蝶々の繭

〖第63話〗

「馬鹿ねえ、あんたは私の早瀬ブランドのための約束手形よ。あんたを産めば贅沢三昧が待ってるのよ？堕ろすなんて馬鹿な真似しないわよ。穢い上に頭まで悪いの？」

「あんたのせいで、あんたのせいで覚さんも、父さんも、しあわせになれなかった！早く離婚しろよ。早瀬の家から出ていけ！今までの会話、全部録音してある。ピアノの先生についてはトメさんが話を訊いてる！俺はあんたからしたら穢いかもしれないよ。でも、あんたみたいに、利己主義の悪意を張り巡らせて、ひとを陥れたりしない！訴る前に早く出てけよ。不倫しまくってたこと全部知ってんだぞ。高校の三年のときの担任ともできてたよな。証拠は抑えてある。民事で訴訟起こせばどうなるか解るよな？」

「………離婚くらい構わないわよ。まあ、あんたは独りね。覚さんと友次さんが仲良くしてても独り、友次さんとあんたが気まずく暮らして、独り寂しく覚さんが昔の暮らしに戻るか。覚さんとあんたは切れた縁だもの、ねぇ」

「うるさい！」

　泣きながら叫んだ。

『本当のことって、言われると傷つくわよねぇ』

　母と言う女は愉しそうに嘲笑っていた。頭の中がマーブル模様だ。母の顔が歪む。世界が歪む。光は消えて独りぼっちになった。誰か助けて、誰か、助けて、助けてよ、蹲り泣いても、宵闇にきらきら光る蒼い羽根は生えない。覚さんは………もういない。俺が逃げたから。

　返すなんて嘘だった。綺麗事だった。あの父さんのメッセージを指でなぞる、覚さんを見て、父と覚さんの繋がりには『敵わない』と思ったからだ。

「洋之！」

　泣きながら振り向くと覚さんがいた。

「覚さん？父さんを迎えにきたの？」

「私が迎えにきたのは君だ。ダイニングの手紙を見て驚いた。それとな、一度別れた……切れた糸は、そう簡単には結び直せないんだ。年月を経て別れた想いは余計だ。隠れて話を聞いていた。正美さんと君の。やっと、友次との関係を理由も解らず、不条理に切られた意味を知った。洋之帰ろう？家へ帰ろう？あの家は、君の家でもあるんだよ。ここへは、君はきっと先生の蝶を取りに来ると思って来た。もう独りにはしないよ。何があっても一緒だ。私が君の帰る場所だ。言ったじゃないか。帰る場所も、泣く場所も私だって」

　しがみついて泣いた。『覚さん』と何度も呼んだ。俺の居場所。帰る場所。覚さんは腕を俺の背にまわし、ずっと髪を撫でてくれた。