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『傲慢』のつくりかた

誰が為に

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「『傲慢』だね。いまの圭一、世界で一番『傲慢』だよ」
「────っ、あ、」
 顔を覆う。何が起きたのか分からなかった。体中の血液が、逆流するような。そんな浮遊感に、ぐにゃりと地面が歪んで。
「『嫉妬』を屈服させたとき。おれの手帳からあいつの名前が消えた」
 弛緩しきった俺の指に、真っ白な指が絡みつく。
「『色欲』を屈服させたとき。名前は消えていたけれど、好感度は上限のままだったし、テキストボックスは解放されたままだった」
 謳うみたいに言いながら、上機嫌に身体を揺らす。半ば引きずられるようにエスコートされながら、ぬるぬる動く景色を、うつろな思考のまま眺める。
「おれの役目は、この世界の罪源を全て蒐集すること。おれが攻略しているのは、罪源者ガワじゃない罪源そのものだったんじゃないか」
「だから、試した。『傲慢』を、適性のある別人に継承してもらって?」
 ぐる、と視界が回る。狩野が、俺を引きずりながらターンしたから。
「そしたら、ビンゴ。器は変わっても、ステータスは引き継がれた」
 何かが。胎の中で勝手に芽吹いた何かが、中身を侵していくような。重く、どす黒い泥みたいな物が流れ込んできては、一瞬で全部書き換えられて。きもち悪いような、きもち良いような。
 狩野も、俺も、もう踊ってはいなかった。
 直立のまま。身体は動いてすらいないのに、俺の目は、ぐるぐる、ぐるぐると回り続けていた。
 狩野が何を言いたいのか、ひとつも理解できなかった。「圭一」なんで呼びかけられて。 身体の内側に泥でも詰められたような心地で、視線を動かした。
「おれ、やりたいことができたって言ったよね?」
「ずっと思ってた。圭一のこと、たくさん知りたい。『圭一』を攻略できたら良いのになって」
 その表情は、悪戯の種明かしをする子供を彷彿とさせる。懐から取り出されたのは、俺の物と同じ色をした、黒革の手帳だった。
「だから、圭一には『傲慢』になってもらおうと思って」
 ここにきてやっと、俺はこの形状し難い不快感の正体を知る。
 罪源に取り憑かれた人々は、皆こんな苦痛を味わったのだろうか。そんな場違いな疑問が浮かぶが、脳内を埋めつくすのは、やはり眼前の青年に対する恐れだった。
 狩野が「やりたいことができた」と言ったのは、カフェテラスでの対立よりも前。俺の世話を焼いていた時だ。「やりたいこと」が、俺を攻略対象に落とし込む事だとして。
 あの時点で狩野の頭にはその仮説があったのだろうか。一体いつからこのビジョンを描いていたのか。
「何を埋め込むかまでは、最初は決めていなかったよ」
 俺の思考を読んだように、狩野が答える。
「けれど戦況的に、一番近い位置に『傲慢』があった。それだけ。何でもよかった。それこそ、『暴食』でも、『強欲』でも」
 だから狩野は、俺をすぐに引き摺らずに泳がせた?
 そして、人ひとりの人生を弄び、食いつくした?
 俺に、この二者択一を迫るために。
「それだけの、ために?」
「『それだけ』、かぁ。……おれにとっては、大問題だったんだよ?」
「他人の人生を、平気で奪えるほど?」
「あれは、全部合意の上だったんだよ」
 困ったように眉根を寄せて、小首をかしげる。そんなあどけない所作が、どこまでもアンバランスで危うかった。
「自分自身に絶望して、首を吊った。けれどせっかく終わらせたのに、また、こんな世界で延命させられた。挙句今度は病院に閉じ込められて、生殺し。『終わらせる』って自由意志まで奪われた」
「……来訪者か」
「そう。『今度こそ彼を終わらせる』。それを交換条件に、傲慢の継承を承諾してもらったんだよ」
「…………」
「気持ちはよくわかったから。この世界は、生きるだけで、痛くて、痛くて、苦しくて────」
 それは、義憤ではなかった。経験に基づいた共感。彼自身の、鮮度の高い苦痛だった。
「何より、彼には『圭一』が居ない」
 ────ありがとう、と。
 男は今わの際にそう言った。確かに、彼は狩野に感謝していたのだろう。彼は彼の望む自由を手に入れて、幸福のまま死んでいった。
 だからといって、納得はできなかった。だって狩野は、そういう人間を敢えて選んだのだ。自分の目的意識の元に、あの男の傷と希死念慮を利用した。根幹にある物が善意であるとしても。
 それは、『利害の一致』で片付けられない。許されてはならない悪徳だ。
 未だ晴れぬ心中のまま、狩野を見つめる。俺の視線に、狩野の表情が一瞬曇る。けれどもそれは、瞬きの間に笑顔へと変わる。奥底に、こちらが叫びだしたくなるような悲嘆が蹲っているような。あまりにも悲痛な笑みだった。
「これで、圭一はおれに隠しごとができない。おれから逃げられない。あとは──」
 切なげに双眸を細めたまま、愛おし気に手帳のページを捲る。
「おれのこと、すきになってくれた?」
 頬を赤く染めて、潤んだ目のまま唇を噛む。初恋の叶った少女のような表情。
 罪源者を喰らう罪源者。罪の器として創られた『憤怒』に、罪源者は敵わない。
 その言葉の本懐だった。『憤怒』に攻略された罪源は、その全てを暴かれ、支配される。それはその罪源を取り込んだ器にも言えることで。
 文字通り、彼に攻略されるということは魂そのものを握りこまれたに等しいのだろう。
「お前は俺をどうしたいんだ?」
「どうもしないよ。おれはただ、圭一がほしいだけ。心も、身体もぜんぶ。それが叶うなら、何でも良かった。…………先刻までは本当に、圭一と帰るつもりだったんだよ」
「…………」
「圭一が自分でおれの手を取ってくれたのなら、一番それが嬉しかったから。けれど、圭一はおれを選んではくれなかったね。それに」
 途切れた言葉は、ここにきて初めて、狩野が見せた迷いだった。その逡巡は、言葉の内容というよりかは、その先を口にするか否かを迷っているようだった。
「────帰ったら圭一、死ぬかもしれないし」
「は、」
「テキストに全部書いてあったよ。圭一、まだ救助すらされてない。動けなくて、死にかけで。……取返しが付かなくなる前に、気付けてよかった」
 手帳を掲げながら言うその口調は、とても嘘を吐いているようには思えなかった。
確かに俺は、ここに来る直前の記憶を完全に失っている。狩野が安全な病院内に居るからと言って、自分もそうであると言い切れる確証はない。
 だが半面、俺がここにきて、ゆうに1ヶ月は経っている。1か月もの間、人が瀕死の状態のまま、生命を維持できるものか。
「……信じられない」
「信じなくても良いよ。どのみち圭一は、この世界に閉じ込める」
 俺の拒絶に、狩野はうっすらと目を伏せる。
 静かでいながら、壮絶な決意が滲んだ表情だった。そんな表情に、俺もまた、一種の決意を固めていた。「狩野」と呼びかけて、その双眸を見据える。
「…………告白の返事、まだしてなかったな」
 一定の温度感を保っていたアンバーが、わずかに揺れる。それは、動揺だった。
「お前とセックスできるかはまだわからないけれど。おれは、確かにお前が好きだよ」
「クソみたいな理由でお前は人を殺したし、俺自身も人殺しになった」
「それでも嫌いになれない程度には、お前が好きだったみたい」
 狩野の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。それでもその相貌には、確かな怯えが滲んでいた。「どうしたの、急に」なんて。そんな強張った声を漏らして、ゆっくりとかぶりを振る。
「先刻も言ったよね、圭一はおれをもう嫌いになれない。手帳に『傲慢』の好感度は上限って書いてあるから」
「この感情が、ゲームの仕様上のものだって。そう言いたいのか」
「事実でしょう」
「そうか」
 丁度良い。
 言いながら、俺は狩野の胸を突き飛ばしていた。
 あいつにとっては、虫に撫でられるに等しい抵抗だっただろう。それでも、今の狩野の表情を、俺はこの先一生忘れられないのだろうと思った。
 よろめく肢体を尻目に、地に横たわる剣をひったくる。そして、
「圭一!」
 狩野の、千切れるような悲鳴が響く。
 零れるほどに見開かれた金眼に、狼狽に歪んだ端正な相貌。けれどもそんな光景も、すぐに見えなくなる。
 激痛と共に、視界が真っ赤に染まったから。
 刃先を突き立てた顎あたりから、鮮血と、柔らかい何かがあふれてくるのが分かった。頭が割れそうだった。全身が四方から引き裂かれるような激痛。獣のような咆哮を上げながら更に刃先を押し込む。
「圭一、圭一圭一圭一、ねぇ、何してるの圭一!」
「…………おれを、たすけろ」
 血塗れの唇で言えば、狩野が息を呑むのがわかった。
「もどって、ほんとうのおれを、」
 現実で身体が生きているから、元の世界に戻れる。それが真実なのだとしたら。
 ここで死んで、現実の身体が息絶えた時。俺は、本当にどの世界からも消えるのだろう。正真正銘の死だ。
 加えて今の狩野に、残りの罪源者を全て屈服させるだけの余裕は無いことは一目瞭然だった。
 俺を助けたいのならば、今すぐに現実に戻って身体を助ける以外に道は無い。
 俺は俺を人質に、狩野を脅迫していた。
 そしてきっと、狩野もそれを理解している。
「────おい、みてんだろ、どうせ」
 霞む視界の中で、呼びかける。
「『怠惰』」
「死ぬのか、アサギケイイチ」
「……ゴプ…」
「ううん、死ぬなぁ、これは。100パー死ぬ」
 背後に、人の気配が増えるのがわかった。『怠惰』は、強かな男だ。グリードの乱入以来姿を消してはいたが、どこかに潜伏して戦況を伺っていることは容易に想像がついた。
「代替器の、使い方は」
「ああ、問題無い。適合者が半径100㎞以内に存在しない状態で、罪源を解き放つ。…………だが、一つ足りないな?」
 『憤怒』の代替器は、プレイヤーの所持する手帳だ。「問題ない」と唇だけで伝えれば、「ふぅん」とだけ唸った。
「…………頼んだ」
「あはは、勿論。『傲慢』の無力化に成功。後に残った特大の不発弾も、お前が今、命を賭してこの世界から追い出そうとしている。願ってもない結末、お前は功労者だからね」
 霧のように現れた男は、饒舌に語り、「だが」と言葉を切った。
「分からないな。尋常じゃない苦痛だろう。生身じゃないと分かったところで、人は普通、そう簡単に自分の喉笛をカッ捌くことはできない。加えて、『憤怒』がお前を助けられる確証もない。それを踏まえて、お前の決断は異常だ。常軌を逸している」
「…………」
「何がお前を駆り立てる。何を以て、そうも彼方側の世界に執着する」
 目はほとんど見えなくなったけれど、狩野がどんな顔でこちらを見ているのかは不思議と想像できた。
 口以外から、空気の漏れる音がする。この剣を抜いた時、俺は死ぬのだろうと直感で分かった。
 ともすればこれが、最期の言葉になるかもしれない。
 激痛の波に攫われる意識の中、自問自答をする。
 やがて、乾いた唇から出た声は、酷く掠れていた。
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