外骨格と踊る

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外骨格と踊る

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 翌日から、王子役のジャックを加えた稽古が始まった。

花の仮面は四人分しか用意されておらず、ジャックは着用しなかった。自分の風貌がとうてい役者向きではないことくらい知っているだろうに。仮面はその違和感をごまかすための道具だと考えていたが、どうやら別な目的だったようだ。二間続きの部屋を利用した舞台。幕の代わりに下げたカーテンが引き開けられたとき、それは明らかになった。

皇后も、侍女たちも、全員の身体に花が咲く国。美しい春の国。そこに素顔の王子が混ざるとどうなるか。本来の演出には無かった彼の異物感が強調され、あくまでよそ者、隣国の王子としての立ち場が視覚的に伝わるのだ。歓迎されているように見えてもその実、真の理解者は皇女しかいない、と。ジャックには文字通り華がない。瑞々しい花弁や枝葉に覆われている部分がない。舞台の外では当たり前のことであっても、ひとたび役者に囲まれてしまえば、ひどくみすぼらしい姿に映った。

こうやって自らを下げることこそが、ジャックの狙いだったのかもしれない。これはもはや異類婚姻譚のひとつだ。単なる人間同士のロマンス劇のままであれば、さすがにごまかしが利なかったのではないだろうか。仮にも一国の王子が、これほど華のない男であるはずがない。しかしそもそも異種であったなら。ハルカが、皇女が、外見や種族に囚われず情愛を抱ける者であったなら。彼女は聖女と呼ばれるべき存在へと昇格する。台本にはひと言も書かれていない、王子に対する陰口すら聞こえてきそうだった。

ジャックが稽古に参加するようになってから、私も欠かさずその様子を見学するようになった。トルソーがそこにあるから、という理由も大きいが、そもそも我々団員は本番を客席から観ることができない。稽古よりもずっと慌ただしくなる当日、裏方といえども客側に回る余裕は全くないのだ。だからしっかりと見ておきたかった。ジャックが作り変えたことにより、芝居は格段に面白くなったのだ。なにせ、最後に王子は殺される。己よりもずっと美しい存在の愛を得た彼は、それでも愛に救われることはなく、美しい国の肥やしとなるべく散った。ただの悲恋が、そういう解釈に変わるのだ。所詮は同じ土壌で生きられない存在なのだと。その無常が、あっけない結末が、手を叩いてブラボーと叫びたくなるほど私にとっては面白かった。

事実、ジャックは死の演技が上手かった。胸を刺されて倒れ伏し、芋虫のようにうごめく姿を披露した際には、稽古場のあちこちから短い悲鳴が上がったほどだ。私は真っ先に拍手した。切なく甘く心揺さぶる場面を想定していた演出家が、困り顔で首をひねる様子を目にしたからだ。駄目出しをされてはたまらない。こうでなければならないのだ。人は最初に目にした動きに流されるもので、私に続いてぽつぽつと拍手が起こり、この演出は守られることとなった。

イラクサの棘のような剣で王子を刺したのは、彼を愛した皇女だ。皇女は自ら動かすことのできない外骨格の身体を持っている。差し出された腕、軽く曲げられた指で短剣を掴むことはできるものの、それを深く突き立てたのは王子自身の力に他ならず。たとえ物語の中では突如刺されたことになっていても、観客が実際に目にするのは、抱きつくように自ら刃先へ飛び込む男の姿だ。それがまた倒錯的で私は好きだった。ある種の昆虫において、交尾後に雌が雄を喰らってしまうかのように。すぐ逃げるだけの体力は持ち合わせているはずの男が、操られるようにその手元へ引き寄せられて。

後に残るは、うぞうぞともがく芋虫が一匹。

トルソーは伴侶を抱き起したりはしない。身体を操ってくれる者が死んでしまったのだから、ただの殻へと戻った、そう解釈できるかもしれない。さすがのジャックも倒れている状態では何もできず、幕が下りるまで彼女に見下ろされるだけだった。動きもセリフもないその瞬間こそがいっとう美しく、王子という役にとっての見せ場だと私は思った。正直なところ、ジャックによる王子のセリフは棒読みになりがちであったし、所作にも経験不足が素直に現れていた。死に姿以外は文字通り芝居じみていて、何か必死に嘘をつき続けているように感じた。その代わり、ハルカとして動いている部分は完璧で。稽古で見たハルカの演じ方を真似てはいるものの、当人が消えたことによってそこへ理想が掛け合わされ、順調に事が進んでいれば拝めなかった芝居が繰り広げられた。

人間より上手く演じる道具があるものか。言葉にすれば冗談にしか思えないが、ジャックの操作によるトルソーの演技はまさにハルカを超えていた。滑るように移動し、姿勢を正して凛とした声で話し、服の一糸も乱れることなく。人間ではないので当然のことなのだが、それすら感じさせない動かし方をジャックは心得ていた。トルソーを新しい主役に据えると聞いたとき、おそらく団員のほとんどは半信半疑だった。とりあえずやって見せてくれと演出家が言った際も、家具でも運ぶようにみっともなく動く王子の姿を想像していたはずだ。しかし実際は違った。ジャックは最初から、片手一本でスムーズにハルカを運んでいた。絡繰りでも中に仕込んだのかと疑うほどに。

この流れるような動きをダンスでも見たい。私がそう思うのも当然だろう。むしろ、なぜ他の団員が言い出さないのか疑問だった。稽古では毎回、舞踏会のシーンは飛ばされていたのだ。アクシデントによりスケジュールが押している。セリフもなく、ストーリィの展開もなく、ただ踊るだけのシーンのために全員の時間を割く必要はない。そのような理由らしかった。確かにそれは一理ある。ダンスなど、ペアのそれぞれで練習しておけばいい。しかし、稽古という目的を抜きにして、一度見てみたいとは思わないのか。あのジャックが踊るのだ。あれほど見事にトルソーを操るジャックが彼女と踊るのだから、生身の人間なぞには到底越えられないものが見られるはずだ。

私は一度、直接ジャックに尋ねたことがある。舞踏会のシーンは稽古しなくても大丈夫なのか、と。劇の完成度を本心から案じてのことではない。ただ、ふたりの踊りを見るための口実としてそう言った。奴は稀にどうしようもなく素直に騙されてくれる瞬間があって、おそらくこのときもそうだった。私に責められていると感じたのか、ひどく悩むような素振りを何秒か見せてから、掠れた声でこう返した。

「実は、自信がない。少し付き合ってくれないか」

小道具や衣装を作る作業も。練習の様子も。一切誰にも見せることのなかったジャックが、初めて他人に頼った瞬間だった。 

「お前は経験があるだろう」

思わず溜め息が出た。誰からその話を聞いたのやら。おそらく口の軽い団員の誰かだろうが、今さら突き止めても詮ないことだ。確かに私は社交ダンスの経験がある。何年も前の話だが、好きになった女の影響で習っていた。長い沈黙を肯定と受け取ったのか、ジャックは私の肩を叩いてから立ち去った。今夜。ここで。そう言い残して。

かつて私が寝過ごし帰りそびれた夜のように。他の団員がいなくなり、どっぷりと日が暮れてから休憩室を抜け出した。今度は作業場ではなく舞台上へ。二間続きの片方はサンルームで、高く昇った月が光を振りまいていた。雲間から差す陽光を天使の梯子と呼ぶらしいが、月光は晴れていても帯のようにまとまって落ちてくる。掴んで引っ張れば天体を引きずり下ろせそうだな、などと下らない妄想。床のバミリテープを目で追えば、そのうちのひとつにジーンズの足元が乗っていた。

顔を上げる。足はひとり分で、姿はふたり。ジャックとハルカが並んで立っている。衣装姿ではなかった。エプロンは外しているものの、薄汚れたシャツに破れたジーンズ。爪の切り揃えられた裸足。ジャックが普段通りであることは予想していたが、隣のハルカの姿を見て私は息をのんだ。何も着ていない。稽古中は着ていたはずのドレスを脱ぎ去り、透けるほど薄い殻を外気に晒している。

よく考えてみれば、ただ踊りの稽古をするのに衣装は必要ない。下手な動きをして破いてしまうリスクを考えると、脱がせておくのは妥当だろう。理論ではそうだと分かっていても、私はひどく驚いてしまった。そして感激した。涙すら落ちそうになったかもしれない。月明りのみの稽古場は薄暗く、私の表情の変化にジャックは気付かない様子だった。珍しく緊張した面持ちで視線を返すと、始めようか、と呟く。

「ええと。まず、私とハルカで踊って見せれば良いのか?」

口にしてから、それはまずいなと考えた。私とハルカのペアで踊れるはずがない。トルソーを相手にしたことなどないからだ。しかも、ただ触れるだけならともかく、抱き上げて一曲踊るなんて。力の込め方が分からず壊してしまいそうだ。

「いや、まずはお前と自分とで踊ろう」

ジャックの方も当然、そう言った。

「何度かやって、感覚を掴んだら自分とハルカが踊る」
「そうか……。じゃあ、私が女役をすればいいのか? ハルカの代わりに」

一応、どちらの動きも覚えている。私が手を差し出すと、ジャックはそれを軽く握って引き寄せた。頭ひとつ分ほどの身長差があるため、私の胸元から声が聞こえた。

「いや、お前が男役をやってくれ。自分はハルカになる。ハルカのポジションで踊って、彼女がどう動くべきなのか身体で学ぶことにする」

なるほど。つまりハルカのための稽古なのだ。自信がないと言っていたのは、あくまで彼女の動きであって、王子の踊り方なぞとうに覚えている。そういうことなのだろう。私は大柄なので、私にとっても男役の方がありがたい。口でテンポを刻みつつ簡単なステップから始めた。ワン・ツー・スリー。ワン・ツー・スリー。音響用のコンポを使わなかったのは何故だろう。ふたりともその存在に思い至りもしないまま、音楽を口ずさみながら踊っていた。私がステップを数えれば、ジャックがハミングで曲を奏でる。私もプロではないのでメトロノームのようには刻めない。曲の流れが、実際のものと合っているのかすら分からない。それでも私たちは踊った。自信がないと言いつつも、私の動きについてくるだけの技量はあるようだった。

その様子をハルカが見ていた。最初は月明りの中に立っていた彼女が、影の中へと移動する頃。月がそれだけ傾いた頃。ようやく私たちは踊りをやめた。存外に高揚したことは否めない。私の目的はジャックと踊ることではなくて、ジャックとハルカのダンスを見たかっただけなのに。

「もういい」

動きを止めてジャックを突き放す。楽しいからといって、いつまでも私たちが踊っていては意味がないのだ。ジャックは本来そちらの立場ではないし、私の踊りが上手くなっても何の役にも立たない。

「今度はお前たちで踊れ」

佇んでいるハルカの方へ目を遣る。その時、ハッと気づいた。彼女の首――そこには何も無いはずだった頭の部分に、一輪のダリアが挿してある。ちょうど人間の頭と同じ大きさの、真っ赤な八重の花。いつからそこにあった? しかし、ジャックの両手は私の手と繋がれていたので、途中で挿せるはずがないのだ。最初から頭部は花だった。そのことに気付かなかった私が間抜けだった、というだけの話。

「それも作ったのか?」

私の元を離れ、トルソーを迎えに行く背中へ問い掛ける。マスクを彩る花々のように紙で作ったものだと思ったのだ。しかしそれにしては印象が異なる、とも感じていた。無言で彼女を抱き上げ、こちらへ戻ってくるとき、その違和感の正体を知った。ダリアの花弁が一枚、舞い落ちる。糊付けが甘かったわけではない。これは造花ではなく生花で、自然の摂理としてこうなったのだ、と。

この民家には立派な庭があるが、花の類は一切植えられていなかった。土が盛られた花壇らしきエリアはあるものの、誰も手を付けない。だから他所から調達したダリアに違いなかったが、花屋で購入したようにも思えなかった。切り花はすぐに枯れるので、今からトルソーに挿しても本番までもたない。私に見せるためだけに一輪いくらで買ってきたりはしないだろう。おそらくジャックが自宅で育てているもので、切り取っても惜しくはない程度にたくさん咲いている。この季節であれば必要に応じて頭を生やすことができる。だから本番でも、彼女はこれで登場するつもりなのだ。

ふたりは舞台の中央で向かい合う。互いの腰を抱き寄せ、片手の指を絡ませる。頬を触れ合わせる構図なので、ダリアの向こう側にジャックの顔がすっぽり隠れてしまった。こうして見ると王子も花の国の住人のようだ。身体は人間で頭は花。そうだったら殺されずに済んだのだろうか、などと意味のないことを考えた。

とつぜん脚が動く。否、踊れと言ったのだから踊り始めることは分かり切っていたはずなのに。相変わらず音楽は無く、今度はジャックも真剣なので何も口ずさまない。私が手拍子くらいするべきだったのか。そんな考えが浮かんだのは全てが終わってからで、この時はただ茫然とダンスを眺めることしかできなかった。足音だけが規則正しく響く。ぐんぐんとこちらへ寄ってきて、目の前でターン。また遠くへ踊りながら去っていく。私の頬に何かが触れた。方向転換をする度に舞い落ちる花弁が、涙で貼りついていた。

ダリアの花弁は次々と落ちた。もしうちの演出家が見たなら渋い顔をしただろう。本物の食べ物も、光物も、散りやすい花も、演劇では避けるべき小道具だ。しかし我が団では半分ほども守られていなかったし、このまま不勉強を貫いても罰は当たらないだろう。劇場の持ち主には叱られるかもしれないが。血痕のように点々と落ちる花弁を、劇の進行と共に増えていく赤い痕を、どうしても本番で見たいと考えてしまった。団員である以上、そちら側に回ることはできないというのに。

曲を流していないので、終わりが分からない。ジャックが息を切らし始めても、ハルカの方は疲れていない。私たちは止める理由も止めさせる理由も失ったまま、真っ赤な花弁の動きを眺め続けていた。私は床に落ちる数が増え続ける様を。ジャックは目の前の花托から減っていく様を。それぞれの方法でダリアが「果てた」ことを確認したふたりは、そこでようやく目を合わせる。空が白み始めていた。この光景は本番でも見られない。舞踏会のシーンがこれほど長いはずがない。ジャックは踊りを終えて崩れ落ちた。しかしその前にハルカを支柱へ戻していたので、彼女の方は毅然と立ったままだった。跪くような姿勢で肩を上下させる王子の姿も、本番では見られない。

表に出すために形を整えるという行為は、ひどくつまらないことなのかもしれないな、と私は思った。
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