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第九章 海賊編
交渉
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その日の夕方、レーの町はカナン自由民によって制圧された。
結局、千三百人ほどの奴隷が、カナン自由民のもとへ残った。既に客に買われて連れ帰られてしまった奴隷もいれば、自力で逃げ去った者もいた。
千人を超える人数を、これまでの船には収容できない。カナルたち別働隊が、海岸地域にある倉庫街をいくつか押さえていた。着の身着のままの奴隷たちは、一旦その倉庫に身を寄せることになった。
レーからララ=アルサーシャへ向かう街道は、カナン自由民が封鎖した。町の警備兵たちとの数時間の小競り合いの末に、市庁舎や警備兵の詰所など、街の主要な建物も占拠した。
カナンとイランは市庁舎を訪れ、レーの市長と面会した。カナンは一通の書簡を携えていた。
「命まで取るつもりはありません。我々の目的に賛同いただくか、家族と共に町を出られるか、選んでください」
「貴様らのような蛮人と話す言葉などない。すぐに王都から討伐隊が来るだろう。奴隷どもと共に滅びるがよい」
「では賛同いただけないのですね」
「当り前だ」
カナンはひとつ溜息をついて、懐から件の書面を出した。無言でそれを市長の前の卓に置く。市長は書面とカナンを見比べるようにして、その書簡を手に取って開いた。
書簡には、シャルナク帝国との交易品に関する市長の横領についての証拠が記されていた。更に、横領を告発されたくなければ、レーをカナン自由民に明け渡すように――とあった。
市長は一瞬、苦々しく顔を歪めたが、すぐに書簡を卓上に放り出して一笑した。
「は!奴隷船荒らし風情の言うことをまともに取り合うものか!」
「ええ勿論そうでしょうね……よくご覧ください、署名を」
市長はカナンを忌々しく睨みつけながら、渋々書簡を手に取った。しかし、書簡の最後の紙の、一番下に記された名を見た市長は、顔色を変えた。
「これは……!」
そこにはアルナハブ王国第五王子ヤーシャールの名が記されていたのだ。
「ヤーシャール殿下は現在、とある国に身を寄せておいでです。アルナハブ王国は現在お家騒動の渦中ですが、亡命を受け入れたイシュラヴァール国王とも懇意にされています。市長がおっしゃる通り、国王は我々ごとき謀反人の言葉は勿論聞かないでしょう――しかし殿下が一筆、国王宛に手紙を書けば」
「貴様、脅迫する気か!」
市長は怒りに顔を紅潮させた。
「別に、聞いていただかずともよいのです。その場合、我々は力づくでこの町をいただくまで。そして貴殿はかの国からの利益を失い、市民の信頼を失い、市長の地位を失い、この町にいられなくなる。――我々としては、どちらでも困りはしない……でも流れる血は少ないほうがいいと考えています。貴方も、そうは思いませんか?」
カナンは涼しい顔で、微笑すら浮かべながら言い切った。立場の差は歴然であった。市長はぐうと喉を鳴らして言葉を飲み込んだ。カナンの言う「血」には、彼自身のものも含まれていると、市長は悟った。
「市長……あの女、王都で見たことがあります」
カナンたちが武装した見張りを残して去った後、市長の部下が囁いた。市長は見張りがこちらに注意を向けていないのを確認して、部下に続きを促した。
「国王のお気に入りの、近衛兵の女兵士、確か、名をアトゥイーとか」
「その名は聞いたことがあるぞ。反乱軍討伐で名を挙げた兵士だ――しかし彼女は死んだのではなかったか?」
「では他人の空似でしょうかね?それとも――」
市長は顎を撫でた。髭が伸びかけている。この軟禁状態では今夜は家に帰れないだろう。市庁舎に剃刀があっただろうか――などと、関係のないことが頭に浮かんだ。
「死んだことにしなければならないような、何か理由があったか……?」
「驚いたぜ。あんたに、あんな交渉ができるなんてな」
「ハッタリだ。本で読んだり……あなたの国でハリー王子に謁見した時の、エディ……友達の話し方を真似たりしただけだ」
イランがさも感心した様子で話しかけてきたので、カナンは慌てて言い訳をした。市庁舎をあとにした二人は、倉庫街に作ったアジトへと徒歩で向かっていた。辺りは暗くなりかけている。
「いやいやどうして、学のある指導者って風情だったぜ?」
「全然そんなことはない。わかっているでしょう、ただの奴隷上がりの兵隊だ」
「謙遜するな。褒められておけ」
「……ちょっとは、それっぽかった?」
カナンは上目遣いでイランを見上げた。恥ずかしそうな、それでいて嬉しさを抑えきれないようなその顔は、年相応に可愛らしかった。
「ああ、かっこよかったぜえ」
イランはカナンの頭をくしゃくしゃっと撫でて言った。そのこそばゆさに、カナンは顔を赤くしてうつむいた。
「……ねえ、何人死んだ?」
カナンは足元を見つめたまま、言った。
「十三人、だな。ジャミールとサハドとモハメド、奴隷が四人、警備兵が五人、奴隷商人が一人。町の住人には、怪我人は出たが死者はいない。――まあ、上出来じゃないか」
「人を殺さないで戦うのって、難しいんだな……」
カナンは砂がこびりついた爪先に溜め息を落とした。潮風が強くなり、濃い色に染まりゆく海が見えてきた。
「誰も死なずに済む方法は、ないのかしらね……」
アジトにした倉庫の入り口から明かりが漏れている。その横に、一頭の馬が繋がれていた。
「――カイヤーン!」
倉庫の中にはカイヤーンがいた。赤い髪は乱れ、服と顔にはあちこち血や泥がついている。カイヤーンはカナンを見るなり、大股でカナンの前に立った。
「突然どうして――どうしたの?その格好は」
「カナン!よかった、今さっき、21ポイントから馬を飛ばして来たって――!」
カナルが説明する。
「とにかく、手当を――」
カナンの眼の前で立ち止まったカイヤーンの顔が、いつになく険しい。いつもカナンを見る時の薄笑いもないし、何よりもさっきから一言も喋っていない。
「――何があったの?」
カナンはようやく、彼が何か重大なことを伝えに来たのだと察した。
「ユーリ・アトゥイーが、撃たれた」
「えっ……?」
カナンの目の前が、真っ暗になった。
結局、千三百人ほどの奴隷が、カナン自由民のもとへ残った。既に客に買われて連れ帰られてしまった奴隷もいれば、自力で逃げ去った者もいた。
千人を超える人数を、これまでの船には収容できない。カナルたち別働隊が、海岸地域にある倉庫街をいくつか押さえていた。着の身着のままの奴隷たちは、一旦その倉庫に身を寄せることになった。
レーからララ=アルサーシャへ向かう街道は、カナン自由民が封鎖した。町の警備兵たちとの数時間の小競り合いの末に、市庁舎や警備兵の詰所など、街の主要な建物も占拠した。
カナンとイランは市庁舎を訪れ、レーの市長と面会した。カナンは一通の書簡を携えていた。
「命まで取るつもりはありません。我々の目的に賛同いただくか、家族と共に町を出られるか、選んでください」
「貴様らのような蛮人と話す言葉などない。すぐに王都から討伐隊が来るだろう。奴隷どもと共に滅びるがよい」
「では賛同いただけないのですね」
「当り前だ」
カナンはひとつ溜息をついて、懐から件の書面を出した。無言でそれを市長の前の卓に置く。市長は書面とカナンを見比べるようにして、その書簡を手に取って開いた。
書簡には、シャルナク帝国との交易品に関する市長の横領についての証拠が記されていた。更に、横領を告発されたくなければ、レーをカナン自由民に明け渡すように――とあった。
市長は一瞬、苦々しく顔を歪めたが、すぐに書簡を卓上に放り出して一笑した。
「は!奴隷船荒らし風情の言うことをまともに取り合うものか!」
「ええ勿論そうでしょうね……よくご覧ください、署名を」
市長はカナンを忌々しく睨みつけながら、渋々書簡を手に取った。しかし、書簡の最後の紙の、一番下に記された名を見た市長は、顔色を変えた。
「これは……!」
そこにはアルナハブ王国第五王子ヤーシャールの名が記されていたのだ。
「ヤーシャール殿下は現在、とある国に身を寄せておいでです。アルナハブ王国は現在お家騒動の渦中ですが、亡命を受け入れたイシュラヴァール国王とも懇意にされています。市長がおっしゃる通り、国王は我々ごとき謀反人の言葉は勿論聞かないでしょう――しかし殿下が一筆、国王宛に手紙を書けば」
「貴様、脅迫する気か!」
市長は怒りに顔を紅潮させた。
「別に、聞いていただかずともよいのです。その場合、我々は力づくでこの町をいただくまで。そして貴殿はかの国からの利益を失い、市民の信頼を失い、市長の地位を失い、この町にいられなくなる。――我々としては、どちらでも困りはしない……でも流れる血は少ないほうがいいと考えています。貴方も、そうは思いませんか?」
カナンは涼しい顔で、微笑すら浮かべながら言い切った。立場の差は歴然であった。市長はぐうと喉を鳴らして言葉を飲み込んだ。カナンの言う「血」には、彼自身のものも含まれていると、市長は悟った。
「市長……あの女、王都で見たことがあります」
カナンたちが武装した見張りを残して去った後、市長の部下が囁いた。市長は見張りがこちらに注意を向けていないのを確認して、部下に続きを促した。
「国王のお気に入りの、近衛兵の女兵士、確か、名をアトゥイーとか」
「その名は聞いたことがあるぞ。反乱軍討伐で名を挙げた兵士だ――しかし彼女は死んだのではなかったか?」
「では他人の空似でしょうかね?それとも――」
市長は顎を撫でた。髭が伸びかけている。この軟禁状態では今夜は家に帰れないだろう。市庁舎に剃刀があっただろうか――などと、関係のないことが頭に浮かんだ。
「死んだことにしなければならないような、何か理由があったか……?」
「驚いたぜ。あんたに、あんな交渉ができるなんてな」
「ハッタリだ。本で読んだり……あなたの国でハリー王子に謁見した時の、エディ……友達の話し方を真似たりしただけだ」
イランがさも感心した様子で話しかけてきたので、カナンは慌てて言い訳をした。市庁舎をあとにした二人は、倉庫街に作ったアジトへと徒歩で向かっていた。辺りは暗くなりかけている。
「いやいやどうして、学のある指導者って風情だったぜ?」
「全然そんなことはない。わかっているでしょう、ただの奴隷上がりの兵隊だ」
「謙遜するな。褒められておけ」
「……ちょっとは、それっぽかった?」
カナンは上目遣いでイランを見上げた。恥ずかしそうな、それでいて嬉しさを抑えきれないようなその顔は、年相応に可愛らしかった。
「ああ、かっこよかったぜえ」
イランはカナンの頭をくしゃくしゃっと撫でて言った。そのこそばゆさに、カナンは顔を赤くしてうつむいた。
「……ねえ、何人死んだ?」
カナンは足元を見つめたまま、言った。
「十三人、だな。ジャミールとサハドとモハメド、奴隷が四人、警備兵が五人、奴隷商人が一人。町の住人には、怪我人は出たが死者はいない。――まあ、上出来じゃないか」
「人を殺さないで戦うのって、難しいんだな……」
カナンは砂がこびりついた爪先に溜め息を落とした。潮風が強くなり、濃い色に染まりゆく海が見えてきた。
「誰も死なずに済む方法は、ないのかしらね……」
アジトにした倉庫の入り口から明かりが漏れている。その横に、一頭の馬が繋がれていた。
「――カイヤーン!」
倉庫の中にはカイヤーンがいた。赤い髪は乱れ、服と顔にはあちこち血や泥がついている。カイヤーンはカナンを見るなり、大股でカナンの前に立った。
「突然どうして――どうしたの?その格好は」
「カナン!よかった、今さっき、21ポイントから馬を飛ばして来たって――!」
カナルが説明する。
「とにかく、手当を――」
カナンの眼の前で立ち止まったカイヤーンの顔が、いつになく険しい。いつもカナンを見る時の薄笑いもないし、何よりもさっきから一言も喋っていない。
「――何があったの?」
カナンはようやく、彼が何か重大なことを伝えに来たのだと察した。
「ユーリ・アトゥイーが、撃たれた」
「えっ……?」
カナンの目の前が、真っ暗になった。
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