イシュラヴァール戦記

道化の桃

文字の大きさ
上 下
31 / 65
第一章 乱世到来

挙兵

しおりを挟む
 サキルラートは黙って聞いていた。娘の選んだ男だという欲目を差し引いても、とても暗愚な王には見えなかった。
おごっていたのは自分の方だろうか)
 並み居る強国に負けじと、常に先進的で開かれた国家を目指してきた。教養高く、身分家柄を問わずあまねく平等の意識を持ち、多様な文化・慣習に理解を示す、成熟した近代国家の一員と自負してきた。だがその実、海を隔てた隣国のことすら何もわかっていなかったのではないだろうか。恵まれた土地と地政学的条件がもたらす富に胡座あぐらをかいて、狭量な正義を振り回しているだけではなかったか。
 豊かで発展したリアラスを目にしても、マルスの視線は揺らがない。他国を羨みもしなければ、自らの境遇を嘆きもしない。その冷徹な瞳は、常に自国の未来のみを見つめている。生まれながらの王。
「それで、今度はあなたが神になるのか?」
 サキルラートは少しの皮肉を込めて問うた。言わずにいられないほど、その傲慢な若さが眩しかった。
「まさか」
 マルスはふっと笑みをもらした。
「神など何もできぬ」

 サキルラートから兵を借り受ける約束を取り付けて、マルスは寝室へ向かった。
 浅い眠りを繰り返していたルビーは、奇妙な気配で目を覚ました。数日前からひどく眠い。昼夜構わず襲ってくる眠気を、ルビーは里帰りで気が緩んでいるのだと解釈していた。
 気配はマルスのものだった。部屋に戻ったばかりなのか、上衣も脱がないまま、化粧台の上に置かれた手洗い用のたらいに吐いている。
「大丈夫なの……?」
 恐る恐る声をかけると、マルスはたらいから顔を上げてルビーを見た。
「夕食を食べ過ぎただけだ」
 真っ青な顔でそう言って、マルスは水で口を濯ぎ、布で拭った。
 夕食は側近たちと共に、サキルラートに招かれた。交渉相手の機嫌を損ねまいと、出されたものはひと通り口にした。だが、娘婿をもてなす心づくしの晩餐は、普段固形物をあまり摂らないマルスの胃にとって、拷問でしかなかった。
 それでも、この数年でマルスの食生活はかなり改善していた。少量であれば肉も食べられるようになっていたのだ。
(あの日からだ――)
 ルビーは思い起こす。テビウスにバセル王子が訪れたあの日――いや、ジャミールがシハーブ領から来た日。人払いしてジャミールの報せを聞いた時の、あの取り乱しよう。
(あんなマルスは、初めて見た)
 部屋を飛び出していったマルスを追って、ルビーは思いがけない言葉を聞いたのだ。
 ――手放すべきではなかった、あの娘――。
 その時のマルスの声が耳に蘇って、ルビーは頭を振った。
 あの日から、マルスは毎夜、食べたものを吐き戻すようになった。スカイが手配した医師が栄養剤を打ち、ようやく動いている状態だった。
「マルス……」
 ルビーはマルスの背中を抱きしめた。誰だか知らないが、愛しいマルスをこんなにしてしまったその女を憎んだ。
「ねえ、もうやめて……戦いになど、いかないで」
「……何を言い出す……?」
 マルスは掠れた声で答えた。蓄積した疲労が、ルビーへの気遣いを失わせた。
「なんのための戦いなの?あんな不毛の砂漠なんか捨てて、この家に、この国に住めばいいじゃない……!」
 ルビーは思わず口走っていた。思ってもいない、とは言い切れないまでも、半分以上は当てつけで、すべてが本心ではなかった。だがそれはマルスを逆上させた。
「……二度と言うな。私の国だ」
 青白い怒りがマルスを包んだ。銀髪の毛先で、パシンと電気が弾ける。
 マルスが自分に怒っている、そのことが、更にルビーの自尊心を炙った。
「国のため!?はっ……!」
 ルビーは乾いた嘲笑を漏らした。
「女のためでしょう……?」
「なん……だと……?」
「女のために、あなたは死ににいくんだわ!わたしと結婚しておきながら!父を利用し、国を利用して!」
「貴様……っ!」
 マルスがルビーの肩を掴んだ。だが、ルビーの興奮は収まらない。
「どこの誰よ!?言いなさいよ!わたしも言ってやるわ、その女に、わたしが妻だって!マルス、あなたの正妃だって!!」
 その時、ドアが開いてスカイが駆け込んできた。
「おやめなさい!」
 スカイはマルスからルビーを引き離し、そのままマルスに向き直って言った。
「アルナハブ王国シャー・アルナハブ王が崩御。行方不明の第一王子ハリー殿下に代わり、ニケ王妃が皇太后として当面の国政を引き継ぐと声明を発表しました……!」
 マルスの顔色が変わった。
「とうとうか……」
「はい……!アルナハブを叩くなら、今です」
「サキルラート翁に使いを出せ。明日朝一番でテビウスに出発するぞ」
 言うなりマルスは上衣を翻して部屋を出た。
「やめて、行かないで!マルース!!」
 叫んだ瞬間、ルビーは目眩がしてその場に座り込んだ。
「ルビー殿……?」
 スカイが戻ってきて、ルビーを助け起こす。立ち上がりかけた瞬間、吐き気がルビーを襲った。
「う……ぐっ」
「ルビー殿!」
 スカイは慌ててハンカチを差し出した。
「ルビー殿、医師を呼んできます」
「こんなの……平気よ……それより、わたしも行かないと」
「ダメですよ、ルビー殿。あなたはここに残りましょう」
「何を言っているの?わたしも行くわよ。ブラッディルビー号で」
「ばかを言わないでくださいよ。この時期に船旅なんてして、万一のことがあったらどうするんですか」
 ルビーにはスカイの言っている意味がわからなかった。
「医師に見せないとわかりませんけどね。とにかく、あなたはしばらく安静にしていてください。妊娠初期は流れやすいんですから」
「……妊……娠……?」
 ルビーは目をぱちくりとさせて聞き返した。

 その翌朝、マルスはリアラスにて挙兵した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【R18】カッコウは夜、羽ばたく 〜従姉と従弟の托卵秘事〜

船橋ひろみ
恋愛
【エロシーンには※印がついています】 お急ぎの方や濃厚なエロシーンが見たい方はタイトルに「※」がついている話をどうぞ。読者の皆様のお気に入りのお楽しみシーンを見つけてくださいね。 表紙、挿絵はAIイラストをベースに私が加工しています。著作権は私に帰属します。 【ストーリー】 見覚えのあるレインコート。鎌ヶ谷翔太の胸が高鳴る。 会社を半休で抜け出した平日午後。雨がそぼ降る駅で待ち合わせたのは、従姉の人妻、藤沢あかねだった。 手をつないで歩きだす二人には、翔太は恋人と、あかねは夫との、それぞれ愛の暮らしと違う『もう一つの愛の暮らし』がある。 親族同士の結ばれないが離れがたい、二人だけのひそやかな関係。そして、会うたびにさらけだす『むき出しの欲望』は、お互いをますます離れがたくする。 いつまで二人だけの関係を続けられるか、という不安と、従姉への抑えきれない愛情を抱えながら、翔太はあかねを抱き寄せる…… 托卵人妻と従弟の青年の、抜け出すことができない愛の関係を描いた物語。 ◆登場人物 ・ 鎌ヶ谷翔太(26) パルサーソリューションズ勤務の営業マン ・ 藤沢あかね(29) 三和ケミカル勤務の経営企画員 ・ 八幡栞  (28) パルサーソリューションズ勤務の業務管理部員。翔太の彼女 ・ 藤沢茂  (34) シャインメディカル医療機器勤務の経理マン。あかねの夫。

お屋敷メイドと7人の兄弟

とよ
恋愛
【露骨な性的表現を含みます】 【貞操観念はありません】 メイドさん達が昼でも夜でも7人兄弟のお世話をするお話です。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

10のベッドシーン【R18】

日下奈緒
恋愛
男女の数だけベッドシーンがある。 この短編集は、ベッドシーンだけ切り取ったラブストーリーです。

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

エッチな下着屋さんで、〇〇を苛められちゃう女の子のお話

まゆら
恋愛
投稿を閲覧いただき、ありがとうございます(*ˊᵕˋ*) 『色気がない』と浮気された女の子が、見返したくて大人っぽい下着を買いに来たら、売っているのはエッチな下着で。店員さんにいっぱい気持ち良くされちゃうお話です。

処理中です...