イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第十章 王都編

死闘

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 王都から東へ向かうイシュラヴァール街道は、暴動から逃れようと、王都を出る人々でごった返していた。
 荷馬車にありったけの家財道具を詰め込んで、家族や使用人と大所帯で移動する商人もいれば、着の身着のまま逃げ出してきた人々もいた。
「馬鹿野郎、俺が先だ!」
「泥棒!誰か!そいつを捕まえて!」
 膨れ上がった行列のあちこちで悲鳴や怒号が飛び交い、親とはぐれた子供の泣き声がひっきりなしに聞こえてくる。
 王都を出て二キロほど進んだところで、一人の初老の男が振り返った。祖父母の代から住み慣れた都は、ところどころから黒煙を立ち上らせて、砂の地平に苦しげにたたずんでいた。
「おお、ララ=アルサーシャ……」

 ユーリとファーリアを乗せた馬は人の少ない北街道へ出ると、すぐに街道を逸れて、王都を大きく迂回するように砂漠を駆けた。マルスとカイヤーンがそれを追う。
「――畜生、あいつら、速すぎる……!」
 カイヤーンが毒づいた。俊足を誇るカイヤーンの愛馬が、徐々に引き離されていた。王宮からの追っ手は早々にまいてしまっていた。
「これが砂漠の黒鷹あいつの本領発揮ってとこか」
 カイヤーンは苦々しく呟いた。王宮にいた駿馬しゅんめとはいえ、乗り慣れていない馬で、しかも身重のファーリアを同乗させて、全くそれを感じさせない。
 ユーリは馬と一体になったかのようだった。
 ファーリアはユーリに抱かれて安心しきっていた。ユーリの腕の中に収まって、馬の駆ける振動に身を任せていると、不思議と懐かしい気分になった。
 どれくらい駆けたのだろう。いつしか王都は地平線の彼方に消え、見渡す限りの砂漠が広がっていた。街道はおろか、人影ひとつ見えない。
「ハァッ!」
 それまでユーリのすぐ後を追ってきていたマルスが、馬に鞭を入れてユーリを抜き去った。そしてくるりと向きを変えると、ユーリの方へと向かってきた。
 マルスとユーリは、ほぼ同時に剣を抜いた。
「――ユーリ!?」
 ファーリアが小さく叫んだ。
 カシィン――と、剣がぶつかりあった。
 交差した二頭の馬は、数歩先で向きを変え、再び向き合う。
「ユーリ!やめて……!」
 ファーリアが叫んだ瞬間、ユーリがひらりと馬の背を蹴り、宙に舞った。
「ハッ!」
 すれ違いざまに、ユーリはマルスに飛びかかると、そのまま地面に落ちた。
「ユーリ!……マルス!」
 ファーリアは手綱を掴んで馬を止めた。
 ユーリとマルスはもう立ち上がって剣を構えている。
「……ファーリアを返せ。あれは私の女だ」
 ファーリアが王宮から消えた後、凄まじい喪失感がマルスを襲った。何もかもがどうでもよくなった。眠ることも食べることも満足にできなくて、なぜ生きているのか不思議だった。いっそ誰かがこの身を滅ぼすなら、それもいいとさえ夢想した。
 そして、すべてを失った。玉座も、臣下も、美しかった都も。
「ファーリアを返せ」
 マルスはもう一度言った。
 すべてを失っても手に入れたいと思った。ファーリアさえそこにいれば、何度でも立ち上がれる。
「いやだ」
 ユーリは砂を蹴った。カシィン、キィン、と剣が鳴る。
(――強い!)
 ユーリは背中を冷たい汗が伝うのを感じた。ユーリの初太刀を受け流しざまに、マルスは倍速の突きを繰り出してきたのだ。ユーリはかわすのが精一杯だった。
 互角か、それ以上――。
 ユーリはそうマルスの腕を見立てた。加えてマルスにはユーリに手加減する理由などどこにもない。全力で殺しに来るだろう。うかつに飛び込めば、やられてしまう。
(一瞬でいい、隙があれば)
 午後の太陽がじりじりと大地をいている。
 その時、ぼとりとマルスのマントから鈍色の塊が落ちた。馬上で飛びかかった時、ユーリが密かに仕込んでいたカナグイサソリだ。
 カナグイサソリはマルスの足元でガサガサと這い回った。マルスはそちらを一瞥もせずに、一瞬で踏み殺した。
「小細工も効かないってわけか……」
 ユーリはさして驚かなかった。王宮暮らしの王ならば、あるいは――と思ったのだが、さすがに砂漠を統べる王だ。蠍ごときに慌てたりはしないのだろう。だがユーリの方も、みすみす死んでやる気など毛頭ない。
 ユーリは古い記憶を思い起こした。もう二十年近く前。
 焚き火に明々あかあかと照らされて尚黒い、死体の数々――。
 瞬間、ユーリがマルスの視界から消えた。
「――!」
 音もなく飛び込んできたユーリの剣を、マルスは辛うじて受けた。
「……やるな」
 ぎりぎりと押しあった末に、弾き飛ばす。二人は更に数太刀を交わした。
 ファーリアはユーリの馬に乗ったまま、二人のすぐ近くまで戻ってきた。ユーリの支えを失って、ファーリアは馬にしがみついているのが精一杯だった。
「やめて!」
 ファーリアは叫んだ。が、二人の耳には届いていない。お互い、集中を途切れさせれば致命傷を負いかねなかった。
「やめて、もう……」
 ぐらり、とファーリアの視界が揺れた。
 反応したのはマルスだった。
「ファー……」
 馬から落ちかけたファーリアに一足飛びに駆け寄って、受け止めた。どさり、とファーリアがマルスの腕の中に落ちて、そのままマルスは砂上に座り込んだ。
「――っ!」
「……マルス……?」
 ファーリアはマルスを見上げて、息を呑んだ。
「マルス……血が……!」
 マルスの胸元に、赤い染みが広がっていく。
「……かすり傷だ」
 マルスは微笑んだ。
「ようやく私を見たな、ファーリア」
 そう言う間にも、血はどんどん流れ続け、マルスの顔が蒼白になっていく。
「何を言って……血を、血を止めないと」
 ファーリアは必死で傷口を押さえた。そこにふっと黒い影が落ちた。
「そこをどけ、ファーリア」
 灼熱の太陽を背に、ユーリが立っていた。その手には血に濡れた剣が握られていた。
「……いや」
 ファーリアはユーリからかばうようにマルスにしがみついた。
「どけ!王を殺せば戦いが終わる!」
「いやあっ……!」
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