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第01話、皇女ルシールの憤(いきどお)り
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「ルシール様、皇帝陛下がお呼びです」
ノックして入ってきたのは侍女のニーナ。いつになく硬い表情をしている。
「父上が?」
私は眉をひそめ、ペンをインク壺に戻した。書きかけの手紙を机の上に広げたまま立ち上がる。
手燭で足元を照らしてくれる侍女ニーナと共に、絨毯の敷かれた暗い廊下を歩きながら私は嫌な予感にとりつかれていた。
ここ最近はすっかり私を無視するようになっていた父が、こんな夜遅くに突然呼びつけるなんて何があったのかしら?
「陛下、ルシール様がいらっしゃいました」
父の執務室の前でニーナが声をかける。
「入れ」
中から低い声が聞こえた。
「失礼いたします、父上」
執務室というより、舞踏会が行われる広間なんじゃないかと思うような豪華絢爛な部屋の奥に、父は厳しい顔で座していた。天井からは無数のロウソクを立てたシャンデリアが下がり、散りばめられたガラス細工がまばゆいばかり。薄暗い私の部屋とは対照的だ。
「これからお前に伝えることは他言無用だ」
「はい」
と、こうべをたれながら、私はこの場に兄がいないことを訝しんだ。父は私を冷遇し、かわりに残酷な気質を持つ双子の兄セザリオをつねに贔屓していたから。
「本日夕刻、狩りの帰りにセザリオが落馬した」
「えっ……」
「いまだに意識が戻らない」
「そんな――」
私は思わず右手で口もとを覆った。「明日はアルムハルト王国の姫君ミシェル様との婚礼の儀ではありませんか」
「そうだ。だからお前を呼んだ。喜べ、ようやく我がヴァルツェンシュタイン帝国の役に立てる日が来たのだ」
嫌な予感はますます強くなる。
「お前がセザリオの服を着て婚礼の儀に出席するのだ」
やはり――。悪い予感は的中した。
「安心しろ、皇女ルシールは宮殿内の大階段で足を踏みはずして頭部を強打し、意識が戻らないゆえ儀式に出席できないと発表する」
父は黒々とした顎髭をなでながら、唇の両端をつり上げた。
「しかし父上、わたくしもジョルダーノ公国ご令息ユーグ様との婚礼を三日後に控えております」
私が望んだ結婚ではない。私を邪魔者扱いし、帝国領内の辺境に位置する公国に追い出すために父と兄が決めた婚約だった。
「そんなもの取りやめに決まっておるではないか。皇女ルシールは大階段から落ちて意識不明なのだぞ?」
なんてこと…… あまりの身勝手さに言葉も出ない。
「明朝、帝国全土に向けて公式発表を行う。ジョルダーノ公爵が文句の一つでも言ってこようものなら、我が帝国の魔術騎士団がひねりつぶしてくれるわ!」
そう、父はそういう皇帝だ。侵攻のよい口実にされ、いま攻められているブリューム自治領と同じ目に遭うだけだ。
私は悲しみにくれ、なかば救いを求めるように壁にずらりと並んだ歴代皇帝たちの肖像画に目をやった。願わくば私が幼かったころの平和な帝国に戻ってほしい。いや、戻したい。だが私は皇女でありながらなんの力もないのだ。我が帝国は代々、男子のみが皇帝になっている。何もできない自分が悔しい――
「婚礼儀式の手順についてはお前の侍女に伝えてある」
私より先に侍女へ情報をわたすことも、私を軽んじていることを示す父の意思表示なのだ。だがニーナは子供の頃からいっしょに育った親友のような存在。私はつまらない嫉妬などいだかない。
「夜のあいだにセザリオの部屋へ移っておけ。衣服もすべてそちらに用意させてある。分かったらとっとと準備に取りかかれ」
「承知いたしました、父上」
私はうやうやしくあいさつし、重い足取りで執務室をあとにした。
ノックして入ってきたのは侍女のニーナ。いつになく硬い表情をしている。
「父上が?」
私は眉をひそめ、ペンをインク壺に戻した。書きかけの手紙を机の上に広げたまま立ち上がる。
手燭で足元を照らしてくれる侍女ニーナと共に、絨毯の敷かれた暗い廊下を歩きながら私は嫌な予感にとりつかれていた。
ここ最近はすっかり私を無視するようになっていた父が、こんな夜遅くに突然呼びつけるなんて何があったのかしら?
「陛下、ルシール様がいらっしゃいました」
父の執務室の前でニーナが声をかける。
「入れ」
中から低い声が聞こえた。
「失礼いたします、父上」
執務室というより、舞踏会が行われる広間なんじゃないかと思うような豪華絢爛な部屋の奥に、父は厳しい顔で座していた。天井からは無数のロウソクを立てたシャンデリアが下がり、散りばめられたガラス細工がまばゆいばかり。薄暗い私の部屋とは対照的だ。
「これからお前に伝えることは他言無用だ」
「はい」
と、こうべをたれながら、私はこの場に兄がいないことを訝しんだ。父は私を冷遇し、かわりに残酷な気質を持つ双子の兄セザリオをつねに贔屓していたから。
「本日夕刻、狩りの帰りにセザリオが落馬した」
「えっ……」
「いまだに意識が戻らない」
「そんな――」
私は思わず右手で口もとを覆った。「明日はアルムハルト王国の姫君ミシェル様との婚礼の儀ではありませんか」
「そうだ。だからお前を呼んだ。喜べ、ようやく我がヴァルツェンシュタイン帝国の役に立てる日が来たのだ」
嫌な予感はますます強くなる。
「お前がセザリオの服を着て婚礼の儀に出席するのだ」
やはり――。悪い予感は的中した。
「安心しろ、皇女ルシールは宮殿内の大階段で足を踏みはずして頭部を強打し、意識が戻らないゆえ儀式に出席できないと発表する」
父は黒々とした顎髭をなでながら、唇の両端をつり上げた。
「しかし父上、わたくしもジョルダーノ公国ご令息ユーグ様との婚礼を三日後に控えております」
私が望んだ結婚ではない。私を邪魔者扱いし、帝国領内の辺境に位置する公国に追い出すために父と兄が決めた婚約だった。
「そんなもの取りやめに決まっておるではないか。皇女ルシールは大階段から落ちて意識不明なのだぞ?」
なんてこと…… あまりの身勝手さに言葉も出ない。
「明朝、帝国全土に向けて公式発表を行う。ジョルダーノ公爵が文句の一つでも言ってこようものなら、我が帝国の魔術騎士団がひねりつぶしてくれるわ!」
そう、父はそういう皇帝だ。侵攻のよい口実にされ、いま攻められているブリューム自治領と同じ目に遭うだけだ。
私は悲しみにくれ、なかば救いを求めるように壁にずらりと並んだ歴代皇帝たちの肖像画に目をやった。願わくば私が幼かったころの平和な帝国に戻ってほしい。いや、戻したい。だが私は皇女でありながらなんの力もないのだ。我が帝国は代々、男子のみが皇帝になっている。何もできない自分が悔しい――
「婚礼儀式の手順についてはお前の侍女に伝えてある」
私より先に侍女へ情報をわたすことも、私を軽んじていることを示す父の意思表示なのだ。だがニーナは子供の頃からいっしょに育った親友のような存在。私はつまらない嫉妬などいだかない。
「夜のあいだにセザリオの部屋へ移っておけ。衣服もすべてそちらに用意させてある。分かったらとっとと準備に取りかかれ」
「承知いたしました、父上」
私はうやうやしくあいさつし、重い足取りで執務室をあとにした。
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