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番外編【エレン視点Ⅰ】土蜘蛛の宣戦布告

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 ――惠簾エレン視点――



 暗闇があった。どこまでも続く永遠の闇。

 ぽつんぽつんと赤い点が宿る。二つ、四つ――いや、八つの小さな炎だろうか? 違う。眼だ。

 次の瞬間、全身がこおったように動かなくなった。

 ――土蜘蛛。

 その名を口にしようにも、カラカラに乾いたのどに声がはりついて出てこない。

 闇に目が慣れてくると、巨大な蜘蛛をかたどる不気味な輪郭が見えてきた。

 ――逃げなきゃ。

 意識ははっきりしているのに体がまったく動かない。空間自体の重力が全身を押さえ込むように、闇がのしかかってくる。

 八つの眼が私をとらえ、わらった気がした。

『ガクエンサイだと? ニンゲンがたくさん集まるらしいな。すべて食ってやろう。それまで英気を養うためにゆっくり眠るとするか』



 まぶたを開けると見慣れた天井が目に入った。

(夢?)

 私は重い体を起こし、い巻きからはいだした。びっしょりと冷や汗をかいている。金縛りにあっていたようだ。

(わたくしの神通力が土蜘蛛の思念をとらえたのでしょうか――?)

 それとも不安な気持ちが見せた、ただの悪夢?

 ふすま一枚へだてたとなりの部屋からは兄たちのいびきが聞こえてくるが、母屋を囲む木々の中では、鳥たちが朝の歌をかなでているようだ。

(もう夜は明けたのね。決めたわ。おびえていてもしょうがないもの)

 まだ家族の寝静まる静かな家の中、私はそろりと部屋を抜け出すと儀式の準備をはじめた。大きな風呂敷に神具一式を包んで、まだ朝もやの残る木々の中へ踏み出す。うちのやしろは小さな山に建っているから、玄関を一歩出れば林が広がっているのだ。



 朝日に照らされた魔道学院旧校舎は、凛とした空気に包まれて静かにたたずんでいた。風呂敷包みを解くと、私は簡単な祭壇を作った。

(わたくしに土蜘蛛を倒す力はないけれど、せめて――)

 土地神さまにお米とお酒、お塩をおそなえし、祝詞のりとを奏上する。私の声が早朝の澄んだ日差しにとけてゆく。



 私は迷っていた。今朝の悪夢について、皆さまに伝えるべきかどうか――。あれこれ考えたすえ、私はお師匠さまの研究室をおとずれた。

 コンコン

 と扉をたたく。

さかき惠簾エレンです。お話ししたいことがございまして――」

「どうぞ。開いていますよ」

 いつもどおりの、のんびりとしたお師匠さまの声。

 扉を開けると、竹かごの中の鈴虫をながめながら、彼はおにぎりを頬張っていた。

(よくまあ虫を見ながらご飯を召し上がれますわね)

 という感想は胸にしまって、私は今朝見た夢と、そのあと旧校舎にかけた術のことを打ち明けた。話を聞き終えたお師匠さまは動揺することなく、静かに言った。

惠簾エレンさんの神通力は大変助かります。その術はありがたい。この話、たちばなくんたちには――」

「していません。だって、お師匠さま。今日は学園祭前日ですのよ?」

 これまで本番に向けて準備してきた、明日を心待ちにする皆さまの気持ちに水を差したくない。

「そうですねぇ……」

 お師匠さまは腕組みして、

「生徒会の学生全員に話す必要はありませんが、我が学院の最強戦力であるたちばなくんには伝えたいですね」

「そうすべきだとは思いますが――」

 私は正座したまま、ひざの上に置いた自分の両手を見下ろす。「たちばなさまは毎日、学園祭の生徒会出し物の稽古に励んでいらっしゃって、前日に集中を乱すようなことをお話しするのはかわいそうですわ」

 最初はせりふひとつ言うのも恥ずかしそうだった彼が、真剣なまなざしで練習を重ね、今ではまっすぐ玲萌レモさんをみつめて騎士の役を演じられるようになった。

「分かりますよ」

 ゆっくりとうなずいたお師匠さまは、おだやかな笑みを浮かべていた。「内気な少年がみずからの殻をやぶってようやく手に入れた青春を、きらきらとした瞳で謳歌おうかしている。尊いですよね!」

 目をきらきらさせてんのはお師匠さまのほうでは? 私はそういう目では見てないですわ…… じゃっかん引きつつだまっていると、それを肯定と受け取ったのか、

「でも惠簾エレンさん、たちばなくんは見た目より大人だから大丈夫ですよ」

「そうでしょうか……」

「はい、確かにあの屈託のない笑顔にのぞくちっちゃな牙と、上目づかいにみつめる翠玉エメラルドの瞳に思わず、ふわふわした銀髪をなでていい子いい子したくなっちゃいますけど」

 うわっ…… このかた、予想以上ですわ……

惠簾エレンさんドン引きしないでくださいっ たちばなくんの尊さを語り合える同好の士だと思っていたのに…… しくしく」

 こんな中年男性と同好の士だなんて嫌すぎますわ。

「でもお師匠さま、たちばなさまが一人になることなんてありますでしょうか。いつでも玲萌レモさんが横にいらっしゃるような……」

「今日の放課後は最後の通し稽古でしたね」

「はい、衣装もつけて本番さながらに――」

 お師匠さまは本棚を見上げながら少し考えていたが、なにか思いついたのだろう、ひとつ小さくうなずいた。

「では普段着に着替え終わったころ、私が玲萌レモさんを連れ出しましょう。しばらくここに引きとめておきますから安心してください」
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