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地元編

特殊イベント 弟の思惑

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 弟と疎遠になった事をこれ幸いと、俺は知識として知っている『高倉明希』について今一度考えてみることにした。要は、実際に見てきた『高倉明希』に対する印象を度外視して、原作の彼について知り得る限りの情報を纏めたのだ。
 これまでは「幼少期すら凌ぎ切れば良い」なんて、どこか楽観的に考えていたが、高校まで同じとなればいよいよ他人事ではない。傾向と対策に本腰を入れて取り組む必要があった。
 幼少期から目立った異常行動。
 中学時代に人の死に際を目撃し、箍が外れてしまったこと。
 その時からすでに、高校で起こす惨劇の構想は頭の中にあり、検証とも呼べるような準備を進めていたこと。全寮制の学校を選んだのも、そう言った理由から。
 入れ替えのために死体の顔面を切り取る。狂乱状態の同級生を数週間監禁の末殺害。切り取った被害者の頭部と手首でスマホロックを解除、被害者を装い平然とメッセージのやり取りを続ける。犯行現場を立ち去るでもなく、閉じ込められ、生きたまま焼け死んでいく同級生をただただ眺めていた等。必要以上に残虐な行動が目立ったこと。
 
「マジでヤバすぎる……」

 整理して見てわかったこと。高倉明希、想像以上の爆弾すぎる。内面こそ独白パートでしか開示されないので解像度が低いが、行動の方が悉くヤバい。重犯罪の役満、猟奇殺人鬼的ロイヤルストレートフラッシュ。
 思わず肩を抱いてかぶりを振る。
 強烈な字面の羅列から、そっと目を逸らして。逸らした先にあるもっと悍ましい事実に、俺はとうとう頭を抱えた。
『中学時代に人の死に際を目撃し、箍が外れてしまった』
 心当たりがありすぎる。頭痛が酷い。まさかあの火事が覚醒イベントだったとか、誰が思うだろうか。確実にトラウマ寄りの光景だと思うが、パンピの尺度で異常者を測ろうと云う試み自体が無謀であることに気付くべきだった。
 だって炎を見るあの、キラキラした目。あいつの中で何か大きな変化があったのは、明確であったが、まさかここまで深刻だとは。
 俺を突き回しながら約1年間、弟はすくすく順調に殺意を育て続けていたわけだ?
 スマホのメモ欄を消去して、体重を勉強椅子へと預ける。ギシギシと云う背凭れの悲鳴に耳を澄ませて、顔を覆って。
 真っ暗な視界の中、脳裏をよぎるのは最近の弟の奇行。改めて思い知らされたあいつの残虐性とそれらが、最悪の形で結びつけられていく。
 次に立ち上がる時、俺の胸中にはある種の覚悟が芽生えていた。

 右手にあんドーナツ、左手にミルク。ポン・デ・ライオンがプリントされたキャップを目深に被り、ドーナツ型のパリピなサングラスを押し上げる。
 某大型ショッピングモールのフードコート。
 柱の影から顔を覗かせた視線の先には、仲睦まじい弟とその彼女がいた。
 俺の決心とは、弟の監視である。
 高倉明希がマトモな恋愛なぞできるはずがないと改めて結論付けた俺は、春野美樹に対するやつの言動を殊更注視した。だって、そうだろう。あいつが本気で恋をしたとして、イルミネーションを見せて驚いてもらうよりも、自殺教唆の賜物とかを見せてゾクゾクしてるイメージの方がしっくり来る。
 故にこうして、真っ当に昼食の飲み物を交換して分け合ったりして真っ当に愛を育む真っ当なショッピングデートにヤツが甘んじるなど、何か裏があるに決まっているのだ。
 とは言え具体的に何を企んでるのかがわからない以上、あいつの凶行を止めるには現行犯を抑えるしかないわけで。
「暴いてやるからな、お前の化けの皮……」
 某ドーナツチェーン店コーデで全身を固めた不審者が、何かわめきながら歯軋りをしている。そんな珍百景に、道ゆく人たちは怪訝な顔をした。
 
 そしてその後も俺は、弟カップルの動向をつけまわした。「ママ、変な人がいるよ」「多様性よ。それはそうと、目を合わせちゃダメよ」なんて心無い会話にもめげずに弟を監視した。そんな約3時間にもわたる、過酷な尾行の感想としては。
「……すごいマトモに恋愛してんなあいつ………」
 健全すぎて拍子抜け、と云うのが正直な感想だった。絶対多目的トイレに彼女を閉じ込めたり、試着室に置き去りにしたりすると思ってたのに。
 弟は一貫して紳士的に美樹ちゃんをエスコートしていた。今なんて、プレゼントとと称してお揃いのスマホケースを買っちゃったりなんかして。
 ハラハラの初デートは、本当に平和に終了した。納得いかなかったので、弟たちがお揃いで買ったのと同じスマホケースを俺も購入しておいた。絶対にペアルックとかさせない。俺と仲良しトリオになれ。

 そして電車を乗り継いで最寄駅へ。すっかり暗くなった夜道を、手を繋いで歩く。
 甘じょっぱい青春に胸焼けしながら、弟が美樹ちゃんを家に送り届けるのを見守った。これを明日も明後日も見せられるのかと思うと、気が滅入る。アラサーの胃にはちょっと重すぎるよ。
 木の影に隠れながら胸を抑える俺の眼前を、明希がさっさと通り過ぎていく。家の方向である。
 留守を不審がられないように、『ランニングをしてくる』という書き置きを残しているので、先に家に帰りつかれても問題はない。それよりも尾行がバレるリスクを考慮して、充分に時間を空けてから動き始めよう。美樹ちゃんには結局害意らしい害意も見せなかったわけで。
 そんな事を考えながら、蛍光塗料の腕時計を眺める。時刻は既に23時半を回ろうとしている。夏とは言え、この時間帯はしっかり薄暗いのでちょっと心細い。いい加減、弟は家に帰り着いた頃だろうか。
 怖気付いてきたので、もう良いだろうかと腰を浮かせて。
「ィン゛……ッ」
 すんでのところで、茂みの中に伏せる。何故なら春野家の玄関が開閉したからだ。弟はもちろん、美樹ちゃんに見つかるのも気不味い。再び身を隠しながら目を凝らせば、美樹ちゃんが玄関から転がり出てくるところだった。
 走ってこちらへやってきたかと思うと、俺に気付くことなく通り過ぎていく。近づいては遠ざかっていく軽やかな足音と呼吸音に、眉を吊り上げた。
 そんなに急いで、一体何だって言うんだ。そもそもこのご時世にあの歳の女の子1人が出歩くのは非常に危なっかしいことこの上ないわけで。
 そこまで考えて、息を呑む。
 視界の端に映った、違和感に対して。
 違和感を追うように、視線を動かす。暗闇が蠢いて、人の形を取る。フードを目深に被った黒パーカーの男が、美樹ちゃんの正面から歩いてきていた。
 脇腹がスッと冷えるような。無数の虫が、耳元で飛び回るような。そんな、嫌な感じ。
 ほぼ同時に脳裏を過ったのは、『〇〇市連続通り魔事件 若い女性を狙った犯行か 捜査進展』なんて、いつか見たニュース記事の見出してあって。
「っ、美樹ちゃん!」
 声を張り上げていた。
 美樹ちゃんの肩が跳ねて、弾かれるようにこちらを振り返って。
「高倉さん?」
 猛然と美樹ちゃんへと駆け寄っていく。困惑した表情の美樹ちゃんの背後で、黒パーカーの男がくるりと踵を返したのが見えた。
 それでも足は止めない。ズンズンと歩み寄ってくる俺の剣幕に、美樹ちゃんは少しだけ引いているようだった。
「………………」
 男の背が小さくなって、闇に溶けるように消えていく。その様子を、薄氷の上に立つような緊張感でただ見つめて。
「………高倉さん」
「…………」
「高倉さん、大丈夫?」
 美樹ちゃんの怪訝な声に、ようやく意識を引き戻す。目を剥いた俺に、美樹ちゃんは若干引き攣った表情で「どうしてここに?」と尋ねた。
「…………ランニング終わりに公園で休んでたら、美樹ちゃんが見えて」
「そっか?」
「うん、最近物騒だろ?特に女の子ばっか狙う通り魔増えてるし。……どうしたの、こんな夜中に」
 咄嗟に出たにしては、中々に立派な出まかせではなかろうか。
 そんな自画自賛をする俺を一瞥して、美樹ちゃんは眉根を寄せた。口をムズムズさせて、うろうろと視線を彷徨わせる。見るからに気まずそうだと思った。
それはそうか。美樹ちゃんは俺が2人の関係を知っていることを知らない。
「えっと……」
「弟との関係は聞いてるよ。最近よく家にお邪魔してるよね?」
「っ、そんなに頻繁に会ってるわけじゃないよ。でも高倉くん、今日はうちにスマホ忘れてっちゃって……」
「春野!」
 飛んできた声に、開きかけた口を閉じる。
 弟がこちらへ駆け寄ってくるのがわかった。とっくに家に帰り着いているはずだが、なんて。そんな俺の疑問は、弟の手に握られている物によって大方解消される。
「……ごめん春野、俺間違えて春野のスマホ持って帰っちゃったみたい」
「いや……」
「つかなんで兄貴がここにいるの?ストーカー?」
 美樹ちゃんにスマホを手渡しながら、探るような目でこちらを見てくる。俺は嫌な汗をかきながら、「ちがわい」とむくれて見せる。
「ランニングしてるって書き置きしてただろうが。つか、お前こそ何だよ。一丁前に彼女とお揃いだ?マセガキが」
「兄貴に関係ないよね」
 つい先刻、ショッピングで購入していたお揃いのスマホケース。パッと見では当然見分けがつかない。大方『うっかり』取り違えてしまったと言うことだろうが───、
「気をつけろよ、お前。女の子に1人で夜道を歩かせるような真似するな」
 思ったよりも、低い声が出て驚く。
 気を付けていても、この忌避感を完全に押し殺すことはできなかった。
 街灯の光に半分だけ照らされて。弟の彫刻じみた相貌が、一瞬だけ真っ新になった。本当に無機物みたいだと思った。
 息を呑むような沈黙の後、けれどもそれはすぐに笑みの形に歪む。
「うん、気をつけるね。兄貴」
 空々しい言葉に、俺はわけもなく額の汗を拭った。
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