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冬を越える形
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「お姉さん、白百合出身なんですか?」
縁側に腰掛けた少女が言った。彼女は初めて会ったときから現在に至るまで、ずっとそのように私を呼ぶ。名前はとっくに教えてあるはずなのに。沓脱石のないエリアなので、庭に下ろした両足がぶらぶらと揺れていた。
「やっぱり知らないよなあ……」
もしや記憶にないところで話していたか、という読みも外れる。高浜と会った翌日に確かめてみたものの、少女たちは誰も私の出身大学を知らなかった。目の前に座る胡桃も、和室の中を歩き回っている百合も、床の間の前で佇んでいる山茶花も。
「いえ、名前も存在も知っていましたよ。うちは大学までストレートに進学する生徒が多いですが、外部を受験するなら白百合女学院も人気です」
「紛らわしくてすまない。今のはそういう意味じゃないんだ」
白百合女学院を知っているか、ではなく。私がそこの出身であると知っていたか、そして高浜にそれを伝えたか、ということを知りたかったのだ。少なくとも単なる推測では結びつかない事柄だ。私のような見目の女が、由緒正しい女子大学を出ているなんて。
「高浜先生がご自身で調査なさったんでしょうね」
和室の内装を見回っていた百合がこちらへ来る。いずれ自分たちの作品が並ぶ場所を、じっくり確かめていたようだ。
「あの人はそういう詮索好きなところがある」
「詮索と言ったって、調べる時間は無かったはずだ」
「以前から気にかけてらしたんだろう。自分の受け持つ部活動の生徒たちが、たまに出入りしている民家のことを」
さらりと恐ろしいことを話す。しかし彼女たちにとっては、不思議でもないのか。生まれた瞬間から花の盛りを過ぎるまで、愛を理由に監視され続ける人生だ。もしも家主が私ではなく林堂だったなら、この企画は頓挫していただろう。内面は私よりもずっと誠実な人間であるというのに、若い男だというその一点のせいで。
「まあ、いいじゃないですか」
空気を変えるように胡桃が明るく話す。縁側に手をついてするりと横移動し、沓脱石にローファーを置き去ってから屋内へ上がってきた。
「とんとん拍子に話が進んで良かったです。一限目が国語の授業だったので、すぐに先生へお伝えしたんですよ」
昼休みの時点で高浜が全て把握していたのはそのためか。もちろん、部員たちには始業前に伝えたのだろう。
「高浜先生が協力してくださるなら、百人力です。少し厳しく見えますが、とても良い先生なんですよ」
そんな胡桃の言葉に異議を唱える者がいた。先ほどまで座敷童のようにぼんやり立っていた山茶花が、いつの間にかそばまで来ている。
「私はあの人、苦手。怖いもの」
「そんなことを言うものじゃないわ」
やんわりと胡桃がたしなめるが、この件においては私も山茶花に同意したかった。どう考えても生徒が苦手とするタイプの教師だろう。卒業し、大人になってから振り返れば、愛ゆえの厳しさだったと理解できるのかもしれないが。
「高浜先生は書道部も受け持っておられるわ。あちらの方がずっと規模が大きいし、大会にだって毎年参加しているのだから手が掛かるはずよ。それなのに、こんな小さな部活動のことも大切にしてくださって……」
「待ってくれ。ひとつ確かめたいことがあるんだ」
滔々と話し続ける胡桃を制する。言ってしまってから、言葉選びが下手だったなと反省した。それほど深い話でもないのだ。少し気になることがあるだけで。
「部員の人数について、君たちは嘘をついていないか?」
私の母校では、少なくとも五人は集まらないと部活動として認められなかった。一方、波久亜学園の俳句部は四人だ。もちろん、規則は学校によりけりなので比べることはできない。しかし高浜の言葉が引っ掛かる。
「彼女は君たち部員のことを、酒星のようだと言ったんだ。後で調べたんだが、春の季語なんだな。俳句にもよく詠まれている。まあ、これだけなら俳句部の顧問らしい表現だという話だが……」
記憶の中で、季寄せを開く。昨夜調べたときと同じように、ページを繰っていく。その項目に辿り着いたときの驚きと疑問が、今も脳裏でくすぶっていて。
「酒星は、三つ並んで見える星だ」
獅子座の近くにある星。季寄せだけではなく図鑑やインターネットでも調べてみたが、全てにおいて「三つの星」という記載があった。
「四つじゃない。三つの星だ。俳句部の部員が四人なら、どうして高浜先生はこの言葉を使ったんだ? ひとり仲間外れになるじゃないか」
胡桃の顔を見る。しかし彼女は何も答えなかったので、次に百合の顔を見た。やや気まずそうな顔をしているが、こちらも何も言わない。返答する言葉を持っていないというよりは、話すことを遠慮し合っているように感じる。複数人を相手に嘘を暴こうとすると、こういったことが起きるのだな、と考えた。
だが、ひとりでも空気を読まない者がいれば、その均衡は一瞬で崩れる。
「嘘なんて、ついていないけど」
平然と山茶花が言った。そういえば、部員の人数に関する発言をしたのは彼女だけだ。胡桃も百合もそれについては何も話していない。私の質問にだんまりを決め込んだのは、当然といえば当然か。
ならばなおさら、山茶花が認めてくれないと話が進まないのだが。
「私たち、部員が四人だなんて言ったことがない」
「でも君が言ったんだ。縁側でココアを飲んでいた日――私たち四人だけで、誰にも邪魔されずにずっと楽しんでいたいって」
「それだけ。部員が四人だとは一度も言っていない」
にべもなく跳ね返される。一瞬、顧問も含めて四人ということなのかと考えたが、彼女は高浜を好いていない様子なので誤りだ。正式に入部していないメンバがいるのだとしても、あの顧問がそんな半端なことを認めはしないだろう。幽霊部員の逆だ。活動に参加しているのならば、存在を隠し通すことは難しい。
いっそ、学外で関わっているとでも言うのなら話は別だが。
そんなことを考えているうちに、山茶花の小さな唇が再び動いた。
「部員じゃないけど、一緒に俳句を詠んでいる人がいる」
「山茶花……」
百合が控えめに名前を呼んだが、彼女は構わず言葉を続けた。転がり始めたビー玉をただ眺め続けるように、何ともいえない緊張が漂っている。
「波久亜学園の隣に病院があるの、知ってる?」
唐突な問いかけ。私は答えられない。あまりにも不親切な質問なのだから。学園の敷地がどこまで続くのか、山茶花自身も把握しきれていないだろうに。一度だけ衛星写真で見たことがあるが、テーマパークのように広大な土地に、幼稚園から大学までが散らばっているのだ。部外者が容易に侵入できないよう、主要な施設は内側で守られている。だから〝隣にある病院〟というのも、教室の窓から望めるような立地ではないのだろう。
「学校の裏門から出て住宅街に向かう途中。病室の窓が、歩道のすぐ脇に見える場所があるの。長期入院の患者さんの部屋ね。そこにいる、私たちと同じ歳の子」
その入院患者こそが、四人目の仲間なのか。彼女が心を許し、この四人だけで活動を続けたいと願うような存在。その正体を明かした後、説明は終えたとばかりに口を噤んでしまった。人形のような横顔が斜陽に照らされている。
しょうがない、といった空気をまといながら、胡桃が補足をした。
「高浜先生には内緒でお願いしますね。私たち、病室の窓越しに交流をしているんです。最初に出会ったのは私でした。学校から家へ帰るとき、ちょうどあそこを通るんです。それまでは気にも留めていなかったんですけど、ある日、風に飛ばされた紙が目の前に落ちてきて……」
拾い上げてみると、詩や短歌、俳句を綴った原稿だった。破れたフェンスの向こう側で入院患者が手を振っている。病院内で配られる書類の裏面に、自由な角度でいくつもの作品が踊っている。窓越しにそれを返した胡桃は、無意識のうちにこう話していた。
――私たちと一緒に俳句を楽しまない?
「次の部活動のとき、百合と山茶花にも伝えました。良くないことをしている自覚はあったわ。高浜先生には話せないようなこと。だから三人で押しかけることはありませんでした。いつも代わりばんこで。たまたま、その病室の前を通りがかっただけ。そんな風に装いながら、原稿を受け取って部誌に載せたりして」
それが今年の春のことだったらしい。そして冬になった現在も、状況は何ひとつ変わらない。一般病棟に移ることもなく、退院の気配もなく。
「ちゃんと分かっているつもりです。病気のことは、どうにもできないって。だから私たちは……今を楽しむしかないんです。そう言って誘ったんですから」
胡桃と連れ立って歩き、俳句の展示を持ち掛けたとき。四人いるのだから、季節ごとに分担するのもいい――確かに私はそう言った。それに対して彼女は、はいともいいえとも返さなかった。だがその時点で心は決まっていたのだろう。四人だからこそできる展示をしたい。病室を出られないからといって、仲間外れにはしたくない、と。
「ちなみに、その四人目の名前は……?」
作品を部誌に載せたというのなら、雅号も決まっているはずだ。胡桃、百合、山茶花に続く幻の四人目。季節が被らないよう、春の季語を名乗っているかもしれないと林堂が話していた気がする。
「夜顔です」
胡桃は言った。彼の予想は外れ、秋の季語だ。
「表向きは、私たちの共同雅号ということになっています」
あくまで部員は三名なのだから、そういう形にするしかないのか。小説や脚本ならともかく、俳句を合作するというのは妙な話だが、今のところ高浜の目はごまかせているようだ。あとは私がボロを出さないように気を付けるのみ。
「分かった。夜顔さん、か」
顔も知らない若者へ思いを馳せる。病室の中と窓から見える範囲だけで四季を詠み、渡り鳥のように往復する少女たちに託し、少しでも遠くへと種を撒く。そのような存在について考えた。不思議なものだ。彼女らは四人揃って語らったことすらない。それでも確かに繋がっている。
「その夜顔さんの作品も含めて、最良の形で展示ができるように私も頑張るよ」
私の返答に、三人の少女はそれぞれの表情で安堵を示した――ように見えた。
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