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第十章 王都編
鞭★
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その男は、たとえるならば岩場に湧く澄んだ流水のような、涼やかな声をしていた。
「これは……陛下」
真っ先に看守が膝をつき、拷問官は囚人を拘束したまま頭を垂れた。
(陛下……?)
ユーリは心の中で看守の言葉を反芻した。
(では、この男が)
ユーリに背を向けているが、すらりとした長身に長い銀髪が流れ落ち、いかにも只者ではない雰囲気をまとっている。羽織っている長衣には金糸が織り込まれ、縁には豪華な刺繍が施されているのに、この男が着ているとそれが全く派手に見えない。
(これが、イシュラヴァール王……)
ユーリは初めて間近に見るその姿に見入った。
「その男はもうよい。21ポイントの反乱軍から使いが来て、捕虜解放の交渉が今済んだ。その男を含めて37名、あちらに捕らえられている国軍兵士と引き換えに明日釈放だ。その男は牢に戻して手当てしてやれ」
王が看守に命じると、看守は一礼して拷問官にイスマイルを牢に連れて行かせた。
「……オットーは……オットーも……」
拷問室を出ていく直前、イスマイルは思い出したように言った。
「ああ、あの太った男なら、さっき死んだぞ」
「……ああ……」
看守の冷ややかな言葉に、イスマイルの顔がくしゃりと歪んで嗚咽が漏れた。
「マルス様、何もわざわざこのような場所にいらっしゃらずとも」
白い装束の男が小声で王に言った。
「そう怒るなシハーブ。この目で見たかったのだ――反乱軍の英雄、ユーリ・アトゥイーとやらをな」
白い装束の男は小さく溜息をつき、それからユーリの房を指した。
「……そこです」
王は初めてユーリの方に顔を向けた。ユーリから数歩の場所まで近寄ってくると、軽く首を傾げて覗き込んだ。
ユーリは床に座り込んでいたので、王を見上げるような格好になった。
(これが、王)
ユーリは再びその顔をまじまじと見た。古の神を象った彫刻のような輪郭の中に、目も鼻も口も、完璧なバランスで配置されていた。敵の頂点に立つ男を前にして、不思議なことに怒りも憎しみも浮かんでこなかった。少年の頃、彼の兵に部族を皆殺しにされたことを、忘れたわけではなかった。奴隷にされ、不遇のうちに死んでいった同胞も、戦で失った仲間も、元を辿れば彼に奪われた。だが、いざ王を目の前にすると、そういった恨みつらみを並べる気が失せてしまうのだった。そんなのはすべて些末で個人的な感情にすぎない気がしてくるのだ。その氷色の瞳はユーリよりも遥かに広く眺め、多くを見ているに違いなく、そんな人間と話す言葉など自分は持っていないように思えた。そこまで思い至って、ユーリは王から顔をそらした。
「顔が、よく見えぬ」
王が言った。王のいる場所から見ればユーリの牢は暗く、うつむいてしまったユーリの顔は見えづらいのだろう。
イスマイルを送り届けて戻ってきた拷問官たちが、鉄柵を開けてユーリの牢に入ってきた。
ユーリは脇を両側から抱え上げられるようにして立たせられ、上に着ていた服を乱暴に脱がされて上半身を裸にされた。拷問官はユーリの両腕を上げて、やはり天井から下がった鎖に繋いだ。
「く……っ」
怪我のせいで、立っているだけで痛みとだるさが襲ってきた。だが力を抜くと、体重が腕にかかって鉄の輪が手首に食い込むし、何より傷跡に響く。腹に巻いた包帯に血が滲んだ。
マルスもまた、そんなユーリの姿を黙って眺めていた。
(この男が、ユーリ・アトゥイーか)
少しでも油断すると噴出しそうな激昂を、マルスは理性の力でどうにか抑え込んでいた。
「尋問されますか」
看守が言った。
「この男は反乱軍の中枢にいた者です。重要な情報を持っているかと」
「どうだかな。たとえ尋問に答えたとして、それが嘘かまことかどうやって判断するのだ?」
マルスはユーリから目を逸らさずに言った。黒い髪に縁取られた額に脂汗が浮かび、息が荒くなっている。だがその黒い瞳は揺るぎなく光を保ってマルスを見返してきた。そこには怒りも怯えも諦めもなく、ただ深い静けさがあった。覚悟、と呼ぶにはあまりに自然で、(まるで野生動物のようだ)とマルスは思った。自分自身を絶対的に信じて、運命に身を委ねる。他の何者も侵すことができない、野生の強靭さ。
「そなたが、ユーリ・アトゥイーか」
マルスはあらためて確認した。
「そうだ」
ユーリはマルスをまっすぐに見返して答えた。
「私がそなたに尋ねたいことはふたつだけだ。アルヴィラ解放戦線の望むところは那辺にある?玉座の簒奪か?」
「……俺は一介の戦士にすぎない。知っていることしか答えられん。俺たちの長がこの国の玉座を望んでいるかなど、そんなことは……知らん」
ユーリはそこで言葉を切った。正直、喋るのも辛くなってきた。
ジェイクが玉座を狙っているなどとは思えなかったが、といって何を望んでいるかもユーリは知らなかったし、興味もなかった。ジェイクが戦うと言ったら、ユーリも共に戦う。それだけだった。ユーリはしばらく息を整えて、また続けた。
「……遊牧民はイシュラヴァール国に隷属しない。どの……国にも。俺に言えるのは、それだけだ」
「それは自治権を与えてほしいということか?アルヴィラに自治区でも作る気か?」
「……砂漠は、遊牧民の生きる……場所だ……どっかの王様に、与えられたり……するものじゃない……」
「砂漠すべてをやるわけにはいかぬ。お互い、どこかで手を打たねばならぬ。第一お前たちが領土を手に入れたとて、次はアルナハブあたりに蹂躙されるのがおちだろう」
「……あんたは、何も……わかってない……砂漠は……そういうところじゃ、ないんだ……」
ユーリは、痛みと貧血で脂汗を流しながら、噛み合わない会話に無力感でいっぱいになっていた。ユーリは瞑目した。
王は何も分かっていない。砂漠で生きていくのがどういうことなのか。砂漠は誰のものでもない。遊牧民は砂漠を通り過ぎる風のようなものなのだ。風や駱駝が大地を所有しようと思わないように、遊牧民も砂漠を領土だとは考えない。ただそこで生きていくだけなのだ。
きっとこの王には、永遠に理解できないだろう。
「ふ。まあいい。私はそなたを尋問する気などない――シハーブ」
マルスはつい、と視線を横に逸らしてシハーブを呼んだ。
「は」
「よく見よ。この男はこの場にあって微塵も恐怖を感じていないぞ。この先どんな拷問にかけても、この男から聞き出せることなどあるまいよ」
「……まあ、そうでしょうな」
「だから何も聞かなくていい。――痛めつけ、苦しめ続けろ」
そこで初めてマルスの声に憎しみが滲んだのを、ユーリは朦朧としかけた頭で感じ取った。
「私はそなたが苦しみ抜いて死ぬことだけが望みなのだ」
マルスの指が鉄柵の向こうから伸びてきて、ユーリの頬に触れた。
「もう……ひとつは……何だ」
ユーリは弱々しい声で言った。
「俺に、聞きたいことがあるんだろう……あとひとつ、何だ」
マルスは、キイ、と鉄柵を開け、ユーリの牢に足を踏み入れた。
「マルス様――危険です!」
慌ててシハーブが止めたが、マルスは意に介さない。
――聞きたいこと。それは、エクバターナからファーリアが消えた後、あの空白の数日に何があったのか。
(だが今更そんなことを知って何になる)
それでもやはり、この感情は止められない。この男が奪ったのなら、奪い返すまで。
同じ地獄を味わわせてやらねば、死なせてなどやらない。
マルスはユーリの正面に立つと、その首に腕を巻き付けた。そして耳元に唇を寄せて囁いた。
「私のファーリアを、返してもらおうか」
ぞわり、と、ユーリが総毛立ったのがわかった。
「いやだ」
ユーリはきっぱりと言い切った。その両眼が、猛禽類の光を宿してマルスを睨んでいた。
マルスは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。ユーリの反応は充分にマルスを満足させた。
――そうだ。怒るがいい。
悟ったような男を痛めつけてなんになる。
怒り、狂い、己の無力さに打ちひしがれてこそ、屈服させがいがあるというものだ。
「――やれ」
ビシィィッ――――と、鞭が鳴った。
「うっ!」
むき出しの背中を鞭打たれ、ユーリは痛みに呻いた。反動で身体がふらつき、鎖がぎちぎちと揺れる。
打たれた場所がじんじんと熱い。それ以上に、傷口が焼けるように痛む。
二発、三発と、拷問官は容赦なく鞭を叩きつけた。
「あう!ううっ!」
吊り下げられた両腕はすぐに痺れて感覚を失った。全身を貫くような疼痛がユーリを襲った。
何度目かで気絶したユーリは、頭から水をかぶせられて意識を取り戻した。
「……っ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
目覚めると同時に全身を針で刺されるような痛みが襲ってくる。息をつく間もなく、ヒュン――と鞭がしなる音がして、再び折檻が始まった。
「つっ……うあっ……っく……!」
何度も何度も打たれても、鞭の痛みに慣れることなどないのだと、ユーリは知った。そして鞭の痛みよりも、吊り下げられた体勢が苦痛を増幅させる。
(これは……死ぬかもな……)
視界が黒っぽく色褪せていって、ユーリは死を意識した。
だからそれは、きっと幻聴なのだと、ユーリは思った。
そうだ。もっとだ。苦しめ。痛みにのたうち回るがいい――。
昏い愉悦に浸っていたマルスは、ふと背後の空気が揺れるのを感じた。
(――まさか、そんなはずは)
足音でも匂いでもない。言葉にし難い、それでも感じ取ってしまう気配。
かつて慣れ親しみ、時の経つのも忘れて溺れたあの存在を、細胞の一つ一つが記憶している。
(もし……これが錯覚なら)
振り返って、もしそこに彼女がいなければ、自分は正気を保ってはいられないだろう。
それでも抗えない。
マルスは胸は締め付けられるような思いで背後を振り返った。
果たしてそこには、数ヶ月前に失ったはずの女がいた。
しかしその愛しいほどにひたむきな瞳は、まっすぐに――吊られた虜囚に向けられていた。
「――ユーリ!」
張り裂けそうな声で、ファーリアは叫んだ。
「これは……陛下」
真っ先に看守が膝をつき、拷問官は囚人を拘束したまま頭を垂れた。
(陛下……?)
ユーリは心の中で看守の言葉を反芻した。
(では、この男が)
ユーリに背を向けているが、すらりとした長身に長い銀髪が流れ落ち、いかにも只者ではない雰囲気をまとっている。羽織っている長衣には金糸が織り込まれ、縁には豪華な刺繍が施されているのに、この男が着ているとそれが全く派手に見えない。
(これが、イシュラヴァール王……)
ユーリは初めて間近に見るその姿に見入った。
「その男はもうよい。21ポイントの反乱軍から使いが来て、捕虜解放の交渉が今済んだ。その男を含めて37名、あちらに捕らえられている国軍兵士と引き換えに明日釈放だ。その男は牢に戻して手当てしてやれ」
王が看守に命じると、看守は一礼して拷問官にイスマイルを牢に連れて行かせた。
「……オットーは……オットーも……」
拷問室を出ていく直前、イスマイルは思い出したように言った。
「ああ、あの太った男なら、さっき死んだぞ」
「……ああ……」
看守の冷ややかな言葉に、イスマイルの顔がくしゃりと歪んで嗚咽が漏れた。
「マルス様、何もわざわざこのような場所にいらっしゃらずとも」
白い装束の男が小声で王に言った。
「そう怒るなシハーブ。この目で見たかったのだ――反乱軍の英雄、ユーリ・アトゥイーとやらをな」
白い装束の男は小さく溜息をつき、それからユーリの房を指した。
「……そこです」
王は初めてユーリの方に顔を向けた。ユーリから数歩の場所まで近寄ってくると、軽く首を傾げて覗き込んだ。
ユーリは床に座り込んでいたので、王を見上げるような格好になった。
(これが、王)
ユーリは再びその顔をまじまじと見た。古の神を象った彫刻のような輪郭の中に、目も鼻も口も、完璧なバランスで配置されていた。敵の頂点に立つ男を前にして、不思議なことに怒りも憎しみも浮かんでこなかった。少年の頃、彼の兵に部族を皆殺しにされたことを、忘れたわけではなかった。奴隷にされ、不遇のうちに死んでいった同胞も、戦で失った仲間も、元を辿れば彼に奪われた。だが、いざ王を目の前にすると、そういった恨みつらみを並べる気が失せてしまうのだった。そんなのはすべて些末で個人的な感情にすぎない気がしてくるのだ。その氷色の瞳はユーリよりも遥かに広く眺め、多くを見ているに違いなく、そんな人間と話す言葉など自分は持っていないように思えた。そこまで思い至って、ユーリは王から顔をそらした。
「顔が、よく見えぬ」
王が言った。王のいる場所から見ればユーリの牢は暗く、うつむいてしまったユーリの顔は見えづらいのだろう。
イスマイルを送り届けて戻ってきた拷問官たちが、鉄柵を開けてユーリの牢に入ってきた。
ユーリは脇を両側から抱え上げられるようにして立たせられ、上に着ていた服を乱暴に脱がされて上半身を裸にされた。拷問官はユーリの両腕を上げて、やはり天井から下がった鎖に繋いだ。
「く……っ」
怪我のせいで、立っているだけで痛みとだるさが襲ってきた。だが力を抜くと、体重が腕にかかって鉄の輪が手首に食い込むし、何より傷跡に響く。腹に巻いた包帯に血が滲んだ。
マルスもまた、そんなユーリの姿を黙って眺めていた。
(この男が、ユーリ・アトゥイーか)
少しでも油断すると噴出しそうな激昂を、マルスは理性の力でどうにか抑え込んでいた。
「尋問されますか」
看守が言った。
「この男は反乱軍の中枢にいた者です。重要な情報を持っているかと」
「どうだかな。たとえ尋問に答えたとして、それが嘘かまことかどうやって判断するのだ?」
マルスはユーリから目を逸らさずに言った。黒い髪に縁取られた額に脂汗が浮かび、息が荒くなっている。だがその黒い瞳は揺るぎなく光を保ってマルスを見返してきた。そこには怒りも怯えも諦めもなく、ただ深い静けさがあった。覚悟、と呼ぶにはあまりに自然で、(まるで野生動物のようだ)とマルスは思った。自分自身を絶対的に信じて、運命に身を委ねる。他の何者も侵すことができない、野生の強靭さ。
「そなたが、ユーリ・アトゥイーか」
マルスはあらためて確認した。
「そうだ」
ユーリはマルスをまっすぐに見返して答えた。
「私がそなたに尋ねたいことはふたつだけだ。アルヴィラ解放戦線の望むところは那辺にある?玉座の簒奪か?」
「……俺は一介の戦士にすぎない。知っていることしか答えられん。俺たちの長がこの国の玉座を望んでいるかなど、そんなことは……知らん」
ユーリはそこで言葉を切った。正直、喋るのも辛くなってきた。
ジェイクが玉座を狙っているなどとは思えなかったが、といって何を望んでいるかもユーリは知らなかったし、興味もなかった。ジェイクが戦うと言ったら、ユーリも共に戦う。それだけだった。ユーリはしばらく息を整えて、また続けた。
「……遊牧民はイシュラヴァール国に隷属しない。どの……国にも。俺に言えるのは、それだけだ」
「それは自治権を与えてほしいということか?アルヴィラに自治区でも作る気か?」
「……砂漠は、遊牧民の生きる……場所だ……どっかの王様に、与えられたり……するものじゃない……」
「砂漠すべてをやるわけにはいかぬ。お互い、どこかで手を打たねばならぬ。第一お前たちが領土を手に入れたとて、次はアルナハブあたりに蹂躙されるのがおちだろう」
「……あんたは、何も……わかってない……砂漠は……そういうところじゃ、ないんだ……」
ユーリは、痛みと貧血で脂汗を流しながら、噛み合わない会話に無力感でいっぱいになっていた。ユーリは瞑目した。
王は何も分かっていない。砂漠で生きていくのがどういうことなのか。砂漠は誰のものでもない。遊牧民は砂漠を通り過ぎる風のようなものなのだ。風や駱駝が大地を所有しようと思わないように、遊牧民も砂漠を領土だとは考えない。ただそこで生きていくだけなのだ。
きっとこの王には、永遠に理解できないだろう。
「ふ。まあいい。私はそなたを尋問する気などない――シハーブ」
マルスはつい、と視線を横に逸らしてシハーブを呼んだ。
「は」
「よく見よ。この男はこの場にあって微塵も恐怖を感じていないぞ。この先どんな拷問にかけても、この男から聞き出せることなどあるまいよ」
「……まあ、そうでしょうな」
「だから何も聞かなくていい。――痛めつけ、苦しめ続けろ」
そこで初めてマルスの声に憎しみが滲んだのを、ユーリは朦朧としかけた頭で感じ取った。
「私はそなたが苦しみ抜いて死ぬことだけが望みなのだ」
マルスの指が鉄柵の向こうから伸びてきて、ユーリの頬に触れた。
「もう……ひとつは……何だ」
ユーリは弱々しい声で言った。
「俺に、聞きたいことがあるんだろう……あとひとつ、何だ」
マルスは、キイ、と鉄柵を開け、ユーリの牢に足を踏み入れた。
「マルス様――危険です!」
慌ててシハーブが止めたが、マルスは意に介さない。
――聞きたいこと。それは、エクバターナからファーリアが消えた後、あの空白の数日に何があったのか。
(だが今更そんなことを知って何になる)
それでもやはり、この感情は止められない。この男が奪ったのなら、奪い返すまで。
同じ地獄を味わわせてやらねば、死なせてなどやらない。
マルスはユーリの正面に立つと、その首に腕を巻き付けた。そして耳元に唇を寄せて囁いた。
「私のファーリアを、返してもらおうか」
ぞわり、と、ユーリが総毛立ったのがわかった。
「いやだ」
ユーリはきっぱりと言い切った。その両眼が、猛禽類の光を宿してマルスを睨んでいた。
マルスは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。ユーリの反応は充分にマルスを満足させた。
――そうだ。怒るがいい。
悟ったような男を痛めつけてなんになる。
怒り、狂い、己の無力さに打ちひしがれてこそ、屈服させがいがあるというものだ。
「――やれ」
ビシィィッ――――と、鞭が鳴った。
「うっ!」
むき出しの背中を鞭打たれ、ユーリは痛みに呻いた。反動で身体がふらつき、鎖がぎちぎちと揺れる。
打たれた場所がじんじんと熱い。それ以上に、傷口が焼けるように痛む。
二発、三発と、拷問官は容赦なく鞭を叩きつけた。
「あう!ううっ!」
吊り下げられた両腕はすぐに痺れて感覚を失った。全身を貫くような疼痛がユーリを襲った。
何度目かで気絶したユーリは、頭から水をかぶせられて意識を取り戻した。
「……っ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
目覚めると同時に全身を針で刺されるような痛みが襲ってくる。息をつく間もなく、ヒュン――と鞭がしなる音がして、再び折檻が始まった。
「つっ……うあっ……っく……!」
何度も何度も打たれても、鞭の痛みに慣れることなどないのだと、ユーリは知った。そして鞭の痛みよりも、吊り下げられた体勢が苦痛を増幅させる。
(これは……死ぬかもな……)
視界が黒っぽく色褪せていって、ユーリは死を意識した。
だからそれは、きっと幻聴なのだと、ユーリは思った。
そうだ。もっとだ。苦しめ。痛みにのたうち回るがいい――。
昏い愉悦に浸っていたマルスは、ふと背後の空気が揺れるのを感じた。
(――まさか、そんなはずは)
足音でも匂いでもない。言葉にし難い、それでも感じ取ってしまう気配。
かつて慣れ親しみ、時の経つのも忘れて溺れたあの存在を、細胞の一つ一つが記憶している。
(もし……これが錯覚なら)
振り返って、もしそこに彼女がいなければ、自分は正気を保ってはいられないだろう。
それでも抗えない。
マルスは胸は締め付けられるような思いで背後を振り返った。
果たしてそこには、数ヶ月前に失ったはずの女がいた。
しかしその愛しいほどにひたむきな瞳は、まっすぐに――吊られた虜囚に向けられていた。
「――ユーリ!」
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