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〖第74話〗朱鷺side❿─❶
しおりを挟む言葉は答えを求めるものではなかった。それでも僕は止まらなかった。
「じゃあ、感謝の代わりに、いいことを教えてあげます。いつも必ず瀬川さんはトローチ持ってますよね?お守りみたいに。ほら、左ポケット」
左にいつも入っていることを何故この子は知っているのだろうと、不思議に思うように、先輩はトローチをひとつ取り出した。
「僕に、ください」
僕は薄く口を開いた。
先輩は震える手で、僕の口にトローチを入れる。
僕はそのまま先輩の首に腕を絡めて口づける。
口の中で甘くトローチが溶ける。先輩にトローチを口移しで返す。
先輩の長い睫毛は震えていた。
「何か思い出しませんか?
以前にあの事件の日にふらふら庭を歩いていた瀬川さんに、兄さんがトローチをくれたって言ってましたけど、あれ違いますよ。
僕があげたんです。手渡しですけど。ほら、ちゃんと思い出してくださいよ。
僕はあの日、先生を殺しかけて、返り血を浴びて白いシャツが血だらけだった──同じ日なんですよ。
あの日、父のコンサートの手伝いで兄さんは家にはいませんでした。
居たのは母と先生と僕だけです。
笑っちゃいますよね。血だらけになりながらトローチをくれ、とせがむ僕に母が
「トローチなら好きなだけあげるから」
と薬箱から箱に入ったトローチをくれました。
瀬川さんの初恋の相手はあなたの記憶の操作ですよ。どうです?思い出しました?」
先輩は横に首を振る。ただ音もなく涙が伝う。
「あの日からじゃないんですか?
女性はただの温もりをくれる道具のように感じるようになったのは。
それであなたの初恋の兄さんに似ていれば言うこと無し、ですか。
それにしても残念ですね。兄さんを意識するようになったって言ってましたけど、実際蓋を開けたら十歳下のほんの子供でしたからね。
冴えないただの人形以下の僕があなたの初恋ですよ」
そう言い僕は嗤う。先輩は、悲痛な声を出した。
「違うんだ。そんなんじゃない。君は人形なんかじゃない!」
そしてうなだれ、
「お願いだからもう、やめてくれ──」
と言い、先輩は僕を泣きながら抱きしめた。背に手を回すこともせず、僕はそのまま抱きしめられていた。肩に顔を埋める先輩をそのままに、僕はただ、白い天井を見つめた。
「人形ですよ、立派な。
残念なことはその人形にも感情と感覚があったことですね。
あなたに犯されながら僕は恐怖と嫌悪感でいっぱいになりながらちゃんと快感も感じてた。先生の教育の賜物ですね。笑っちゃいますよね。
先生のこと、兄さんから聞いたでしょう?汚いって思ったでしょう?
瀬川さん。いいですよ。自分でもそう思うんですから。
あと──あのハンカチ、わかります?
憶えてます?
あなたにとってはどうでも良いものかも知れなかったけど、僕にとっては綺麗な思い出でした。
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それをあなたはなんの感慨もなく僕の口に押し込んだ。思い出も、時間も、関係も全て『いらない』って言われているみたいでした。
あなたが壊したシャツもそう。初めてここに来た時に貰ったものです。少しは罪悪感を感じてもらえますか?──僕があなたを許せない理由がわかりますか?」
先輩は答えなかった。僕は先輩の肩を押し返した。視線を合わせて、僕は言葉を繋げた。
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