【完結】君を愛することはないと言われた侯爵令嬢が猫ちゃんを拾ったら~義母と義妹の策略でいわれなき冤罪に苦しむ私が幸せな王太子妃になるまで~

綾森れん

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第36話、魔女が本気で王宮に襲い来る

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 異変は夕暮れ時に起きた。西日が山の向こうに沈み、王都が夕闇に溶ける頃――

「食後のハーブティーは二人でテラスに行って飲もう」

 宮殿の食堂でのディナーに緊張していたロミルダに、ミケーレが小声で告げた。

「わぁ、素敵ですわ」

 声のボリュームは抑えたまま、喜ぶロミルダ。

「カモミールティーを二人分、余のテラスに運んでおけ」

「王太子殿下専用テラスでございますね。承知しました」

 礼をして厨房へ下がっていく使用人の背中を見ながら、

「専用テラスに入れていただけるなんて」

 ロミルダは嬉しそうにつぶやいた。

「見晴らしは良くないがな」

「まあ、そんな……」

 ミケーレの言葉を謙遜と受け取ったロミルダだったが、それは厳然たる事実だった。

 テラスは二階の屋根の上に作られており、空の半分以上を占めるのは宮殿の向かいの棟。見下ろすと棟同士をつなぐ空中回廊の向こうに、中庭コルテの井戸が見える。

 なぜこんなところが王太子殿下専用テラスなのか? 訊くまでもなく、ロミルダはすぐに察した。

「全面に網が張ってあるんですね。ディライラちゃんの脱走防止用ですか?」

 ロミルダの肩あたりの高さまで目のこまかい網が張ってあるから、ハーブティーを飲もうと椅子に座ると見晴らしはほぼゼロになった。真上をあおげば、少しずつ紺色に染まりゆく空に一番星が輝いているくらい。

「その通りだ、ロミルダ。ここでなら、外の空気の中で自由にディライラを遊ばせられるのさ」

 猫担当の侍従が金のかごに入れられた三毛猫を連れて現れた。かごの中のディライラはテラスで遊べるのが分かっているのだろう、金細工の柵をカリカリと引っ掻いて、出せ出せアピールをしている。

「ごくろう。ディライラを自由に」

 ミケーレが短く命じると、侍従がかごの鍵を開けた。途端にディライラは走り出て、大きな植木鉢に飛び乗った。そこで夜空を見上げ、

「カッカッ……」

 とクラッキングを始めた。

「鳥か?」

 空を振り仰いだミケーレにつられて上目づかいになったロミルダは、ハッとして息をのんだ。

「あ、あれ!」

 夜風に乗って空を飛ぶ何者かを指さして、

「離宮に行くときも馬車から見ました!」

「余には暗くてよく見えんのだが」  

 ミケーレが目を凝らすうちに、その人影はほうきの上から中庭コルテに人がいないのを確認して急降下してきた。

「見えたぞ!」

ミケーレが立ち上がって、大理石の手すりまで走って行く。   

ほうきに乗って空からやって来るなんて、魔女ではないか!?」

「井戸の前に立って手に持った何か――小瓶でしょうか? 中身を井戸の水に混入しようとして――」

「衛兵たちをすぐに中庭コルテに配置するよう伝えろ!」

 ロミルダの言葉をさえぎって、ミケーレは侍従たちを振り返ると叫んだ。

 中庭コルテから吹き上がる風に匂いが混ざっているのか、手すりに飛び移ったディライラがうなりをあげる。

「井戸に何か入れ終わって逃げて行くわ!」

「ロミルダ、そなた目が良いのだな。余は暗くてよく分からん」

 井戸のあたりは宮殿の陰になって、月明りが届かないのだ。

「衛兵たちはまだ着かぬか!」

 ミケーレが苛立ちをあらわにしたとき、ディライラがひらりと飛び上がった。

「おい!」

 驚愕の声をあげるミケーレの前で、ディライラは何食わぬ様子で網を飛び越える。一階の屋根に着地すると、目にもとまらぬ速さで窓から窓へ飛び移り、野生の豹のようなジャンプ力を披露して、逃げようとする魔女の頭に噛みついた!

「痛たたたたっ」

 下から悲鳴が聞こえる。ロミルダはその声に、片手で口もとを押さえた。

「やっぱりお義母かあ様!」

 中庭コルテに衛兵たちがなだれ込むと、ディライラは宙を舞うように一階の屋根下から見守る人面彫刻に飛び移った。 

「王家の井戸に何をした!?」

 衛兵たちが周りを取り囲むと、魔女は胸の間から香水瓶のようなものを取り出し、シュッと一吹き。衛兵たちはガクンと膝を折り、その場でたちまち眠りこけてしまう。

「さっき勉強した眠り薬だわ!」

「くっ、魔女め。好き放題しやがって! 宮廷魔術師を呼べ!」

 階下に向かって叫んだミケーレの命令に従って、眠り薬の影響を受けなかった衛兵が城内に走って行く。だがテラスから声を出したせいで、ミケーレの居場所は魔女に知れてしまった。

「王子、そこにおったか!」

 井戸に立てかけてあったほうきにまたがると、ふわりと宙に浮かぼうとした刹那――

「ンァァァゴォォ!」

 ディライラがその額に飛び移って来た!

 次第に高く昇って来た月が、向かいの棟のうしろから顔を出し、全身の毛を逆立てて魔女に噛みつくディライラを照らし出す。

「い、痛い! 目はやめなさいっ!」

 顔から猫をはがそうと魔女が必死で抵抗していると、宮廷魔術師たちが中庭コルテに集まって来た。そのうちの一人が杖を投げた。弧を描いて魔女に吸い寄せられた杖は、まるで意志を持っているかのように魔女の影の上に垂直に立った。

「魔女め、覚悟しろ!」

 動きを封じられた魔女めがけて、屋敷の中に待機していた騎士団が一斉に姿を現し、襲いかかる。

「ひっ捕らえろー!」

 しかし、魔女が口の中で呪文を唱えると、宮廷魔術師の杖はカタンと倒れてしまった。

「私をあなどるな! 前回は魔法を使わなかったからお前たちに敗北したが、今回は全力で抵抗させてもらう!」

 魔女の影が伸び、生き物のようにうごめいて、次々と騎士たちを襲う。

「お義母かあ様ったらあんなに強かったのね!」

「おいっ」

 テラスの上から見下ろしながら目を輝かせているロミルダに、ミケーレは慌てて突っ込んだ。

 宮廷魔術師は騎士団を救うため、魔法の杖を高くかかげて叫んだ。

「聖なる光よ!」

 一瞬、真昼の太陽が落ちてきたかのように、中庭コルテに光が満ちた。白い閃光が中庭コルテに面した窓という窓を照らし、貴族も使用人も異変に気付いて窓から顔を出し始めた。

 光に影を消された魔女は、そんなことであきらめたりはしない。今度は井戸の水が立ち上がり、蛇のように身をくねらせながら騎士団を攻撃する。

「なんということだ」

 テラスから見下ろすミケーレは、苦しそうに落胆のため息をついた。

「魔術師と騎士団で寄ってたかって攻撃しているのに、魔女一人と互角とは――」

「このままでは王国側に被害が出るばかりですわ……」

 ロミルダは痛みに耐えるかのようにまぶたを閉じると、一呼吸して心を落ち着けてから、意を決したように目を開けた。 

「ミケーレ様、私に考えがあります」
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