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第一章 乱世到来
流血の砂漠
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「ちっ」
シンは小さく舌打ちをして、振り向きざまにもうひとり敵を倒し、女を追う。
「どけ、どけえっ!」
肘鉄を食らった男は剣を振り回しながら逃げ出した。その後を女が追う。
「きゃあああ!」
広場は騒然となった。
逃げ遅れた幼い子供が、男の行く手を塞いだ。はぐれた親を探しているのか、どっちへ向かえばいいのかわからないのか。立ち止まったままきょろきょろとしている。
「どけ、くそガキ!」
男が剣を振りかざした。が、男はそのまま前に倒れた。その背中に、女が投げた剣が突き立っていた。
「うわああん!」
泣き出した子供に、母親が駆け寄って抱き上げた。
その光景が胸を抉る。女にもかつて、家族がいた。生きているはずの子供。別れてしまった人。そして――。
折しも正面に差し掛かった西陽を避けるように、女は踵を返した。その腕をシンが掴み、足早にその場を去った。女は半ば引きずられるようについていく。
預けていた馬と駱駝を引き出して市場を出る。一泊する予定だったが、騒ぎを起こしては市場にいられない。間もなく日が暮れ、月が昇った。
市場の明かりが見えなくなって、更にしばらく進んだところで、シンは馬をとめた。
「あんた、本当は逃げられただろう。あそこから」
市場で仕入れた肉と野菜を焚き火で炙りながら、シンは言った。
「なんであいつらにされるままになってた?人質でも取られてたのか?」
シンは、女の腕が立つことを知っていた。だから女が敵の剣を奪った時に、そのまま逃げられてしまうかもしれないと焦ったのだ。だが、女はあっさりと剣を手放して、今も逃げる素振りなど見せない。
(何を考えている……?)
女が地下室で酷い待遇を受けていることは、廃墟を根城にしていた仲間たちの話から想像がついた。その女が、彼が長年探していた女だったのは、本当に偶然だ。偶然だが、幸運でもあった。シンは機を伺い、行動に移した。
つまり、仲間たちを皆殺しにして、女を攫ったのだ。
そもそも仲間といっても、成り行きでそうなったに過ぎなかった。彼らの粗野な振る舞いや残虐な行為に、シンはほとほとうんざりしていた。殺そう、と決めて実行に移すことに、何の躊躇もなかった。廃墟を根城にしていたゲリラ兵は百人弱だったが、実際にシンが殺したのは三十五、六人ほどで、それはシンが確実に仕留められる人数ギリギリだった。シンは、あの夜に半数以上の兵が近くの村を襲撃しに行くことを知っていた。一度出かけてしまえば、丸一日は帰ってこない。根城が手薄になったところの、しかも寝込みを襲ったのだ。
(本当はあそこにいた奴ら、全員殺してやりたかった)
だがそのことを、恐らくこの女は知らない。
「……逃げる理由が……なかったから……」
ややあって、女が答えた。
「今もか」
女はゆっくりと頷いた。
「言っただろう、俺はあんたを助けたわけじゃない」
「……もし逃げたら……殺してくれる……?」
薪がパチパチと小さな音を立てて爆ぜている。
シンは女を見た。その瞳はやはりどこも見ていなかった。濁ったガラス玉のような目に、焚き火の炎がちらちらと揺らめいている。
「死にたいのか」
女は答えなかった。
「『インドラの戦士』という新興の部族がある。族長は魔剣のカイヤーンだ。名前くらいは知ってるだろう?その男に、俺は恨みがあるんだ」
「カイヤーン……」
このとき、女ははじめて顔を上げて、シンの顔を見た。くっきりと細い眉に、切れ長の鋭い目。真っ直ぐな鼻梁と、頬骨から細い顎にかけて流麗な線を描く輪郭を、月光が縁取っている。
――誰かに似ている、と、女は思った。
「……あなたは何者なの?」
「あんたを死なせはしない――目的を果たすまではな」
先程剣を抜き放ったときと同じ、涼やかな声で、シンは言った。
「あんたは人質だよ、『国軍の』アトゥイー」
それはとても懐かしい呼び名だった。
*****
【以降、「イシュラヴァール放浪記」のネタバレを含みます。放浪記とこちらを並行して読んでいる方はご注意ください】
かつてイシュラヴァール王国は、広大な砂漠一帯を統治していた。
前国王マルス=ミカ・ナミル・ジュディード・イシュラヴァールは、その治世の初期に、それまで遊牧民たちの世界だった砂漠地帯を征服し、国土を拡げた。その後、大国に近い西側の海岸地帯にいくつもの貿易港を作り、砂漠を横断する街道を整備した。それまで砂漠に隔てられていた東西の国々を繋ぐ流通網が発達し、イシュラヴァールは栄えた。
だが、繁栄の陰で、侵略された遊牧民たちは不満を募らせていた。彼らの伝統や、部族を単位とした秩序体系は、王家の支配のもとでは完全に無視された。族長による自治権は剥奪され、従わなければ弾圧された。
虐げられてきた遊牧民たちは、とうとう決起した。遊牧民の中でも、戦闘民族と呼ばれる好戦的な部族が集まり、砂漠地帯の要衝アルヴィラ砦を拠点として「アルヴィラ解放戦線」を結成。反乱を起こした。王国各地で数度に渡り戦闘が繰り広げられ、多くの血が流された。王都ララ=アルサーシャでは毎日のように反逆者の処刑が行われ、平和で豊かな街は一変し、民衆は不安を募らせた。更に隣国アルナハブの王子も介入し、戦いは泥沼化した。
やがて王都で暴動が発生し、時を同じくして宮廷内でもクーデターが起きた。王の異母弟アトラスを後見に、第二王子バハルが実権を握り、国王マルスはその座を追われた。
先の反乱で、砂漠の戦闘民族はあらかたアルヴィラ解放戦線の旗のもとに団結していた。が、前王が王都を追われ、新王のもと新政府が発足する際に、アルヴィラは新政府についた。伝統を重んじ、自主独立を掲げる部族の中には、アルヴィラと新政府との癒着関係に異を唱えるものも少なくなかった。
そんな者たちをまとめ上げたのがカイヤーンだった。元々、砂漠で名を馳せた戦闘民族の族長を務めていた男である。カイヤーンはアルヴィラ解放戦線の代表ジェイクと話をつけ、少なくとも表向きは穏便にアルヴィラと袂を分かった。そして作ったのが、戦闘部族「インドラの戦士」だ。
政変後のイシュラヴァールは、不安定な状態が続いていた。新政府がアルヴィラの力を借りてクーデターを成功させたために、ある程度の自治を認めざるを得なかったのだ。アルヴィラ砦周辺には遊牧民の部族が集まり、今や半独立の遊牧民国家の様相を呈していた。また、アルヴィラと協力関係にあった隣国アルナハブも、同じく砂漠に拠点を保持していた。王都を追われた前王は、海軍を味方に引き入れて周辺の海を支配し、新政府の転覆を図っている。更に、最大の港町レーを拠点とする「カナン自由民」は奴隷解放運動を続けていたし、他にも砂漠地帯ではこの機に乗じて一旗揚げんとする者たちが乱立した。そして、そんな混乱する王国を、諸外国が虎視眈々と狙っていた。
そういった様々な勢力が群雄割拠する中で、カイヤーン率いる「インドラの戦士」は砂漠最大の武装勢力になっていったのである。
シンは小さく舌打ちをして、振り向きざまにもうひとり敵を倒し、女を追う。
「どけ、どけえっ!」
肘鉄を食らった男は剣を振り回しながら逃げ出した。その後を女が追う。
「きゃあああ!」
広場は騒然となった。
逃げ遅れた幼い子供が、男の行く手を塞いだ。はぐれた親を探しているのか、どっちへ向かえばいいのかわからないのか。立ち止まったままきょろきょろとしている。
「どけ、くそガキ!」
男が剣を振りかざした。が、男はそのまま前に倒れた。その背中に、女が投げた剣が突き立っていた。
「うわああん!」
泣き出した子供に、母親が駆け寄って抱き上げた。
その光景が胸を抉る。女にもかつて、家族がいた。生きているはずの子供。別れてしまった人。そして――。
折しも正面に差し掛かった西陽を避けるように、女は踵を返した。その腕をシンが掴み、足早にその場を去った。女は半ば引きずられるようについていく。
預けていた馬と駱駝を引き出して市場を出る。一泊する予定だったが、騒ぎを起こしては市場にいられない。間もなく日が暮れ、月が昇った。
市場の明かりが見えなくなって、更にしばらく進んだところで、シンは馬をとめた。
「あんた、本当は逃げられただろう。あそこから」
市場で仕入れた肉と野菜を焚き火で炙りながら、シンは言った。
「なんであいつらにされるままになってた?人質でも取られてたのか?」
シンは、女の腕が立つことを知っていた。だから女が敵の剣を奪った時に、そのまま逃げられてしまうかもしれないと焦ったのだ。だが、女はあっさりと剣を手放して、今も逃げる素振りなど見せない。
(何を考えている……?)
女が地下室で酷い待遇を受けていることは、廃墟を根城にしていた仲間たちの話から想像がついた。その女が、彼が長年探していた女だったのは、本当に偶然だ。偶然だが、幸運でもあった。シンは機を伺い、行動に移した。
つまり、仲間たちを皆殺しにして、女を攫ったのだ。
そもそも仲間といっても、成り行きでそうなったに過ぎなかった。彼らの粗野な振る舞いや残虐な行為に、シンはほとほとうんざりしていた。殺そう、と決めて実行に移すことに、何の躊躇もなかった。廃墟を根城にしていたゲリラ兵は百人弱だったが、実際にシンが殺したのは三十五、六人ほどで、それはシンが確実に仕留められる人数ギリギリだった。シンは、あの夜に半数以上の兵が近くの村を襲撃しに行くことを知っていた。一度出かけてしまえば、丸一日は帰ってこない。根城が手薄になったところの、しかも寝込みを襲ったのだ。
(本当はあそこにいた奴ら、全員殺してやりたかった)
だがそのことを、恐らくこの女は知らない。
「……逃げる理由が……なかったから……」
ややあって、女が答えた。
「今もか」
女はゆっくりと頷いた。
「言っただろう、俺はあんたを助けたわけじゃない」
「……もし逃げたら……殺してくれる……?」
薪がパチパチと小さな音を立てて爆ぜている。
シンは女を見た。その瞳はやはりどこも見ていなかった。濁ったガラス玉のような目に、焚き火の炎がちらちらと揺らめいている。
「死にたいのか」
女は答えなかった。
「『インドラの戦士』という新興の部族がある。族長は魔剣のカイヤーンだ。名前くらいは知ってるだろう?その男に、俺は恨みがあるんだ」
「カイヤーン……」
このとき、女ははじめて顔を上げて、シンの顔を見た。くっきりと細い眉に、切れ長の鋭い目。真っ直ぐな鼻梁と、頬骨から細い顎にかけて流麗な線を描く輪郭を、月光が縁取っている。
――誰かに似ている、と、女は思った。
「……あなたは何者なの?」
「あんたを死なせはしない――目的を果たすまではな」
先程剣を抜き放ったときと同じ、涼やかな声で、シンは言った。
「あんたは人質だよ、『国軍の』アトゥイー」
それはとても懐かしい呼び名だった。
*****
【以降、「イシュラヴァール放浪記」のネタバレを含みます。放浪記とこちらを並行して読んでいる方はご注意ください】
かつてイシュラヴァール王国は、広大な砂漠一帯を統治していた。
前国王マルス=ミカ・ナミル・ジュディード・イシュラヴァールは、その治世の初期に、それまで遊牧民たちの世界だった砂漠地帯を征服し、国土を拡げた。その後、大国に近い西側の海岸地帯にいくつもの貿易港を作り、砂漠を横断する街道を整備した。それまで砂漠に隔てられていた東西の国々を繋ぐ流通網が発達し、イシュラヴァールは栄えた。
だが、繁栄の陰で、侵略された遊牧民たちは不満を募らせていた。彼らの伝統や、部族を単位とした秩序体系は、王家の支配のもとでは完全に無視された。族長による自治権は剥奪され、従わなければ弾圧された。
虐げられてきた遊牧民たちは、とうとう決起した。遊牧民の中でも、戦闘民族と呼ばれる好戦的な部族が集まり、砂漠地帯の要衝アルヴィラ砦を拠点として「アルヴィラ解放戦線」を結成。反乱を起こした。王国各地で数度に渡り戦闘が繰り広げられ、多くの血が流された。王都ララ=アルサーシャでは毎日のように反逆者の処刑が行われ、平和で豊かな街は一変し、民衆は不安を募らせた。更に隣国アルナハブの王子も介入し、戦いは泥沼化した。
やがて王都で暴動が発生し、時を同じくして宮廷内でもクーデターが起きた。王の異母弟アトラスを後見に、第二王子バハルが実権を握り、国王マルスはその座を追われた。
先の反乱で、砂漠の戦闘民族はあらかたアルヴィラ解放戦線の旗のもとに団結していた。が、前王が王都を追われ、新王のもと新政府が発足する際に、アルヴィラは新政府についた。伝統を重んじ、自主独立を掲げる部族の中には、アルヴィラと新政府との癒着関係に異を唱えるものも少なくなかった。
そんな者たちをまとめ上げたのがカイヤーンだった。元々、砂漠で名を馳せた戦闘民族の族長を務めていた男である。カイヤーンはアルヴィラ解放戦線の代表ジェイクと話をつけ、少なくとも表向きは穏便にアルヴィラと袂を分かった。そして作ったのが、戦闘部族「インドラの戦士」だ。
政変後のイシュラヴァールは、不安定な状態が続いていた。新政府がアルヴィラの力を借りてクーデターを成功させたために、ある程度の自治を認めざるを得なかったのだ。アルヴィラ砦周辺には遊牧民の部族が集まり、今や半独立の遊牧民国家の様相を呈していた。また、アルヴィラと協力関係にあった隣国アルナハブも、同じく砂漠に拠点を保持していた。王都を追われた前王は、海軍を味方に引き入れて周辺の海を支配し、新政府の転覆を図っている。更に、最大の港町レーを拠点とする「カナン自由民」は奴隷解放運動を続けていたし、他にも砂漠地帯ではこの機に乗じて一旗揚げんとする者たちが乱立した。そして、そんな混乱する王国を、諸外国が虎視眈々と狙っていた。
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