上 下
26 / 45

十三之巻、わけは知らねど交渉成立でぃっ!

しおりを挟む
 長椅子にうつぶせになっていた原亮はらりょうは、近付く騒ぎ声にうっすらと瞼を開けた。ほのかなふぁしるの残り香に包まれて、うつらうつらしていたようだ。

 表の声は次第に大きくなる。

「いいか、円明まるあき。ここが亮のいおりだよ。あの人は時々ここに来て、を描いたり詩を吟じたりして、風流人の振りをするんだ」

「にしてもぼろい家だなあ」

「あれ? 円明まるあきはこーゆーの、おもむき深いって感じる手じゃないの?」

「家の方はいいんだが、見てくんなせえお頭、あそこに架けてある丸太、腐って割れて、川に半分落ちてるじゃあねえですか。あれじゃあ、趣もなんもあったもんじゃねえ。こんな奴の書くなんざ、タカが知れてまさぁね」

 表の話し声に、亮はぎらりと目を怒らせ上体を起こした。

 大股で部屋を横切り、がらりと戸を開ける。門の向こうに、美しげな少女と白髪の老翁の姿、声から察するに変装して現れたつき来夜らいやとその手下だろう。

「これはこれは来夜殿、天下一の盗み屋と名高いあなたが、このような傾きかけた草盧そうろにいかなるご用で――」

 門を入ってきた来夜は、原亮のひきつった笑みにも気付かず、

「あれ~、亮、警察の仕事はぁ?」

 原亮が「来夜殿」と呼ぶときは、お尋ね者としてではなく、一人の人間として敬意を払ってくれている証拠、いきなり手錠をかけられる心配はない。だから来夜も「原警部」とは言わず気軽に亮、と呼ぶ。相手から「殿」付けしてもらっていて呼び捨てもないもんだが、幼い頃から甘やかされまくってきた来夜は、なんの不思議も感じない。

「どうしたの、亮」

 来夜は、門の一歩手前で固まっている亮に首をかしげる。

(警察の仕事! 絶対間に合わない……)

 竹林を照らす高い太陽に、絶望的なまなざしを向ける。

(警察部屋で働き初めて数年間、欠席も遅刻も一度もなかったのに……)

 だが彼は、すぐさま街へかけ戻りはしなかった。来夜たちに、そんな無様な後ろ姿は見せられないのは勿論だが、彼の心には不思議な決意が生まれていた。

 「下の人間、上の人間」――

 独断と偏見に満ちたふぁしるの感覚。

 「あなたたちに、私のような底辺の感覚は分からない」自分と違う種の人間には近付こうともしない。だが果たして自分は彼女を弾劾だんがい出来るほど、広い視野と経験を持っているだろうか。盗み屋連中とも私的につながりを持つことで、ほかの奉行所の連中とは違う「警部」を演じてきたつもりだが――

 今日の仕事はさぼろう、と原亮は決意した。

 これでふぁしるに認めてもらえるわけではない。一日仕事を休んだだけで、何が変わるものでもない。ただ、昨日までとは違うという感覚が欲しかった。

「それで何の用です、来夜殿」

「うん、あのね、今日は円明まるあきにここを案内しただけだったんだけど…… まさか今日、亮がここにいるとは思わなかったから」

「私はここにいますよ。で、どんな御用です、円明まるあきさん」

「あちーなおい」

 亮はちょっとむっとした。でも紳士らしく笑みをたたえたままで、

「暑いですね、立ち話も何ですし中へどうぞ」

「わりーなおい。廃屋はいおくやぁ、日除ひよけくれぇにゃなるもんかな。字余りだな、おい」

 失礼極まりない歌など口ずさみながら、案内しようとした亮の横をすり抜け、一人でずんずん飛び石を踏んでゆく。しわくちゃの左手を落としたのも気付かず、風流な石の上にそのまんま。亮くん、かなり嫌そうだ。

 なぜこんな奴が役人を目指していたのかは、盗み屋マルニンの七不思議とされている。何年たっても役人になれなかったという事実だけは、非常に納得なのだが。

「あの者は来夜殿の手下ですか」

 並んで歩く亮警部が、来夜の耳元にかがんで尋ねる。溜め息半分うなずいて、来夜は円明の落としていった左手を拾う。「あいつは陶円明すえまるあきってんだ。あの、人を気にかけないのは、芸術家魂って奴だよ」

「芸術家……? まさか狂歌とかじゃないでしょうね?」

「ん? まさしくそれ」

「うわぁあぁぁっ、嫌だぁぁ! あんなののどこが芸術家なんだぁ!」

「ま、絵師目指してる警部さんとかいるし」

 頭抱えてた亮には、来夜の呟きは聞こえなかったようだ。



 交渉は成立した。

 芦屋あしや正三郎しょうさぶろうの食客となった者には、お抱え絵師として、都で名を博している者もいる。そんな活きのいい新興しんこう版元はんもとに紹介するという円明まるあきに、亮は色好いろよい返事をくれた。破られた台帳については、土地戸籍部屋の者に話を付けてみようと言うのだ。思いがけない交渉成立に陶円明すえまるあきは心底驚いたし、来夜はまた何か裏があるのではないかと疑った。

 ふたりとも、自分たちがこのいおりを訪ねる前、亮に何が起きたのかなど知るよしもなかったからだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...