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第十章 王都編
蠍
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レーの町は以前の活気を取り戻していた。戦で被害を受けた家々はイランたちの指揮でまたたく間に復興し、解放奴隷たちのための居住区も建設された。
キャプテン・ドレイクらをはじめとする海賊船も自由に港に出入りできるようになったので、レーを通る物流量は以前よりも増えたほどだ。寄港する船が多ければ、宿や酒場も賑わう。解放奴隷の中には人手不足になった港や町で働く者も現れて、徐々に増えていった。
その日、イランは港で貿易船の荷降ろしに立ち会っていた。そこへザラが血相を変えて駆けてきた。
「カナンが見つかった――!」
「なんだって!?」
「あ、ちょっ……!」
イランが手にしていた書類を取り落しかけたのを、横にいた少年が受け止める。
「ここは僕がやっておきますから、どうぞ」
綺麗な金髪の少年が、利発そうに言った。
「そうか?すまんな。じゃあ頼む」
イランは少年にその場を任せ、ザラと共に町へと向かった。ザラは『夜の兎』を逃れてから、カナンに言われた通りにレーのイランのもとへ身を寄せていた。
「任せて大丈夫なの?」
「ああ、奴隷船に乗せられていた子供なんだが、仕事を覚えるのが早くてな。西国の言葉が分かるので重宝してる」
「どんどん変わっていくわね、街も人も」
レー占領から半年近く、レーの町は新しいシステムを次々と導入し、自由で独立した自治体としての機能を作り上げていた。開放された奴隷たちの中には町を逃げ出したり故郷へ戻ったりする者もいたが、町に残って仕事を見つけ、生活を始める者も多かった。
「それより、カナンが見つかったって?王都にいたのか?」
「ええ、王宮に捕らえられているみたい。『夜の兎』に、カナンからの伝言が入ったの」
「お前、王都へ行ったのか!?」
ザラたちの組織は花祭の夜の一斉摘発で壊滅していた。見つかったらザラもただでは済まない。
「いいえ、イドリスが来てくれたのよ。ユーリの処刑は七月頃だって。カナンによれば、監獄は警備が厳重で、ユーリを助け出すなら最悪、処刑の日になるだろうって。『罪の道』を狙えって。他にも色々」
「罪の道?」
王都に詳しくないイランが聞き返した。
「監獄から処刑場までの道よ。ユーリほどの大物なら、沿道に見物人が押し寄せるわ」
「しかし、なぜ七月なんだ?普通、すぐにでも処刑してしまいたいんじゃないのか?」
「さあ……」
ザラは少し考えて、それから言いにくそうに言葉を選んで続けた。
「……ねえ、これはユーリの処刑とは関係ないかもしれないんだけどさ。カナン、お腹に赤ん坊がいるって知ってる?」
「は!?」
イランは驚いて大声を上げた。
「マリアが、赤ん坊が無事に育ってるとしたら、産まれるのは七月頃じゃないかって言うの。ねえ、赤ん坊の父親ってユーリなのかな?」
「俺が知るか」
イランは記憶を辿った。王都でカナンと再会してから、カナンが誰かと親密になったことはない。それより以前、エクバターナでカナンがユーリと消えたのは、何月のことだったか――?
「だが――そうだな、ユーリ・アトゥイーの子供を身籠っているなら、とっくにカナンも子供も殺されていて不思議はないんじゃないのか?なぜ幽閉されている?まるで子供が産まれるのを待っているようだ」
「赤ん坊は、ユーリの子じゃないってこと?」
ザラもまた考え込む。
「……ねえ、イラン。あんたバラで会った時、カナンが国軍のアトゥイーだって言ってたよね?」
「ああ」
「あのさ、これはだいぶ前に聞いた噂なんだけど、国軍のアトゥイーは国王陛下の愛人だったって」
「なんだって!?」
「あのさ……赤ん坊の父親って、本当にユーリなのかな……?」
イランとザラは顔を見合わせた。
「俺が知るか」
イランはもう一度言った。
「だがもし仮にカナンが身籠ったのが御子ならば、殺されずにいることの説明はつくな」
「じゃあ、なんで幽閉されているの?」
「そりゃあカナンが逃げるからだろう。あいつはユーリのことを好いている。どっちみち、御子が産まれてしまえばカナンは用無しだろうな。あるいは本当に、腹の子の父親が国王なのかユーリなのかはっきりしていないのかも」
「じゃあ……もし産まれてから、ユーリの子ってわかったら……?」
ザラの声が震えた。
「……俺たちはカナンを助け出す。赤ん坊が出てくる前に」
イランは険しい顔で言った。
「あたしはアルヴィラへ行くわ。ジェイクたちにこのことを伝えないと」
だが数日後、イランに借りた駿馬を駆ってアルヴィラへ着いたザラを待っていたのは、兄の訃報だった。
療養所にいたイスマイルは、駆け寄ったザラを無事な方の手で受け止め、抱きしめた。拷問で受けた怪我が痛々しい。潰れた右手はもう元には戻らないだろうと医者に言われていた。
「すまん……オットーが……俺だけ……っ……」
「いいんだよ、イスマイル。仕方ないさ。あんたが無事で、良かったよ……」
そうは言ったものの、ザラは療養所を出るなり泣き崩れた。
「兄さん……っ……!」
地面に積もった砂を掴む。涙がぱたぱたと落ちて砂を濡らした。
「痛かっただろう……?苦しかっただろう……?助けてあげられなくて、ごめんよおっ……」
嗚咽が込み上げて、顔を上げることができない。陽気な兄の思い出と、拷問に苦しむ兄の姿の幻影が交互に浮かんで、ザラは肩を震わせて泣き続けた。
「よく生きて戻ったな、ザラ。オットーの仇は必ず取る」
ジェイクがザラの肩を抱いて言った。ザラは泣きながら頷いた。
「カナンが、ユーリの処刑は七月だって。ユーリが戻れば、勝てるよね?戦も、終わるよね……?」
「ああ、そうだな」
そろそろ潮時だ、とジェイクは考えた。皆、戦続きで疲弊してきている。どこかで決着を着けなければならない。
「ザラ、レーの連中が動くのはいつだ?」
「二週間後だよ。イランが言うには、ユーリの処刑まで待ってたらカナンの命が危ないって」
ザラが涙を拭いて言った。
「伝令を出して、ギリギリ四週間後まで待ってもらおう。その間に準備を進めて、こっちもユーリを奪還する」
「でも、どうやって?アルサーシャのアジトは壊滅してるってのに」
「ああ。代わりにもっと奥に、蠍を放ったのさ」
ジェイクは意味ありげに言った。
*****
「サヴァ商会の者です。あの、面会を」
ララ=アルサーシャの大店サヴァ商会の下男は、毎月欠かさずに監獄に収監されている次男坊を見舞っていた。
「何度も言っている。反乱分子に面会は許されん」
「では差し入れを……好物の菓子です」
そう言って、下男は下っ端の看守に袖の下を握らせた。
「仕方ないな。今回だけだぞ」
そう言いながらも、看守は二回に一度は差し入れを通してくれた。それもこれも下男が絶妙に袖の下の金額を増やしたり、時には舶来の珍品をちらつかせたりしているからである。
カスィム・サヴァが投獄されてから九ヶ月ほどが経っていた。
サヴァ商会は前例を見ないほどの高額の金を払って、次男坊の保釈を嘆願した。更に宮廷の有力者たちに根回しまでやってのけた。並々ならぬ努力が奏効し、保釈は叶わなかったものの拷問や懲罰は免れて、カスィムは比較的快適な監獄生活を送っていた。
カスィムの牢は一人部屋だった。本や専用の食器など、他の囚人には許されていない私物が置いてある。
「お、このタルトレット、美味しいんだよねぇ。使っている香料が希少で、産地ですら真冬にほんの少ししか手に入らないんだ」
差し入れを受け取ったカスィムは、箱を開けるなり嬉しそうな声を上げた。
「おい、黙って食え」
「ああ、すまないね。君も一口どう?」
「いらん!」
看守は不機嫌に言ってそっぽを向いてしまった。
その目を盗んで、カスィムは箱の二重底をそっとずらした。
中には大人の手の平ほどの大きさをした鈍色の生き物が五匹、じっと眠ったように動かない。
カスィムは小さく笑みを浮かべ、箱を元に戻した。
キャプテン・ドレイクらをはじめとする海賊船も自由に港に出入りできるようになったので、レーを通る物流量は以前よりも増えたほどだ。寄港する船が多ければ、宿や酒場も賑わう。解放奴隷の中には人手不足になった港や町で働く者も現れて、徐々に増えていった。
その日、イランは港で貿易船の荷降ろしに立ち会っていた。そこへザラが血相を変えて駆けてきた。
「カナンが見つかった――!」
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「あ、ちょっ……!」
イランが手にしていた書類を取り落しかけたのを、横にいた少年が受け止める。
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綺麗な金髪の少年が、利発そうに言った。
「そうか?すまんな。じゃあ頼む」
イランは少年にその場を任せ、ザラと共に町へと向かった。ザラは『夜の兎』を逃れてから、カナンに言われた通りにレーのイランのもとへ身を寄せていた。
「任せて大丈夫なの?」
「ああ、奴隷船に乗せられていた子供なんだが、仕事を覚えるのが早くてな。西国の言葉が分かるので重宝してる」
「どんどん変わっていくわね、街も人も」
レー占領から半年近く、レーの町は新しいシステムを次々と導入し、自由で独立した自治体としての機能を作り上げていた。開放された奴隷たちの中には町を逃げ出したり故郷へ戻ったりする者もいたが、町に残って仕事を見つけ、生活を始める者も多かった。
「それより、カナンが見つかったって?王都にいたのか?」
「ええ、王宮に捕らえられているみたい。『夜の兎』に、カナンからの伝言が入ったの」
「お前、王都へ行ったのか!?」
ザラたちの組織は花祭の夜の一斉摘発で壊滅していた。見つかったらザラもただでは済まない。
「いいえ、イドリスが来てくれたのよ。ユーリの処刑は七月頃だって。カナンによれば、監獄は警備が厳重で、ユーリを助け出すなら最悪、処刑の日になるだろうって。『罪の道』を狙えって。他にも色々」
「罪の道?」
王都に詳しくないイランが聞き返した。
「監獄から処刑場までの道よ。ユーリほどの大物なら、沿道に見物人が押し寄せるわ」
「しかし、なぜ七月なんだ?普通、すぐにでも処刑してしまいたいんじゃないのか?」
「さあ……」
ザラは少し考えて、それから言いにくそうに言葉を選んで続けた。
「……ねえ、これはユーリの処刑とは関係ないかもしれないんだけどさ。カナン、お腹に赤ん坊がいるって知ってる?」
「は!?」
イランは驚いて大声を上げた。
「マリアが、赤ん坊が無事に育ってるとしたら、産まれるのは七月頃じゃないかって言うの。ねえ、赤ん坊の父親ってユーリなのかな?」
「俺が知るか」
イランは記憶を辿った。王都でカナンと再会してから、カナンが誰かと親密になったことはない。それより以前、エクバターナでカナンがユーリと消えたのは、何月のことだったか――?
「だが――そうだな、ユーリ・アトゥイーの子供を身籠っているなら、とっくにカナンも子供も殺されていて不思議はないんじゃないのか?なぜ幽閉されている?まるで子供が産まれるのを待っているようだ」
「赤ん坊は、ユーリの子じゃないってこと?」
ザラもまた考え込む。
「……ねえ、イラン。あんたバラで会った時、カナンが国軍のアトゥイーだって言ってたよね?」
「ああ」
「あのさ、これはだいぶ前に聞いた噂なんだけど、国軍のアトゥイーは国王陛下の愛人だったって」
「なんだって!?」
「あのさ……赤ん坊の父親って、本当にユーリなのかな……?」
イランとザラは顔を見合わせた。
「俺が知るか」
イランはもう一度言った。
「だがもし仮にカナンが身籠ったのが御子ならば、殺されずにいることの説明はつくな」
「じゃあ、なんで幽閉されているの?」
「そりゃあカナンが逃げるからだろう。あいつはユーリのことを好いている。どっちみち、御子が産まれてしまえばカナンは用無しだろうな。あるいは本当に、腹の子の父親が国王なのかユーリなのかはっきりしていないのかも」
「じゃあ……もし産まれてから、ユーリの子ってわかったら……?」
ザラの声が震えた。
「……俺たちはカナンを助け出す。赤ん坊が出てくる前に」
イランは険しい顔で言った。
「あたしはアルヴィラへ行くわ。ジェイクたちにこのことを伝えないと」
だが数日後、イランに借りた駿馬を駆ってアルヴィラへ着いたザラを待っていたのは、兄の訃報だった。
療養所にいたイスマイルは、駆け寄ったザラを無事な方の手で受け止め、抱きしめた。拷問で受けた怪我が痛々しい。潰れた右手はもう元には戻らないだろうと医者に言われていた。
「すまん……オットーが……俺だけ……っ……」
「いいんだよ、イスマイル。仕方ないさ。あんたが無事で、良かったよ……」
そうは言ったものの、ザラは療養所を出るなり泣き崩れた。
「兄さん……っ……!」
地面に積もった砂を掴む。涙がぱたぱたと落ちて砂を濡らした。
「痛かっただろう……?苦しかっただろう……?助けてあげられなくて、ごめんよおっ……」
嗚咽が込み上げて、顔を上げることができない。陽気な兄の思い出と、拷問に苦しむ兄の姿の幻影が交互に浮かんで、ザラは肩を震わせて泣き続けた。
「よく生きて戻ったな、ザラ。オットーの仇は必ず取る」
ジェイクがザラの肩を抱いて言った。ザラは泣きながら頷いた。
「カナンが、ユーリの処刑は七月だって。ユーリが戻れば、勝てるよね?戦も、終わるよね……?」
「ああ、そうだな」
そろそろ潮時だ、とジェイクは考えた。皆、戦続きで疲弊してきている。どこかで決着を着けなければならない。
「ザラ、レーの連中が動くのはいつだ?」
「二週間後だよ。イランが言うには、ユーリの処刑まで待ってたらカナンの命が危ないって」
ザラが涙を拭いて言った。
「伝令を出して、ギリギリ四週間後まで待ってもらおう。その間に準備を進めて、こっちもユーリを奪還する」
「でも、どうやって?アルサーシャのアジトは壊滅してるってのに」
「ああ。代わりにもっと奥に、蠍を放ったのさ」
ジェイクは意味ありげに言った。
*****
「サヴァ商会の者です。あの、面会を」
ララ=アルサーシャの大店サヴァ商会の下男は、毎月欠かさずに監獄に収監されている次男坊を見舞っていた。
「何度も言っている。反乱分子に面会は許されん」
「では差し入れを……好物の菓子です」
そう言って、下男は下っ端の看守に袖の下を握らせた。
「仕方ないな。今回だけだぞ」
そう言いながらも、看守は二回に一度は差し入れを通してくれた。それもこれも下男が絶妙に袖の下の金額を増やしたり、時には舶来の珍品をちらつかせたりしているからである。
カスィム・サヴァが投獄されてから九ヶ月ほどが経っていた。
サヴァ商会は前例を見ないほどの高額の金を払って、次男坊の保釈を嘆願した。更に宮廷の有力者たちに根回しまでやってのけた。並々ならぬ努力が奏効し、保釈は叶わなかったものの拷問や懲罰は免れて、カスィムは比較的快適な監獄生活を送っていた。
カスィムの牢は一人部屋だった。本や専用の食器など、他の囚人には許されていない私物が置いてある。
「お、このタルトレット、美味しいんだよねぇ。使っている香料が希少で、産地ですら真冬にほんの少ししか手に入らないんだ」
差し入れを受け取ったカスィムは、箱を開けるなり嬉しそうな声を上げた。
「おい、黙って食え」
「ああ、すまないね。君も一口どう?」
「いらん!」
看守は不機嫌に言ってそっぽを向いてしまった。
その目を盗んで、カスィムは箱の二重底をそっとずらした。
中には大人の手の平ほどの大きさをした鈍色の生き物が五匹、じっと眠ったように動かない。
カスィムは小さく笑みを浮かべ、箱を元に戻した。
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