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変なβと変なα
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遠くで雷鳴が鳴っている。
薄暗い曇天を閉じ込めた窓に、冴えない男が写っていた。
大きくも小さくもない奥二重の黒目に、間抜けな印象を与える垂れた眉。人ごみの中で目を離したのなら、一発で見失ってしまうような文科省指定顔。唯一の美点とすらいえる、小奇麗に整えた黒髪は、先刻やつに襲われたせいでピョンピョン跳ねている。
手櫛で髪を整えては、こめかみを揉み解す。廊下側の窓から振り返り、賑やかな声の漏れる会議室の引き戸を引いて。
「────…………」
しんと静まり返った室内に、俺は顔を覆って天を仰いだ。
どこを見回しても、α、α、時々Ω。βである俺が場違いなのは一目瞭然であるが。そちらの方は、自分をある程度客観視出来ていれば、まあ、想定内のリアクションだった。今更動揺するようなことでもない。
俺にとっての問題とは、その室内の中央。一際あつい人だかりに囲まれている、その男だけだった。
整えられた黒髪に、涼しげな青漆の瞳。頭頂からつま先の末端まで、完璧に計算しつくされた造形と配置だった。形の良い薄い唇を、一文字に引き結んでは、自らに向けられる好意の全てを受け流す。それでもそこに座っているだけで、その青年は確かにこの空間を完全に支配していて。
αという概念が、そのまま服を着て歩いているようだった。
き、と。
静まり返った教室の中で、青年は視線だけで俺を透かした。貫くような翠眼と、視線がかち合う。
「ここで会ったが百年目ェ!」
次の瞬間には、俺は青年に指先を突き付けていた。あるタイミングから俺は、こいつと対面したらば宣戦布告せずにはおれなくなる発作を患っていた。
「橘諒一(たちばな りょういち)!俺はァ!今回こそ!お前を倒ォす‼」
ォす!ォす!ォす!と、わんわんと響いた声に、静寂が深まる。
「…………何か言えよ」
「…………」
「仮にも人が宣戦布告をしているんだぞ」
「…………」
「おい」
「…………」
「ねえってば…………」
心の痛くなるような沈黙に、若干後悔を覚え始めたころ。
彫刻よろしく微動だにしなかった青年の唇が、ここにきてやっと解けるのがわかった。
「…………うるさ……」
柳眉を寄せて、ギュ……と眉間に皺を刻んだ青年に、地団駄を踏んだ。
『見αΩ必殺』
俺の座右の銘だ。全てはαとΩが気に食わないという一心ゆえ。
何が気に食わないって、その無意識な傲慢が気に食わない。
αは自分は選ぶ側に立ってトーゼンと言う顔をして、常に人を値踏みしている。特にβに対しては酷い。空気みたいにこちらを扱うことだって珍しくない。どうなってやがる、人類の九割はβである。
Ωは自分が選ばれてトーゼン言う顔をして、常にこちらを憐みの目を向ける。アメフト選手みてぇな体格αの腕に絡みつきながら、「選ばれなくて可哀想……」とその無駄にデカくてキラキラした目を潤ませる。
そんな連中を背後から蹴り倒し、地面を舐めさせては高笑いすることが俺の生き甲斐だった。
そしてゆくゆくは、有名大学に進学しては、大手企業若しくは官僚に就職。バース性という名のアドバンテージに胡坐をかく連中を支配し、バキバキにプライドをへし折ってやる。
そのために俺は、手を抜かない。勉学、運動。そして勿論、学校行事に於いても。
目下の目標は、この学祭で『最優秀展示賞』を受賞し、こいつらをギャフンと言わせること。
「クク……お前らの中に刻み付けてやる……俺と言うβの存在を……ィン!」
視界が揺れる。後頭部をシバかれるまま、机に顔面がメリ込む。
ダラダラ鼻血を流しながら「゛あ゛ァ⁉」と後ろの席を振り返ると、ミスターα──橘諒一が顎をしゃくった。
「プリント」
「゛あ⁉」
「だから、プリント」
「プリントがなんだ先生はトイレじゃねぇぞ!」
「はよ回せ」
「殴………ッ‼」
ノックでもするするような軽さで、顔面に裏拳が叩き込まれる。頭がおかしい。
回されてきたプリントを俺の手から毟り取っては、俺の鼻血に汚れた手の甲をハンカチで拭く。道端の吐瀉物でも見るような目をしていた。
「橘ァ……貴様ァ」
「男前が増したな、β」
「βって呼ぶな‼」
「その顔ならミカちゃんにも覚えてもらえるだろ。感謝しろよ」
「ミ……ッ!その話掘り返すな!」
「感謝のチューはどうした」
薄笑いでトントン右頬を指す、橘の胸倉を掴む。「うるさいぞ九条ォ!」という先生の怒号に、拳を握りしめたまま眉を寄せた。もう少し早く止めてほしかった。流血沙汰だぞ。
「すみません。ですが何故俺だけを叱るのですか。俺がβだからですか」
「違うな。お前が九条だからだ」
「狂ってる……しかしこれが社会の縮図……βの現状……俺が変えてやる……この学校から世界を変え……」
「ああ、そうだな。来世は良い革命家になれる。だから静かに座ってろ」
「先生も来世は良い教師になれると思います、俺」
また脳が揺れる。気付けば仰向けに倒れていた。弾丸か何かかと思ったら、水性ペンが眉間に刺さっていた。
「九条は委員会が終わったら俺のところへ来ること」
白衣を羽織った草臥れた中年教師が、水性ペンを投擲したままの姿勢で言った。俺は失神した。
薄暗い曇天を閉じ込めた窓に、冴えない男が写っていた。
大きくも小さくもない奥二重の黒目に、間抜けな印象を与える垂れた眉。人ごみの中で目を離したのなら、一発で見失ってしまうような文科省指定顔。唯一の美点とすらいえる、小奇麗に整えた黒髪は、先刻やつに襲われたせいでピョンピョン跳ねている。
手櫛で髪を整えては、こめかみを揉み解す。廊下側の窓から振り返り、賑やかな声の漏れる会議室の引き戸を引いて。
「────…………」
しんと静まり返った室内に、俺は顔を覆って天を仰いだ。
どこを見回しても、α、α、時々Ω。βである俺が場違いなのは一目瞭然であるが。そちらの方は、自分をある程度客観視出来ていれば、まあ、想定内のリアクションだった。今更動揺するようなことでもない。
俺にとっての問題とは、その室内の中央。一際あつい人だかりに囲まれている、その男だけだった。
整えられた黒髪に、涼しげな青漆の瞳。頭頂からつま先の末端まで、完璧に計算しつくされた造形と配置だった。形の良い薄い唇を、一文字に引き結んでは、自らに向けられる好意の全てを受け流す。それでもそこに座っているだけで、その青年は確かにこの空間を完全に支配していて。
αという概念が、そのまま服を着て歩いているようだった。
き、と。
静まり返った教室の中で、青年は視線だけで俺を透かした。貫くような翠眼と、視線がかち合う。
「ここで会ったが百年目ェ!」
次の瞬間には、俺は青年に指先を突き付けていた。あるタイミングから俺は、こいつと対面したらば宣戦布告せずにはおれなくなる発作を患っていた。
「橘諒一(たちばな りょういち)!俺はァ!今回こそ!お前を倒ォす‼」
ォす!ォす!ォす!と、わんわんと響いた声に、静寂が深まる。
「…………何か言えよ」
「…………」
「仮にも人が宣戦布告をしているんだぞ」
「…………」
「おい」
「…………」
「ねえってば…………」
心の痛くなるような沈黙に、若干後悔を覚え始めたころ。
彫刻よろしく微動だにしなかった青年の唇が、ここにきてやっと解けるのがわかった。
「…………うるさ……」
柳眉を寄せて、ギュ……と眉間に皺を刻んだ青年に、地団駄を踏んだ。
『見αΩ必殺』
俺の座右の銘だ。全てはαとΩが気に食わないという一心ゆえ。
何が気に食わないって、その無意識な傲慢が気に食わない。
αは自分は選ぶ側に立ってトーゼンと言う顔をして、常に人を値踏みしている。特にβに対しては酷い。空気みたいにこちらを扱うことだって珍しくない。どうなってやがる、人類の九割はβである。
Ωは自分が選ばれてトーゼン言う顔をして、常にこちらを憐みの目を向ける。アメフト選手みてぇな体格αの腕に絡みつきながら、「選ばれなくて可哀想……」とその無駄にデカくてキラキラした目を潤ませる。
そんな連中を背後から蹴り倒し、地面を舐めさせては高笑いすることが俺の生き甲斐だった。
そしてゆくゆくは、有名大学に進学しては、大手企業若しくは官僚に就職。バース性という名のアドバンテージに胡坐をかく連中を支配し、バキバキにプライドをへし折ってやる。
そのために俺は、手を抜かない。勉学、運動。そして勿論、学校行事に於いても。
目下の目標は、この学祭で『最優秀展示賞』を受賞し、こいつらをギャフンと言わせること。
「クク……お前らの中に刻み付けてやる……俺と言うβの存在を……ィン!」
視界が揺れる。後頭部をシバかれるまま、机に顔面がメリ込む。
ダラダラ鼻血を流しながら「゛あ゛ァ⁉」と後ろの席を振り返ると、ミスターα──橘諒一が顎をしゃくった。
「プリント」
「゛あ⁉」
「だから、プリント」
「プリントがなんだ先生はトイレじゃねぇぞ!」
「はよ回せ」
「殴………ッ‼」
ノックでもするするような軽さで、顔面に裏拳が叩き込まれる。頭がおかしい。
回されてきたプリントを俺の手から毟り取っては、俺の鼻血に汚れた手の甲をハンカチで拭く。道端の吐瀉物でも見るような目をしていた。
「橘ァ……貴様ァ」
「男前が増したな、β」
「βって呼ぶな‼」
「その顔ならミカちゃんにも覚えてもらえるだろ。感謝しろよ」
「ミ……ッ!その話掘り返すな!」
「感謝のチューはどうした」
薄笑いでトントン右頬を指す、橘の胸倉を掴む。「うるさいぞ九条ォ!」という先生の怒号に、拳を握りしめたまま眉を寄せた。もう少し早く止めてほしかった。流血沙汰だぞ。
「すみません。ですが何故俺だけを叱るのですか。俺がβだからですか」
「違うな。お前が九条だからだ」
「狂ってる……しかしこれが社会の縮図……βの現状……俺が変えてやる……この学校から世界を変え……」
「ああ、そうだな。来世は良い革命家になれる。だから静かに座ってろ」
「先生も来世は良い教師になれると思います、俺」
また脳が揺れる。気付けば仰向けに倒れていた。弾丸か何かかと思ったら、水性ペンが眉間に刺さっていた。
「九条は委員会が終わったら俺のところへ来ること」
白衣を羽織った草臥れた中年教師が、水性ペンを投擲したままの姿勢で言った。俺は失神した。
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