上 下
14 / 17

文化祭2日目 まちわびた日

しおりを挟む
「────ひろとぉ」
 その声に、通話口の向こうから大きく息を吸う音が聞こえる。顔を覆っては天を仰ぐ愛宕の姿が、目裏に浮かぶようだった。
なぜなら俺の隣で、猫田もまた同様に天を仰いだから。
シャープな横顔に浮かんだ笑みは引き攣っており、一筋の汗が、その輪郭を伝う。前方──中央棟と西棟の連絡通路を凝視する、その視線を追って。
「…………最悪」
連絡通路の陰から現れた青年に、猫田が悪態を吐く。
そのシルエットには、見覚えがあった。
「原…………」
俺の呟きに、青年──原は、ゆったりと微笑んだ。
「ひろと」
ただその笑みに、平生とは異なる違和感を覚えざるを得なくて。
咄嗟に踵に寄った重心。厚い手のひらに、背を支えられる。
「様子が変だ」と言えば、「いつも以上にね」と返ってくる。
『あれが正気かどうか確かめる』と、電話口で愛宕が言った。その声には、「どうか正気であれ」と、蜘蛛の糸よりも儚く切実な祈りの色が伺えた。
俺の背に手を添えたまま、猫田がスマホをスピーカーモードに切り替える。すると、『おおい』なんて愛宕の声が、広い廊下に響き渡って。
『こんにちは、高級男娼!』
「…………俺は、お前を心から軽蔑する」
「ひろと」
『だめそう』
「…………」
「ひろと、すき」
『あいつ、多分委員長しか見えてないよ』
 俺もまた、天を仰いでいた。何も言う気になれない。
 気力ごとゴッソリ吸い取られた気分のなか。そのまま蕩けそうなほどに撓んだアンバーに、胸がザワつく。
「なんでこんなことに…………」
「抑制剤だ……」
「…………」
「原、抑制剤飲んでないんじゃない」
引き攣った笑みのまま唸る猫田に、通話越しに愛宕が言葉を引き継ぐ。
『あのポンコツ、今日に限って遅刻してきよったろ』
「……大顰蹙だったな」
『調子戻ってきたんやない、委員長』
「薬が効いてきた」
 ありがとう、と。小声で会話を交わす俺達をよそに、微笑むだけだった青年が、一歩足を踏み出す。
凄艶、と。そう評されるような色香を纏って、原はやおらこちらへと手を伸ばして。
「ひろと」
甘い声が、俺の名を紡ぐ。
心臓が、一際強く脈打つようだった。
「…………?……っ??……?」
 そして心臓に灯った熱は、瞬く間に燃え広がっては身体を内側からぐらぐら蝕む。
胸を掻きむしりたくなるような切なさに、また、思考の輪郭が分からなくなる。
「ひろと」
「ひろと、ねえ、ひろと。こっち来てよ」
 名前を呼ばれる度に、口から上擦った声が漏れる。膨れ上がる桃の香りは、先刻のΩ質のそれとは比べものにならないくらいに、甘美で、瑞々しくて。
────そして、魅力的だった。
 気付けば、引き寄せられるように足を踏み出していた。
「……っ、」
 不意に、視界が黒く塗りつぶされる。
 大きな手に、背後から目元を覆われていた。
「しっかりしろ、委員長!」
 切羽詰まった叫びに、幾分か熱が引いていくようだった。
『…………猫田クン』と。通話越しの呼びかけに、俺の目を塞ぐ手がわずかに強張るのが分かった。
『ここで最悪なんは、委員長があれに捕まること』
「…………ああ」
『委員長みたいな雑魚耐性は、手も足も出ずに食われるけんね。冗談抜きで、頭から丸呑み』
「どうしたら良い」
猫田の心中を知ってのことだろうが、珍しくも神妙な声音で、愛宕は『よく聞け』と言う。
『隙ができたら、お前はⅡ型の足止め。委員長は、西階段から一階に降りろ。そんで委員長は真っ直ぐ……ええと。とにかく逃げろ。そのΩかできるだけ遠いところに』

 そんな指示に、猫田は素っ頓狂な悲鳴を上げる。
 無理もない。隙。隙と言ったって、此処は一本道だ。しかも、しっかり捕捉もされてしまっている。 
「お前、無茶言う────」
『亀山クンがそっち行った』
 猫田が息を呑む。
「おい原!サボるな!」
同時に、中央棟──原の右手から、響いてきた声に耳を疑った。  
紛れもなく俺の声だったからだ。開けた視界を、丸い目で此方を見下ろしてくる猫田が占拠する。
ブンブンと首を振った。俺は喋ってない。だが、虚を突かれたのは俺達だけでなく、原の視線も声の方向へと注がれて。
同時に、縮こまった背を思い切り押される。
投げ出された身体と、急激に開ける視界。状況こそ把握は出来ないが、やるべきことだけは明確で。俺の爪先は、反射的に西棟に向いていた。
走れ、と。
愛宕と猫田の声が重なると同時に、真っ直ぐに駆け出す。
 怠い足をどうにか持ち上げて、階段を下った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

早瀬くんは部活に集中したい

ベポ田
BL
バレーにかけた青春 みんな目が死んでる 道端で泣いてたイケメンに巻き付かれて、早瀬くんは鬱気味。

美形な幼馴染のヤンデレ過ぎる執着愛

月夜の晩に
BL
愛が過ぎてヤンデレになった攻めくんの話。 ※ホラーです

普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。

山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。 お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。 サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。

全寮制男子校でモテモテ。親衛隊がいる俺の話

みき
BL
全寮制男子校でモテモテな男の子の話。 BL 総受け 高校生 親衛隊 王道 学園 ヤンデレ 溺愛 完全自己満小説です。 数年前に書いた作品で、めちゃくちゃ中途半端なところ(第4話)で終わります。実験的公開作品

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

ヤンデレでも好きだよ!

はな
BL
春山玲にはヤンデレの恋人がいる。だが、その恋人のヤンデレは自分には発動しないようで…? 他の女の子にヤンデレを発揮する恋人に玲は限界を感じていた。

ヤンデレ化していた幼稚園ぶりの友人に食べられました

ミルク珈琲
BL
幼稚園の頃ずっと後ろを着いてきて、泣き虫だった男の子がいた。 「優ちゃんは絶対に僕のものにする♡」 ストーリーを分かりやすくするために少しだけ変更させて頂きましたm(_ _)m ・洸sideも投稿させて頂く予定です

美形でヤンデレなケモミミ男に求婚されて困ってる話

月夜の晩に
BL
ペットショップで買ったキツネが大人になったら美形ヤンデレケモミミ男になってしまい・・?

処理中です...