イシュラヴァール戦記

道化の桃

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第二章 落日のエクバターナ

真昼の開戦

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魔剣ズルフィカールのカイヤーン」と異名を取る男は、「インドラの戦士」の旗のもとに集まった砂漠の戦闘民族およそ千七百人を率いて、灼熱の真昼に21ポイントへの攻撃を開始した。
 迎え撃つダレイ軍は、アルナハブ人と寄せ集めの少年兵。遊牧民主体の「インドラの戦士」に比べ、圧倒的に砂漠の暑さに慣れていない。しかも、太陽の照りつける真南からの攻撃である。
 加えて、カイヤーンは巧みに風向きを読んでいた。
「砂が……目に入る……!」
 焼けた鉄板と化した隔壁の上で、ダレイの兵たちは苦戦していた。銃弾が貴重なために主に弓矢で応戦するが、南風に巻き上げられた砂と、太陽の照り返しで、狙いが定まらない。
「籠城なんてさせねえ。どんどん攻めて中へ乗り込め!」
 カイヤーンたちの乗った砂漠産の強靭な馬は、立ち込める砂埃をものともせずに、降り注ぐ矢をかいくぐって駆け回る。
 中でもひと際速いのが、カイヤーンと、黒馬に乗ったユーリだった。
 戦闘開始から一時間、ユーリの馬は全くスピードを落とさずに走り回っている。ユーリを先頭とした一団は、とうとう隔壁まで数十メートルの位置に攻め寄った。
 砦から槍を手にした歩兵がわらわらと飛び出してきた。
 ユーリは馬を狙う槍を躱して直角に向きを変え、横から突き出される槍を剣で薙ぎ切りながら駆け抜けた。その先でカイヤーンと合流する。
「子供か?」
 カイヤーンの問いに、ユーリは頷いた。
「見たところ、十二、三くらいだ」
「くそ!例の、攫われた孤児たちだ」
 歩兵たちは、アルナハブ人の兵士とは違い、ユーリたちと同じような遊牧民の服を着ていた。見たところ、大して腕が立つわけではない。だが傷つけずに突破するのは困難だった。
「子供を盾にして、こちらの士気を削ぐのが目的だ。汚え男だぜ」
「そういう男だからアルナハブを追われたんだろう。それをお前がアルヴィラに引き入れたんだ。責任を取れ」
「王子を脅すにしろ説得するにしろ、あの歩兵をどうにかしねえと話もできねえだろうが」
「何と言われようが、俺は子供とは戦わん。子供の命を粗末にするなと、お前が言ったんだぞ」
 カイヤーンは苦い顔で、黒々とそびえる鉄の隔壁を見上げた。太陽が砦の影に入ろうとしていた。
「一旦引くか……包囲して機を待つ」
 カイヤーンの命令で左右に大きく広がって包囲陣形を取りかけた時、その左翼の端から、一騎の兵が全速力で駆けてきた。
「おかしら!北から大軍が来る!歩兵と騎兵合わせて、八千から一万」
「なんだって……?まさか、王都からの援軍か!?」
 カイヤーンは咄嗟に背後を振り返った。南のアルヴィラと北の王都。挟撃されたらひとたまりもない。
「包囲を解け!逆包囲されるぞ!」
 狼狽えたカイヤーンよりも早く状況に反応したのはユーリだった。先程の兵に左翼へ伝えさせ、自身は右翼へと馬を向けた。
「おい!ユーリ!」
「自分で見に行くのが速い」
 カイヤーンが止めるのも聞かずに、ユーリは風のように馬を走らせた。
 しかし、右翼の端まで駆け抜けたユーリが目にしたものは、王都――新王バハルの軍ではなかった。
 地平線に翻る旗は、黒地に銀糸で縫い取られた豹の刺繍。見覚えのある旗印。
「あれは……まさか、なぜここに……!?」
 それはここ数年行方がわからないとされていた、前王マルスの軍だった。

「早いな」
 北側に布陣した大軍を見渡して、アルナハブ第六王子ダレイはつぶやいた。
 義母のニケが、石橋を叩いてなお渡らないほど慎重な性質であることはよく知っている。シャルナク帝国の王族に繋がる名家から十四で輿入れ後、側室ばかりが子を成して尚、王妃の座を譲らずにこられたのは、ひとえにその性格ゆえだ。誰も信じていないくせに、自分を信じる者で周囲を固める――。
 そのニケ王妃が隣国イシュラヴァールの、しかも落ち目の前王と手を組むなど、余程のことだ。
 父王が病床に伏してからというもの、国の実権を握っていたのはニケ王妃だ。数の多い王子たちはそれぞれが牽制しあい、誰か一人に権力が集中することを自ずから妨げていた。が、王の死でその均衡が崩れたのだろう。
 マルスは若い頃から戦術家として名高い。そのマルスが動乱のアルナハブでニケ女王に加担し、女王の立場を確固たるものにする代償として、ニケは砂漠で燻っているダレイを差し出したのだ。マルスにしてみれば砂漠の要衝である21ポイントは王都奪還の足場となる。
 一方のダレイも、ニケが狡猾な兄たちを押さえているのは好都合なのだ。マルスに売った恩は後々効いてくるだろう。更に、ニケ女王の後継に滑り込めれば。
「ちっ、遠かった玉座が、見えてきやがったぜ……」
 良き指導者になれると仰せでしたよ――という使者の言葉が脳裏をよぎって、ダレイは勢いよく頭を振った。
「だからといって、今更イシュラヴァールに膝を折れるか!」
 苛立ち紛れに、ダレイは卓上の銀盃を壁に投げつけた。
 そこへ、幹部兵が慌ただしく駆けこんできた。
「王子!北にイシュラヴァール前王の軍!その数、およそ一万!」
「うるさい、見ればわかるわ!」
「しかし、このままでは――アルヴィラに援軍を頼むしか」
「その援軍を請いに、貴様が行くか?カイヤーンの駿馬を振り切って、アルヴィラまで駆けられるのならな!」
 ダレイが苛々と怒鳴りつけたので、兵士は口をつぐんだ。その背後にいた兵が、代わりに口を開いた。
「前門の虎、後門の狼……ってとこですかね。いや、むしろ後ろの前王がナミルか」
「何だと?」
「まあここにいるガキどもじゃあ、どちらも突破は難しいですな。それとも王子、アルヴィラを裏切って前王と組まれるので?」
「貴様……シャイルと言ったか」
 ダレイが睨みつけた相手は、緊迫した状況に似合わない余裕を見せていた。あまつさえ口の端に笑みすら浮かべ、まるで試すようにダレイを睨め回している。
 シャイルの出自を、ダレイはよく知らなかった。ふらりと現れた流れ者で、そのままダレイの軍に居着いた。年の頃は三十前後、イシュラヴァール人のようだが、アルナハブ語も流暢に話した。腕は立つ。
「何か策でもあるような顔だな」
「いやまあ……ちょっと」
 そう言ってシャイルはちらりと周囲を見回した。ダレイは察して、シャイル以外の者を部屋から出した。
 シャイルは懐から何か小さなものを取り出した。
「王子は――前王と新王、どちらに賭けるおつもりですかね?」
 シャイルは床に転がっていた銀盃を拾い上げると、部屋の中央に置かれた卓に歩み寄った。銀盃を卓上に置き、その両側に燭台をふたつ、挟むように置く。
「何が言いたい?」
「前王が新王に勝つなら、前王につくべきでしょう。その後の未来も約束されている。だが、実はそんな保証はない……もし前王が新王に破れたら?」
「……」
 もちろん、その可能性がないわけではない。だが今、喫緊なのは目の前に迫るふたつの軍勢だ。
「前王に加担したあなたは、今度はアルヴィラとアルサーシャの挟み撃ちに遭う。アルナハブに逃げ帰ろうにも、前王を失ったニケ女王は失脚し、兄君がアルナハブ王に即位――」
 シャイルは更に盃を囲むように水差しを置いた。
「俺を脅す気か?」
「有り得る可能性を喋っているだけですよ……あるいは女王の目論見通り、前王が王権を取り戻すかもしれない。いずれにせよ、あなたは賢く立ち回らないと。21ポイントここは高価く売れる切り札ですからねえ」
「回りくどい言い方をするな。俺は気が短いんだ」
「前王についたと見せかけて、インドラをやりすごし、前王つきで新王に高く売りつける」
「――貴様、何者だ?」
 ダレイが語気を強めると、シャイルがにたりと嗤った。
「ただの流れ者ですよ」
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