イシュラヴァール放浪記

道化の桃

文字の大きさ
上 下
29 / 230
第三章 王宮編

昇進

しおりを挟む
 ララ=アルサーシャに戻ったエディは、功績を認められて大尉に昇進した。
 同じくアトゥイーも戦いへの貢献が認められ、歩兵から騎馬剣士となった。
 王宮で辞令を受け取った日、二人はあの戦闘以来初めて再会した。
「……ちょっと、歩かないか?あの、もし忙しくなければ」
 エディがぎこちなくアトゥイーを中庭に誘う。
「少しなら」
 素っ気ないアトゥイーの返事に、エディはあからさまに嬉しさを顔に浮かべた。
 中庭の木々には溢れるように花が咲いていた。あの砂と血にまみれた日が嘘のように、アルサーシャの午後は平和だった。
「びっくりしたよライラ、まさか軍に居るなんて」
「その名で呼ぶな」
 アトゥイーは硬い声で言った。
「あっ……ごめん、つい」
 エディは慌てて謝る。もう泣きそうな気分になっていた。
「……アトゥイー、だっけ。珍しい名だよね。それが本名?」
 ぎろり、とアトゥイーはエディを睨んだ。
「……名前なんてどうでもいい」
「え……」
「娼館から逃げていた時に名を聞かれて、女の名だと見つかると思った。それで咄嗟に思いついた名を言っただけだ」
「ザハロフ中佐に?でも……」
 エディは首を傾げた。ザハロフは確か、ライラの客だったはずだ。今更名など問うはずがない。
「いや、国王に」
「はあ!?」
 あまりに想定外の人物に、エディは呆気にとられた。
「たまたま……そう、本当に偶然、出会って……成り行きで、宮殿ここに連れてこられた。スカイがわたしを軍に入れてくれて」
 アトゥイーは中庭を見渡す。あの夜もここを通った。まだ花は咲いていなくて、銀色の月が出ていた。
「一体どんな成り行きだよ……」
「兵士はいいな。男と寝なくても食べていける」
 アトゥイーの言葉に、エディは胸が締め付けられた。
「……そうだね……」
(だけど、君があんなふうに人を殺す姿を、できれば僕は見たくなかったよ……)
 その言葉は胸の内にしまいこむ。兵士になったら、敵を討つのは仕事だ。それはエディとて同じ立場なのだ。その身を売り買いされる娼婦でいるより、ずっと平等に扱われる。アトゥイーにとっては喜ぶべきことなのだ。
「エディは――」
「えっ?」
「エディは詳しいんだな。その、昔のこととか……遊牧民が侵略されたとか」
「そんなことないよ。どれも読んだ本の受け売りだ。今思えば、訳知り顔であんなことを喋るなんて恥ずかしいよ」
「そうか?」
「だって、こんな若造にさ、説教されたくないだろ?誰だって」
「説教してたのか?」
「違うけど。そう思われたんじゃないかって。知識をひけらかされたら良い気はしないだろ」
「わたしは違うと思う。知っていることを話すことは、ひけらかすのとは違う。自分の知らないことを教わるのは良いことだ。隊長も、エディが言ってることは正しいと言っていた。止めたのは自尊心ではなく忠誠心からだ。ザイオンだってきっと同じように思ってる」
 エディはまた泣きたいような気持ちになった。弁護されたことも嬉しかったし、ザハロフ中佐の言葉の機微をアトゥイーが正確に理解していたことにも驚いた。数ヶ月前は文字も読めなかった少女が、いま自分と同じ場所に立っていることに、エディは胸が一杯になった。
「……よかったら、また本を貸すよ……アトゥイー」
「ありがとう、エディ」
 アトゥイーがようやく笑顔を見せたので、エディも少しだけ安心して笑うことができた。

「じゃあ、ここで。僕は役所に用があるから」
「ああ、じゃあまた」
 中庭を巡る回廊でエディと別れ、アトゥイーは軍部に戻りかける。と、ふわり、と空気が変わるのを感じて顔を上げると、向こうから王が側近たちを伴って歩いてきた。
 アトゥイーは一歩下がって立ち止まり、軽くこうべを垂れて道を開ける。ここに来て教わった作法だ。
 陽光にきらめく銀の髪をなびかせて、王はその涼やかな声で傍らのシハーブと何事か話しながら、アトゥイーの前を通り過ぎる。
(この人は、光と風をまとっている――)
 思えば最初に出会った時から、彼の周りには不思議な空気があった。月も太陽も、その銀髪を輝かせずにはいられないとでも言いたげに、雲間から現れて惜しみなく光を注いだ。
 王が通り過ぎたので、先へ進もうと顔を上げる。と、王が数歩先で立ち止まった。
「アトゥイー」
 呼び止められて、アトゥイーは振り向いた。
「……はい」
 王は側近たちをその場に留めて、つかつかと戻ってくる。
「久しいな。騎馬剣士になったとか」
「はい」
「初陣はどうだった?」
「…………」
 あまりに至近距離で王の光輝にあてられて、アトゥイーは面食らった。どうしてこんなに眩しいのだろう。
「どうした。手柄を立てたのであろう?」
 普通なら王に戦果を問われれば、自らの功績を披露する。
「……いえ、敵に囲まれて危うく命を落とすところを、ザハロフ隊長とエディアカラ大尉に救われました」
「命拾いも運のうち、運も実力のうちだ。敵の族長の首を取ったと聞いたぞ」
「…………」
 族長。あの赤いターバンの男。謎の言葉と短剣を遺して逝ったことを、アトゥイーはまだ誰にも話していない。砦は奪還したが、多くの人が死に、子供たちも攫われた。アトゥイーには後味の悪さだけが残った戦だった。
「どうした。なぜ浮かない顔をする」
 王の手が、アトゥイーの顎をくいと上げた。アトゥイーは、王の切れるような眼を見つめて思う。
(何故、この人はわたしの心の内を読めるのだろう)
 あの戦の後、アトゥイーは落ち込んでいた。しかし彼女のそんな様子を気に留めた者は誰一人いなかった。
「――陛下、わたしは」
「なんだ」
「……わたしは何のために戦うんだろうか、と」
 思い悩んでいたことを言い当てられたアトゥイーは、相手が王であることを一瞬忘れ、つい思ったままを口にする。
「何のため?」
 王が一歩、アトゥイーに近寄った。アトゥイーは壁を背にしていて、それ以上下がれない。
「私を守るためだ」
 王は息が掛かるほど顔を近づけると、アトゥイーの眼を見据えて言い切った。そのあまりに強い圧力に、アトゥイーは身動きができない。
「それでは不満か?」
 銀の髪がさらりとアトゥイーの顔にかかる。その光の陰で王はアトゥイーの唇に口づけた。
「もっと強くなれ、アトゥイー。私の側で私を守れるほどにな。そうしたら、そなたにもっと広い世界を見せてやろう」
 そう言って、王は豪奢な上衣を翻して去っていった。
 回廊の反対側の端で、エディはその一部始終を見ていた。

「……マルス様、あれはどういうおつもりで?」
 執務室に入ると同時に、シハーブが口を開いた。
「あれとは?」
「とぼけめさるな」
「――アトゥイーのことか」
「随分目立つ場所で目立つことをなさるので、正気かなと」
「妬いているのか?シハーブ」
 王はくすりと笑う。この忠実な側近は王の乳兄弟で、歳も近い。如才ないスカイと違って、真面目に過ぎるところがあるが、それもまたからかい甲斐があって良いと王は思っていた。
「御冗談を」
「――牽制だ」
「は?あの若い大尉ですか?」
 シハーブはいまだに王の真意が掴めない。
「いや、ザハロフだ。気付かなかったか?陰から見ていた」
「それは――彼の部下だから――」
「どうだかな。――傭兵隊へは貸しているだけだ。アトゥイーあれは奴のものではない。それをわからせてやっただけだ」
「……牽制のつもりが、挑発になってやしませんかね……」
 シハーブは呆れて溜息をついた。主人はよほどあの少年が気に入ったとみえる。確かにセンスのある動きをしていたとは思うが。
「スカイが戻ってきたら、正式に近衛兵に入れる」
「珍しく入れ込んでますな。いまだに彼の出自もわからぬというのに」
「出自か――お前、ちゃんと調べたのか?」
「アルサーシャの住民を照会したが、十七~八でアトゥイーという名の男はいませんな。イシュラヴァールの全戸籍をひっくり返せば、あるいは……」
「だからお前は頭が固いと言っているのだ。まず名を疑え」
 シハーブははっとする。
「……『アトゥイー』は偽名だと?」
 王は腕を伸ばし、シハーブの首を抱き寄せた。王の細く長い指に、黒い髪が巻き付く。
「シハーブ」
 王がシハーブの耳に触れるほどに唇を寄せて言った。
「あれは女だぞ」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない

若松だんご
恋愛
 ――俺には、将来を誓った相手がいるんです。  お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。  ――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。  ほげええっ!?  ちょっ、ちょっと待ってください、課長!  あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?  課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。  ――俺のところに来い。  オオカミ課長に、強引に同居させられた。  ――この方が、恋人らしいだろ。  うん。そうなんだけど。そうなんですけど。  気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。  イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。  (仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???  すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

初恋は溺愛で。〈一夜だけのはずが、遊び人を卒業して平凡な私と恋をするそうです〉

濘-NEI-
恋愛
友人の授かり婚により、ルームシェアを続けられなくなった香澄は、独りぼっちの寂しさを誤魔化すように一人で食事に行った店で、イケオジと出会って甘い一夜を過ごす。 一晩限りのオトナの夜が忘れならない中、従姉妹のツテで決まった引越し先に、再会するはずもない彼が居て、奇妙な同居が始まる予感! ◆Rシーンには※印 ヒーロー視点には⭐︎印をつけておきます ◎この作品はエブリスタさん、pixivさんでも公開しています

溺愛婚〜スパダリな彼との甘い夫婦生活〜

鳴宮鶉子
恋愛
頭脳明晰で才徳兼備な眉目秀麗な彼から告白されスピード結婚します。彼を狙ってた子達から嫌がらせされても助けてくれる彼が好き

一夜限りのお相手は

栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...