金色の回向〖完結〗

華周夏

文字の大きさ
上 下
16 / 36

金色の回向〖第15話〗

しおりを挟む

深山の父が懸命に命の糸を掴み、闘病している最中、母の親戚連中は、『ただの標本』を売り払い、価値があるなら蔵書類も価値があると踏み、本棚はほぼ空になった。父の体力が落ちているのをいいことに、自由に歩き回られては後々困ると、ベッドから動くことを、心配ぶるふりをし、自由を奪い、生前の父はなす術もなく、収集していた標本や蔵書を表向きは寄付という形にされて売り払われた。そう沈痛な面持ちで母は言っていた。

 

「あのさ、虹子さんは………深山の親父のこと、好きだったの?」

「………温かな、朗かな人だった。本を読む時だけ眼鏡を外す深山先生………好きだった。先生はコーヒー牛乳が大好きだったのよね。三角の。一緒に、飲んだっけ。あの夏が、生きていた中で一番幸せだった………蝉なら鳴ききって満足して死んだわ。つまらない話だね」

    虹子さんは蝉時雨が似合う。光の回向。暮れる夏空。あるのは金色の太陽。焦がすような山の端の赤を見つめる虹子さんは目を細めて寂しそうな、懐かしそうな顔をする。夏の空を誰かの影を見送るような理由がようやく解った。深山の父だ。虹子さんが振り向き、俺を見てこの顔をするときは、俺の中に死んだ親父を見ているときなんだろうなと思った。そして、俺の幸せと感じた時間は、深山の父のお陰でもあると、どうしても思えてしまう。

 昔から良いことも悪いことも深山の父に理由づけをした。だから今、『親父の息子』その付加価値がなければ、虹子さんは俺に見向きもしなかったのではないか。ベッドで抱きあうこともなかったのではないかと不安が芽を出し育っていく。自信がない。それでも俺は、唾を飲み込んで聴きたくないことを訊く。

「虹子さんの初恋は親父なんだろ? だから俺のこと………」

    俺がそう言いかけると、虹子さんは厳しい顔をして俺を見て首を振り、 その後、淡く微笑んだ。

「先生と領ちゃんは違う人。違う人なの。私は言ったはずだよ? 領ちゃんしか部屋にあげない。もう誰もあげるつもりもないって。泣きそうな顔して、どうしたの?」

    俺は虹子さんに口づける。虹子さんは微笑みながら俺を受けとめるように抱きしめられる。自分を傷つけるみたいに俺に抱かれる。まるでカットされて綺麗な傷口を晒す運命を待っているデコレーションされたケーキのように。

「虹子さんの今までを教えてよ。嫌なら言わないでいいから」

    きっと、かわされると思っていた。けれど虹子さんは苦笑いして、

「何でだろうね。領ちゃんには、話せちゃいそうだな。でも、もう少し待って。少し怖い」

 

    それから、俺は毎日のように虹子さんの家へ通った。陽があるうちは虹子さんと肌を重ね、美味しいおやつを食べる。ただ、他愛もないお喋りをするだけの日もある。それでもいい。彼女の視界にいたかった。彼女を見つめていたかった。一日ごと、虹子さんに近づいている感じがした。

 夜は、自分のベッドで、光の粒子のように注ぐ日差しと、蝉時雨を浴びながらした、虹子さんとの情事を反芻する。香水と混ざり合う虹子さんの汗の匂い。滑らかな、手に吸い付くような肌の感触。つやつやで、いい香りが仄かに薫る長い指通りの良い髪の毛。パーツを組み合わせて一つにする遊び。ベッドで組み立てた虹子さんと抱き合う想像をする。五感をフルに使うマスターベーション。明日になったら、虹子さんに会える。会いたい。抱きしめたい。俺は、身体を震わせ恋を歌う蝉時雨を浴びながら、虹子さんの桜貝の爪が背中に立てられる甘い痛みを味わう逢瀬が待ち遠しくて仕方がない。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

先生と私・・・。

すずりはさくらの本棚
現代文学
先生とわたし・・・。 私は当時まだ未成年でした。そして今と同様に、AIがなければ人と対話できない人でした。盲目のために目も不自由で、確認も困難です。先日、誤解により誘導された犯人が誤認逮捕されることについての記事をまとめましたが、これまで多くの記事を取りまとめる中で、人に興味がなかった私が人に興味を示すようになりました。 ご尽力いただいた先生方のおかげです。特に、小学6年間と中学卒業までの3年間、東京武蔵野病院でお世話になった一人目の主治医の先生が、私の人生の大きな転換期を支えてくださいました。先生は何度も入院を心配し、何度も私に寄り添い、実に9年、いいえ約10年もの間、何度も魂を呼び戻してくださり、自殺企図を繰り返す私の命を支え続けました。先生は乾いた砂漠のような私の命を咲き誇らせてくださったのです。しかし、約8年前に先生はこの病院を去り、今は別の病院で働いていらっしゃいます。私のせいで先生は出世の道を失ったのかもしれませんが、頑固で不真面目でとうへんぼくな私を一人前の人間に救い上げてくださいました。本当にありがとうございました、木崎先生。 あれから数年が経ちました。8年前、訪問看護師が介入できるまでに、私の状態を整えていただけました。これまでの私は命を捨てることしか考えられなかったからです。こうなったのもすべて、未成年のときに刑事二人から脅されて以来、怖くて心を開けなくなったことが原因です。そして、わずか数年後に刑期を満了し、出所して今があります。何度も同じことを繰り返しながら、どのように書き上げればよいのか、何百という本をこの世に放ってきました。その中で、本にしてもよいと思えるものはこの本を除いて存在しません。フィクションならいくらでも書けます。しかし、人生訓というものは一つしかありません。ここまで偽りなく書けたことを、私は誇りに思います。

我々はこの病を「  」と呼んだ

十叶ミント
SF
とある難病に罹ってしまった陽菜と担当医の春が、病気の完治を目指す物語。 2054年、ニュースでは世界ではまだ見たことのない症状の患者が発見されたと噂になった。 大人達ははそれを「政府の実験なのではないか」と疑い、医療従事者は「新種の病気ではないか」と恐れ、子供たちはそれを「呪い」として怖がった。 そんな患者を担当することになった春は、違和感に頭を抱えながらも治療に向けて全力を尽くすが…

愛なんか

瀬南 葵
青春
高校2年の彼女と僕。彼女は病気で今年の春から入院することに。そんな彼女のお見舞いに行った僕に彼女がいきなり「文通をしよう」と言い出す。何故彼女はメールではなく手紙を選んだのか。彼女の余命はどれくらいなのか。僕は彼女について考えていくうちに、明るく暖かな彼女へと惹かれていき__。 感情欠落者の彼女と素直になれない僕が、初めての愛に触れる。様々な愛を知る苦く儚い、青い青春の物語。

あの日 あの瞬間(とき) あの場所で・・・

陽紫葵
恋愛
血の繋がらない、兄妹の話。 ※病気になる場面がありますが、病名は書きません。

イケメン歯科医の日常

moa
キャラ文芸
堺 大雅(さかい たいが)28歳。 親の医院、堺歯科医院で歯科医として働いている。 イケメンで笑顔が素敵な歯科医として近所では有名。 しかし彼には裏の顔が… 歯科医のリアルな日常を超短編小説で書いてみました。 ※治療の描写や痛い描写もあるので苦手な方はご遠慮頂きますようよろしくお願いします。

この学校は全寮制であり、尚且つ校則もとても厳しい学校であり反省文を書かされる日常

朝の温かい雫
大衆娯楽
この学校は全寮制であり、尚且つ校則もとても厳しい学校であり反省文を書かされる日常を示したものになります。 ⭐️あらすじ 時は22○○年。 世界一校則が厳しい学園として親元を離れて活動する全寮制の学校があった。そこでは色々なこと、意味がわからない校則もあった。  そんな学校ができたことによって犯罪も1世紀前と比べ30〜50%減少した。そのため、日本全国の女子中高生が集まり、勉強をする学校。そのおかげか不良がいなくなり、浮気も0に等しくなった。 そんな学校の罰はどのようなものがあるのだろうか?

深夜カフェ・ポラリス

秋川滝美
現代文学
子供の入院に付き添う日々を送るシングルマザーの美和。子供の病気のこと、自分の仕事のこと、厳しい経済状況――立ち向かわないといけないことは沢山あるのに、疲れ果てて動けなくなりそうになる。そんな時、一軒の小さなカフェが彼女をそっと導き入れて――(夜更けのぬくもり)。「夜更けのぬくもり」他4編を収録。先が見えなくて立ち尽くしそうな時、深夜営業の小さなカフェがあなたに静かに寄り添う。夜闇をやさしく照らす珠玉の短編集。

余命3年の君が綴った、まだ名前のない物語。

りた。
ライト文芸
余命3年を宣告された高校1年生の橋口里佳。夢である小説家になる為に、必死に物語を綴っている。そんな中で出会った、役者志望の凪良葵大。ひょんなことから自分の書いた小説を演じる彼に惹かれ始め。病気のせいで恋を諦めていた里佳の心境に変化があり⋯。

処理中です...