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古い手紙と淫らな衝動
古い手紙と淫らな衝動1
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「救急車だ! 救急車!」
野次馬の男の叫び声で我に返った和夫は、それでもその場でおろおろするしかなかった。騒ぎで集まってきた野次馬たちは一人として、助けようとも近寄ろうともせずに、輪を作って囲み、ざわめくだけだった。まるでかごめかごめをされているようだった。
ホルマリンの中に浮かぶ、腹を切り開かれたカエルを覗き込むのと同じ、興味本位の観衆が、気色の悪さだけを口にして、人間らしさのあたたかみの欠片さえも見せずに、ただぼんやりとそこにいた。
ピクリとも動かなかった、うつ伏せの紀之が、震えながら力なく腕を動かす。それに気がついた和夫は「しっかりしろ。死ぬな」と力強く語りかけかけた。こういうときどうすればいいんだ。気を失わせないようにすればいいのか。そう思った和夫は血のついた手を握ろうとしたが、血でぬめって掴めなかったのか、紀之が力なく振り払ったのか、手は生暖かさを和夫の手に残して手からずり落ちた。そして紀之の指は階段の上の境内を示そうとしている。
「なんだ? どうして欲しいんだ」
耳を紀之の口元に近づけた和夫は、「とってきてくれ……約束の……」という微かな言葉を聞き取ることができた。最後に「オマモリ」と聞こえた気がした。時間を惜しんでいる暇はないと悟った和夫は階段を走り上る。滅多にきつい運動をしない和夫の心臓は、鷲の爪に掴まれた小鳥のように今にも死にそうな拍動をきつく打っていた。
階段を上りきると夏とは思えないほどの冷たい空気が和夫にしとりしとりと抱きついてきて、和夫は寒気を覚えた。神社へと続く石畳の上には、紀之が先ほど着ていた服と、その下に赤茶色の着物が、風呂敷を広げたように敷かれている。
取ってくるようなものは、紀之の服ぐらいしかない。着物は本能的に嫌な予感がして取る気もしなかった。近づいて紀之の服を取ろうとすると、着物の状態がよくわかった。着物の赤茶はべっとりついた血が乾いたもののようだった。いくつものむらがあって、血染めというより、出血したまま着続け、いくつもの傷口があったかのようなあとが見て取れる。先ほど紀之の手を握ったときに付いた血に気がつき、背筋へとナメクジの這うような生暖かさを運んでくるおぞましさを感じた。
紀之の服のポケットを探すと、神社のお守りが出てきた。ここの神社のものではない古ぼけた安産祈願だった。ふと境内に目をやると、めまいだろうか、神社がぐっと暗闇を増して大きく迫ってくるような気がした。次の瞬間、背筋に寒気を感じて、逃げるようにして境内を下っていった和夫は紀之の元へと駆け寄ると、救急車のサイレンが近づいてきて、瞬く間に救急隊員が紀之を担架へと乗せた。そのとき一瞬見えたが、紀之には切り取られたように肉棒はなかった。
「すみません。あなたはこの人の知り合いの方ですか?」
救急隊員の質問に、口をぽわっと開けながら力なく頷くと、和夫は事情を詳しく聞きたいので救急車に一緒に乗り込むように言われた。
救急車の中では応急処置が行われていた。和夫は手に持った紀之の服をどうしていいかわからずに、サイレンの音を救急車の中で生まれて初めて聞いていた。すでに紀之の股間には大きなガーゼが貼り付けられていて、もうどうなっているのかわからなかったが、和夫は傷口から目をそらしながら、見つけたお守りを紀之の手に握らせようと少し動くと膝に置いていた紀之のズボンがダラリと垂れた。
その時、ぱらりと白いものが紀之のズボンから落ち、和夫はそれを拾った。
古い封筒でだいぶ年月がたっているようですっかり黄ばんでいる。宛名は「小沢紀之」で差出人の名前はない。中には便箋が入っている。どうしてこんな封筒なんか大切に持っているのだろうと不審げに中を覗くと、長い髪の毛が束になって一緒に入っていた。
気持ちの悪さを感じながら、髪の毛に触れないように慎重に便箋を取り出して読んでみると、短い文章で、二枚にわたって書かれていた。一枚目は、
「ノリユキサン ヨウヤクミツケマシタ ワタシヲ ヤキコロセタト オモッタノデショウ マダイキテイルワヨ デモ アナタノヤドシタ アタラシイ イノチハ ナクナッテシマイマシタ ソレデモ アイシテイマス アキラメマセン」
とすべてカタカナでまばらに散らされた文章で書かれ、二枚目には、おそらく血文字だろう赤茶けた文字で、
「ニゲラレナイワヨ」
と、呪術のように、筆で描かれたように書かれていた。
その時、和夫はぐっと心臓を冷たい手で掴まれるような苦しさとめまいをおぼえ、うめきかかった。和夫の様子に気がついた救急隊員の一人が「大丈夫ですか」と聞いてきたときには、もうめまいや苦しさは嘘のように消えていた。
野次馬の男の叫び声で我に返った和夫は、それでもその場でおろおろするしかなかった。騒ぎで集まってきた野次馬たちは一人として、助けようとも近寄ろうともせずに、輪を作って囲み、ざわめくだけだった。まるでかごめかごめをされているようだった。
ホルマリンの中に浮かぶ、腹を切り開かれたカエルを覗き込むのと同じ、興味本位の観衆が、気色の悪さだけを口にして、人間らしさのあたたかみの欠片さえも見せずに、ただぼんやりとそこにいた。
ピクリとも動かなかった、うつ伏せの紀之が、震えながら力なく腕を動かす。それに気がついた和夫は「しっかりしろ。死ぬな」と力強く語りかけかけた。こういうときどうすればいいんだ。気を失わせないようにすればいいのか。そう思った和夫は血のついた手を握ろうとしたが、血でぬめって掴めなかったのか、紀之が力なく振り払ったのか、手は生暖かさを和夫の手に残して手からずり落ちた。そして紀之の指は階段の上の境内を示そうとしている。
「なんだ? どうして欲しいんだ」
耳を紀之の口元に近づけた和夫は、「とってきてくれ……約束の……」という微かな言葉を聞き取ることができた。最後に「オマモリ」と聞こえた気がした。時間を惜しんでいる暇はないと悟った和夫は階段を走り上る。滅多にきつい運動をしない和夫の心臓は、鷲の爪に掴まれた小鳥のように今にも死にそうな拍動をきつく打っていた。
階段を上りきると夏とは思えないほどの冷たい空気が和夫にしとりしとりと抱きついてきて、和夫は寒気を覚えた。神社へと続く石畳の上には、紀之が先ほど着ていた服と、その下に赤茶色の着物が、風呂敷を広げたように敷かれている。
取ってくるようなものは、紀之の服ぐらいしかない。着物は本能的に嫌な予感がして取る気もしなかった。近づいて紀之の服を取ろうとすると、着物の状態がよくわかった。着物の赤茶はべっとりついた血が乾いたもののようだった。いくつものむらがあって、血染めというより、出血したまま着続け、いくつもの傷口があったかのようなあとが見て取れる。先ほど紀之の手を握ったときに付いた血に気がつき、背筋へとナメクジの這うような生暖かさを運んでくるおぞましさを感じた。
紀之の服のポケットを探すと、神社のお守りが出てきた。ここの神社のものではない古ぼけた安産祈願だった。ふと境内に目をやると、めまいだろうか、神社がぐっと暗闇を増して大きく迫ってくるような気がした。次の瞬間、背筋に寒気を感じて、逃げるようにして境内を下っていった和夫は紀之の元へと駆け寄ると、救急車のサイレンが近づいてきて、瞬く間に救急隊員が紀之を担架へと乗せた。そのとき一瞬見えたが、紀之には切り取られたように肉棒はなかった。
「すみません。あなたはこの人の知り合いの方ですか?」
救急隊員の質問に、口をぽわっと開けながら力なく頷くと、和夫は事情を詳しく聞きたいので救急車に一緒に乗り込むように言われた。
救急車の中では応急処置が行われていた。和夫は手に持った紀之の服をどうしていいかわからずに、サイレンの音を救急車の中で生まれて初めて聞いていた。すでに紀之の股間には大きなガーゼが貼り付けられていて、もうどうなっているのかわからなかったが、和夫は傷口から目をそらしながら、見つけたお守りを紀之の手に握らせようと少し動くと膝に置いていた紀之のズボンがダラリと垂れた。
その時、ぱらりと白いものが紀之のズボンから落ち、和夫はそれを拾った。
古い封筒でだいぶ年月がたっているようですっかり黄ばんでいる。宛名は「小沢紀之」で差出人の名前はない。中には便箋が入っている。どうしてこんな封筒なんか大切に持っているのだろうと不審げに中を覗くと、長い髪の毛が束になって一緒に入っていた。
気持ちの悪さを感じながら、髪の毛に触れないように慎重に便箋を取り出して読んでみると、短い文章で、二枚にわたって書かれていた。一枚目は、
「ノリユキサン ヨウヤクミツケマシタ ワタシヲ ヤキコロセタト オモッタノデショウ マダイキテイルワヨ デモ アナタノヤドシタ アタラシイ イノチハ ナクナッテシマイマシタ ソレデモ アイシテイマス アキラメマセン」
とすべてカタカナでまばらに散らされた文章で書かれ、二枚目には、おそらく血文字だろう赤茶けた文字で、
「ニゲラレナイワヨ」
と、呪術のように、筆で描かれたように書かれていた。
その時、和夫はぐっと心臓を冷たい手で掴まれるような苦しさとめまいをおぼえ、うめきかかった。和夫の様子に気がついた救急隊員の一人が「大丈夫ですか」と聞いてきたときには、もうめまいや苦しさは嘘のように消えていた。
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