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金色の回向〖第23話〗
しおりを挟む「毎日死んで欲しいと思ってた。でも、あんな……あんな………私は悪くない!」
「どうしたの? 落ち着いて虹子さん」
ムクリと疑問符をつけ身体を起こすと、虹子さんは、更に声にならない声をあげ、後ずさった。暫く沈黙が俺と虹子さんを包んだ。それから力なく俺に、
「今日のこと、秘密にして。誰にも言わないで」
「虹子さん?」
「お願い。お願い……します」
虹子さんはカタカタと震えながら深々と頭を下げた。
「そんな、頭上げてよ!………どうしたの?」
「何でもないの!」
ランチボックスの、籠の取っ手を鷲掴みにして、虹子さんは一面の黄色のキスゲの群落を走り去った。風が吹く。キスゲが手を伸ばすようにうねって見えた。大きな平らな石の下には、腰かけて食べるはずだった、アルミ箔に包まれた、パイ生地から焼いてくれた、デザートのアップルパイが落ちていて、シナモンの匂いがしていた。
「虹子さん………どうしちゃったんだろ」
少しだけ、俺はいじけながらアップルパイにかじりつく。切ない甘酸っぱさ。唾液腺が刺激されて痛い。この林檎は何の林檎? 罪の林檎? 何に対して? 虹子さんが解らない。ただ、このアップルパイはとても美味しいけど、食べると胸がしめつけられるように苦しくなった。
その次の日、いつも通りの道を行く。砂利道は乾いて陽炎がゆらゆら揺れる。道端に、何処から種がこぼれてきたか解らない向日葵が咲いていた。花に謝り、俺は花を摘む。ゴッホの絵画のような珍しい、燃えるような向日葵を二輪。虹子さんは喜んでくれるだろうか。
昨日、喧嘩ではないが不自然な帰し方をした。虹子さんは何が怖いのか。虹子さんが昨日口走った言葉をさらう。
「まさか、なあ?」
まず誰を? 虹子さんのあの目は、俺を見る目ではなかった。誰を見ているのか。深山の父でもない気がした。まあ、会ったらいつも通り。俺はそんな気持ちで、虹子さんの家へ向かった。
しん、静まり返った家。家主の不在を感じさせるような、夏の陽にうなだれる朝顔。この庭の唯一、種から育てた花。水を貰えなかったのか、葉がクタリとうなだれて、元気がない。
何度も虹子さんを呼ぶ。インターフォンを何回も鳴らしたけれど静かだ。二人の内緒の合鍵があるはずの、俺が家から持ってきたマリーゴールドの植木鉢の下も空っぽだ。どうしたんだろうと、庭をうろうろする。気持ちを焦らせるように蝉が耳元で鳴く。汗がこめかみから流れ、顎にたまり、ポタリと地面に落ちた。いつもこんなに静かだったか。不思議な気持ちになる。木々が騒ぐように揺れた。誰かが、いる。耳を澄ますと誰かの声がする。少し小さいが声が聞こえる。絞るような虹子さんの声がする。はしたないと思いつつ、隠れて聞き耳を立てた。
「あの日から随分経つのね。小さかったわね。小学二年、くらいかしら」
虹子さんの声だ。俺はカーテンの引かれた窓に歩み寄った。けれど次に聞こえた、もう一人の声で歩みを止めた。俺の母親だ。
「そうね、初めて会ってからそんなに経つのね。久しぶりね。会いたかった」
「あの夏からは、もう、何年経つのかしら。あのひとがいなくなってから」
「もう昔話ね───虹子、『あれ』は、あなたがこの村を出た後、男衆と掘り返して粉にして河に流したわ。だからもう存在自体無い。安心して良い」
そう言った瞬間、虹子さんは、母親に飛びつくように抱きついた。そして、まるで血を吸われた蚊を始末して喜ぶように言った。
「有難う、理恵! キスゲ原を見ると、思い出すの。あいつを。母さんはいつも私を庇ってくれたけれど、ある日、酷くやられて入院したわ。母さんがいなくなった日、あいつは私を人形にした。それからは、まるで調教ね………。機嫌が悪いと殴られた。ご飯もお風呂もくれなかった。躾だと周りには言ってたみたい。まるでペットよ、ペットの方がいいわ。ペットに行為は強要しないから」
空っぽの声で虹子さんは言った。
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