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〖第90話〗瀬川side②

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「芦崎の母さんの所に、レッスンに行ってきたんです。そうしたら、先生が亡くなったって聞きました。
末期の癌だったみたいです。
弁護士の人がいて著作権とか、全ての権利を僕に譲ると、法的手続きも済んでいるとのことでした。
短い手紙もありました。せめてもの贖罪だから君に受け取って欲しいとありました。こんなことしか出来ない私を許して欲しい、と。
………もう、いいのに。僕の中でやっと終わりにしたのに。終わらせたのに。
先輩が迎えに来てくれた日に、先生と話したんです。あの日ようやく僕の中で絡んだ糸がほどけたような気がしました。
僕はもう許してます。
確かに思い出したくない思い出です。でも、もういいんです。なのに、『贖罪』だなんて。
近々自分が居なくなることを知っていて黙っていたなんて。
死ぬまでずっと後悔して、悔やんで、悔やんで亡くなったってことですよね?
ちゃんとあの時、今の気持ちを伝えていたら先生の最期の心の中も違っていたのかもしれない」

「──朱鷺くん、去年の初雪が降った日のことを覚えている?俺が無理やり君を抱いた日だ」

朱鷺の手の温度が一気に下がる。

「俺が一生後悔しなければならないことだ。二度とあんなことはしない。誓うよ。けど──」

「けど、何ですか?」

朱鷺の声に緊張が混じる。怯えさせてる、その事実が胸をえぐるほど痛い。

「俺がしたことは『一度』はあったことなんだ。その事実はどうやっても消えないんだ。どんなに悔やんでも、時間は戻らない。君の心や身体を傷つけたことは消えないんだよ。時間がたって君の記憶が薄れても、たとえ君に許されてもね。
──俺が先生でも、君への贖罪を思って、最期を迎えたと思うよ。だから、君が考えこむ必要はないんだ」

朱鷺は小さく頷いた。

「先輩、手を離して」

俺はそっと朱鷺の冷たくなった手から手を離す。あの時を思い出した。全身で俺を拒否した、朱鷺の姿。

「先輩にお願いがあるんですけど、いいですか?」

「──何でも、聞くよ」

「──髪を撫でて欲しいんです。先輩に髪を撫でてもらうのが、一番安心するから。先輩も僕の髪に触るの、好きでしょう?」

「ああ。落ち着くね」

俺はそっと髪に触れる。明るい茶色の朱鷺の髪。さらさらで、でも柔らかい、俺と同じシャンプーの香りのする髪。

俺はしばらく朱鷺の髪を撫でた。もう、絡めて、梳いてもつぐまない髪。それでも、朱鷺の髪だと俺の指は認識する。俺の胸苦しさも収まる。

「先輩、あのことは忘れて。なるべく思い出さないで下さい。僕も忘れるから。
先輩の悲しい顔を見るのが、僕は一番悲しいんです。
──あと、芦崎の母さんからです。先生から預かったものですが、先輩に、と。アルバムにのせる最後の曲を完成させて欲しいと、これを……」

朱鷺が差し出したのは糊で丁寧に封をした茶色い大きな封筒だった。
    
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