イシュラヴァール放浪記

道化の桃

文字の大きさ
上 下
141 / 230
第九章 海賊編

奴隷船の船長

しおりを挟む
 翌朝。
 奴隷船の船長が、水夫を二人伴って野営地を訪れた。
「カナン、あんたは隠れてろ。女がいると面倒かもしれん」
 イランがそっとカナンに耳打ちした。
「わたしは平気よ」
「いや、万が一にも顔を知られていないとも限らん。船に潜り込むまでは目立たんほうが良い」
「……わかった」
 カナンはようやく納得し、ターバンで顔を隠して、船長たちから顔が見えないように少し離れた場所へ座った。
 イランが船長たちに説明する。
「男ばかり、百人ちょっといる」
 アルナハブ人たちは手首をゆるく縄で繋がれて、砂の上に座らされていた。
「女はいないのか」
「いない。こいつら全員で50万ラーナでどうだ?」
「高いな。35」
「45」
「40万ラーナで買い取ろう。よく考えろ、ここは密貿易港で、うちほどでかい船はそうそう入らないよ。この人数抱えてアズハル湾まで北上するか?」
 船長がため息をついた。
『おいイラン、何を遊んでる。値段なんかどうでも……』
 カナルが囁いた。
『わかってる』
 イランは船長の方を窺いながら短く答えた。
「……わかった、手を打とう」
「丁度、レーで奴隷を売り捌いた帰りで、船倉には空きがある。すぐ船に連れて来てくれ」
 交渉が成立し、イランたちは船長たちについて、アルナハブ人たちを船まで誘導する。カナンはその一番うしろを着いていった。
 カナンのいた場所からは、イランたちの会話はほとんど聞き取れなかった。
 奴隷船も、どれも似たようなものなのかもしれないと思ったし、以前乗ったときの記憶も曖昧だった。
 だから船長がどんな男なのかわからないまま、皆と船に乗り込んだ。
『――今だ!』
 最後尾、カナンが船に乗ったのと同時に、イランが声を上げた。
 奴隷を装っていたアルナハブ人たちが、一斉に縄を解いて剣を抜き放つ。
「……貴様ら……!」
 水夫たちも瞬時に色めきだった。
「諮りやがったな!おい!海に叩き込んでやれ!」
 長く地下にいて、更に砂漠を旅してきたアルナハブ人たちは、明らかに痩せ細り、強靭な体躯をした水夫たちの敵ではないように見えた。
『負けるんじゃない!勝ち取れ!せっかく地下あそこから出たんじゃないか!生きるんだ!』
 イランが長い槍を振り回しながら、大声で叱咤し続ける。
 やがて水夫の三倍はいるアルナハブ人たちが徐々に攻勢に転じ始めた。その時だ。
 ひらりと小柄な影が躍り出た。
 それは、一段高い船首近くで戦っていた船長の前に、一足飛びに駆け上がる。
 カシィン――!
 咄嗟に受けた船長の剣とカナンの剣が噛み合い、はらりとターバンが落ちた。
「――あなたは……!」
 カナンは目を見開いた。思考が停止し、恐ろしい記憶が、物凄い勢いで襲いかかってくる。
「――あ、あ、あ、ああああああっ!!!」
 カナンは叫び声を上げて船長に斬りかかった。
 ガシン、ギィン、と、重い音を上げて剣がぶつかり合う。
 もう正気ではなかった。腹の奥から突き上げてくる、痛みの記憶が、身体を動かしている。
 カナンの勢いに押されながら、若い船長はようやく気づいた。
「君――あのときの坊やか……?」
 カン!と乾いた音を立てて、船長――タリムの剣が高く舞い上がり、波間へと落ちていった。
「うああああっ!!」
 タリムの首めがけて、カナンが剣を振り下ろす。
「やめろ!」
 イランがカナンの背後に飛びついて、動きを止めた。間一髪、剣はタリムの顔の横に突き刺さった。
「あああ……!」
「落ち着けカナン。どうした?こいつに親でも殺されたのか?」
 カナンは首を振った。
「それともあんた、本気でこいつを殺したいのか?」
 カナンはもう一度、首を振った。
(そうだ……わたしは、タリムを殺したいわけじゃない……ただ、許せないだけ)
 身体から力が抜けて、カナンはその場に座り込んだ。
「船長さん、俺達は殺し合いがしたいわけじゃない。船を譲ってくれたらそれでいい」
「――は。まさかこんな手に引っ掛かるとはな」
 タリムはくっくっくっと笑って言った。
「……騙される方が、悪い」
 カナンがぼそりと呟いた。

 水夫たちを全員船から降ろし、カナルが船を沖に出す。
 タリムだけは船長室に拘束された。
「で、この後どうするつもり?」
 後ろ手に縛り上げられたまま、天鵞絨のソファに腰掛けたタリムが、カナンに訊いた。室内には他にイランともう一人、見張りがいる。
「この船を拠点にして、売られてくる奴隷たちを助けたいの」
「は?何を言い出すかと思えば、義賊気取りか?」
「奴隷なんてなくなればいい。わたしはもう家畜のように売り買いされたくないし、それはきっと、誰でも同じだと思う」
「そういうのを偽善っていうんだよ。奴隷を開放して、その後はどうする?あいつらは所詮、人に使われるしか脳がないんだ。命令してくれる主人がいなかったら、仕事も見つけられず、すぐに食い詰めて死んでしまうよ」
「そう思う?わたしも奴隷だったけど」
「それは君が強いからさ。だが、誰もが君みたいに強いわけじゃない」
「いいえ、わたしは強くなんかない。実際、あなたにはひどい目に遭わされた」
 ああ、と言って、タリムはまた小さく笑った。
「心外だな。僕は溺れかけた君を助けてあげたのに」
「……タリム、わたしはみんな同じ場所に立って生きていけるべきだと思う。同じ人間なのに、手足を鎖で繋がれるのは……悲しい」
 ハッ、とタリムが笑った。
「そんなのは錯覚だよ。身分がなくなれば幸せか?奴隷がいなくなれば平和か?違う。人間はね、どんなに平等でも、何十人も集まれば、いや、たった三人でも、強者と弱者を生み出すんだ。持っている金、着ている服、受けてきた教育、蓄えた知識の量、親の職業、国籍――そういうたくさんのたくさんのものさしで、威張り散らす者と媚びへつらう者とに分けられる。たとえ君が平等な世界を作ったとしても、その世界の中で人々は新しい差別を見つける。なぜならそれが、社会の秩序だからだ」
「そうならんように働くのが、金や知識を持っている人間の役割だろう」
 黙って聞いていたイランが横から口を挟んだ。
「金も知識も、威張るためにあるわけじゃない。人より余分に持っているなら、それを正しく使わないとな。王さまだって、伊達に城に住んで遊んでいるわけじゃない。大勢の民のために働くために必要だから、金も城も持っているんだ。差別の上にしか秩序がないなんて、それこそ錯覚だ――なあ、兄さん。あんたは何を持っていて、誰のために働いている?」
「……うるさいよ」
 タリムは薄笑いを消して呟いた。ソファから立ち上がり、カナンの耳元で囁く。
「女奴隷は高く売れる。金持ちの妾になれば食うに困らないし、娼館に買われれば借金を返し切って戸籍がもらえる。……君はよく知っているはずだろう……?」
「売られないに越したことはないわ」
「世の中には食い詰めて身を売る女もその家族もいるんだ。彼らが幸福になるチャンスを潰すんだよ?それに、ねえカナン、助け出した女奴隷たちに、君の手下の男どもが手を出さないと、本当に信じている?男だらけの中に女がいたらどんな目に遭うか」
「おい、そのくらいにしておくんだな」
 イランがタリムの襟を掴み上げた。タリムは唇を歪めて言った。
「ねえカナン、それで君は、こいつらの夜の相手をしてやってるわけ?」
「貴様――!」
 イランがタリムを殴り飛ばした。
「忠告ありがとう、タリム。せいぜい気をつけるわ」
 そう言い残して、カナンは船長室を後にした。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

処理中です...