ラブ・ソングをあなたに

天川 哲

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サクラ

2.父の面影

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 タクシーで五分ほど進んだ先に、サクラの目指す中華屋があった。
 少し古びた外観に、紅く光る『大来』の文字が眩しい。
 店内はあまり広くなく、毎度のことながら満員であった。
 慣れた様子で入口を潜ると、厨房では店主と従業員が忙しなく動き回っている様子が目にとれた。
 「マスター!来たよーっ!」
 サクラが声をかけると、店主と思しき恰幅の良い男がこちらへ振り返り、嬉しそうに笑う。
 「おぉ、よく来たな。そこらの雑誌どけてちょっと待っとけ」
 入口に申し訳程度に置かれた丸椅子に散らばる週刊誌を端へ寄せると、サクラは腰を下ろした。
 ふと視線を上げると、近くで座らず立ち尽くす沼田と目が合った。
 向こうは特に話しかける素振りもなく、ただこちらを虚ろな目で見つめているだけだった。
 「サクラって言います」
 突然話し始めたことに面食らったのだろう。沼田は目を白黒させながら、言葉の真意を探っている様に見えた。
 「名前。自己紹介まだだったから。この店、結構美味しいんだよ。いっつも混んでるけど、安いし美味いし、ボリューム満点でね」
 サクラは小さく微笑み、沼田が聞きたかったであろう真意を言って聞かせると、一言、そうか、とだけ残し、沼田は再び俯いてしまった。
 何とか会話を続けようと、サクラは再度口を開く。
 「お兄さんは?何て呼べばいいのかなぁ?」
 「お兄さんって歳じゃない」
 「えぇー、いくつ??」
 「49だ」
 嘘っ!と大仰に驚いてみせたが、実際はさほど驚きではなかった。
 (まぁ、お父さんよりは若いかな、なんてね)
 そんなことを思っていると、沼田が何か呟いたように思えたが、どうやらこちらへ向けた言葉ではなく独り言の様だったので、先程端に寄せた週刊誌を手に取り、ページを捲り始めた。
 何ページか捲り、適当に目を滑らせていると、再び何か呟いたように思い、サクラは顔を上げ、聞き返した。
 「名前。沼田安夫だ」
 「やすお……じゃあヤっさんだね!」
 「何がじゃあなのかはわからないが、まあ好きに呼んでくれ」
 いつもの仕事の癖でついあだ名をつけてしまったが、それで構わないと思った。
 忘れないようにヤっさん、ヤっさんと呟いていると、厨房から店主がこちらへ声をかけた。
 「おう!奥空いたから座んな!サクラちゃんはいつものでいいのかい?」
 店主へ首肯しながらも、後ろに立つ沼田の食べたいものを聞いていなかったことに気が付き振り返ると、沼田は壁に掛けられたメニューを睨み、何を食べるか思案しているように見えた。
 (よかった。ちゃんとご飯は食べる気になってくれたみたい)
 先程まで纏っていた投げ遣りな雰囲気が少しだけ和らぎ、サクラは胸を撫で下ろした。
 「ここのオススメは、裏メニューなんだけど、蟹チャーハンの天津が美味しいんだよー」
 「じゃあ、それにしてくれ」
 店主にオーダーを伝えると、二人は案内されたテーブル席へ座った。

 天津飯を平らげ、追加で頼んだ瓶ビールが四本目を超えたころ、サクラは酔いで回らない頭を悩ませながら、目の前に座る沼田のことをあれこれと考えていた。
 今は一緒にご飯を食べるという名目で、しばらくここにはいるだろう。だが、時がたてば、そのまま何処かへ旅立ち、そのまま帰ってこない、そんな気がしてならなかった。
 なんとか引き留める手立てはないのかと、沼田の顔を見るでもなく見つめていると、怪訝そうな表情でこちらを見る沼田に気が付いた。
 「……俺の顔に何かついているのか?」
 「ううん、そんなんじゃなくて……」
 何だよ、となお一層怪訝そうな顔をする沼田に、サクラは思い切って今思うことを正直に話し始めた。 
 「ヤっさんはさ、きっと、いろいろとさ、あったんだよね」
 突然のことに驚いたのだろう。沼田が逡巡する様子を感じながらも、サクラは言葉を続ける。
 「うまく言えないんだけどさ……わたし、嬉しかったんだ。私の歌で泣いてくれて。ちょっと泣きすぎだったけどね」
 ありがとう、と沼田の肩に手を置き、呟こうとしたが、口から出た言葉は、その奥に仕舞い込んでいた言葉だった。
 「死んじゃ、だめだよっ!」
 あまりの声のボリュームに慌てる沼田は、周りを見渡していたが、言うつもりなどなかった言葉を口に出してしまったサクラは、構うことなく言葉を続けた。
 「良いことなんて、生きてなきゃ、見つからないんだよ……」
 頬に大粒の涙を流しながら、サクラは必死に沼田へ言葉を紡いだ。
 「善処する。だからとにかく座って落ち着いてくれ」
 最早どちらが陰を纏っていたかもわからないほど混沌とした状況になったが、サクラは胸に秘めていた思いを伝えることができたことに大いに満足した。
 (生きてなきゃ、意味ないもんね。お父さん)
 沼田に父の面影を重ねながら、サクラは沼田へ微笑み、グラスを掲げた。
 「じゃあ、乾杯だっ!」
 少し困ったように眉を顰める姿も、やはり父に少し似ていると、グラスをぶつけながらサクラは思った。
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