イシュラヴァール戦記

道化の桃

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第一章 乱世到来

二人の子供

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 アルナハブ国王崩御の報は、数日遅れでカイヤーンのもとへも届いた。
 追って、前王マルスが挙兵したらしいという噂も入ってきた。
「前王はどこに隠れてたんだ?」
「アズハル湾じゃねえのか?あそこには前王派の海軍がいただろう」
「いや、どうやら外国らしいぞ。なんだっけ、あの――リアラ……リアル……」
「リアラベルデだろう?バルク半島の先っちょの小国だ」
「インドラの戦士」の駐留地でそんな会話が呑気に交わされる中、カイヤーンはユーリを探して苛々と歩き回っていた。
「……ユーリ!」
「カイヤーン」
 ユーリは馬に荷を積む手を止めて振り返った。
「ユーリ、探したぞ――どこへ行く?」
「売り物の塩が減ってきたから、岩場に取りに行こうかと思っていたところだ」
「そんな呑気な……!」
 カイヤーンは思わず砂を踏みつけた。
「アルナハブ王が死んだぞ。それで、前王マルスがリアラスで挙兵したと」
「挙兵?どこを攻める気だ。アルサーシャか?」
「わからん。が、アルサーシャはないだろう。リアラベルデから師団を借りての遠征らしいから、曲がりなりにも国王軍とぶつかるのは国際問題になる。タイミング的にはアルナハブかもしれんな」
「もしくは――アルヴィラか」
 ユーリは少し考え込むように言った。
「アルヴィラ?それこそ唐突じゃないのか」
「……」
 ユーリの沈黙の理由を、カイヤーンはややあって察した。
「ファーリアか……!」
「ああ」
 ユーリは頷いた。
「呆れたな!女ひとりのために、わざわざ軍を出すほどのことか?他にも女はいるだろうに」
「……ヌールが死んだと……マルスが知ったとしたら、ありえる。ファーリアに次の子を産ませるために、連れ戻すつもりなのかも。次男のバハル王子に裏切られた今、跡目を継げる息子は一人でも多く欲しいはずだ」
「だが、愛人だったリアラベルデの元首息女を正式にめとったという噂もあるぞ。もうファーリアなど過去の女なんじゃないのか」
「……だといいがな」
 ユーリは薄く微笑った。
 ユーリはマルスのファーリアへの執着ぶりを目の当たりにしてきた。
 一方でファーリアは、ユーリがヌールをまっすぐに愛せないことに気付いていた。あの瞬間、ヌールよりもファジュルと自分たちの身の安全を優先したユーリに、ファーリアは愛想を尽かしたに違いない――。その後ろめたさが、ユーリの口を重くした。
(いっそマルスのもとに戻ったほうが、ファーリアは幸せなのかもしれない)
 だが、ユーリもまた、ファーリアを諦められないのだ。今すぐにでも馬を駆って探しにいきたい。捕まえたらもう放さない――。だが、ユーリには守らなければならない娘がいた。ようやく片言で喋り始めたファジュルが、ユーリの何よりも重い足枷になっていた。この娘まで喪うわけにはいかない。
「いずれにせよ、前王軍の動きを見極めないとこっちも動けねえなぁ。ダレイ王子が21ポイントを捨ててアルナハブに戻ってくれりゃ好都合なんだが」
「だが攫われた子供たちまで連れて行かれちゃ困るだろう」
「それもある。とにかくしばらく様子見だ。いつ戻る?」
「岩場まで二日半、そこからハイールの市場に寄って、戻るのは一週間くらいか」
「今のところ野営地を動かす予定はねえが、戦況次第ではアルヴィラから呼ばれるかもしれねえ。クソッ、めんどくさいことになりそうだぜ」
「まあ、その時は適当に追いつくさ」
 そう言って、ユーリは馬の背中にファジュルを乗せ、自分もその後ろに跨った。
「ま、お前にとっちゃ庭を散歩するようなもんだろうからな」
 カイヤーンが手を振って見送ると、ファジュルが振り返っていつまでも手を振り続けた。
「インドラの戦士」の野営地を後にしたユーリは、しばらく細い街道を進んで、それから道を逸れた。
 ユーリは道に頼らない。道を逸れると、どちらを向いても似たような景色が広がっているが、地形はすべてユーリの頭の中に入っていた。
 希少な塩が採れる岩場の場所は、かつてユーリの一族だけが知っていた。今は、一族の中でひとり生き残ったユーリだけがそれを知っている。
「ファジュル、お前もいずれ覚えるんだぞ」
「ファジュル、わかんない。あっちもこっちも、おんなじよ?」
 まだ舌っ足らずの声でファジュルが首を傾げる。くりくりと黒い瞳が愛らしい。
「よく見ると、ちょっとずつ違うんだよ。ほら、あそこに木が見えるだろう?」
 そう言って、ユーリは一本だけ立っている木を指した。葉のない木はひょろりと頼りなく、風に吹かれて斜めに傾いでいた。
「木、枯れてるよ?」
「枯れてるように見えるが、ちゃんと生きてる。木の下には水脈があって、木は砂の下に根を伸ばしている。だから何年もあの木はあそこに立っている」
 自分が死んだ後も、砂漠に点在する塩の岩場を継げば、いくばくかの糧は得られる。そう考え、ユーリは岩場に行くときは常にファジュルを伴った。ヌールがいた頃には、ヌールにも同じように岩場の場所を教えていた。だが、そのたびに
(ヌールは塩売りにはならないかもしれない)
 そんな思いが頭をよぎった。
 レグルス・ヌール。
 ヌールはファーリアが、レグルスはマルスがつけた名だ。
 父譲りの銀色の髪をもつ子供は、成長するにつれて父親の面影を宿すようになっていった。明るい肌の色、細い顎、すっと通った鼻筋、切れ長の目。ユーリは自分の娘と同様にヌールのことも愛した。だが、子供らしいあどけなさの中に時折のぞかせる利発さの片鱗は、親としての喜びよりも不安を掻き立てた。
(いずれマルスは、レグルスを息子として引き取るかもしれない)
 生まれたばかりのレグルスが、国を追われたマルスのそばにいるのは危険だった。だから母親であるファーリアが引き取ったのだ。だが、もしマルスが返り咲いたら。
(そのとき、ファーリアは自分のもとに残ってくれるのだろうか)
 それは正直、ヌールを失うことよりも怖かった。
 あの日、砂と血に塗れたヌールの姿を見たとき、真っ先にある考えが浮かんだことを、自分は一生許せないだろう。
 ――ヌールが死んだら、マルスとファーリアの繋がりは消える――と。

 岩場は静かだった。以前立ち寄った時から、特に変わった様子はない。
 大人の背丈の二倍ほどの岩が、砂漠の中に屹立している。その陰に入ると、灼熱の真昼でもひんやりと涼しい。
 巨石の隙間から中へ入ると、こんこんと水が湧いている。ファジュルが器用に馬から飛び降りて、水を飲みに駆けていく。
 水場から更に奥へ進むと、砂に埋もれた地下へと岩の洞窟が続いている。塩の採掘場としては小さいが、珍しい青い色の塩が採れる。
 ユーリもまた喉を潤し、水袋に水を満たす。更に空の桶に水を満たし、馬に飲ませるために岩場の外に運び出したところで、ふとユーリは空を振り仰いだ。
 雲ひとつない青空に、真昼の太陽が眩しい。乾いた風が、砂をさらって吹きすぎていく。
「ああ……ここは……」
 ユーリは懐かしさに目を細めた。
「なーあーに?」
 小石を並べて遊んでいたファジュルが、間延びした声で言った。
「……いや、なんでもない」
 ――そこは、ユーリが逃亡奴隷だったファーリアと出会った時の岩場だった。
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