートに向かって、白からバイオレットのグラデーションになっている。
ヘアメイクのスタッフも仕事を終えて去り、1人になった部屋で最後にピアスを着け替える。いつもの紫の小さな丸いピアスから、プレゼントされたニオイバンマツリのピアスへ。ピアスポストにキャッチがはまると同時に、ピッという電子音が鳴る。
『……ちゃんと気付いたね』
すぐに声が入ってきた。
「今回は、こっちの声も聞こえてるのかな?」
『当たり。同じ家の中くらいなら通信可能』
「これ贈ってきたメーカーって何?」
『設計はできても実際に作る技術は、私にはないから。優秀なメーカーに、アイディアを提供する代わりに協力してもらった』
自らの知能と開発力を、取引材料にしたわけだ。まったく恐れ入る。
『菜津と霧香は、どう?』
『やっぱり先に2階に行くのは無理そう。みんなまだ1階で飲食してて全然階段上る人いないわ』
菜津が小声で返す。
『今行ったら絶対誰かに声かけられるね』
霧香も囁き声だ。
『じゃあやっぱり、2人は照明落ちてから行動開始ね。問題ない?』
亜莉夢に「オーケー」と伝えて、私は立ち上がる。いよいよゲームスタートだ。
こっちの遠峰谷家は、大都市の賑やかな繁華街から長い坂を上ると現れる高級住宅街、いわゆる“山の手”の地域にやたら敷地を取っている豪邸だ。薄曇りの夕闇に、少し空気は湿っている。父の腕に手を掛けてエスコートされ降りていくのは、吹き抜けの2階廊下の中央がバルコニーのように突き出したところから、エントランスホールに左右に伸びる階段の片方。父親が娘を我が物のように披露するこの演出は気持ち悪いけれど、なんとか口の端に笑みを浮かべる。日常には不便そうなくらい広いエントランスホールでは、すでに軽食と飲み物を楽しんでいた人々が、私と父の登場に拍手を送った。
左右に分かれた階段が囲む半円の奥、バルコニー部分の真下にあたるスペースに、今日はグランドピアノが置かれている。父はそこまで私を連れて行くと、ピアノに片腕をもたれて挨拶を始める。
「本日は皆さま、娘・塔子の16歳のバースデーパーティーにお集まりいただき、ありがとうございます」
集まっている人のほとんどは父の仕事の関係者だが、10代の娘の誕生日という名目上それぞれの家族や子どもたちも招待され、若い顔ぶれもちらほらいる。亜莉夢たちもこの中でさほど浮くことはないだろう。
「まずは娘からのピアノ演奏を、皆様への感謝と歓迎の挨拶と代えさせていただきます」
これが、父の目的。新たな学園のPR役となった遠峰谷家の娘が、どれほど才気溢れているかアピールするための会である。私はここで父の求める芸を披露し、しかし人形のように、公には一言も喋らないことを望まれている。
ピアノの椅子に私が腰掛けると同時に、部屋の照明が暗くなり、ピアノの周りだけにスポットライトが当たる。それが、霧香と菜津が動き出す合図だった。
選曲は、バダジェフスカの「乙女の祈り」。19世紀、音楽界の権威からはことごとく評価されなかった女性音楽家による当時のポピュラーソングだ。見よう見まねが得意なだけの私でも、それなりに弾ける中級曲。
闇の中、レモンイエローのドレスの菜津と、袖がひらひらする桜色の変形スーツを着た霧香が階段を上っていくのが、ピアノを弾く私の位置からちょうど見えた。区切られた居住スペース以外は、2階もゲストの休憩用に解放されている。しかしパーティーが始まったばかりで他にほとんど立ち入る人がいないうちは、否が応でも目立つ。だから今のタイミングを待った。
無事2人が行ったのを見届けたところで、曲は中盤に差し掛かる。その時、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
『あらあなたたち、ピアノをお聴きにならないの?』
椿さん──父の、今の妻だ。
『あ……ちょっと人酔いしちゃって、上で聴こうかと』
霧香は意外にこういう時、芸能の仕事をしているだけあって対応力があると思う。
『まあ、休憩室にご案内しましょうか?』
『あっ大丈夫です。ピアノも聴きたいしここのソファで……』
2人は階段を上がってすぐの廊下のソファに座ったようだ。しかし、なぜか椿さんは休憩室に行くようにと粘り強く食い下がってくる。2人も、動くよりここに座っていた方が、とか、人ごみでなければ大丈夫、とかなんだかんだと応戦する。どうにか追い払った頃には、曲はほぼ終わりに近付いていた。
『塔子、もうちょっと演奏を引き伸ばせる?』
亜莉夢が危機を察知して声をかける。やっぱりあれをやるしかないか──。
一曲が終わり、拍手も鳴り止まないうちに、わざと叩きつけるように最初の和音を強調する。そして雪崩のような左手の16分音符。階段下の壁にもたれ、腕を組んで見ていた父が目を見開くのがわかった。ショパンのエチュード「革命」。これができることは、あまり人に知られたくなかったのだけれど。
『……彼女行ったけど、まだその辺をうろうろしてる』
右手が主旋律を奏で始める辺りで、菜津の声が入った。椿さんが私の友人を把握しているとは思い難いけれど、招待したこと自体は知られているだろう。怪しい動きをしないかと疑われているのかもしれない。
『霧香はここで休んでて。水を取ってくる』
聞こえよがしに菜津が言う。炎が踊るようなアルペジオにおのずと、どうにか2人がやりおおせるようにという思いが込もる。
『リネン室に入った』
ガサゴソと聞こえるのは、菜津がシーツをスカートの中に隠している音だろう。曲も佳境に入る。
『ソファに戻った』
『2人はギリギリまでそこにいて。一瞬でやらないと止められるかも』
亜莉夢の指示に2人が返事をするのと、クライマックス、高音から低音に一気に駆け下りる音階がほぼ同時だった。フォルテッシシモの重厚な和音がピリオドを打つ。会場が先ほどより大きな拍手に包まれた。
父もわざとらしく手を打ち鳴らしながら、ピアノのそばへ戻ってきた。小さく「難しい曲はできないと言ったな?」と聞かれたけれど、無言を返す。音楽に関しては、真似しかできない私の演奏は私自身あまり美しいと思っていない。
「みなさん、お楽しみいただけたでしょうか?」
芝居がかった口調で来客に向き直る父と、椅子から立ち上がった私が、スポットライトに照らされたピアノの前に並ぶ。亜莉夢の『今だ』という声が聞こえた。
「娘は芸術的才能に特異な面があり、近く美術コンクールにも……うわっなんだ!?」
私と父の目の前に、大きな白い布がばさりと降りてきて来客から覆い隠される。霧香と菜津は無事役割を果たしたようだ。布に真っ直ぐ当たっているスポットライトの中に、文字列が投影される。亜莉夢が照明システムのAIを遠隔でいじっているのだ。
「……お前の仕業か。面倒なことを」
ふんと鼻を鳴らして父が私を見下ろす。唯一の連絡手段を使って、私が亜莉夢に頼んだのは、父と二人で話す時間を作ってほしいということだった。
「これはなんだ」
「あなたの脱税の証拠です」
亜莉夢は例のペーパーカンパニーの主な取引先が遠峰谷グループの会社だったことを、膨大なデータの中から探し出してくれた。同時に、他にもいくつかの不正取引の証拠を見つけてリストアップしたそうだ。
「母の自動車事故で煽り運転をした犯人は、遠峰谷グループの不正のためにいろいろと駒に使われていた人物のようですね」
父がはっと笑い飛ばすような声を上げた。
「そっちが本題か。相変わらず子どもの考えだな」
「子どもですよ。だから知りたいんです。──あなたが母を殺させたのか」
幕の向こうがざわついている。最初は新たな余興かとのんきに構えていた来客たちも、映し出されている内容が事実だと、だんだん気付き始めたようだ。
「お前はもう少し、損得で物事を考えることを覚えた方がいい」
父は大儀そうに顔を歪める。
「莉奈が生きていて、脅しに屈してお前と一緒に遠峰谷家を離れてくれた方が、どれほど私にとって得だったか。死んでしまって残したものが、お前だよ。今はやっとそれも、有効活用できるようになったがな」
不思議なことに、父にこれほど愛情のなさをあからさまにされても、何も感じなかった。この非情な父親と向き合っているうちに、私の心も凍ってしまったんだろうか。父はシーツの幕をバサバサと煩わし気に避けて、来客の前に出て行く。私も慌ててその後を追う。
「……いやはや、皆さま驚かれたでしょう。私も娘たちに出し抜かれました」
笑いながら、役者のようによく通る声で父が客に向かってしゃべる。
「塔子とともに、紹介しましょう。我が遠峰谷家の養女に迎えた亜莉夢です」
そう言って、エントランスホールの隣、扉のない入口でつながった応接間の方を手で差し示した。壁の裏側から、父の部下の黒服が誰かを連れてくる。父の「灯りをつけろ」と言う一声でホール全体が明るくなって、亜莉夢の姿が明らかになった。上は黒のベルベット生地、下は刺繍の入ったエメラルド色のフレアスカート。肩口に結んだ黒いリボンが垂れ、子どもの頃に流行ったアニメ映画のプリンセスのようだ。耳には私と同じニオイバンマツリの、形違いの円形のピアスを着けている。
そのまま黒服は、亜莉夢を会場の真ん中まで連れてきた。亜莉夢も抵抗しようとはせず、ただ鋭い目をして歩いてくる。
「彼女は近親者に不祥事があり、希望学園の特別奨学生を降ろされ孤児になったところを遠峰谷家の養子として引き取りました。しかし……これほどのことができるとは、期待以上でした。きっと娘の右腕として役立ってくれることでしょう」
あっけに取られていた人たちが、一人、また一人と拍手を始め、あっという間に喝采となる。
「……わけがわからない、とお思いですか」
いつの間にか、私のすぐ近くにリルさんが立っていた。
「この人たちは皆、不正が事実だということもわかっていますよ。けれど、自分に不利益が生じない限り、彼らはそんなことはどうでもいいのです」
父が私とリルさんを見て、不気味なほどにこやかに微笑む。
「エイプリルは本当に、よくできた私の人形だな」
リルさんは、いつものように、無表情だった。しかし、次のように続けた。
「ただ──自分に不利益が生じるとなったら話は別です」
その瞬間、ばたばたという靴音が鳴り響き、エントランスの大扉が開いた。スーツ姿の人たちが20人ほど、そのうちの何人かは段ボールを抱えている。
「国税局です。脱税容疑の査察調査に入らせていただきます」
私はまず、亜莉夢の顔を見た。互いに戸惑いの表情を交わす。それから、父を見た。それまで見せていた余裕の表情は消え唇が震えている。そして、リルさんを見た。──やはり無表情だった。
「馬鹿な、省庁とは話がついていたはず……」
そこまで言って、父は気付く。パーティーに来ていた会社の重役や幹部の何人かが、苦渋の表情で頭を下げていた。
「……会社を守るための決断です」
父より20は年上であろう、重役の一人が首を垂れたまま言った。リルさんが続く。
「不正ばかりで経営を保っているグループの実態と、トップの商才の無さに危機感を抱いていた社員は、あなたが思っている以上に多かったんですよ」
査察官たちはためらわず奥へ入って行き、家宅捜索を開始する。
「結局、内部告発にはほとんどの社員が加わりました。代表、あなたが切り捨てられたんです」
今度こそ会場は騒然となった。絶句していた人々が、口々にざわつき始める。私は亜莉夢の元へ駆け寄った。背後で父が「うああ!」と怒り狂ったような雄叫びを上げていた。私と亜莉夢は、何も言えず、ただお互いの手を握る。
霧香と菜津もすでに1階へ降りてきていたようで、走り寄って来た。そして、リルさんも、騒がしい人波をかき分けて、私たちの近くまで来る。
「亜莉夢さんのリストも渡していただけますか。内部調査の結果として、国税局に提出したいので。こちらで調べきれなかった過去のものもかなりありましたよ。さすがですね」
亜莉夢は少しの間探るようにリルさんの顔を見上げていたが、すぐに「わかりました」と答えた。なんだか亜莉夢の功績が横取りされるような気がして、私は「いいの?」と尋ねる。亜莉夢も少し煮え切らない表情だけれど、肩をすくめた。
「ハッキングしたとは、公には言えないし。犯罪だし」
霧香がはー、とため息をついた。
「私たち、エイプリルさんに泳がされてたってこと?」
「必死でシーツ投げ降ろしたのに……」
菜津も嘆いて、私たちは苦笑する。それぞれの立場の人々の思惑が入り乱れる喧騒の中で、リルさんは最後までポーカーフェイスを貫いていた。
「7月といえば!」
放課後のがやついている教室で、私は3人に投げかける。
「塔子の誕生日?」
「それは、もう終わったとして」
「夏休み?」
「は、もうすぐだけど」
亜莉夢と霧香が首をかしげる隣で、菜津がわなわなと震えている。
「私は覚えてる……7月になったらジェラートのテイクアウトをやるって、エニシさんが言ってたことを……」
「正解。さすが菜津」
亜莉夢と霧香も、「ジェラート!」と声を上げた。
私たちの日常は、亜莉夢と初めて友達になって過ごした春と変わらぬ日々に戻った。父と不正に関わったトップの何人かが逮捕されて、しかしそのポストが遠峰谷家の別の親戚やら幹部やらに替わっただけで、会社の経営自体はあまり変わっていない。内部告発だったこともあり、企業イメージもさほど損なわれていないという。
父が逮捕されても財産がすべて没収されるわけでもなく、生活もこれまで通りだ。リルさんは、今回のことでさらに会社の重要なポストについたそうだけれど、雇われの養育係じゃなく私と亜莉夢の後見人として、一緒に暮らすことになった。今は学園の理事にも関わっていて、教育体制の見直しを進めているらしい。奨学金制度は今後も続くけれど、今までのような、学園のために学生生活をすべて捧げるような形ではなくなるという噂だ。
「やーっぱり来たわねちびっ子ギャング」
ちょうど店頭でジェラートの幟を出していたエニシさんが、私たちの姿を見て言う。一応高校生なんですけどと抗議したら、「だからちびっ子でしょ」と返された。梅雨明けはまだ発表されていないけれど、今日は真っ青な空にちぎれ雲が浮かび、日差しが強い。とうとう夏の暑さがやってきた感じがする。
店内に入ったら、カウンター席に鳩ヶ谷さんの姿があって、私たちは驚きながら挨拶する。
「あら、あの時のお嬢さんたち。久しぶりね」
鳩ヶ谷さんは嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
「実はあの後ね、エニシさんとさがのさんとホリカワさんが市役所に連れてってくれて、アパートで暮らし始めたのよ。こんなお婆さんが援助なんて受けていいものかと迷ったんだけれど、これ以上ホリカワさんに迷惑をかけるよりは、ね……」
私は近づいて、鳩ヶ谷さんのそばに立つ。
「今の生活は、どうですか?」
鳩ヶ谷さんは少し考える顔をしてから、「そうね」と呟いた。
「わりに、楽しいわね。鳩たちにも、お友達にも会えるから」
噴水の縁に腰かけて、ジェラートを食べる。雲は流れ、広場には人々が行き交う。穏やかな風景の中に、ふと──その姿を見つけた。
「あれ……」
亜莉夢たちも気付いたようだ。
「エイプリルさん?」
教会の前に停まったタクシーから、裾がふわりと広がるノースリーブとスキニーパンツで上下黒に統一した彼が出てきた。そのまま真っ直ぐ聖堂へと入っていく。
「クリスチャンなんだっけ?」
霧香の問いに、「さあ」と短く答える。亜莉夢が「あるいは……」と口を開く。
「会社でも、遠峰谷家でもない場所で、やりたいことがあるのかも」
菜津と霧香は、私と亜莉夢が何かに思い当っていることを、察したようだった。
「ちょっと、今日はここで解散でいいかな。私と亜莉夢は、リルさんに声をかけてみるよ」
立ち上がる私に、菜津と霧香は黙って頷く。亜莉夢も立ち上がり、「じゃあまた」と二人に声をかけると教会へと急ぐ。リルさんと話さなければいけない。亜莉夢もきっと思いは同じだ。
聖堂の中は薄暗く、ステンドグラスの窓からの光が唯一の明かりのようだった。木製の長椅子が何列も並ぶ、その一番前の席に、リルさんの後ろ姿がある。ただ祈っているようにも見えるけれど、近づいていくと、その手元にタブレットを持っているのが見えた。
私たちがそばに来たのに気付いて、リルさんは目を上げる。そして薄く微笑んで、頷いた。
「こうなるんじゃないかという気はしてましたよ。コンピュータに関しては、会社の人間が束になっても亜莉夢さんには敵いませんから」
そう言ってタブレットを持ち上げ、画面を私たちに見せる。エラー表示が複数窓重なって出ている。
「……理由が知りたい。なぜあなたが、弟を攻撃する必要があるのか」
最初は、単なる私の直感だった。リルさんはいつものポーカーフェイスだったけれど、どこかが違った。まだ何かあるような、すべてが終わったわけじゃないような気がしてならなかった。亜莉夢が再びリルさん周りのコンピュータをくまなく調べてわかったのは、彼が、父の再婚者である椿さんの母──弟の祖母にあたる、園城藤子についての情報を集めていたことだ。そしてそれを流す先として、学園の生徒たちに人気のSNSコミュニティに当たりをつけていることもわかった。
「特別奨学生や、亜莉夢が攻撃されたのと同じ理屈だ。弟が──優希が“本当は特権を受けられないはずの人間”だと示して、攻撃対象になるのを狙ったんだろう?」
リルさんの集めた情報には、園城藤子が貧しい家庭に生まれ育ち、ホステスや政治家の愛人などを経て芸能界でのし上がってきた経歴が記されていた。調べれば誰でもわかるゴシップで、リルさんが流さなくても、いつか噂になっていたかもしれない。けれど、重要なのは秘密を暴くことではなく、それを広めることだ。不公平だと彼らが感じる種をまいて、敵意の矛先を向けさせること。
「そんなことしなくても、父親が逮捕されたってだけであいつはもう肩身狭い思いしてるんじゃないか?」
「それでは塔子さんと、条件は同じでしょう」
リルさんはこちらに視線をよこすと、立ち上がった。椅子の背に手を置いて、私たちと対峙する。
「莉奈さんの子であるあなたと、後妻の子が同じ扱いではいけない。今後もあの息子があなたより重用されることがあってはならないんです」
不意にリルさんの口から出た母の名に、私はその顔をまじまじと見る。
「……母さんを知ってるの」
リルさんは微笑んだ。
「私の生まれた黄家は、遠峰谷家と古くから交易のある台湾の資産家一族です。しかし我が家はその傍系の、力の弱い家でした」
リルさんがいつどうして台湾からやって来たのかは、以前尋ねた時ははぐらかして教えてくれなかった。
「しかしある時、父が経営する子会社が、遠峰谷グループからの製品に欠品があることに気付き、親会社に知られる前に秘密裏に補うということがありました。そして、便宜を図った見返りとして父が当時の代表──希於氏のお父上に求めたのが、私を遠峰谷の社員として育てることでした。遠峰谷で私が重要なポストにつけば、翻って我が家の黄家での地位が高まるという狙いです」
隣で亜莉夢が怪訝な顔をするのがわかった。一体それは、リルさんがいくつの時の話だろう。そう思ったのが伝わったのか、リルさんはふっと笑って言った。
「13歳で私は単身この国へ渡り、学生インターンという名目で仕事を習う日々が始まりました。淋しいとも、心細いとも、思うことは許されないと考えていました。周りの大人も皆、私は普通の子どもとは違い、感傷に浸ったりはしないのだと理解していました。ただ、莉奈さんだけが──」
そこで少しだけ、胸の内の思いを振り返るように、リルさんは言葉を詰まらせた。
「莉奈さんだけが、私を普通の子どもとして扱いました。大学を卒業して遠峰谷グループに入ったばかりの莉奈さんは、会うたび私に一人で困っていることはないか、食事はちゃんと取っているかと尋ねました。他の社員に、私にそんな気遣いは不要だと言われても、必ず声をかけてきました」
それだけです。──と、リルさんは言った。本当に、母とのつながりは、ただそれだけだったと。
「だけど、ずっと忘れなかった。莉奈さんが亡くなった後も、ずっと」
「リルさん」
口を開いたのは、亜莉夢だった。
「莉奈さんがあなたにしたことは……まともな大人なら当たり前にすることです」
私は少し驚いて亜莉夢を見る。
「だけど、私たちの周りにまともな大人はあまりにも少ない。子どもを搾取する大人ばかりだ──そうでしたよね、あなたもきっと」
リルさんは少し目を見開いて亜莉夢を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「あなたがまともな大人でいてくれなかったら──子どもを攻撃するような大人になってしまったら、私と塔子は、誰を頼りにすればいいの?」
亜莉夢は悔しそうな、泣き出しそうな顔をしていた。
亜莉夢と二人、茉莉花野の森を歩く。ニオイバンマツリの花があちこちに咲き誇っている。
亜莉夢がリルさんに告げたゲームの話には驚いた。リルさんの持っていたデータには、あの亜莉夢に似た少女のやたら残酷なアクションゲームを模し、キャラクターだけを優希にすり替えたものがあった。
「元のあのゲームは、たぶん私が作ったものです」
亜莉夢が言った。
「記憶がなくても、自分の作ったものならわかります。それに……あれが流行ってから、私への攻撃は減っていたんでしょう?」
たしかに、リルさんに調査してもらった報告書には、攻撃的な欲求がゲームで満たされたせいか、本人への嫌がらせは減ったと書かれていた。
「あれは、主人公を死なせないようにするゲームだし。ゲームの私を殺さないように頑張っているうちに、私自身に攻撃したい気持ちも薄れるって……私は考えたんじゃないかな」
過去の自分を推測する亜莉夢を、リルさんは、複雑な表情で見る。
「……何が言いたいんですか」
「わかってたんじゃないですか。あのゲームの意図と効果は。あれを使って、優希さんへの攻撃が酷くなりすぎないように、ブレーキをかけるつもりだったんじゃないですか」
私は歩きながら、亜莉夢に問う。
「さっき亜莉夢、『リルさん』って呼んでたよね」
「……うそ」
「気付かなかったの?」
亜莉夢は苦笑いして目を泳がせながら、「はずかし」と呟く。
「リルさん、きっとこれからも、私たちの家族でいてくれるよ」
夕方のぬるくなった空気の中で、森に子どもだけでいるのが、急に心細いような気がしてくる。亜莉夢と友達がいれば最強だって思いたいけれど、やっぱりまだ私たちの存在は、大人よりも儚い。
「信じるよ」
信じる、という言葉を亜莉夢から告げられるのは2度目だ。亜莉夢の「信じる」は強い。私はわざと明るい口調で切り出す。
「信じれば叶うっていうけど、叶うかどうかよりも大事なのは、何を信じるか自由に決めていいってことだね」
どんな希望を信じるのか、叶えたいのか、私たちは大人にコントロールされない。その自由を得るために、ここまで来た。
「亜莉夢は、これからやりたいことはある?」
やろうと思えば何でもできる私たちに、可能性は無限にあって、ただ時間だけが限られている。
「うーん、また新しいゲームを作ろうかな。なんかエポックメイキングなやつ」
「先にそれ予告するの、だいぶ強気だな」
「塔子は? 何する?」
聞かれて私も、「うーん」と空を見る。ちぎれ雲は紫色に染まっている。
「まずは絵を完成させて、コンクールには出さずに、茉莉花野町のどこかに飾ってもらいたいな」
あのキャンバスに描いたのは、灯台で亜莉夢の肩越しに見た空と海の光。あの時亜莉夢と信じたこと、交わしたことが、私の希望──私の信じるもの。
「私、塔子が何を描いたかわかるんだ」
まだ絵を見ていないはずの亜莉夢が、そう言って微笑んだ。
あまり名の知られていない小さな精密機器メーカーから、自社の技術を駆使して作られた懐中時計が贈られてきた。グループの一社が下請けにしている会社なので、その関係だろう。時計の入った箱の中におまけのように、一対のピアスが添えられている。パーティー向きの少し大ぶりな物で、金縁のスクエア型の中に花の絵があしらわれていた。
「ニオイバンマツリ……」
それは、茉莉花野の森によく咲いている花だった。茉莉花野という地名はジャスミンではなく、この花から来ているらしい。花の色が時期によって紫から白に変化するのが特徴で、今頃の季節はこのピアスの柄のように、白と紫と葉の緑が入り交じった最も鮮やかな姿を見せているだろう。
そのピアスを手の中で転がしながら私は、とうとうこちらから亜莉夢たちに、唯一の連絡手段でメッセージを送る時が来たかと、考えていた。
*
霧香が仲良くしているという週刊誌の記者が、母の自動車事故を当時取材した記者を探し当てて、話を聞いてくれたそうだ。その霧香の話も、ピアスの音声通信で一緒に聞く。
『煽り運転で捕まった犯人の職業は警察発表では“会社経営者”だったらしいんだけど、その会社、調べたらペーパーカンパニーだったって言うの』
そう、亜莉夢と菜津に話す、霧香の声。
『表向きは人材派遣会社だけど、登録の所在地に事務所はなくて。たぶんどこかの企業が脱税のために作ったか、もしくは反社やカルト宗教のダミー会社か……そう考えて大元の組織を探ろうとした時、上からストップがかかってそれ以上取材できなかったんだって』
企業が脱税のために実体のない会社を作るというのはよくある不正のやり口だけれど、そのペーパーカンパニーの経営者として名を貸す人物とは、何者なのだろう。非合法なことに実名を使われ、都合の良い駒にされても文句が言えないような、もう後がない状況に置かれている人物……おそらく、それ以外にも不法な仕事に手を貸すよう指示されたら、断れない立場にあったんじゃないか。
『そこまでわかったなら、あとは地道な作業かな……』
亜莉夢の呟く声に、だいたい何をするつもりなのか、見当はつく。
その時ふいに、この部屋──アトリエにしているホテルの一室の扉が、がちゃ、と音を立てた。内心ヒヤッとしながら視線だけそちらに向ける。亜莉夢たちの会話はまだ耳の端に聞こえているけれど、今は目の前の人物に注意を向けたほうが良さそうだ。
彼は言葉もなくつかつかと部屋の中ほどまで来て、私の描き途中の絵を無遠慮に眺める。いくら人払いをしていても、この人だけはどこへでも好き放題出入りする。
「なかなかいい出来だな。これなら総理大臣賞を取らせても苦情は出ないだろう」
ノーネクタイの着崩したスーツは細身のパンツが長い脚を強調し、40代には見えない、といかにも言わせたそうな若々しさと野性味を演出している。母や弟を含めた近親者の中でも、私と父が最も似ていると言われるのは、あまり嬉しくない事実だ。
「そうですか? でもちょっと問題がありまして」
私はキャンバスの前の椅子にどかっと足を開いて、振り返り彼を見上げる。
「背景のここの色だけ、どうしても決まらないんですよ」
絵筆で指すそこは、キャンバスの4分の1ほどの空間がわざとらしく下地むき出しのまま、何の色も入っていない。父は眉根を寄せて、見下ろす視線で首をかしげた。
「……要求があるなら、はっきり言うといい」
「誕生日パーティーに、招待したい友達がいるんですが」
父はゆっくりと、微笑んだ。
「……それで、何かできると思っているのか?」
私も似た笑みを返す。
「友達を呼びたいって言っただけですよ。いくら私の友人たちが優秀だからって、怖がらないでください」
くっくっと、喉の奥を鳴らして彼が笑う。このくらいの挑発に乗る器だということは知っている。
「まあいいだろう。今のうちに旧友との再会を楽しんでおけ。そのうち友達なんて言葉も忘れる」
いつか負かしてやるにしても、その前にこの場で鼻面蹴り上げたらだめかな、という思いがこみ上げるが、我慢してにっこりと笑い返した。
私も表向きはここの家の子どもということになっているから、“控室”と言うのはおかしいのかもしれない。父と、その妻子が暮らす邸宅。当然のごとく私の部屋なんてないし、ゲストルームのひとつを私の支度のために充てられたこの部屋は、やはり事実上、まさしく控室だ。
体にフィットするシンプルなAラインのミニドレスは、ホルターネックのトップスからスカートに向かって、白からバイオレットのグラデーションになっている。
ヘアメイクのスタッフも仕事を終えて去り、1人になった部屋で最後にピアスを着け替える。いつもの紫の小さな丸いピアスから、プレゼントされたニオイバンマツリのピアスへ。ピアスポストにキャッチがはまると同時に、ピッという電子音が鳴る。
『……ちゃんと気付いたね』
すぐに声が入ってきた。
「今回は、こっちの声も聞こえてるのかな?」
『当たり。同じ家の中くらいなら通信可能』
「これ贈ってきたメーカーって何?」
『設計はできても実際に作る技術は、私にはないから。優秀なメーカーに、アイディアを提供する代わりに協力してもらった』
自らの知能と開発力を、取引材料にしたわけだ。まったく恐れ入る。
『菜津と霧香は、どう?』
『やっぱり先に2階に行くのは無理そう。みんなまだ1階で飲食してて全然階段上る人いないわ』
菜津が小声で返す。
『今行ったら絶対誰かに声かけられるね』
霧香も囁き声だ。
『じゃあやっぱり、2人は照明落ちてから行動開始ね。問題ない?』
亜莉夢に「オーケー」と伝えて、私は立ち上がる。いよいよゲームスタートだ。
こっちの遠峰谷家は、大都市の賑やかな繁華街から長い坂を上ると現れる高級住宅街、いわゆる“山の手”の地域にやたら敷地を取っている豪邸だ。薄曇りの夕闇に、少し空気は湿っている。父の腕に手を掛けてエスコートされ降りていくのは、吹き抜けの2階廊下の中央がバルコニーのように突き出したところから、エントランスホールに左右に伸びる階段の片方。父親が娘を我が物のように披露するこの演出は気持ち悪いけれど、なんとか口の端に笑みを浮かべる。日常には不便そうなくらい広いエントランスホールでは、すでに軽食と飲み物を楽しんでいた人々が、私と父の登場に拍手を送った。
左右に分かれた階段が囲む半円の奥、バルコニー部分の真下にあたるスペースに、今日はグランドピアノが置かれている。父はそこまで私を連れて行くと、ピアノに片腕をもたれて挨拶を始める。
「本日は皆さま、娘・塔子の16歳のバースデーパーティーにお集まりいただき、ありがとうございます」
集まっている人のほとんどは父の仕事の関係者だが、10代の娘の誕生日という名目上それぞれの家族や子どもたちも招待され、若い顔ぶれもちらほらいる。亜莉夢たちもこの中でさほど浮くことはないだろう。
「まずは娘からのピアノ演奏を、皆様への感謝と歓迎の挨拶と代えさせていただきます」
これが、父の目的。新たな学園のPR役となった遠峰谷家の娘が、どれほど才気溢れているかアピールするための会である。私はここで父の求める芸を披露し、しかし人形のように、公には一言も喋らないことを望まれている。
ピアノの椅子に私が腰掛けると同時に、部屋の照明が暗くなり、ピアノの周りだけにスポットライトが当たる。それが、霧香と菜津が動き出す合図だった。
選曲は、バダジェフスカの「乙女の祈り」。19世紀、音楽界の権威からはことごとく評価されなかった女性音楽家による当時のポピュラーソングだ。見よう見まねが得意なだけの私でも、それなりに弾ける中級曲。
闇の中、レモンイエローのドレスの菜津と、袖がひらひらする桜色の変形スーツを着た霧香が階段を上っていくのが、ピアノを弾く私の位置からちょうど見えた。区切られた居住スペース以外は、2階もゲストの休憩用に解放されている。しかしパーティーが始まったばかりで他にほとんど立ち入る人がいないうちは、否が応でも目立つ。だから今のタイミングを待った。
無事2人が行ったのを見届けたところで、曲は中盤に差し掛かる。その時、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
『あらあなたたち、ピアノをお聴きにならないの?』
椿さん──父の、今の妻だ。
『あ……ちょっと人酔いしちゃって、上で聴こうかと』
霧香は意外にこういう時、芸能の仕事をしているだけあって対応力があると思う。
『まあ、休憩室にご案内しましょうか?』
『あっ大丈夫です。ピアノも聴きたいしここのソファで……』
2人は階段を上がってすぐの廊下のソファに座ったようだ。しかし、なぜか椿さんは休憩室に行くようにと粘り強く食い下がってくる。2人も、動くよりここに座っていた方が、とか、人ごみでなければ大丈夫、とかなんだかんだと応戦する。どうにか追い払った頃には、曲はほぼ終わりに近付いていた。
『塔子、もうちょっと演奏を引き伸ばせる?』
亜莉夢が危機を察知して声をかける。やっぱりあれをやるしかないか──。
一曲が終わり、拍手も鳴り止まないうちに、わざと叩きつけるように最初の和音を強調する。そして雪崩のような左手の16分音符。階段下の壁にもたれ、腕を組んで見ていた父が目を見開くのがわかった。ショパンのエチュード「革命」。これができることは、あまり人に知られたくなかったのだけれど。
『……彼女行ったけど、まだその辺をうろうろしてる』
右手が主旋律を奏で始める辺りで、菜津の声が入った。椿さんが私の友人を把握しているとは思い難いけれど、招待したこと自体は知られているだろう。怪しい動きをしないかと疑われているのかもしれない。
『霧香はここで休んでて。水を取ってくる』
聞こえよがしに菜津が言う。炎が踊るようなアルペジオにおのずと、どうにか2人がやりおおせるようにという思いが込もる。
『リネン室に入った』
ガサゴソと聞こえるのは、菜津がシーツをスカートの中に隠している音だろう。曲も佳境に入る。
『ソファに戻った』
『2人はギリギリまでそこにいて。一瞬でやらないと止められるかも』
亜莉夢の指示に2人が返事をするのと、クライマックス、高音から低音に一気に駆け下りる音階がほぼ同時だった。フォルテッシシモの重厚な和音がピリオドを打つ。会場が先ほどより大きな拍手に包まれた。
父もわざとらしく手を打ち鳴らしながら、ピアノのそばへ戻ってきた。小さく「難しい曲はできないと言ったな?」と聞かれたけれど、無言を返す。音楽に関しては、真似しかできない私の演奏は私自身あまり美しいと思っていない。
「みなさん、お楽しみいただけたでしょうか?」
芝居がかった口調で来客に向き直る父と、椅子から立ち上がった私が、スポットライトに照らされたピアノの前に並ぶ。亜莉夢の『今だ』という声が聞こえた。
「娘は芸術的才能に特異な面があり、近く美術コンクールにも……うわっなんだ!?」
私と父の目の前に、大きな白い布がばさりと降りてきて来客から覆い隠される。霧香と菜津は無事役割を果たしたようだ。布に真っ直ぐ当たっているスポットライトの中に、文字列が投影される。亜莉夢が照明システムのAIを遠隔でいじっているのだ。
「……お前の仕業か。面倒なことを」
ふんと鼻を鳴らして父が私を見下ろす。唯一の連絡手段を使って、私が亜莉夢に頼んだのは、父と二人で話す時間を作ってほしいということだった。
「これはなんだ」
「あなたの脱税の証拠です」
亜莉夢は例のペーパーカンパニーの主な取引先が遠峰谷グループの会社だったことを、膨大なデータの中から探し出してくれた。同時に、他にもいくつかの不正取引の証拠を見つけてリストアップしたそうだ。
「母の自動車事故で煽り運転をした犯人は、遠峰谷グループの不正のためにいろいろと駒に使われていた人物のようですね」
父がはっと笑い飛ばすような声を上げた。
「そっちが本題か。相変わらず子どもの考えだな」
「子どもですよ。だから知りたいんです。──あなたが母を殺させたのか」
幕の向こうがざわついている。最初は新たな余興かとのんきに構えていた来客たちも、映し出されている内容が事実だと、だんだん気付き始めたようだ。
「お前はもう少し、損得で物事を考えることを覚えた方がいい」
父は大儀そうに顔を歪める。
「莉奈が生きていて、脅しに屈してお前と一緒に遠峰谷家を離れてくれた方が、どれほど私にとって得だったか。死んでしまって残したものが、お前だよ。今はやっとそれも、有効活用できるようになったがな」
不思議なことに、父にこれほど愛情のなさをあからさまにされても、何も感じなかった。この非情な父親と向き合っているうちに、私の心も凍ってしまったんだろうか。父はシーツの幕をバサバサと煩わし気に避けて、来客の前に出て行く。私も慌ててその後を追う。
「……いやはや、皆さま驚かれたでしょう。私も娘たちに出し抜かれました」
笑いながら、役者のようによく通る声で父が客に向かってしゃべる。
「塔子とともに、紹介しましょう。我が遠峰谷家の養女に迎えた亜莉夢です」
そう言って、エントランスホールの隣、扉のない入口でつながった応接間の方を手で差し示した。壁の裏側から、父の部下の黒服が誰かを連れてくる。父の「灯りをつけろ」と言う一声でホール全体が明るくなって、亜莉夢の姿が明らかになった。上は黒のベルベット生地、下は刺繍の入ったエメラルド色のフレアスカート。肩口に結んだ黒いリボンが垂れ、子どもの頃に流行ったアニメ映画のプリンセスのようだ。耳には私と同じニオイバンマツリの、形違いの円形のピアスを着けている。
そのまま黒服は、亜莉夢を会場の真ん中まで連れてきた。亜莉夢も抵抗しようとはせず、ただ鋭い目をして歩いてくる。
「彼女は近親者に不祥事があり、希望学園の特別奨学生を降ろされ孤児になったところを遠峰谷家の養子として引き取りました。しかし……これほどのことができるとは、期待以上でした。きっと娘の右腕として役立ってくれることでしょう」
あっけに取られていた人たちが、一人、また一人と拍手を始め、あっという間に喝采となる。
「……わけがわからない、とお思いですか」
いつの間にか、私のすぐ近くにリルさんが立っていた。
「この人たちは皆、不正が事実だということもわかっていますよ。けれど、自分に不利益が生じない限り、彼らはそんなことはどうでもいいのです」
父が私とリルさんを見て、不気味なほどにこやかに微笑む。
「エイプリルは本当に、よくできた私の人形だな」
リルさんは、いつものように、無表情だった。しかし、次のように続けた。
「ただ──自分に不利益が生じるとなったら話は別です」
その瞬間、ばたばたという靴音が鳴り響き、エントランスの大扉が開いた。スーツ姿の人たちが20人ほど、そのうちの何人かは段ボールを抱えている。
「国税局です。脱税容疑の査察調査に入らせていただきます」
私はまず、亜莉夢の顔を見た。互いに戸惑いの表情を交わす。それから、父を見た。それまで見せていた余裕の表情は消え唇が震えている。そして、リルさんを見た。──やはり無表情だった。
「馬鹿な、省庁とは話がついていたはず……」
そこまで言って、父は気付く。パーティーに来ていた会社の重役や幹部の何人かが、苦渋の表情で頭を下げていた。
「……会社を守るための決断です」
父より20は年上であろう、重役の一人が首を垂れたまま言った。リルさんが続く。
「不正ばかりで経営を保っているグループの実態と、トップの商才の無さに危機感を抱いていた社員は、あなたが思っている以上に多かったんですよ」
査察官たちはためらわず奥へ入って行き、家宅捜索を開始する。
「結局、内部告発にはほとんどの社員が加わりました。代表、あなたが切り捨てられたんです」
今度こそ会場は騒然となった。絶句していた人々が、口々にざわつき始める。私は亜莉夢の元へ駆け寄った。背後で父が「うああ!」と怒り狂ったような雄叫びを上げていた。私と亜莉夢は、何も言えず、ただお互いの手を握る。
霧香と菜津もすでに1階へ降りてきていたようで、走り寄って来た。そして、リルさんも、騒がしい人波をかき分けて、私たちの近くまで来る。
「亜莉夢さんのリストも渡していただけますか。内部調査の結果として、国税局に提出したいので。こちらで調べきれなかった過去のものもかなりありましたよ。さすがですね」
亜莉夢は少しの間探るようにリルさんの顔を見上げていたが、すぐに「わかりました」と答えた。なんだか亜莉夢の功績が横取りされるような気がして、私は「いいの?」と尋ねる。亜莉夢も少し煮え切らない表情だけれど、肩をすくめた。
「ハッキングしたとは、公には言えないし。犯罪だし」
霧香がはー、とため息をついた。
「私たち、エイプリルさんに泳がされてたってこと?」
「必死でシーツ投げ降ろしたのに……」
菜津も嘆いて、私たちは苦笑する。それぞれの立場の人々の思惑が入り乱れる喧騒の中で、リルさんは最後までポーカーフェイスを貫いていた。
「7月といえば!」
放課後のがやついている教室で、私は3人に投げかける。
「塔子の誕生日?」
「それは、もう終わったとして」
「夏休み?」
「は、もうすぐだけど」
亜莉夢と霧香が首をかしげる隣で、菜津がわなわなと震えている。
「私は覚えてる……7月になったらジェラートのテイクアウトをやるって、エニシさんが言ってたことを……」
「正解。さすが菜津」
亜莉夢と霧香も、「ジェラート!」と声を上げた。
私たちの日常は、亜莉夢と初めて友達になって過ごした春と変わらぬ日々に戻った。父と不正に関わったトップの何人かが逮捕されて、しかしそのポストが遠峰谷家の別の親戚やら幹部やらに替わっただけで、会社の経営自体はあまり変わっていない。内部告発だったこともあり、企業イメージもさほど損なわれていないという。
父が逮捕されても財産がすべて没収されるわけでもなく、生活もこれまで通りだ。リルさんは、今回のことでさらに会社の重要なポストについたそうだけれど、雇われの養育係じゃなく私と亜莉夢の後見人として、一緒に暮らすことになった。今は学園の理事にも関わっていて、教育体制の見直しを進めているらしい。奨学金制度は今後も続くけれど、今までのような、学園のために学生生活をすべて捧げるような形ではなくなるという噂だ。
「やーっぱり来たわねちびっ子ギャング」
ちょうど店頭でジェラートの幟を出していたエニシさんが、私たちの姿を見て言う。一応高校生なんですけどと抗議したら、「だからちびっ子でしょ」と返された。梅雨明けはまだ発表されていないけれど、今日は真っ青な空にちぎれ雲が浮かび、日差しが強い。とうとう夏の暑さがやってきた感じがする。
店内に入ったら、カウンター席に鳩ヶ谷さんの姿があって、私たちは驚きながら挨拶する。
「あら、あの時のお嬢さんたち。久しぶりね」
鳩ヶ谷さんは嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
「実はあの後ね、エニシさんとさがのさんとホリカワさんが市役所に連れてってくれて、アパートで暮らし始めたのよ。こんなお婆さんが援助なんて受けていいものかと迷ったんだけれど、これ以上ホリカワさんに迷惑をかけるよりは、ね……」
私は近づいて、鳩ヶ谷さんのそばに立つ。
「今の生活は、どうですか?」
鳩ヶ谷さんは少し考える顔をしてから、「そうね」と呟いた。
「わりに、楽しいわね。鳩たちにも、お友達にも会えるから」
噴水の縁に腰かけて、ジェラートを食べる。雲は流れ、広場には人々が行き交う。穏やかな風景の中に、ふと──その姿を見つけた。
「あれ……」
亜莉夢たちも気付いたようだ。
「エイプリルさん?」
教会の前に停まったタクシーから、裾がふわりと広がるノースリーブとスキニーパンツで上下黒に統一した彼が出てきた。そのまま真っ直ぐ聖堂へと入っていく。
「クリスチャンなんだっけ?」
霧香の問いに、「さあ」と短く答える。亜莉夢が「あるいは……」と口を開く。
「会社でも、遠峰谷家でもない場所で、やりたいことがあるのかも」
菜津と霧香は、私と亜莉夢が何かに思い当っていることを、察したようだった。
「ちょっと、今日はここで解散でいいかな。私と亜莉夢は、リルさんに声をかけてみるよ」
立ち上がる私に、菜津と霧香は黙って頷く。亜莉夢も立ち上がり、「じゃあまた」と二人に声をかけると教会へと急ぐ。リルさんと話さなければいけない。亜莉夢もきっと思いは同じだ。
聖堂の中は薄暗く、ステンドグラスの窓からの光が唯一の明かりのようだった。木製の長椅子が何列も並ぶ、その一番前の席に、リルさんの後ろ姿がある。ただ祈っているようにも見えるけれど、近づいていくと、その手元にタブレットを持っているのが見えた。
私たちがそばに来たのに気付いて、リルさんは目を上げる。そして薄く微笑んで、頷いた。
「こうなるんじゃないかという気はしてましたよ。コンピュータに関しては、会社の人間が束になっても亜莉夢さんには敵いませんから」
そう言ってタブレットを持ち上げ、画面を私たちに見せる。エラー表示が複数窓重なって出ている。
「……理由が知りたい。なぜあなたが、弟を攻撃する必要があるのか」
最初は、単なる私の直感だった。リルさんはいつものポーカーフェイスだったけれど、どこかが違った。まだ何かあるような、すべてが終わったわけじゃないような気がしてならなかった。亜莉夢が再びリルさん周りのコンピュータをくまなく調べてわかったのは、彼が、父の再婚者である椿さんの母──弟の祖母にあたる、園城藤子についての情報を集めていたことだ。そしてそれを流す先として、学園の生徒たちに人気のSNSコミュニティに当たりをつけていることもわかった。
「特別奨学生や、亜莉夢が攻撃されたのと同じ理屈だ。弟が──優希が“本当は特権を受けられないはずの人間”だと示して、攻撃対象になるのを狙ったんだろう?」
リルさんの集めた情報には、園城藤子が貧しい家庭に生まれ育ち、ホステスや政治家の愛人などを経て芸能界でのし上がってきた経歴が記されていた。調べれば誰でもわかるゴシップで、リルさんが流さなくても、いつか噂になっていたかもしれない。けれど、重要なのは秘密を暴くことではなく、それを広めることだ。不公平だと彼らが感じる種をまいて、敵意の矛先を向けさせること。
「そんなことしなくても、父親が逮捕されたってだけであいつはもう肩身狭い思いしてるんじゃないか?」
「それでは塔子さんと、条件は同じでしょう」
リルさんはこちらに視線をよこすと、立ち上がった。椅子の背に手を置いて、私たちと対峙する。
「莉奈さんの子であるあなたと、後妻の子が同じ扱いではいけない。今後もあの息子があなたより重用されることがあってはならないんです」
不意にリルさんの口から出た母の名に、私はその顔をまじまじと見る。
「……母さんを知ってるの」
リルさんは微笑んだ。
「私の生まれた黄家は、遠峰谷家と古くから交易のある台湾の資産家一族です。しかし我が家はその傍系の、力の弱い家でした」
リルさんがいつどうして台湾からやって来たのかは、以前尋ねた時ははぐらかして教えてくれなかった。
「しかしある時、父が経営する子会社が、遠峰谷グループからの製品に欠品があることに気付き、親会社に知られる前に秘密裏に補うということがありました。そして、便宜を図った見返りとして父が当時の代表──希於氏のお父上に求めたのが、私を遠峰谷の社員として育てることでした。遠峰谷で私が重要なポストにつけば、翻って我が家の黄家での地位が高まるという狙いです」
隣で亜莉夢が怪訝な顔をするのがわかった。一体それは、リルさんがいくつの時の話だろう。そう思ったのが伝わったのか、リルさんはふっと笑って言った。
「13歳で私は単身この国へ渡り、学生インターンという名目で仕事を習う日々が始まりました。淋しいとも、心細いとも、思うことは許されないと考えていました。周りの大人も皆、私は普通の子どもとは違い、感傷に浸ったりはしないのだと理解していました。ただ、莉奈さんだけが──」
そこで少しだけ、胸の内の思いを振り返るように、リルさんは言葉を詰まらせた。
「莉奈さんだけが、私を普通の子どもとして扱いました。大学を卒業して遠峰谷グループに入ったばかりの莉奈さんは、会うたび私に一人で困っていることはないか、食事はちゃんと取っているかと尋ねました。他の社員に、私にそんな気遣いは不要だと言われても、必ず声をかけてきました」
それだけです。──と、リルさんは言った。本当に、母とのつながりは、ただそれだけだったと。
「だけど、ずっと忘れなかった。莉奈さんが亡くなった後も、ずっと」
「リルさん」
口を開いたのは、亜莉夢だった。
「莉奈さんがあなたにしたことは……まともな大人なら当たり前にすることです」
私は少し驚いて亜莉夢を見る。
「だけど、私たちの周りにまともな大人はあまりにも少ない。子どもを搾取する大人ばかりだ──そうでしたよね、あなたもきっと」
リルさんは少し目を見開いて亜莉夢を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「あなたがまともな大人でいてくれなかったら──子どもを攻撃するような大人になってしまったら、私と塔子は、誰を頼りにすればいいの?」
亜莉夢は悔しそうな、泣き出しそうな顔をしていた。
亜莉夢と二人、茉莉花野の森を歩く。ニオイバンマツリの花があちこちに咲き誇っている。
亜莉夢がリルさんに告げたゲームの話には驚いた。リルさんの持っていたデータには、あの亜莉夢に似た少女のやたら残酷なアクションゲームを模し、キャラクターだけを優希にすり替えたものがあった。
「元のあのゲームは、たぶん私が作ったものです」
亜莉夢が言った。
「記憶がなくても、自分の作ったものならわかります。それに……あれが流行ってから、私への攻撃は減っていたんでしょう?」
たしかに、リルさんに調査してもらった報告書には、攻撃的な欲求がゲームで満たされたせいか、本人への嫌がらせは減ったと書かれていた。
「あれは、主人公を死なせないようにするゲームだし。ゲームの私を殺さないように頑張っているうちに、私自身に攻撃したい気持ちも薄れるって……私は考えたんじゃないかな」
過去の自分を推測する亜莉夢を、リルさんは、複雑な表情で見る。
「……何が言いたいんですか」
「わかってたんじゃないですか。あのゲームの意図と効果は。あれを使って、優希さんへの攻撃が酷くなりすぎないように、ブレーキをかけるつもりだったんじゃないですか」
私は歩きながら、亜莉夢に問う。
「さっき亜莉夢、『リルさん』って呼んでたよね」
「……うそ」
「気付かなかったの?」
亜莉夢は苦笑いして目を泳がせながら、「はずかし」と呟く。
「リルさん、きっとこれからも、私たちの家族でいてくれるよ」
夕方のぬるくなった空気の中で、森に子どもだけでいるのが、急に心細いような気がしてくる。亜莉夢と友達がいれば最強だって思いたいけれど、やっぱりまだ私たちの存在は、大人よりも儚い。
「信じるよ」
信じる、という言葉を亜莉夢から告げられるのは2度目だ。亜莉夢の「信じる」は強い。私はわざと明るい口調で切り出す。
「信じれば叶うっていうけど、叶うかどうかよりも大事なのは、何を信じるか自由に決めていいってことだね」
どんな希望を信じるのか、叶えたいのか、私たちは大人にコントロールされない。その自由を得るために、ここまで来た。
「亜莉夢は、これからやりたいことはある?」
やろうと思えば何でもできる私たちに、可能性は無限にあって、ただ時間だけが限られている。
「うーん、また新しいゲームを作ろうかな。なんかエポックメイキングなやつ」
「先にそれ予告するの、だいぶ強気だな」
「塔子は? 何する?」
聞かれて私も、「うーん」と空を見る。ちぎれ雲は紫色に染まっている。
「まずは絵を完成させて、コンクールには出さずに、茉莉花野町のどこかに飾ってもらいたいな」
あのキャンバスに描いたのは、灯台で亜莉夢の肩越しに見た空と海の光。あの時亜莉夢と信じたこと、交わしたことが、私の希望──私の信じるもの。
「私、塔子が何を描いたかわかるんだ」
まだ絵を見ていないはずの亜莉夢が、そう言って微笑んだ。
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